第53話 神々の壁
大音量でかかっていた音楽は消え、今では優馬のベースとTakのギターの音だけが店内に響いている。テーブルの上にはビールの缶が何本も転がり、灰皿は山盛りになっていた。
陽はふたりに完全に背を向け、左手の壁に相対していた。
スツールに逆向きに腰掛け、低い背もたれにスケッチブックを立てかける格好だ。左腿には色鉛筆のセットが蓋を開いて載せられている。
そんな陽の背中を、ふたりは横目で眺めながら弦を弾く。
「器用な格好で描いとるのぉ」
「ですねえ」
ジャカジャカベケベケと弦の音が響く中、陽は黙々と描き続け、ようやく手を止めた。色鉛筆を戻すと、紙の上をゴシゴシと指で擦る。
擦ったところの筆跡がぼやけ、いくつかの色が混ざって滑らかになった。絵の中の壁面部分が、均一に塗られた実際の壁面の質感に近づいた。
「まだまだこれからだけど、こんな感じでどうですか?」
スケッチブックの中の壁面には、中央のドアの両脇に翻って歪んだチェッカーフラッグの様な模様が大きく描かれていた。
青く塗られた空の右上には雲が描かれ、その上で3人のギリシャ神が音楽を奏で、酒を飲んでいる。雲の隙間から地上にいく筋もの光が差している。
「これは誰ね?」
「音楽の神、アポロンとオルフェウス。こっちは酒の神でディオニュソス、別名バッカスです」
おおお、と低い歓声があがる。
「音楽と酒の神、いいじゃん!」
「音楽の神っつーたら、イングウェイ忘れたらいけん。リッチーもじゃ」
「いや生きてるし。ご存命の人は色々とマズいでしょ。っていうか、他にも神様いるでしょ。えーと、弁才天とか?」
「死んどったらええんか」
「いや、そう言っちゃ身も蓋も……」
「んじゃ、ジミヘン。ロニー。コージー・パウエル」
「偏ってます、Takさん。ジャンルがすごく偏ってます」
「ボブ・マーリー。ボブ・ディラン。フレディ。ジョン・レノン」
「あー……バッハ。ベートーベン。モーツァルト。ハイドン」
「ちょ、優馬さんまで参加しないで」
「マーク・ボラン!ランディ・ローズ!」
「キヨシロー!……えーと、耳無し芳一!!!」
「・・・・」
短い沈黙の後、ため息混じりに陽が呟いた。
「……優馬さん、耳無し芳一は、さすがに」
「だよな」
「ですよね。ジャンルの偏りを無くそうと、つい……」
陽は、スケッチブックを優馬にぐいと突きつけた。
「今出て来た名前、メモって下さい。画像探して描きます」
「まじか」
「うん。なんとか、やってみます。なんか面白そう」
「芳一もか」
「それは……追々考えます」
Takが吠える様な大声で笑いだした。
「わっはっはっは! いやー、楽しみじゃのお。神々しい店になるわ。繁盛間違いなし!」
開店までの2時間ほどを、Takお手製のスパイシーな焼き飯を食べながら話し合った結果、世界の有名建造物の中に紛れ込む形で、音楽の神々があちこちに顔を覗かせるという描き方に決まった。
客にとっては、宝探しのような楽しみが得られるだろう。
「なんなら他の壁もみんな塗っちゃってええけえ」
「2週間じゃ間に合いません」
どうやらTakに気に入られた陽は、すっかりリラックスした様子で笑っている。優馬も楽しそうにそれを眺めつつ、再びベースを抱えて弄んでいる。
「Takさん、正月から2週間、アメリカでしたっけ」
「おう。西の方な。旅行ついでに、日本未発売のエフェクター見ようかと思うちょる」
「奥さん、怒りませんか?」
「いや、試してみて良かったら、たくさん買うてきて日本で売れち言いよる」
「逞しいな」
「おう。下手したら俺より酒飲みよるしな。豪傑じゃ。あはは」
Takは咥え煙草のまま3人分の皿を取り上げると、バーカウンターの奥へ向かった。が、途中で振り返ると、口の端に煙草をぶら下げたままモゴモゴと言った。
「そうだ。鍵預けとくけえ。年明けたら、好きな時に来たらええ。キャビネの酒は好きに飲みんさい」
「あざーっす!」
「お前も飲むんかい。わしゃ、陽に言ったんじゃ」
「……あ、あざっす」
陽が照れ笑いしながら頭を下げる。いつの間にか、「大月くん」から「陽」に呼び方が変わっていた。
「完成したら、いや、年内でも、いつでも来んさい。タダで飲ましちゃる」
「あざーっす!」
「お前はいつでもタダ飲みだろうが」
Takが優馬を蹴る振りをして笑う。
「あー、すんません。有り難いんですけど、俺、喧しいとこ苦手なんです」
優馬が吹き出し、Takは「おぉ?」と声を上げた。
皿をカウンターに置き、クシャクシャに丸めた煙草の空き箱を取り上げて陽に投げつける真似をすると、弾ける様な大声で笑う。
「こん、正直もんが!」
______________________________________
優馬「そういやTakさん、アンプの写真も山ほどアップしてますよね。奥さん怒らないんですか?」
陽(あ、なんか分かりやすくキョドリはじめた……)
優馬(やっぱ怒られてるんだな………)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます