第34話 ガーデンパーティーとマヌガッさん


 既に、上着は預けてしまっていた。シャツの袖を肘までまくり上げ、首のボタンは2つ開けてある。


 前評判に違わぬ素晴らしい料理と酒に満足した招待客達が興味深げに覗き込む中、パーティー会場であるレストランの中庭の片隅にイーゼルを立て、陽は黙々と絵を描いていた。

 覗き込む客に話し掛けられても、視線は優馬と栞から外さない。


 パーティーは、室内での式や和やかな余興やコース料理等を終え、設えられた大きなテーブルに手で摘んで食べられる小さなデザートや飲み物が並べられた、美しい中庭へと移っていた。

 名残惜しむかの様なじんわりとした夏の暑さが残る空の下、招待客達は思い思いに庭を散策し、優馬達や他の客との会話を楽しみ、食べ物や飲み物を口に運んで寛いでいる。

 9月も終わりとあって、夏の名残の中にもときおり秋を感じさせるそよ風が心地よい。ポツポツと設置されている、パラソルつきのガーデンチェアに座っている者は少なかった。



 白いタキシード姿の優馬とウエディングドレス姿の栞は腕を組み、招待客達に笑顔で挨拶をして回っている。会話の合間にはほぼ全てのグループからカメラを向けられ、写真撮影に応じているため、全員の間を回るのには時間がかかりそうだ。


 光沢のある純白のドレスは、栞のイメージにぴったりだった。

 ゴテゴテとした装飾の無いシンプルなデザインは、長身でスレンダーな栞の魅力を引き立たせている。上品にまとめられた髪には小さなティアラが輝き、エレガントな印象だ。

 何より、幸せを振り撒いている様な笑顔こそが、彼女をいっそう魅力的にしていた。


 優馬はスマートに彼女をエスコートしつつ、時おりこれ以上は無いというほどの優しい目で栞を見つめている。



「優馬さん、さっきからずっと顔が蕩けてる」

 戻ってきた恵流が、クスクス笑いながらオレンジジュースのグラスを差し出した。


「だね」


 恵流からグラスを受け取った陽は、ニヤリと笑った。


「思いっきりデレデレ顔に描いてやる」

「ふふ」


「でも……」恵流が感嘆のため息を漏らした。


「デレデレになっちゃうのもわかるよ。栞さん、すっごく綺麗だもん。ふたりとも背が高いしスタイル良いし、美男美女だし、絵になるカップルだよねぇ」


「んー……なんか、プレッシャーが……」

「あ、ごめん」



 筆の汚れを丁寧に布で拭き取って、紙コップの水で洗う。

 キャンバスには、濃い緑の樹々を背景に、大まかに塗り分けられたふたりの姿があった。簡単な下描きの上におおよその色や陰影を付けだけなので、全体的にまだぼんやりとしている。


「よし。下塗り終わり。恵流、あんまり近づくと絵の具飛ぶかも」

「わ、大変。じゃあ私、少しお庭を見てこようかな」


「その前に……」陽は足元のバッグを探って、紙コップをふたつ取り出した。


「ごめん。これに水もらってきてくれる?」

「……そこの、噴水のお水じゃ、駄目?」


 紙コップを受け取りながら、恵流は庭の中央にある可愛らしい石組みの噴水に目を向けた。


「いや、マズいだろ」

「ですよねー」


 陽が吹き出したのに気を良くしたのか、恵流はクスクス笑いながら弾む様な足取りで水を汲みに館内へと消えて行った。

 後ろ姿を見送りながら絵の具のチューブに手を伸ばした時、背後から声を掛けられた。


「あの、すみません。大月さん? お写真、よろしいでしょうか」



 振り向くとそこには、ごついレンズの一眼レフを示している大男が立っていた。


「木暮くんの同僚の、菅沼と申します。あ、どうぞそのままで」

 立ち上がろうとする陽を制し、カメラを構える。


「あの、まだ途中ですけど」


 椅子をずらして絵の前を開けようとすると、菅沼と名乗る男はファインダーを覗いたまま手を振った。


「いえ、描いてるところをね、撮らせていただきたいんです」

 そう言いながらも、早くもパシャパシャと撮り始めている。


「はあ……構いませんけど」


 陽は椅子を元に戻し、再びチューブを手に取った。紙パレットにほんの少しずつ絵の具を出し、色を作ってゆく。



「いやぁ、拝見しましたよ。あの、ウエルカムボードってやつ。木暮くんが挨拶のとき言ってたでしょう。さっき受け付けまで戻って、改めて見てきたんですよ。素晴らしかったなあ」


 なおもシャッターを切りながら、菅沼は早口で話しだした。


「あ、ありがとうございます」


 軽く目礼すると、けたたましいほどに連写された。陽は呆気にとられて一瞬固まったが、気を取り直して作業に戻ることにした。


「額の装飾をしたっていうのは、アレですか? さっきの可愛らしいお嬢さん、彼女さんかな?」


「ええ、そうです」

「やあ、そうですかそうですか。芸術家カップルってわけですね。それは素晴らしい」


「はぁ……どうも」

「彼女さんも是非、撮らせていただきたいなあ。ほら、あのウエルカムボードと一緒に」


「それはちょっと……め、彼女に聞いてみないと」

「もちろん、もちろんです。それにしてもねえ、素敵なカップルですよねえ。木暮くん達に負けてない」


 菅沼はかなり饒舌な男のようだ。陽が答え終わるか終わらないかのうちに、どんどん話し掛けてくる。絵の方に集中しているため、受け答えも多少ぞんざいだったが、全く意に介していない様だった。


「木暮くんとは、異動する前の部署で一緒でしてね。まあ彼は編集、私は撮影担当ですがね。休みの日には、一緒にバスケなんかやってたんですよ。草バスケとはいえ、一応社会人リーグっていうのがありましてね、けっこう本格的な感じの」


「ああ、バスケ」

「そうそう。私みたいな熊男とは違って、彼はほら、よく見ると男前でしょう。君とはまた違ったタイプの。で、えらく人気がありましてねえ。異動になって休みが合わなくなってからは、チームを脱退しちゃって。みんな残念がってましたよ。主に女性陣ですけどね」


「はあ……」

「女子マネージャーなんかふたり辞めましたからね。あんたらなんか、元々お呼びじゃないっつーの。当時から栞ちゃんにべた惚れで、栞ちゃん一筋だったんだから」


「………」

「全く、身の程知らずにも程があるって」


「ちょ、マヌガッさん。なに絡んでるんですか」


 助かった……陽は胸を撫で下ろす思いだった。

 菅沼の向こうに、苦笑いの優馬と栞が立っている。



「ちょっと、絡んでるとか、人聞きの悪い。ねえ、栞ちゃん?」


 栞は、うふふ……と笑って受け流した。


「菅沼さん、たくさん写真撮ってくれて嬉しいんだけど、お料理ちゃんと食べられました? 良かったら何か少し、持ってきましょうか? ここのデザートは優馬のイチオシで、すごく美味しいから」


「ううん、いいのいいの。最近ちょっと太っちゃって……あ、デザートの写真撮らなきゃ」


 菅沼は栞と連れ立ってテーブルの方へ向かった。身長こそ栞とそう変わらなかったが、自分で熊男と言うだけあって、菅沼の背中はゆうに栞の倍はありそうだ。

 途中で栞が振り向き、「任せて」と言う様にこちらに手を振った。



______________________________________

<オマケ>


菅沼「どうも。スガヌマ → マヌガス → マヌガッさん です」



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