第37話 初耳なんですけど
テーブルの向かいには、ショートヘアの女性が座っている。
短い丈のベージュのパンツスーツにこげ茶のパンプス。小ぶりな金色のピアスが時折り耳元で小さく光る。
「それでは早速、お話を伺っていきます」
「はい。よろしくお願いします」
優馬と菅沼、そして芹沢と名乗るライターは、13時過ぎにやって来た。
挨拶を済ませるとすぐに、仕事風景や工房の前での集合写真を数枚撮り、撮影でご機嫌になった工房の皆に普段の陽について少し質問をしたりした後、2階にある会議室兼休憩室として使っている小部屋に通された。
隣の食堂から、お茶を淹れている物音が微かに聞こえる。
「まず、ざっと経歴を伺えますか」
「経歴って言っても、特に……普通に高校卒業して、ここに就職して。平日の早朝と夜、週末には絵を描いたりしてます」
「では、創作活動に関してですが。コンテスト等にご応募なさったりは?」
「学生の頃は、部活動の一環として応募して、何度か受賞してます。社会人になってからは、応募してません」
「美大とか、美術系の学校に進まれる事は考えなかった?」
「はあ……絵はあくまでも趣味なんで。本当は、美術系じゃない大学に進学して、普通に就職するつもりでした。でも、高3で父が蒸発しちゃったんで」
「おい、ちょっと待て」
それまで少し離れたところに黙って座っていた優馬が、突然立ち上がって止めに入った。
「蒸発って、何だよ」
「え、言葉通り。ある日バイトから帰ったら、もう居なかった」
「何だよそれ。聞いてないぞ」
「うん。言ってない」
「おま……何でそんな大変な事を黙ってんだよ」
「だって、聞かれてないし」
「聞かれなくたって言うもんだろ! そういうことは!!」
「……そうなの?」
優馬は呆然とした様子で額を擦りながら席に戻った。
「ちょっと、すみません……」芹沢に断りを入れ、陽の側に椅子を引き寄せる。
「お前な……」
優馬は眉根を寄せて身を乗り出し何か言おうとした様だったが、突然身を起すと片手で髪をくしゃくしゃと掻きむしった。
「あー……まあ、いいや。で、これ、記事にしていいのか?」
「うん。別に構わないけど」
「木暮くん」ライターの芹沢が割って入る。
「一旦お話を聞いた上で、記事にするか切るか、決めましょう。とりあえず、全体の流れを聞きたいわ。あと、髪ボサボサ」
優馬は黙って頷くと、また少し距離を取って座り直し髪を整えた。
「お父様が出て行かれたのは、どういった状況で?」
「えっと……いつも通りバイトから帰ったら、既に居なくて。居間の机の上に銀行の通帳2冊と印鑑が置いてあって。親父の荷物が消えてて」
芹沢がうんうんと頷く。
「あ、荷物って言っても元々ものを持たない人だったんで、衣類が少しと、趣味だったカメラが無くなってたぐらいで。それまでにも、週末とかたまにフラッと居なくなったりしてたんで、またそういう感じなのかと思ってたんだけど……」
「いつも、何も言わずに?」
「いえ。いつもは前日ぐらいには聞いてたし、たまにメモ程度の書き置きがあったり。でも、その時は一切聞いてなかったんで、ちょっと変だなと」
淡々と話す様子は、この件について様々な人に何度か説明を求められたのだろうと思われた。
「で、通帳をよく見たら1年分ちょっとの家賃とか、俺名義の通帳には、しばらく暮らして行けるくらいの金額がまとめて入金されてて。これは、本格的に出て行ったんだなって」
「芹沢さん、今のとこカットでお願いします」
優馬が遮った。
「陽、懐事情なんかは人前であんまり喋るもんじゃない。誰の前でもだ」
陽は素直にコクンと頷くと、また話し始めた。
「で、一応2、3日は待ってみて、やっぱり帰ってこなかったので、担任に相談して……なんやかんやとお世話になって、美術部の顧問経由でここも紹介してもらって、今に至ります」
「お父様、カメラが趣味だったんですね。フラッと居なくなるっていうのは、撮影旅行かなにかかしら?」
「いえ。写真撮ってたのは、俺が子供の頃まででした。母親が出て行ってからは、ほとんど撮ってなかったと思います」
「おい待て。またなんか出て来たぞ」
優馬が声を上げる。
「あぁ、そっか……えっと、母親は俺が4歳ぐらいの時、出て行ったそうです。理由は聞いてません。っていうか、何度か父に聞いたんですが、答えてくれなかった」
「理由を知りたいとは、思わなかった?」
「そりゃ知りたかったですけど……子供ながらに、親父は言いたくないんだろうなと思って。まあ、理由を知ったところで母親が帰ってくるわけでもないだろうし。そのうち教えてくれるかなとか、少しは思ってたんですけどね。駄目でしたね」
そう……芹沢が頷いた時、応接室のドアがノックされた。
優馬が素早く立ち上がり、ドアを開ける。
「失礼しまーす。シャッターの絵、撮り終わりましたぁ」
カメラを提げた菅沼と、その後にお茶を乗せた盆を持った天本静江が入ってきた。
「あ、すみません」
立ち上がって盆を受け取った陽に、静江は胸の辺りで小さく手を振り、声に出さず口の動きだけで「頑張って」と囁くと、何故か足音を忍ばせて出て行った。
自分より余程気合い漲る静江の表情に、陽が思わず口元を緩ませた瞬間、フラッシュとともに立て続けにシャッター音が響いた。
驚いて見遣ると、また菅沼が連写する。
湯呑みを配る姿勢のまま、陽はこわばった表情のまま固まってしまった。
「やあ、失礼失礼。インタビュー風景撮らせてもらいますけど、普通にしてて下さいね。リラーックス」
「はぁ……すみません。ちょっとビックリしちゃって」
芹沢が右手に持ったペンを立て、皆の注意を引いた。
「じゃあ、仕切り直して。さっき子供の頃の話が出ましたけど、その頃には絵を描き始めてたのかしら?」
「ええ、たぶん。よく、広告とかカレンダーの裏に描いてました。喋り始める前からクレヨン握ってたって、よくオヤ……父に言われてました」
「主に、どんなものを?」
「どんなものって、うーん……目の前にあるものを、手当り次第に?」
少し眉根を寄せ考え込む様な表情をみせた陽に、また連写のフラッシュが浴びせられる。一瞬、陽は身を竦ませたが、フッと息を吐き出して苦笑いした。
「すみません。なんだかこういうの、慣れなくって」
「皆さん、初めはそうおっしゃいますよ。すぐに慣れますから。あ、お茶いただきますね」
芹沢につられる形で、陽もお茶をひとくち啜った。
静かに湯のみを置くと、首や肩を回して筋肉の緊張を軽くほぐす。その様子をまた菅沼が連射する。が、今度はフラッシュは焚かれなかった。
階下から、聞き慣れた作業音が微かに聞こえてきた。
木材を切る甲高い電ノコの音。グラインダーの研磨音。工具のぶつかる、ゴリゴリと重たい金属音。どうやら漸く、仕事を再開したらしい。
陽にとっては心地よい騒音だ。肩の力が抜け、少し寛いだ気分になれた。
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<オマケ>
優馬「衝撃の事実だ……」
芹沢「なかなか波乱万丈ね……」
菅沼「大月くんカッコイイ〜♡」パシャパシャ
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