第47話 苦行へのご褒美


 室内での撮影をなんとか終え、陽は別室で用意された服に着替えていた。

 先ほどまでの、不自然なまでに凝ったデザインのジャケットや誰が買うのかと首を傾げる様なシャツとは違い、陽の好みに合ったシンプルな服だ。だが、革のチョーカーを着けるのに苦心している。

 見かねて優馬が着けてやる。


「大体、あんなカッコで絵描く分けねえじゃん。汚れるし、動きづらいしさ」


 どうやら、イーゼルに立てかけた絵の前で、絵筆とパレットを持たされたのが余程気に入らなかったらしい。

 ブツブツ言いながら髪のウェーブを手櫛で強引に伸ばすと、元通りひとつに括った。髪を梳いた手を鼻先に近づけ、クンクンと匂いを嗅ぐ。


「くっせ」


 テーブルに置かれていたチョコレートや焼き菓子を暢気に啄んでいた優馬が、鏡の前に置いてあったウェットティッシュのケースを取りに行き、「ほい」と投げて寄越した。


「別にそこにリアリティーは要らなかったんじゃね? ファッション誌だし」

「そうかもしんないけどさ。なんか馬鹿みたいじゃん」


 ウェットティッシュで手の平をゴシゴシ擦りながら、陽は何度も匂いを確認した。部屋の向こうからは、別のモデル達が撮影している物音が聞こえている。


 優馬は部屋を横切ると、ドアを開けて撮影の様子を窺った。


「なあ、ちょっと様子見に行かね?」

「え? いいよ、俺。なんかアイツらヤな感じだし」


 撮影を終えた陽と入れ替わる形で別のモデル達が入ってきた時、値踏みするような視線で眺めまわされ、おまけに会釈を無視されたのだ。


「ああ、あれね。新入りがロクに挨拶もしないと思って、向こうもムカついたんかもな。ほら、お前一番最初だったじゃん? 下っ端は早朝から撮るらしいから」


「あ、そうなんだ。じゃ、俺がマズかったのか………ま、いっか。もう会う事もないし」

 クシャクシャに丸めたウェットティッシュをゴミ箱に放り投げ、陽は肩をすくめた。


「だからさ、行こうぜ。絵の素材としてさ、見といて損は無いじゃん」


 陽はピタリと動きを止めた後、優馬を振り返った。急に瞳が輝きを帯び、興味を示したのがわかる。


「素材か。それもそうだね……よし、行く」




 ふたりは何故か忍び足で腰を屈め、壁伝いに廊下を進んだ。

 廊下にはふかふかのカーペットが敷き詰めてあったので、足音を立てる心配は要らなかったのだが。いや、それ以前に、見つかったって別に構わないのだ。


 先に入り口に辿り着いた優馬が、そろりと首を伸ばし部屋を覗き込む。振り返ると、声に出さずに「オッケー」と囁き、ぐるぐると腕を回して陽を手招きした。こういう時の優馬はやたらと楽しそうで、陽も釣られて楽しくなってしまう。子供の頃によくやった、探検ごっこを思い出す。



 優馬は一歩下がると、今まで自分が立っていた位置に陽を立たせた。


「見えるか?」


 優馬の囁きに、陽は無言で頷いた。優馬が殊更に声を潜めるので、なんだか見つかってはいけない気がして、陽は少し膝を曲げ体勢を低くする。そんな陽に背後から覆い被さる様に立ち、優馬は陽の頭の上から覗き込む。

 正面から見ると、まるで不格好なトーテムポールだ。


 部屋の中では、ひとりのモデルがカメラの前に立ち、慣れた様子でポーズを取っている。音楽に合わせて様々にポーズや表情を変え、その度にけたたましくフラッシュが焚かれた。


