第39話 取材後、木暮家にて


「で? あなたはそれの何が不満なわけ?」


 傷ひとつ無いダイニングテーブルの上には、栞の手料理の数々が並んでいる。優馬は鶏と大根の煮物を摘むと、口の中へ放り込んだ。


「だってさ。母親家出で父親蒸発だぜ? 言うだろ、普通」

「そうねえ……」


 栞は箸を置き、ビールを一口飲むと、目線を上方に据え少し首を傾げて思案する様子を見せた。


「自分からは、あんまり言いたくない事だったんじゃないの? 心配とか同情されるのが嫌、とか」

「そうかもしんないけどさぁ」


 唇を尖らせ不満そうな優馬の表情に、栞は思わず含み笑いを漏らしたが、優馬は気付いていない。


「じゃあ、もし大月くんが事前に言ってくれてたら、優馬は何かした?」


 程良く味の染み込んだ鶏肉を噛み砕いていた優馬は、動きを止めた。


「……うーん……特に何もしない、かなぁ。でもさ、知ってるのと知らないのじゃ、何ていうか、心持ちが違うじゃん?」

「そうかもしれないけど、大月くんには必要無かったんじゃないの? その、優馬の心持ちっていうの」


「ん……まあ、確かに、俺の都合だけどさぁ」

 口の中に残っていた鶏肉の残骸を飲み下し、ビールをグラス半分程あける。



「確かに突然出て行くとか、ろくでもない父親かもしれないけど。絵を描くことの楽しさを教えてくれて、応援してくれて。画材や資料なんかも惜しみなく買ってくれた。『世の中には美しいもの、素晴らしい風景がたくさんある』って繰り返し教えてくれた。それでもう、充分だと思ってる」



……取材中、陽は淡々とそう話してたけど、そんなわけないじゃんか。高校在学中に突然ほっぽり出されて、それですんなり納得できるわけないじゃん。

 怒りや悲しみ、不安。様々な感情を乗り越えるためにそう割り切るしかなかったであろう、陽の気持ちを思うと……


 でも。

 それを乗り越えて立派に頑張っている今、過去を蒸し返してあれこれ言うのも如何なものか。そう、栞の言う通り、要らない「心持ち」なのかもしれない。



「おにいちゃんとしては、『辛い事があるなら早く言えよ』って感じ?」


 労わるような柔らかい声に気付いてチラリと表情を盗み見ると、微笑んで見つめる栞と目が合った。優馬は急いで視線を逸らし、置きかけたビールに再び口を付ける。


 時々、栞はこういう目をする。今にも手を伸ばしてこちらの頭を撫でてきそうな、優しい目だ。

その度に優馬は、照れくさくもあり、また「年下のくせに」という反発もちょっぴり混じった気持ちになって、胸の真ん中辺りがキュウッと絞られるのだ。

 おまけに、嬉しい気持ちが大幅に勝ってしまうので始末が悪い。


 グラスの淵を咥えたまま、「そういうんでもないけどさ……」と呟き、残り少ないビールに息を吹き込んでブクブクと泡立てる。

 視線を上げると、頬を膨らませ睨む真似をしている栞がグラス越しに見えた。今にも「食べ物で遊ばない」と怒られそうなので、優馬は急いでビールを飲み干した。


「おかわり、要りますか?」

「うん」


 栞は席を立ち、カウンターを廻って冷蔵庫へ向かった。栞が何か話している。冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す微かな音が聞こえた。


 優馬は、それをぼうっと聞いていた。


 栞の話し声とたてる物音が入り混じり、まるで、ひとつの音楽の様だった。

 ビールひとつ取り出すだけのに、どうしてこんなに発する音が違うんだろう?

 栞の声質のせいだろうか。普通の会話や些細な動作なのに、特別なものに感じるときがあるんだよなぁ‥‥


 しみじみと、幸せだと感じた。こんな幸せを噛みしめる瞬間が、陽にも来るだろうか。来て欲しい。いや、来なきゃいけない。




「優馬? 聞いてる?」


 ふいに近くで声が聞こえ、優馬はハッとした。


「大丈夫? 眠くなっちゃった?」

 少し心配そうに、栞がこちらを覗き込んでいた。


「いや、大丈夫。なんか、落ち着くなーって思って。ちょっとボーッとしてた。で、なんだっけ?」


 栞は席に戻り、優馬のグラスにビールを注いだ。


「優馬は、おうちのこととか、大月くんに話してるのかって聞いたの」

「ああ、そういや……話してないな」


 余ったビールを自分のグラスに注ぎ足し、栞はグラスを上げた。優馬もグラスを持ち、軽く触れ合わせる。カツ、と固い音がした。


「じゃあ、お互い様じゃない。なんか男の人同士って、実家や親の事とかあまり話さないイメージがあるな」

「ああ、そうかもなぁ。その辺、女同士はどうよ?」


 インゲンの胡麻和えを口に運ぶ途中だった栞は、箸を小鉢に戻した。


「そうねえ……結構話すかな。恵流ちゃんのお母さんが看護師だって聞いたわ。私と同業だから話してくれたのかもしれないけど。で、お父さんは確か、外資系部品メーカーのマネージャーだとか」


「マジか。いつの間に……」


 ふふ、と栞は小さく笑った。

「結婚式の時とかね。あと、ちょくちょくメールしてるし」


 優馬は首を振り振り、ため息をついた。


「やっぱ、女子チーム侮れないわ」




______________________________________



優馬「なんか、俺に出来ることあると思う?」

栞「さあ。ただ、そばにいてあげたらいいんじゃない? お友達だかお兄様だかとして」

優馬「……栞!! うぅっ、なんというイケメン発言(;_;)」

栞「なにも泣かなくても」


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