第60話 駆け引き
「秀人から、貴方のことを聞きましてね」
恵流からの強い勧めで陽が自身のブログを起ち上げてから、およそ2ヶ月が経っていた。
そこには、工房のシャッター絵や、優馬と栞に贈った絵、『HEAVY DOOR』の壁絵、その他依頼されて描いた数点の肖像画、また、描き溜めている絵の数点が紹介されており、陽自身の簡単なプロフィールと連絡先が記載されている。
その連絡先にメールを寄越したのが、藤枝と名乗る男だった。
「秀人から、貴方のことを聞きましてね」
「……ヒデヒト?」
心当たりの無い名前に戸惑っていると、男は声を上げて笑った。笑い声に若干空々しい響きを感じ、陽は首の後ろを咄嗟に擦った。
「ああ、これは失礼しました。私は宮内秀人の叔父で、画商を営んでおります、藤枝と申します。甥は美大の春休みを待たず、海外へ遊学……いや、いわゆる放浪の旅というのでしょうか。ほとんど誰にも言わず、家を飛び出したらしいのです」
話を聞き、やっと思い出した。
あの、宮内くんだ。公園で陽に絡んで投げ飛ばされ、後日工房までわざわざ謝りに来たのに憎まれ口を叩いて帰って行った、線の細い、神経質そうな、あの宮内くん。
「すみません。彼の苗字しか知らなかったので。こちらこそ失礼しました」
「いえいえ、とんでもない。で、その秀人なんですが‥‥」
† † †
「ふうん。日本画家の大家を父に持つ、コンプレックス肥大の若手画家ねえ……」
優馬は興味深気に呟き、顎を撫でた。
「いや、コンプレックス云々とか言ってないけど」
「で、その叔父が ”専属契約” を持ちかけてきたと」
「うん……」
表情を曇らせている陽の向かいで、優馬はダイニングテーブルに肘をつき、冷えたビールをグラスに注いだ。さきほど陽が担いで持ってきた24本入りの缶ビールのケースのうち数本は、既に冷蔵庫に仕舞われ、自分達の出番を待っている。
「で、お前はどうしたいわけ?」
「うん……悪い話じゃないとは思うんだけど、なんとなくさ……」
飲むでも無くテーブルの上のグラスを弄びながら、陽は言葉を濁した。
優馬はフッ、と短く笑い、人差し指でコツコツとテーブルを叩く。
「お前、あれだろ。 ”専属契約” ってのが引っかかってるんだろ」
驚いて顔を上げた陽の鼻先に、したり顔で人差し指を突きつける。
「図星だな。んで、ヒデヒトって子が家出したのも自分のせいかも、とか思ってないか?」
「人を指差すな」
優馬の指を払い除けた手で、陽は耳たぶを引っ張った。僅かに眉を寄せ、言葉を探しながら、テーブルで水滴を浮かべるビールグラスに視線を落とす。
「なんかさぁ……家出だか放浪だか知らないけど、ほんとはさ、そんなの自分で選んだことじゃん? オレ関係ないじゃん、って思ってるんだ。でも、電話でさ……『親にたてつくような子じゃなかったのに』とか言われると、やっぱりちょっと気になっちゃって」
「まあ、わかるけどな」
優馬は小気味の良い音をたててピスタチオの殻を割り、美しい緑色が滲むナッツを口に放り込む。
「そいつさ、その画商の叔父さんって人にだけ、『負けたくないヤツが居る』って俺の名前とブログのこと言って、居なくなったんだって。で、向こうの家の父親が、息子が家出したってことで結構怒ってるらしい。それで俺にこっそり探り入れてきたんだってさ」
ピスタチオを噛み砕きながら聞いていた優馬だったが、陽が話し終えると軽くため息をついた。
「あのさ、陽。よく考えてみろ? そいつの家出の経緯と、”専属契約” の間に、なんの関係がある?」
「え?」
「お前が内心思ってる通り、彼の家出云々は彼の意思であって、お前には関係ないことだ。お前が責任を感じる必要は無し。宮内ってジジイは、それを故意に、お前に罪悪感を抱かせるような言い方をしてる。お前の話を聞いて、俺はそう思った」