「やっぱプロは違うな」

「悪かったな。ってか、俺ん時音楽なんて鳴ってたっけ?」

「鳴ってただろ。聞こえてなかったのか」

「うん。全然気付かなかった」

「ははは。バーカ」

「うるせ」


 陽が急に立ち上がったので、優馬は顎を強かに打った。


「うぐっ」


 声にならない声を上げてしまい、気付いた数人がこちらに視線を向けた。ふたりは素早く首を引っ込め壁に貼り付いて身を隠したが、菅沼に見つかった様だ。


「ああ、大月くん。着替え終わったんだね。じゃ、外行こう」


「マヌガッさん、こっちの撮影はいいんですか?」

優馬が顎を擦りながら訊ねる。


「いいのいいの。俺は大月くん専属カメラマンだから♪」


 弾む様なその声に、部屋の隅で待機していたモデル達の何人かが振り向いた。


「ハイこれ。お疲れ~」


 陽は菅沼に手渡された小さなお菓子を受け取り、ペコリと頭を下げモソモソと礼を言ったが、そうする間にもモデル達の視線が突き刺さり、小走りで廊下を駆け戻った。




   † † †




 数メートル前をぶらぶらと歩く菅沼に聞こえない様、またもやふたりは声を潜めていた。


「あのさ、優馬さん。菅沼さんって、もしかして、何ていうか、その……」

「あ? ああ……まあ、急に襲われたりとかしないから、気にすんな。公私混同はしない人だから。多分」

「多分って……」



 12月の初めとしては暖かい日だ。もうじき昼近いので、陽当たりの良い場所では上着が要らないくらいだ。

 住宅街を抜け、少し広い通りに出る。



「じゃあ、そこに座ってくれる? そう、角んとこ」


 菅沼が指した、膝ぐらいの高さの街路花壇に腰掛ける。ツツジの植えられた花壇の向こうは、どこかの企業の石塀だ。


「もうちょいリラックスしろよ。お前は武士か」

 膝の上に手を置き顔を強張らせて背筋を伸ばす陽を見て、優馬がヤジを飛ばす。


「うんと前屈みに。そう、膝に肘を乗っけて。前で軽く手を組んで」

 まだ鯱張っている陽に、菅沼が細かく注文を付ける。


 優馬が菅沼の背後へ回り込み、フラッシュの上から変顔をして見せた。目を眇めて鼻に皺を寄せ、歯をむき出しにしている。


 笑え、という意味だろうか。


 陽の「何その顔」とでも言いたげな怪訝な表情を見て諦めた優馬は、路線を変更した。


「このでくの坊と違って、やっぱプロのモデルってすごいですね」


 挑発的に眉を寄せ睨みつけてくる陽に向かって、からかう様に下唇を突き出す。


「んー? ああ、プロっても、彼らはまだ卵だよ。モデルの卵とか、タレント志望のレッスン生とか」

「あ、そうなんだ」

「で、『路上でスカウトされましたー』ってことにして売り出すんだ。ま、ホントにスカウトされてる人も中には居るけど」


 そう話している間にも、フラッシュが何度も焚かれる。

「厳しい世界だからねー。彼らも本気な分、けっこうギラギラギスギスしてるもんだよ」


「そう。さっき、すげえ怖かった。菅沼さんが『専属』とか言うから……視線が痛かったです」

「あはは、ごめんごめん。彼らには後で説明しとくから。よし、じゃあ次は立ってみて」


 陽が初めてまともに話し掛けたせいか、菅沼は嬉しそうだ。シャッターを切る回数が増す。



「あ、そうだ」

 優馬がコートの胸ポケットから折り畳まれた紙片を取り出し、菅沼の頭の上でヒラヒラと振った。


「陽、終わったら、これやる。頼まれてたヤツ」

「あ、マジで? ありがと! すげえソッコー」

「まあな。任しとけって言ったろ?」


 陽の表情がパッと明るくなったのを見て、菅沼はチャンスとばかりに立て続けにシャッターを切った。



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陽「菅沼さんって、やっぱソッチの……いやうん、別にいいんですけど」

菅沼「耽美主義と言ってくれ」

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