第45話 陽くん、お仕事です
土曜の朝イチ、陽の携帯電話が鳴った。優馬からだ。
「大月くん、またまたお仕事の依頼です」
「え……まさか」
「取材です」
陽は少しの間口を噤んだ。嫌な予感がする。
「こないだの雑誌が出た時さ……恵流が街中走り回って大騒ぎだったんだよね」
10月の終わり、例の無料求人雑誌が2週に渡って発行され、街の至る所に設置された。
恵流は文字通り街中をかけずり回り、ここの本屋から一冊、向こうのコンビニから一冊、あっちのスーパーから一冊と、その小冊子を集められるだけ集めたのだった。
「一箇所からたくさん取っちゃうと、他の人に渡らないから。集めた分は知り合いに配って廻った」らしい。
その気持ちは嬉しかったのだが、陽にしてみれば気恥ずかしさが先にたち、大汗をかいたばかりだった。
しかも恵流は、ちゃっかり自分用に各3冊ずつ確保していた。保存用・観賞用・持ち歩き用だと言って。
それだけでなく、鞄の中から分厚い封筒を取り出し得意気に言ったものだ。
「陽の分もあるんだよ?」
「……また、雑誌ですか」
「そう。聞いて驚け……なんと、まさかのファッション誌だ」
思考が停止した。呼吸すら止まった。
「所謂、ストリートスナップってやつ?」
「お断りします」
即座にきっぱりと言い切った。が、優馬は諦めずに食い下がって来る。
「まあまあまあまあ、そう言わず」
「やぁぁぁだぁぁぁあああよおおおおおお!! 優馬さん、俺が服とかキライなの知ってんだろ!」
「とりあえず、聞くだけ聞けって」
「写真も苦手だって言ったじゃんかぁぁぁ」
空いた片手で額を掴み、陽はドスドス足を踏み鳴らしながらその場でグルグルと回った。
「発狂すんな。落ち着け」
笑いを堪えている様な優馬の声に、陽は少しイラついて語気を強めた。
「発狂してねーし!」
「なら、一旦座れ。断っても良いから、一度だけ話聞いてくんない?」
陽はしぶしぶ木の床に腰を降ろし、胡座をかく。
「……座った」
「よし。まず、さっきはファッション誌と言ったが、正しくはファッションサイトだ。ウェブ上の雑誌だな。で、撮影の条件として、写真の中にお前の絵を必ず入れ込む事になってる」
「絵を入れる?」
「そう。背景としてか、小道具としてかはわからんけど、とりあえずそういう約束にしてある。絵の宣伝になるだろ?」
陽は知らず知らずのうちに、長袖のTシャツの裾を引っ張って弄んでいる。
「……宣伝とか、別にいいんだけど」
「良くない」
遮る様に、優馬が言葉を挟む。
「お前は、欲が無さ過ぎる。せっかく描いた自分の絵を、もっとたくさんの人に見て欲しいと思わないのか? 何のために描いてる? ただの自己満足か?」
「……そりゃ、見て欲しいとは思うけど」
「どうやって」
口籠る陽に、優馬は言葉を被せた。
「……描き溜めてって、いつか個展でも開けたらな、とは思ってる」
「そうか。で、誰が観に来る? 友達か? 工房の人達か?」
黙り込んでしまった陽に、優馬は説き伏せるかの様にゆっくりと、話し始めた。
「いいか、陽。いくら優れた物を作っても、誰も観ないんじゃぁ、無いのと一緒だ。本も絵も同じなんだよ。あちこちでアピールして、作品を知ってもらわなきゃいけない。作品に興味を持ってもらったら、顔と名前を覚えてもらわなきゃ、次に繋がらない。わかるだろ?」
「………うん。それは、まあ」
「描き溜めたら、なんて言ってる場合か? 今あるチャンスを逃したら、次のチャンスなんて来るかわかんないんだぞ?」
「うん……」
「せっかくのチャンスなんだ。乗っかってみろ。で、同時進行でたくさん描け」
