第51話 初めてのクリスマス

 ノックの音の後、すぐに鍵が開いた。


「……ただいま?」

「おかえりなさい! 早かったんだね」


 狭い玄関口で靴を脱ぐ。片隅には、小さなショートブーツが揃えて置いてあった。


「せっかくのイブだからって、早めに上げてくれたんだ。なんか、すっごいいい匂いする」

 照れくさそうに鼻を擦りながら、陽は嬉しそうに笑った。仕事終わりに自転車を飛ばして受け取りに行ったケーキを、恵流に手渡す。



「ふふふ。張り切って作ったもん。いつでも食べられるよ」


 授業を終えた恵流は真っ直ぐ家に帰ると、準備してあったクリスマス料理を仕上げ、ここへ運び入れた。少し前に貰った合鍵を初めて使って部屋に入り、料理の盛りつけや部屋の飾り付けを済ませていたのだ。



 部屋に上がった陽は、ぐるりと部屋を見渡した。

 色とりどりの紙鎖やキラキラ光るモールが壁に取り付けられ、棚の上には小さなクリスマスツリーが置いてある。


「うわぁ、すげえ」


 顔を輝かせて部屋中を眺めまわす陽に、恵流が声を掛けた。


「陽、お仕事終わったらすぐシャワーでしょ? お部屋見るのは後にしたら?」

「あ、そうだった。急いで済ますから」


 羽織っていたフード付きのブルゾンを脱ぎながら、部屋の奥へ向かう。


「急がなくていいから。風邪ひいちゃうよ」

「うん。あ、リースだ」


 クローゼットの取っ手に掛けられたクリスマスリースに気付いたらしい。ブルゾンをクローゼットに仕舞い着替えを取り出すと、洗面所へ向かう。

 洗面所のドアが閉まり、また声が聞こえた。


「あ、雪だるま」


 姿見に貼り付けた、ジェルシールだ。恵流が耳を澄ましていると、シャワー室のドアが開いた音が聞こえた。


「あ、サンタだ!」


 シャワー室のタオル掛けに取り付けたサンタクロースの人形だ。


 トイレのペーパーホルダーの上に置いたトナカイにいつ気付くだろうかと楽しみにしながら、恵流はお気に入りの店で買ってきたバゲットを切り分けた。




   † † †




「すごい! ピッタリ!!」


 革の手袋を嵌めた両手を何度もひっくり返し、目を丸くして仔細に眺めている。


 フルオーダーのその手袋は、指先がいつも余ってしまうとボヤいていた恵流の両手に完全にフィットしていた。


「良かった。写真撮られまくって店情報ゲットした甲斐がありました」




   † † †



 ファッションサイトの撮影に協力するかわりに、という訳ではないが、陽は優馬にある依頼をしていた。

 手袋をオーダー出来る店をいくつか調べてもらう、というものだ。

 もちろん自身でも調べてはみたのだが、いまいちピンと来る店が無かった。それで、ファッション関係者が揃う現場になら良い情報があるかもしれないからと、優馬に口利きしてもらったのだ。



 撮影を終えた陽は、その足で店へ向かい、すぐにオーダーを済ませた。

恵流の手のサイズや写真などは持っていなかったが、陽は店員の目の前でサラサラと数枚の絵を描いてみせた。両手の表裏、斜め横からのアングル。普段よくしている指輪まで描き添えた。


「サイズはこのくらいです」


 呆気にとられる店員を他所に、今度は机の上のメジャーを勝手に取り上げ、丸めて各指の太さや掌の厚みを示す。

 付き添ってきた優馬に心配そうな目配せをしてきた店員に、優馬は自信たっぷりな笑顔を返した。


「大丈夫です」



 サイズ表に全ての数値を書き込み終えると、陽は素材やデザインをテキパキと選んだ。出来上がりに明確なイメージがあるらしく、ほとんど迷いが無かった。


 外側がアイボリーのスエード、掌側は同色のラム革。履き口は毛足の短いファーでぐるりと囲まれている。

 内張りには、暖かく肌触りの良いシルキーベルベットという素材を選んだ。

 手首のところには、温かみのある水色と少し青みがかったピンク色、2色のレザーを合わせて細いベルトを配してもらった。両方とも恵流の好きな色だ。



† † †




「デザインも、すっごく可愛い!! このベルトも!」

 恵流はなおも拳を握ったり開いたり、指を複雑に動かしたりして感触を確かめている。


「恵流のことだから、自分好みにカスタマイズするだろうと思って、シンプルなデザインにしたんだ。そのベルトは、チャームとか通せる様にって思って」


 少しそわそわと心配そうに覗き込んでいる陽に、恵流は弾けるような満面の笑顔を向けた。

「完璧!! 素晴らしいよ! すっごく嬉しい!」


「気に入ってくれたなら、良かった」

 陽はほっとした表情を浮かべ、肩をすぼめて笑った。


「気に入ったどころじゃないよ! こんなに嬉しいプレゼントは、生まれて初めて。あのね、もちろん手袋自体もそうなんだけど、陽が憶えててくれたことが、わたし、一番嬉しいの」




