第44話 天野良治


 担任教師を伴った面談で初めて工房を訪れた時、大月陽はなんというか、張りつめていた。


 ピンと背を伸ばし前を見据えているが、少しでも突ついたらあっという間にポロポロと崩れ落ちそうな、そんな風情だったように思う。彼の境遇を考えれば、無理もない話だ。


 市内の高校の美術教師である大友から、事前に陽の家庭環境は聞いていた。また就職するにあたり、陽 本人とも様々な話をした。  

 その際、陽は自分の置かれた状況を落ち着いて受け止めている様に見えた。


 天本は、そこに少し違和感を覚えたのだ。

 しっかりしているとはいえ、相手はまだ高校生だ。

 たった1人の肉親に去られ、普通なら平静で居られるはずが無いのだ。

 怒ったり悲しんだり恨んだり。そういった感情を完全に押さえる事など出来ないだろう。


 なのにこの少年は、妙に淡々としている。


 達観していると言うのか、悟っているというのか……いや、諦めているのだろうか。だからといって、投げ遣りだったり荒んでいたりする様子は無い。

 反対に、学生らしい素直さの向こうに、時々老成した雰囲気すら垣間見える。就職の面接だというのに、緊張すらしていないようだった。


 そうでありながら、神経が張りつめている様に見える。

 将来への不安や未知の環境への警戒心だろうとも思ったが、何かが違う気がする。


 この子は危うい、と天本は思った。


 自分の身に起きた事を、何もかも受け入れ過ぎている。

 凛々しい真っ直ぐな眉と澄んだ瞳はひどく純粋で、無防備な程に見える。

 道を誤れば、その純粋さ故にどこまでも堕ちて行きかねない。そんな不安を覚えた。どんな不幸でさえ、抵抗すらせずに受け入れてしまいそうに思えたのだ。

 ピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見据え、張りつめた表情のまま。


 大友がこの生徒を自分に託してきた理由が、わかったような気がした。



   † † †



 元々将来は職人系の仕事に就きたかったのだと、陽は面談の中で語った。

 スーツにネクタイを締めてのオフィスワークや営業といった仕事には全く興味がないし、自分にそういった適性があるとも思えない。自分の手を使って物を作り上げていく仕事がしたい。

 ただ、具体的に何を創りたいのかが、まだわからない。

 そのために大学で色々学ぼうと思った矢先に、父親が失踪した。

 アルバイトをしながらであれば生活費と学費をまかなえるぐらいの預金はあるが、先々を思えば不安もある。なので、高校を卒業してそのまま就職したい。



 話を受け、天本は仕事の概要をざっと説明しながら陽を工房に案内した。

 少し軋む入り口の引き戸を開け、天本に続いて工房に足を踏み入れた陽の様子を見た瞬間、先ほど感じたものの正体がわかった。


 集中力だ。凄まじいほどの、集中力。


 全方位に向けて張り巡らされていたアンテナが、目の前の作業風景にギュッと凝縮されたのだ。

 天本は口を噤んで陽の傍らに立ち、その様子を見守った。右半身に、陽の発するヒリヒリするようなエネルギーを感じ、内心驚いていた。


 この青年は、集中力のコントロールを学ばなければいけない。集中と弛緩。緊張と緩和。上手い力の抜き方を覚えなければ、自らの精神力で焼き切れてしまいそうだった。



 むせ返るような木の芳香。

 耳障りで金属的な機械音。

 無駄を削ぎ落とした動作で正確に作業する職人達。

 そして、目の前でみるみる姿を変え形を成していく木材。

 職人達は自分の作業に集中し、こちらに目を向けもしない。


 陽はその作業の邪魔になるのを恐れるかの様に息を潜め、入り口に立ち尽くしたまま、工房のあちこちを注意深く見回している。作りかけの家具、壁際に設置されたいくつもの機械、様々な工具等、初めて見る物にいたく興味を引かれている様子だった。


 10分近くもそうしていただろうか。


「大月くん」


 陽は弾かれた様に振り向いた。観察に集中するあまり、どうやら天本の存在を忘れていたらしい。


「どうかね。うちの仕事に興味はあるかい?」



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