畳み掛ける優馬に気圧され、陽は俯いた。Tシャツの裾は捩じれて酷い事になっているが、さらに引っ張って捩くり回した。
「でも、写真苦手だし……」
「またそれかよ」
優馬が電話の向こうで大仰なため息をついた。
「いいか、撮影なんてそのうち慣れる。渡された服着て突っ立ってりゃいいんだよ。お前はプロじゃないんだから」
「……そう簡単に言うけどさ。大体、なんでそんなに薦めるんだよ。また菅沼さんの猛プッシュ?」
一瞬、間が空いた。図星だったらしい。
「ま、そうなんだけどな。でも、それだけじゃない。話を聞いて、俺も一緒になって推したんだ」
「だからなんで」
「お前の絵が、好きだからだよ」
優馬の強い口調に、そしてその言葉に、陽は驚いて口を噤んだ。
「俺は、お前の絵が好きだから、皆に見て欲しい。『こんなすげえ絵を描くヤツがいるんだぜ!』って、言いふらしたい。で、お前の絵を見て すげえって言ってる奴らに、『コイツはこれからもっと凄い絵を描くんだぜ! お前ら見てろよ!!』って、世界中に大声で言って廻るんだよ」
優馬は一旦言葉を切り、少し声のトーンを落とした。
「なあ、陽。俺が何故、編集の仕事してると思う? 俺は、そういうのが好きなんだよ。性分なんだ。俺自身には特別な才能は無いからさ。そのかわり、知られていない才能を引っ張り上げて、広めて、それが世に認められるのを見たいんだ。だって、せっかくの才能がもったいないじゃんか。
いいか、お前には才能がある。俺が言うんだから間違い無い」
「………」
優馬は耳を澄ませたが、電話の向こうからは何も聞こえない。息遣いさえも。
「陽、聞いてるか?」
「……うん」
か細い声がようやく返ってきた。
「なんだよ。情けねえ声出してんじゃねえ。お前、前に言ったよな? 見た人の心にずっと焼き付くような、魂を揺さぶるような、身体的に影響が出ちゃうような絵を描きたいんだろ? 描くんだろ?
なら、やれよ、陽。どんな手使ったっていいんだ。『天才画家 大月 陽、ここにあり!』って、バシーーーッとさ。面白いじゃん?」
沈黙の後、フフッ……と小さく笑った声が聞こえた。
「わかった、やるよ」
優馬は思わず、腰の辺りでガッツポーズを作った。
「よし。じゃあ、今日の夜 早速打ち合わせな。いつもの公園にいるか?」
話の展開が早すぎると苦笑いする陽を宥めすかし、優馬は夕食の約束を取り付けた。こういうことは、早い方がいいのだ。時間をおいて、気が変わってしまう前に。
「……あのさあ、優馬さん。さっき、『自分は才能無い』って言ってたけど」
「おう?」
「あると思うよ。人を口車に乗せる才能」
「お前ね。人を詐欺師みたく言うな」
陽は笑って電話を切った。
携帯を床に放り出すと、ヨレヨレになったTシャツの裾を引っ張り上げ、顔をゴシゴシ擦った。
† † †
優馬は気付いていた。
陽は、自分の環境が大きく変わるかもしれないという予感、もしくはその可能性に怯えている。よくあることだ。自分の才能に自信があっても、いや、あるからこそ、もし失敗したら、誰にも顧みられなかったら……と尻込みしてしまう。
怖じ気づき、結局何も挑戦せずに諦め終わってしまう小さな才能も、たくさん見て来た。
そんなことには、絶対にさせない。
陽ならイケる。
電話を終えた優馬はスマホをポケットに戻すと、目を閉じて工房のシャッター絵を思い浮かべた。
最初に見た時は神秘的な夜桜の風景だったが、今の季節、シャッター絵は色鮮やかな紅葉の景色になっている筈だ。
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