第48話 ざわめき
12月半ばを過ぎ寒い時期だというのに、陽の似顔絵屋は大盛況だ。
もちろん、例の取材の効果も大きかった。あの撮影の後2週間足らずで、路上で撮った陽の写真がサイトに掲載されたのだ。
客の大半は、求人誌やウェブサイトを見てやって来たらしい。中には、求人誌のインタビュー記事にサインをせがむ客もいた。そんな時陽は、4分の1の太陽と三日月のマークに自分の名を書き添えた。
恵流はいつもの様に自分の手作業をしながら、少し離れた場所にあるテーブルから、時たま陽の仕事ぶりを幸せそうに眺めている。
「隣に座ってやればいいのに」と陽から再三言われているのだが、客が来づらくなるのではないかと、頑なに断って距離を取っているのだ。
指編みで花のモチーフを編み上げると、恵流は大きくひとつ息を吐いて首を回した。今日1日で、結構な数のモチーフが編み上がった。これらは、友人達と協力して、帽子や髪飾り、様々な小物等に取り付けられる予定だ。
日が傾きかけている。おそらく、今の客を描き終えれば今日は店仕舞いだろう。陽が仕上げの作業に入っているのを確認し、恵流はテーブルの上の色とりどりの毛糸や道具類を片付け始めた。
そういえば、湖の向こうのアイスクリーム屋のお兄さんはどうしているだろう。今の時期でも店は営業しているのだろうか。
思えば、気恥ずかしかったこともあり、一度だけ交際を報告したきり顔を見せていなかった。
私達の事なんてもう忘れてるかもしれないけど、久々にちょっと挨拶に寄ってみようかな………
恵流は背伸びして湖の向こうを覗き見たが、大きな樹に遮られ店内の様子を見る事は出来なかった。
† † †
「なあアンタ、○○ってサイトに載ってただろ」
陽が絵の道具を片付けていると、数人のグループの一人に声を掛けられた。顔を上げると、男3人女2人が遠巻きにこちらを見ていた。
「ああ、はい」
グループのうち、一人の男が近づいて来た。学生だろうか。ひょろりとして尖った顔立ちの、神経質そうな男だ。陽の絵を見下ろすと、馬鹿にした様にフンと鼻で嗤った。
「モデルとか調子乗ってチャラついてるから、こんなチマチマした絵しか描けないんじゃない?」
おい、やめろよ……仲間が声を掛けるが、男は意に介さない。
陽は座ったまま、口角だけで微笑んで男を見上げた。
「大きい絵も描いてるんだけどね。持ち運びや管理が大変だから、外では売らないことにしてるんだ」
こんな風に言いがかりをつけられることは、今までにも何度かあった。不愉快だし面倒ではあるが、いちいち本気で腹を立てたりしない。
だが、その落ち着き払った態度が、男の気に障ったらしい。瞳にヒステリックな光を帯びた。
「たかが似顔絵屋が、いっぱしのアーティスト気取りかよ。中途半端なことしやがって」
視界の隅で、恵流が立ち上がったのがわかった。陽はちらりと視線を送り、身体の陰で手を振って「来るな」と合図する。
「ただの、趣味の延長だよ。君に迷惑かけてないと思うけど?」
男の鼻息が荒くなり、顔は青ざめ、目つきがさらに険しくなった。
「雑誌やらネットでちょっとぐらいチヤホヤされたからって、調子乗んなよ。ド素人のくせに」
「ああ、雑誌も見てくれたんだ。ありがとう。別に調子に乗ってるわけじゃないけど……」
ド素人とまで言われて、さすがにカチンときたのだろうか。相手の目を見据え、陽は挑発的に微笑んでみせる。
「年始の特集でまたあのサイトに写真出るらしいから、良かったらそっちも見てみてね」
男は血走った目で一歩踏み出すと、いきなり殴りかかってきた。湿った嫌な音と共に、左頬に痛みが走る。仲間の女の子が小さく悲鳴を上げ、暴行を止めようと別の男が駆け寄ってくる。
「俺は、お前みたいなヤツが、一番嫌いなんだっ」
男は鼻息荒く陽の胸ぐらを掴み、うわずった声で叫びながらがむしゃらに揺さぶってくる。
陽は面倒くさそうに立ち上がると、相手の右手首を掴み、捩じり上げた。男は顔を歪めくぐもった声を上げ、堪らずに腰を屈める。
「すみません。あの、あの、こいつも絵やってるんですけど、締め切り近いのに課題が上手くいかなくて追い詰められてるんです。ごめんなさい」
仲間の青年が、及び腰ながらもとりなして来る。
中性的ともいえる程優し気な顔立ちのその青年は、ほとんど泣きそうだ。あまりの怯えっぷりが馬鹿馬鹿しくて、陽はうんざりした表情で「ああ、そういうこと」と呟き、その男に軽く頷いた。
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恵流「このベンチからだと、アイス屋さん見えないなあ………挨拶に行ったらまた『そういうのいいから』って言われちゃうかも……っていうか、アイス屋さんって冬でもやってるのかな?」
アイス屋「肉まん、いかがっすかー」
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