第28話 駐輪場にて


「ねえ、アヤさぁん……なんか私、振り回されてばっかりな気がするんだ」

「ほー」


 翌日、恵流は例の如く、バイトの休み時間を利用してアヤに相談を持ちかけていた。従業員用の駐輪場。彼女達はいつも、同僚の行き交う事務所となりの休憩室より、駐輪場脇の自販機の横にあるベンチで一服するのを好んだ。



「私ばっかり翻弄されてるっていうか……」

「へー」


「手の上で転がされてるっていうか……」


 さほど興味無さげに聞き流していたアヤだったが、不意に吹き出した。顎に垂れたカフェオレの雫を拭き取りながら、軽く去なす。



「何言ってんのよ。転がされてるとか、無い無い。あの子、そこまで考えてないって」

「えー、そうかなぁ」


 恵流は少し口を尖らせ、不服げな様子だ。


「あんな絵画バカ、そんなに頭回らないわよ」

「絵画バカぁ?! ちょっとぉ、そんな言い方……」


 アヤは片手を挙げ、恵流を遮った。


「ごめんごめん。今のは言い過ぎた。でもさ、ショップで取り寄せたワシミミズクと、何分も睨み合ってる様な奴よ?」


 何それ、と怪訝な顔をする恵流に、アヤは笑いを堪えながら先日あったことを説明した。




   * * *



 不審な客が居るとの通報あり、とアヤのインカムに連絡が入ったのは、数日前の夜。あと30分ちょっとで閉店という頃だった。アヤの担当しているペットショップコーナーに、険しい顔のまま数分間も微動だにせず立ち尽くす男が居る、と。