『冬になったら、赤ちゃん用の手袋を買ってあげましょう』


 陽がおどけた口調でそう言ったのは、確か初夏の頃だった。

 あの時は冗談だとばかり思っていたから、本当にプレゼントしてくれるなんて思っていなかったのだ。


 恵流は飛び上がる様に立ち上がると、低いテーブルを回り込み、胡座をかいている陽の膝の中に座った。陽に背中を預けて座る、恵流のお気に入りの体勢だ。


 腕を伸ばして両手を広げ、かざして見せる。


「どう? 似合う?」

「うん。よく似合ってる」


 恵流の頭の上に顎を乗せ、陽は前屈みになってテーブルの向こうへ手を伸ばした。

 ウエ、苦しい……と呻く恵流に構わず、空の小さな紙袋を引き寄せる。


「恵流、まだあるから。ハイこれ」


 手袋の店の紙袋の中から、小さな革袋を取り出した。

 恵流の開いた両手の上で逆さまに開くと、丸い、水色と白のマーブル模様の石がついたネックレスがこぼれ落ちる。


「これ……ラリマー?!」

「ああ、多分そう。そんな感じだった。良かった、実は名前忘れてたんだ」


 余程驚いたらしく、恵流は目を丸くして石を見つめている。


「すごい……どうして、私の欲しいものがわかったの?」

「えっと、まあ、偶然? 手袋の店のレジのとこにあってさ。なんか、地球みたいだなって思って」


 恵流は手袋をしたままの指先で器用にフックを外し、ネックレスを首にかけた。


「大月 陽が『太陽と月』で、私が地球。だね」


  恵流が首を捻って見上げると、陽は耳の淵を赤くしてそっぽを向いた。


「うん。まあ、そういうこと……かもね」


「あ、そうだ。ケーキ食おう。ケーキ」と呟きながらそそくさと席を立つ陽に断わり、恵流は足早に鏡を見に向かった。

 洗面室のドアを開け放したまま、少し大きな声で話し掛ける。


「ラリマーってね、たぶん最強の石なの。少なくとも、私にとってはね。『愛と平和』『喜び』、それから『創造性』をもたらすって言われてるんだ」


「へえ、そうなんだ。なら、既に充分じゃん。恵流には必要無さそうだけど?」


 パタパタと足音が聞こえたかと思うと、キッチンに立つ陽の背中に温かな重みがぶつかった。恵流が飛びついてきたのだ。


「必要あるもん。お守りにするの」

「わかった。わかったから暴れんな。俺いま包丁持ってるから、危ないからね」

「はぁい」


 背中に取り憑いたまま小さくジャンプを繰り返していた恵流は、大人しく離れた。後ろ向きに後ずさり、その場で回転してみせる。


「どう? 似合う?」

「似合う似合う」

「ずっと欲しかったけど、高くて躊躇してたの。いつか買おうって思ってて」


 恵流はまだくるくると回転している。


「それは良かった。ほら、ケーキ分けたよ。回ってないで座って下さい」


 回転を止めた恵流は素早く席に戻り、手袋を外した。

「でも、随分お金かかったんじゃない? なんか、申し訳ない気がしちゃう」


 手袋を箱に仕舞い、さらに紙袋へ戻しながら、恵流は心配そうに少し声を落とした。そんな恵流に、陽は笑ってフォークを手渡す。


「恵流だって、俺がリクエストした落款のケース、カッコいいの作ってくれたじゃん。あと、道具入れのすげえ良いバッグまで。あんなの、外で買ったらいくらするか……っつーか、恵流の手作りって時点で、プライスレスですから」


 首から提げた小さな革のケースを手に取りフルフルと降ってみせ、陽はくしゃっと笑った。その笑顔に、恵流の心臓が胸の中でピョコンと飛び上がる。


 恵流は黙って立ち上がると、再びテーブルを回り込み陽の背後に置いてあったバッグを取り上げた。

 可動式の仕切りと防水裏地がついたキャンバス地のトートバッグを逆さにすると、いきなり陽の頭にすっぽり被せた。


「そんな嬉しいこと言う人には、こうです」

言い捨てて、また自分の席に戻る。ドキッとさせられた仕返しだ。


「えー……?」


 バッグの中から陽の困惑の呻きが聞こえたが、恵流はそれをサクッと無視した。


「ケーキ、美味しそう。いただきまーす」




______________________________________



優馬「お前、自分の服装には無頓着なくせに、恵流ちゃんのは迷いなく選ぶのな」

陽「まあ、恵流の基本的な好みはわかってるから」


……陽くん、把握し過ぎぃ!



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