「わざと、ってこと? なんで?」
「お前ね、お人好しか」
優馬は呆れた様に呟くと、諦めた様子で額を擦った。
「……ああ、そうだな。そういえば、妙なとこで間抜けなんだった。いいか、陽。その画商は、お前に罪悪感を植え付けることで、”専属契約” とやらに有利に仕向けてるんだよ」
間抜け呼ばわりに不満顔の陽に構わず、優馬は話を進める。
「そんな初歩的な交渉テクは置いといて。で、なんで ”専属” が嫌なのか………縛り付けられるみたいで、なんとなく気持ち悪い、とか……そんなとこだろ?」
「そう! それだ!」
今度は陽が、優馬に人差し指を突きつけた。
「あの人の話聞いてて、なーんかヤダな、ムズムズするな、って思ってたら、それだわ。言われてみて初めて気付いた」
優馬は苦笑しながら、陽の指をチョキで挟みテーブルの上へ戻した。
「だからお前は間抜けだって言うんだよ、全く」
「優馬さん、すげえ。何でわかったの?」
尊敬の眼差し、とは、こういうのを言うのだろうか。
感動も露に目を見開き真っ直ぐに見つめてくる視線を、若干くすぐったく思いながら、優馬は眉を上げ片方の口角だけでニヤリとしてみせる。
「すげえだろ。俺は何でもお見通し………って、違うよ。バカ。お前は自分でもわかってたから、ムズムズしてたんだろ。それと、元々窮屈なのが嫌いな上に、姑息な駆け引きをしてくる様な人間も苦手だろ?」
「ああ、うん。うん。そう。確かに」
陽は何度も頷いて、同意を示している。
「頭では理由が理解ってなくても、本能でちゃんとわかってるんだよな。だから気が進まない」
「本能ねえ。そうか。どうりで……って、それって俺、まるっきり馬鹿みたいじゃね?」
「だから何度もそう言ってんだろうが」
陽は不満げに口を曲げ、殊更に顔をしかめてみせる。
「ちょっとさあ……さっきから、間抜けだの馬鹿だのって、散々なんすけど。俺、まだ22歳なんすけど」
「年齢に甘えるんじゃねえ……と言いたいところだが、ま、しょうがないやな。経験値稼ぐのはこれからだ」
眉根に皺を寄せ、わざとらしく怖い顔を作って陽を睨みながら、優馬はピスタチオを噛み砕き、残ったビールでそれを飲み干した。
「しかも、お前だからな。今回の専属契約の件はさ、俺が上手く断ってやるよ」
「え、いいよ、自分で」
「やめとけ。画商なんて、海千山千の百戦錬磨だ。お前じゃ、なんだかんだ丸め込まれて骨までしゃぶられかねん。危なっかしくて、見てる方がヒヤヒヤする。そういうのは俺に任しとけって」
「でも……」
優馬は陽の前に散らばっているピスタチオを指差した。
「豆の殻割るのも横着するヤツにぃ、交渉事なんて無理ですからぁ~」
節をつけて歌う様に言いながら、閉じたまま転がっているいくつかのピスタチオに、優馬は手を伸ばした。
「だってこれ、固かったんだもん」
「『だもん』じゃねえ。開けづらいやつだけこっそり戻しやがって。とにかく、契約やなんかの交渉ごとは、先ず天本さんとか俺に相談しろよ。カモられたくなきゃな」
殻の小さな裂け目に爪を抉じ入れると、パキッと音をたてて殻が割れた。
そうして全ての殻を割ると、優馬は中のナッツをまとめて口へ放り込んだ。
「これ喰ったら却って腹減った。ちょっと早いけど、なんか作るか」
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陽「ピスタチオ旨いね」
優馬「だから固いやつ戻すなって言ってんだろ」
陽「エヘ☆」
優馬「エヘ☆じゃねえ。肩竦めても可愛くないから( ̄∩ ̄#」
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