 バックヤードでの品出しを中断し急いで駆けつけてみれば、そこに居たのは大月陽だった。安心感から若干脱力しながら、背後から仕事モードの声を掛ける。


「お客様、申し訳ございませんが、こちらは特別にお取り寄せした商品でして、売約済みで……」


 陽は無反応でワシミミズクを睨みつけている。


「あの、お客様?」


……どうやら、全く聞こえていないらしい。



「ちょっと、大月くん」

 背中を強めに叩くと、陽は「うおっ」と声を上げ首をすくめ、腰を抜かす勢いで驚いた様子を見せた。


「あああ、アヤさん。びっくりしたぁ。脅かさないで下さいよ」

「それはコッチのセリフだから。不審な男が居るって、お客さんから通報されてたのよ?」


 少しの間キョトンとしていたが、陽は驚いて目を見開いた。


「不審な男って、もしかして、俺?」

「他に誰が居るのよ……特別仕入れの子の前に陣取って何分間も睨み合いしてたら、そりゃ、不審がられるわよ」


「何分も? そんなに経ってたか……いや、あの、珍しくて見蕩れちゃって。スンマセンでした」


 呆れ顔のアヤに向かい、陽は素直に頭を下げた。



   * * *




「あれ、絶対頭の中で絵を描いてたわ。右手の指がモゾモゾ動いてたのを、私は見逃さなかった」


 若干得意気な表情で、アヤは断言した。


「しかも、肝心の買い物忘れてて、その後上までダッシュよ。勢い余ってサンダル片方脱げてたし。シンデレラかっつーの」

「し……シンデレラ」


 笑っては陽に悪いと思っているのだろうか、俯いて肩を震わせている恵流に、アヤは力強く太鼓判を押した。


「私が断言する。絵のことになると何もかも全部すっ飛ばしちゃう様なあの男に、意図して人をどうこうする才覚など、無い」


「そう……か。言われてみれば、そうかも」

「そう。ヤツは、本能のままに動いているだけだと思う。いわゆる天然さん」


 ま、それが一番手強いんだけどね……口には出さず、アヤは心の中で呟いた。



「まあまあ、天然同士、お似合いじゃないですか」

「アヤさん? ……私は、天然じゃないよ?」


 いかにも心外と言わんばかりの恵流に、アヤは思わず口籠った。


「あー……えっとぉ」


 恵流はムキになって言い募る。

「だって私、しっかりしてる、って、よく言われるもん」


「誰によ」

「……あの、うちのおばあちゃんとか……」


 堪えきれず、アヤは大きく吹き出した。


「お、おばあ……ちゃ……………身内……ちょう身内……世界で一番甘いもの、それは祖父母から孫への評価……」


 笑い過ぎて咽せながら、アヤは自分の膝をバンバン叩いている。


「そんなに笑わなくても。あ、あと、店長にも言われたよ! 見かけよりしっかりしてるって」


 アヤはハァハァと大きく息をつき、涙を拭った。片手で腹を擦っている。


「あー、お腹痛い。そうね。 ”見かけよりは” ね。でもね、残念ながら、仕事出来るイコール天然じゃない、ってことでは無いからね」

「そうかなぁ?」


「大月くんは絵の才能があるけど、ド天然。でしょ?」

「うん……」



 あ、と閃いた様に恵流は膝を打った。


「陽は、天然じゃなくて、天才なんじゃないかな!」


 大発見をしたかの様な興奮した面持ちで、恵流は身を乗り出した。


「よく言うじゃない? 天才とバカは紙一重、って」

「目ぇキラキラさせてひとり盛り上がってるとこ悪いけど、あんたサラッと失礼なこと……しかも微妙に間違ってる」


「あ、メール。陽からだ!」


 聞いてないし……アヤは思わずため息をついた。やれやれ。


「どうしたんだろ。メール嫌いなのに、珍しい」



 スマホを握りしめて目顔で訊ねる恵流に、アヤはどうぞどうぞと仕草で返し、少し温くなったカフェオレを飲んだ。唇がまだ少し、笑いの名残でヒクヒクしている。


「もしもし、陽? メール見たよ……うん。裏の駐車場。うん、わかった」


 通話を終えた恵流は、またスマホを両手で掴んでいる。

「アヤさん……陽、ホムセンに来てるって。今からこっち来るって。どうしよ、なんか怖い」


「怖いって、何で」

「だって、休憩時間狙ってわざわざ来るなんて、初めてだし」


「あのさぁ」

 アヤは立ち上がると、ベンチに座る恵流の前に回り込み、しゃがんだ。


「さっきの話から察するに、あの後何かあったんでしょ?」

「う……あったというか、私の気のせいだったかも」


「気のせいだか取り越し苦労だか知らないけど。大月くん、恵流の様子見に来たんじゃないの? ほら、昨日の『凱旋パレード』の件もあったし」

「え……」



 アヤは立ち上がると、うんしょ、と腰を伸ばす。


「あんたは片思い期間が長かったから、ごちゃごちゃ考えちゃうのは仕方ないかもしれないけど。もし、不安に思うことがあるなら、ちゃんと本人に話しなさい。ね?」

「……うん」


 自信なさげに呟いた恵流だったが、小さく頷くと、ちゃんとアヤの目を見上げた。


「わかった。アヤさん、いつもありがと」

「いいから。あんた達のゴチャゴチャなんて、おままごとみたいなもんだし」


「あー、出た。大人発言」

 唇を尖らせた恵流に、アヤはニーッと歯を見せて笑った。


「バツイチ女の経験値、舐めんな」





「あれ? アヤさんは?」


 走って来たのか、若干息が上がっている。


「ん、先に戻った」

「なんだ。アヤさんの分も買って来たのに」


 陽は恵流の隣にドサッと腰掛け、額に光る汗を腕で拭った。


「表で屋台出てたから。ハイこれ」

「……ありがと。いただきます」


 白い紙袋の中から取り出された、小さな包み。まだほんのりと温かいワッフルからは、はちみつの香りがする。



「あのさ、みんなに何か言われた? その……からかわれたりとか」


 明後日の方を向きながら陽がそう聞いたのは、恵流がワッフルを半分ほど食べ終えた頃だった。


 やっぱり……アヤさんの言った通り、心配して来てくれたのかな……


「ううん。からかわれたりは、無かった。良かったねって言ってくれた子は居たけど」

「そっか」


 陽は安心した様に、残ったひとかけらを口に放り込むと、紙袋から残ったワッフルを取り出し2つに割った。


「はい、半分こ」


 にっこり笑って、恵流に大きい方を差し出した。



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