第30話 花火大会
昼のうちから、時おりポンポンと花火の音が鳴り響いていた。今夜開催される大きな花火大会の合図の空砲だ。
8月最後の日曜、恵流が出展しているハンクラフェスの最終日。
最終日は午後5時半に終わるということで、花火大会の始まる7時には間に合うだろうという話だった。
陽はと言えば、ホムセンの催し物「夏休みの宿題を終わらせよう」のお絵描き指導に駆り出され、臨時バイトを終えて戻って来たところだ。
夕方の蝉の声の中、駅から少し離れたところにある自転車置き場に自転車を停め、陽はぶらぶらと改札口へ向かっている。
毎年恒例の花火大会なので、これからの時間帯は街に人が溢れかえるのを知っていたため、だいぶ早めに出て来たのだ。ここへ来る道すがらも、駅前の大通りでは早くも渋滞が始まっていた。
既に大勢の見物客が大会会場の河川敷へと向かって歩いている。
流れに逆らい人混みを縫って改札まで辿り着くと、陽はその向かいのガードレールに腰を降ろした。携帯を取り出して時間を見ると、16時50分。
ちょうどその時、恵流から電話がかかってきた。
もしかしたら少し遅れるかも、と言うので、実際に花火が上がり始めるのは17時15分ぐらいからであることを伝える。開会宣言やら市長の挨拶やらで、結局毎年そのくらいの時間になるのだ。
「まだ時間あるから、ゆっくりおいで。焦って転ぶなよ」
電話を切ってポケットにしまうと、陽は空を見上げた。
真夏の空は、昼間の抜けるような青から、ピンクとオレンジのグラデーションを描いている。もう少し経てば、オレンジから赤へと変わり、さらには暗い青色に染まって行くだろう。
斑模様の小さな白い月が銀色の光を帯び始めている。
陽は、数メートル横の街路樹の側へと移動した。
先ほどと同じくガードレールに腰掛けると、時おり吹く涼しい夕暮れの風の中、木の葉越しに刻々と色を変える夕空を楽しんだ。
「陽!」
無心で夕空を眺めていた陽は、恵流の声に我に返った。改札を抜け小走りでやって来る恵流に、目を見開く。
「お待たせ。特急に乗れたから、なんとか遅れずに済んだよ」
陽は腰掛けていたガードレールからゆらりと立ち上がり、薄く口を開いたまま言葉も無く恵流を見つめた。
「あの、これ、変じゃないかな。せっかく花火大会だからね、途中で着替えて来たの」
恵流は浴衣の袖口をヒラヒラさせてみせる。
紫や藍色、瑠璃色、藤色など青系の桔梗の花が折り重なる様に散りばめられた、涼しげな浴衣。所々に白や淡い桃色の桔梗も混じり、アクセントになっていた。
帯は赤みの強い紫色、もしくは青みの強い紅色だろうか。黄緑色やピンク、パールのビーズで出来たアクセサリーが留められ、可愛らしく揺れている。
足元は濃茶色の木目が見える下駄に帯と同色の鼻緒。つま先には控えめなペディキュア。
「……陽? えっと、やっぱりどっかおかしいかな。急いで着替えたから」
「いや……」
陽はハッとした様に顔を上げ、どこか放心した様子で首を振った。
「すごい。すっごい可愛い。滅茶苦茶綺麗。ちょう似合ってる」
「良かったぁ。ありがと」
恵流は安心した様に笑い、くるりと回ってみせた。
「頑張って縫った甲斐がありました」
「あ、あの時のか。ワッサーイのやつ」
「うふふ。そうそう。ついでに、巾着と帯飾りも作っちゃった」
陽は恵流の周りをウロウロしながら真剣な眼差しで眺めまわしている。
「俺、花火大会とかどっちでも良くなっちゃったんだけど……」
クロッキー帳持ってくれば良かったな……コンビニ……などと呟きながら、陽は少し離れた場所から眺めようと、するどい視線を恵流から外さぬまま後ずさりしていく。
「陽。わたし、花火大会、すっごく、楽しみにしてたの」
ひとことずつ区切って強調するような恵流の口調に陽はハタと立ち止まり、慌てて戻って来た。
「ごめん。そうだね。そうだよね。うん、行こう」
「その前に、これ、コインロッカーに預けたいんだけど」
恵流は手に持っていた大きな紙袋を見せた。洋服や鞄が入っている。
「俺、行ってくる。ここで待ってて」
そう言い置くと、陽は恵流の手から紙袋をもぎ取り、一目散に駅構内に駆けて行った。
恵流は呆気にとられて見送っていたが、やがて忍び笑いを漏らした。私が機嫌を損ねたとでも思ったのだろうか。そして、前にアヤが言った「絵画バカ」という言葉を思い出し、笑いを噛み殺した。
走って戻って来た陽は、コインロッカーの鍵をチャラチャラと鳴らすと、膝丈のカーゴパンツのポケットにしまった。
「お待たせ。行こっか」
恵流は陽の差し伸べた手を取り、ふたりは歩き出した。辺りはうっすらと暗くなり始めていた。
「それにしても女の子って、何でこうも雰囲気変わるんだろうね」
手を繋いで歩きながら、陽はまだ感心した面持ちで恵流を眺めている。
「そう言われても……髪型のせいもあるかな? 普段あんまりアップにしないし」
「そっか。そういえば初めて見たかも」
陽は歩きながら、恵流の髪型をしげしげと観察した。
「なんか、複雑なことになってる」
普段は肩につくかつかないかのショートボブを編み込んでまとめ、左耳の下には大ぶりな白い花飾りを着けてある。
「もう、ちゃんと前見て歩いて下さい」
「恵流が見てたらいいよ。俺は恵流を見てるから」
恵流の頬がカアッと熱くなった。
赤くなってるかな。暗くて見えなきゃいいけど……
「そんなにジロジロ見られたら、恥ずかしいの!」
小さな声でそう言ってそっぽを向く恵流を、陽はわざと覗き込む。
「見られるのが嫌なら、そんな格好しないで下さい」
「じゃあ、もう着ない。浴衣なんて二度と着ない」
「それは困る」
「知らないもん」
恵流はツンと顎を上げた。
「わかった。じゃあ、恵流の言うとおり、もう見ないし誉めない。二度と」
「……それは駄目」
肩をコツンとぶつけて来た恵流に、陽はわざと困った顔をしてみせる。
「難しいな」
角を曲がると、土手が見えて来た。その土手を越えれば、会場の河川敷だ。屋台がたくさん並び、辺りには美味しそうな香りが漂っている。
「あのさ、チラ見ならいい?」
どうしても見たいらしい陽に、恵流は吹き出してしまう。
「……いいよ」
「やった」
陽は小さくガッツポーズをした。
「ひいては恵流さん。折り入って、お願いがあるのですが」
「……なんか、わかった気がする」
「えー、お察しのとおり、デッサンを……」
「やっぱり」
「花火大会終わってからでいいから」
「当然です……ギャラ、高いからね?」
「う……いかほどでしょう」
んー……と唸りながら、恵流は辺りを見回した。
「あれ。あんず飴」
フッと吹き出しつつ、陽はなんとか真面目な声を出した。
「了解しました。10個買います」
「1個でいいです」
「じゃあ、他のもの。焼き鳥もフランクフルトもおつけしますので……」
「それ、陽が食べたいやつでしょ」
「あ、バレた」
「私はたこ焼きがいいです」
「了解。契約完了、というわけで‥……」
恵流を見下ろし、陽は片方の眉を上げニカッと笑って宣言した。
「デッサンのときは、思いっきりガン見します」
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