第57話 宣戦布告


 雪の降る湖を、月が照らしていた。


 見る角度を変える度、雪はキラキラと光る。



「すげえ……」


 宮内は資材置き場のシャッターの前にしゃがみ込み、呆然と絵を見上げていた。

 その隣に立ち、陽は片手をポケットから出してシャッターの右上、庇になっている辺りを指差す。


「あそこに照明を隠してあるんだ」


 季節毎に照明の色が変わる仕組みを説明すると、宮内は唇を噛み締めながら頷いた。だが、視線は一瞬たりとも絵から外さない。瞬きするのも忘れ、見入っている。



 先に忘年会に繰り出した工房の面々は、おそらくいつもの居酒屋に到着した頃だろう。既に乾杯が始まっているかもしれない。

 陽は少し遅れる旨、皆に断ってあった。



「……なんか、見てるだけで寒くなってくる気がする」

「いや、実際寒いし」


 宮内は立ち上がると、何度か膝を屈伸させた。


「そうじゃなくてさ。雪の日の寒さって、なんか特別じゃん?そういうのが伝わってくる」

「まじで?」陽は鼻の下を擦った。


「ヤバい、最高の褒め言葉かも」

 肩をすくめておどけてみせるが、口元が嬉しそうに綻んでいる。


「お世辞じゃないよね?」

 照れ隠しなのか、陽はさらにふざけてみせた。



 宮内は真面目な顔で陽を見据えた。


「俺、人の絵にお世辞なんか言わないよ。この絵も、さっき部屋で見せてもらった絵も、正直言って見なきゃよかったと思ってる」


 再び、シャッターに視線を戻す。宮内は眉を寄せ、険しい目つきで絵を睨んでいた。


「なんでだよ。どうしたら、あんな風に………」


 宮内は俯き、ぎゅっと目を瞑った。小さく震える薄い唇をひき結び、乱暴に頭を振る。

 大きく息をつくと、宮内は陽を見据えた。瞳が一瞬ギラリと光った。


「なあ、どうやったら描ける? 何をどうしたら……」


「どうしたらって……俺はただ、頭の中にあるものを描いてるだけだし」


 戸惑い気味に答えた陽の声からは、先ほどまでのふざけた様子が消えていた。


「大体は頭の中に絵が出来上がってるんだ。たまに、描いてるうちに少し変わっていくことはあるけど……えーと、ウロ覚えの夢の内容を思い出そうとしてる時みたいな?」



 ハッ、と、宮内は息を吐いた。俯いてイライラと視線を彷徨わせる。


「……描いてるうちに、何を描きたかったのか、どう描くべきなのか、わからなくなるんだ」


 かさついた唇を、強く噛み締める。再び口を開くと、その唇からは血の気が失せていた。


「これじゃない、こうじゃないって思いながら、それでも描かなきゃいけないんだ。だって、正解がわからないんだから。何度描き直しても、描き進むほど、どんどん見失ってく。それでもとりあえず、目の前のものを完成させなきゃって」


 宮内は食いしばった歯の隙間から大きく息を吸い、一気に吐き出した。


「気が狂いそうになるよ。失敗することがわかって描いてるんだから。いっそ、本当に狂った方が楽なのかもな」


 口の端を僅かに歪めたのは、嗤っているつもりなのかもしれない。その表情を、ほんの一瞬、興味深気に見つめ、陽は手にしたウーロン茶を啜った。



「よくわかんないけど。俺の恩師はよく言ってたよ。『好きに描け。目の前のキャンバスに、自分の世界を創れ』って」


「……言うのは簡単なんだよ。言うのは………」

「そんなに辛いなら、やめりゃいいじゃん?」


 全く不可解だ、とでも言いたげな表情の陽と目が合うと、宮内はおもむろに立ち上がり首を振って言った。


「それが出来たら苦労しない。ことは単純じゃないんだ」


 ぬるくなったウーロン茶を一気に飲み干すと、宮内は袖口で乱暴に口を拭った。


「なあ、謝りに来といて悪いけど、やっぱ俺、あんたが嫌いだ。……言っとくけど、俺にだって才能が無いわけじゃないからな。覚えとけよ、大月陽」


 挑む様にそう言うと、宮内は無理矢理笑ってみせた。陽は一瞬戸惑った様に顎を引いたが、すぐに肩の力を抜いて苦笑した。



「全く、急に何なんだよ。意味わかんね……まあ、覚えとくよ。宮内くん」



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