第52話 扉の向こう


『HEAVY DOOR』


 重厚なレリーフを施された、その名の通り重く分厚い鋼鉄製の一枚扉を体重をかけ肩で押し開けた途端、思わず耳を塞ぐ程の重低音に包まれた。

 首を竦め耳を塞いだまま棒立ちになっている陽の脇をすり抜け、慣れた様子で優馬が奥へ歩を進める。


「Takさーん、どーも~」


 入り口右手に設えられた広いバーカウンターの奥から、背の高い痩せぎすの長髪男が現れた。


「おお 優馬、来たか。悪いね、この年の瀬に急な話で」

「いえいえ、こちらこそ。声かけていただいて」



 優馬は入り口を振り返った。陽は未だ耳を塞いだまま、薄く口を開いて開店前の店内を見回している。


 内側にクッションを貼られた黒く重たい扉、真紅の壁、白黒の市松模様の床。高い天井にはむき出しのパイプが這っている。

 入り口正面には小さなステージがあり、両脇には大きなスピーカーやアンプが積まれ、いくつかのステージ用の照明等が設置されていた。

 左側の壁には壁から突き出すような格好のカウンターと高いスツールが設けられ、フロアにはいくつかの丸テーブルと、逆さに伏せた椅子が並んでいる。



「陽! ……おーい、陽!」


 優馬の手招きに気付き、陽が足早にやって来た。


「Takさん、大月 陽です。陽、こちらはここのオーナーのTakさん」

「初めまして。大月です」


 Takと呼ばれた男は、大きな手を差し出した。陽は軽く会釈をしながら、肉厚の手を握る。その手は温かく、指先の皮膚は硬化していた。


「急な話なのに、ありがとう。大月くん、何か飲む? 優馬はビールでいいよな」

「はい。えーと、クアーズ2つお願いします」


 男はスタッズにまみれたブーツのヒールを鳴らしながら奥へ引っ込むと、ビールの缶を持って戻ってきた。椅子を降ろしてあるテーブルへふたりを促すと、自分もそこへ腰掛けた。


 ふたりが着席する前に、男は自分のビールの蓋を開ける。


「若きアーティストに」


 高く掲げられたビールの缶に、ふたりも急いで座って缶を合わせた。

 なんというか、このTakという男は、かなりマイペースでユニークな人物に見えた。


 色の抜けた長髪は豊かに膨らませてあり、細い顔の半分程を隠している。細身のストレッチパンツにシャツ、布地と同色で刺繍の入った派手なジャケットという出で立ちは黒づくめで、胸元にはジャラジャラとネックレスがぶら下がり、指にはいくつもゴツゴツした指輪が嵌まっている。

 まるで80年代のロック誌から飛び出してきた様な風体だ。


 胸ポケットから煙草を取り出して加えたTak氏は、煙草を口の端にぶら下げたまま、思い出した様に訊ねた。


「あ、煙草、いい?」


 街中に居たら誰もが振り返りそうなその風体とは裏腹に、そういったマナーは持ち合わせているらしい。

 陽が軽く会釈すると、男はふたりに煙草を勧めた。優馬は一本取って咥え、陽は首を振って断った。男は顔をしかめて煙草に火をつけると、ライターを優馬に放って寄越す。優馬が煙草に火をつけている間に、男はいきなり切り出した。


「で、早速なんだけどさ」


 一息大きく吸って、顔を背けて煙を吐き出す。


「年明けから2週間で、出来そう? あっちの壁なんだけど」




 優馬から大体の話は聞いていた。店内の改装にあたり、店の壁一面に絵を描いて欲しいというのだ。


「あのカウンターは引っこ抜いて埋めるからさ。酔っぱらった阿呆共があれに座るから、アタマ来んだよ。邪魔なもん無くなるから、好きなように描いてよ」


「好きなようにって言われても……」



 カウンターとスツールを退けたら、あとは真紅のだだっ広い壁面だ。要望が漠然とし過ぎていて、イメージが湧いてこない。


「君の絵は、優馬に見せてもらった。気に入ったよ。カッコ良けりゃ、何でもいいから。任せるわ」


「なんか、コンセプトとか無いんですか? じゃなきゃ、好きなものとか?」

 優馬が助け舟を出してくれる。


「コンセプト、ねえ……そりゃ、音楽だろ。そもそも、そういう店だし。あと、酒か」

 男はそう言って、缶ビールの半分程を一気に飲んだ。



「あの……」

 陽が遠慮がちに口を挟んだ。

 

「入り口のドア、あれ、カッコいいですよね。特注ですか?」


 男は一瞬動きを止めたが、すぐに嬉しそうに顔をほころばせた。


「お、わかる? 特注じゃないけど、ちょっと改造してもらったんだ。イタリアから取り寄せたんだよ。外側はヨーロッパとかの教会のブロンズ扉みたいだろ? 一目惚れしちゃってさぁ」


 空いた左手がテーブルの上の架空の鍵盤を叩き、右手では灰皿にタバコの灰を器用に落とした。

「防音の面でも具合が良くってね。気に入ってるんだ」


 煙草をうんと大きく吸込むと、男は灰皿の上で煙草を揉み消した。

 スツールから降りると陽の肩をバンバン叩いて、「いやー、さすが、芸術家は目の付け所が違うねえ」と笑い、煙を盛大に吐き出す。ステージへ向かうと30センチほどの高さのステージへひょいと飛び乗り、その奥へと姿を消した。



 陽はおもむろにバッグからスケッチブックと鉛筆を取り出し、壁と同じ縮尺の枠を描き始める。


 男がエレキギターを片手に戻ってきた時には、左面を奥に配した店内の構図が大まかに描かれていた。


「お、もう始まってんの?」

 スツールを少しずらして陽の近くに座り直した男は、スケッチブックを覗き込む。



「表からみたドアの柄を、この辺りに描こうと思います。あとは、いろんな物をコラージュ風に描いたら面白いんじゃないかと。で、この床の、市松模様をどっかに取り入れると、全体のバランスが良いと思うんです」


「ほー、なるほど……わからん」


 男はギターをつま弾きながら、音を微妙に調節している。


「Takさん、相変わらずストラトっすか」

「おう、まあな。家に置き過ぎてかみさんに怒られたんで、ちょっとこっちに移動させた」


 陽はスケッチブックに床の市松模様を描き込み始めた。全体のバランスを見やすくするためだ。完全に目検討で、フリーハンドでザクザクと描き進む。

 

 

「ギター、いま何本あるんですか?」

「んー……3、40本? もっとかな? わからん。数えとらん」

「そりゃ怒られるわ」


 ハハハ、と笑うふたりを他所に、陽は壁の中央に小さく扉の絵を描き入れる。先ほど一瞬見ただけなので、大まかなメモ程度の描写だ。

 その扉に向かって、奥へ行くにつれ細くなった道が、まっすぐに繋がっている。遠近法の効果で、扉がうんと遠くにある様に見せている。



「やっぱナマ音、デカイっすね」

「おう。ええギターじゃけ。いい感じに木が乾いてきちょる」

「ベースは? 無いんすか」

「奥に1本ある。お前、まだ弾いとるんか」

「いや、弾いてないけど、Takさん見てたら久々に弾きたくなって」


「ほぅか」と呟くと、男は優馬と連れ立ってステージの奥へ消えた。


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