第29話 陽と優馬のお買い物
「よーう! ひっさしぶりぃ」
優馬の声とともに、いきなり後ろからスパーンと頭を叩かれた。
「いって。何で叩くんだよ」
「いやー、珍しくお前の方からお誘いがかかったからさ」
「答えになってないし」
「いいから、行こうぜ。ここ暑いわ」
ふたりは連れ立って駅の構内へ入った。冷房が効いているわけではないが、8月頭の強い陽射しが遮られているだけで、少しは涼しく感じられる。
「恵流ちゃん、元気?」
「うん。今はハンクラフェスの準備で忙しそうだけどね」
「今月末だっけ? あと1ヶ月無いじゃん。手伝わなくていいのか?」
「そう言ったんだけどさ。いずれは3人で店を出すから、って。自分らだけでやってみるって」
へーえ、しっかりしてんだな……優馬は感心した様に呟いた。ふたりはぶらぶらと歩きながら改札へ向かう。
「で、どこ行くん? 買い物って何?」
「決めてない。結婚式で着る服買いたいんだけど、店とか知らなくて。優馬さんに教えてもらおうと思ってさ」
「何だよ」
優馬が足を止めた。
「俺らの結婚式の?」
「そう。二十歳の時に買ったスーツ、サイズ合わなくなってた。靴も」
ああ……と、優馬は額に手を当てた。
「そういえばお前、いっつもだらけた服着てるけど、スーツとか持ってないの?」
「襟とかベルトとかが苦手なんだよ。窮屈で」
その言葉の通り、着古したボルドー色の半袖ヘンリーネックシャツで、首元のボタンを2つ開けている。下は淡いカーキのハーフパンツ、足元は素足に革のサンダルといった出で立ちだ。
「ベルトも嫌いとか。野生児か」
「ベルトもゴムも嫌い。紐で縛るヤツしか買わない」
「……もういい。お前は裸で歩け」
「捕まらないならそうしてる」
はぁ……とため息をつき、優馬は改札に背を向けた。
「買い物は後。俺のスーツ貸してやるわ。ちょっと丈詰めればイケんだろ」
「え、マジで? いいんすか」
ふたりは駅を出て、強い陽射しの中を優馬の新居へと歩き出した。
† † †
「これか、これあたりどうよ?」
「んー……なんか、魚みたい」
クーラーの気持ちよい冷気の中、優馬が掲げているのは、光沢のあるシルバーグレーのスーツだ。もう一方の手には、青味がかった黒のフォーマルスーツを持っている。
「礼服なんてのは、大体こういうもんなんだよ……ん、お前はやっぱこっちだわ」
淡い緑色のソファに座っている陽に、シルバーグレーのスーツを押し付ける。
「サイズ見るから着てみろ」
「あい」
ゴソゴソと着替え始めた陽を他所に、優馬は寝室へ戻りクローゼットを開けた。寝室の隅にはまだ荷解きを終えていない段ボールが3つほど重ねられているが、優馬の衣類は全てクローゼットに納まっていた。栞が最優先で片付けてくれたのだ。
いくつかのネクタイとポケットチーフを選び出す。タイピンとカフスは、なるべくシンプルなデザインの物にした。
リビングへ戻ると、陽は既に着替えを終えていた。何やら窮屈そうに腕を回したり、Tシャツの上に羽織った上着の裾を引っ張ったりしている。
「優馬さん、なんかごめん。サイズぴったりみたい」
「……お前、ヤな奴だな」
陽は片方だけ口角を上げ、ニヤリとしてみせた。
「俺の方が10センチ近く低いのに、丈詰めの必要無くて、なんかごめん」
「わざわざ言い直さなくていいんだよ! ……お前、マジでヤな奴な」
大げさに眉をしかめてみせながら、優馬は手にしていたネクタイをソファの背に並べた。
「どれがいい?」
「白じゃなくていいの?」
「ああ。結婚式っても、来るのは友人とか仕事仲間とかだし、知り合いのレストラン借り切ってのパーティーだからさ。『軽装でお越しください』ってやつだよ。昼間だし、こんぐらい遊んでてもいいだろ」
陽が選んだのは、青みの強い紫色の地に淡いグレーの細かい千鳥格子柄のネクタイだ。優馬は淡いグレーのポケットチーフをさっと畳み、ジャケットの胸ポケットに差し入れた。
「よし、オッケ。脱げ。……っと、それだけサイズ合ってれば、シャツもいけるよな」
選ばれなかったネクタイやスーツを掴むと、優馬はまた寝室へ戻った。数分後、再びリビングへやって来た時には、袋に入ったままの白いドレスシャツを手にしていた。
ハンガーにかかったスーツをジッパーつきのカバーに手早く仕舞い、大きな紙袋に入れる。シャツや小物類も一緒に入れると、陽に手渡した。
「あのさ、シャツ、べつに新品じゃなくても」
「いいんだよ。出来るビジネスマンは、新品のシャツの4~5枚は常備しているのです……あとは、靴か」
優馬はテーブルの上のスマホを取ると、何やら操作し始めた。
「ちょっと知り合いの靴屋に電話するわ。あ、何か飲むか?」
陽の返事を待たず、優馬はキッチンへ向かった。ピカピカのキッチンカウンターを回って冷蔵庫へ辿り着く。
通話しながら冷蔵庫を開けると、バドワイザーの缶を取りカウンター越しに陽に放り投げる。もう一本を自分用に取り出し、器用に片手で栓を開けた。
† † †
「何から何まで、すんません。ありがとうございました」
「お、何よ。殊勝じゃん」
「まあ、ここまでしてもらうと流石にね。カッコイイ靴も安くしてもらえたし」
ふたりは優馬の行きつけのラーメン屋のカウンターに並んで座っていた。
陽がビールの大瓶を持って優馬にすすめると、「おう」とコップを差し出す。ビールが注がれると、今度は優馬が瓶を手にし、陽にすすめる。
「あ、俺ちょっとでいい。昼間飲んだから」
「飲んだっつっても、バドじゃん」
「ビールより、チャーハン追加したい。腹減った」
カウンターの向こうの店主に追加注文すると、「はいよー」と威勢の良い声が帰ってきた。
やがてふたりの前にラーメンとギョウザが運ばれた。
「それにしても、この暑いのにラーメンとか」
「ばーかお前ね、それが良いんだろうが。暑い中、汗だくで食うのが醍醐味なんだよ」
勢い良く箸を割り、「いっただっきまーす」と手を合わせる優馬だったが、陽にはわかっていた。
「色々世話になったお礼に、今日の夕飯は自分が払う」と強引に言い張ったので、優馬はリーズナブルなこの店を選んだのだろうと思う。
「あ、美味い」
「だろ? ギョウザも美味いんだよ、ここ」
優馬は焼きたてのギョウザをひとつ口に放り込むと、案の定、舌を焼いた。涙目でホフホフ言っている。
「優馬さん、落ち着いて」
陽は口元をヒクヒクさせて笑いを堪えながら、優馬のコップにビールを注いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます