第27話 長い一日

 小さなダイニングテーブルを借りて、恵流は革ひもを編み込んでいる。ところどころに石のビーズをくぐらせながら編んでいるのは、ブレスレットだ。


 窓からの風が心地よい。



「終わったー」


 陽の声に、恵流は顔を上げる。


「え、もう?」

「うん。今日は下地塗りしか出来ないから。このまま乾かして、夜になったらもう一度塗るんだ。描き始めるのは、明日か明後日だね」


 使い終わった道具を片付ける間でさえ、陽はとても楽しそうだ。クシャクシャの紙で刷毛に残る液体を拭き取りながら、様々な角度から下地の具合をチェックしている。


「ほんとはもっと時間かけた方が良いんだけど、期限がね」

「油絵って、時間かかるんだね」


「うん。いちいち乾かしながら描いてくから。書き終わってからも、2ヶ月は乾かさなきゃいけないし」

「わ、じゃあホントにギリギリだ」


 うん、と陽は片付けの手を止め、ニヤッと笑った。

「そういうギリギリ感とかも含めて、すっげえ楽しい」


 ちょっと刷毛洗ってくるね、と言い終えて、陽は弾む足取りで部屋の奥のドアへ消えた。しばらくカタカタガサガサと物音がしていたが、やがて水音が聞こえてきた。



 手を拭いたタオルを首にかけながら、陽が戻って来た。


「そっちは、どう?」

 ダイニングテーブルの向こう側に腰掛ける。


「うん。順調」

「これ、見ていい?」


 編み上がったブレスレットの一つを手に取り、矯めつ眇めつ眺めている。


「結構複雑なんだ。どうなってんの? これ」


 恵流は少し身を乗り出し、テーブルの中央でゆっくりと細い革紐を編み、石のビーズを通し、また編んで見せる。陽はその様子を、眉をしかめながら真剣に見つめている。


「んー、さっぱりわかんない。構造がわかれば、見なくてもある程度想像で描けるんだけどな」

「ふふ。慣れれば簡単なんだけどね」


 ひょいひょいと容易たやすげに紐を編み続け、最後に紐の端に石のビーズを留める。


「こうやって、サイズ調整出来るんだよ」

 恵流は自分の手首にブレスレットを嵌めてみせた。


 両端から長く伸びた数本の革紐が、編み終わりの結び目から垂れ下がっている。紐の先には色とりどりのビーズが留められており、ゆらゆらと揺れて可愛らしい。結び目をスライドさせると、垂れ下がった紐が引っ込み、その分ブレスレットの径は二周りほども大きくなった。 


「へえ、よく出来てる」


 感心した様に呟き、陽は別のブレスレットを手に取った。


「あれ。こっちと少し違う」

「うん。ひとつずつ編み方変えたりしてるの。革アクセ以外のものも、いっぱい作るんだよ」


 グラスビーズやワイヤー、革小物、布小物等、友人2人と得意分野で担当を分けているのだという。


 ちなみに私は布と紐担当、と恵流は笑った。


「いつか3人で、ショップを構えるのが夢なの」


「そっか。じゃあ俺は、その隣にギャラリーでも開こうかな」

「……じゃあ私は、その隣にお弁当屋さんを」

「じゃあ俺は、そのまた隣に画材屋さんを……って、ヤバい。このまま行くと俺達で街を牛耳っちゃうよ」

「野望は果てしないね」


 くだらない会話を交わしながらも、恵流はせっせと紐を編み、陽は仕上がったブレスレットをデッサンし始める。





「もう、こんな時間」


 辺りが薄暗くなって来たのに気付いた恵流が、腕時計を見た。ふたりとも、黙々とそれぞれの作業に没頭し時間を忘れていたのだ。テーブルの上には、出来上がったブレスレットやストラップが並べられている。


「お、ほんとだ。晩飯行こうか」


 言われて気付いた陽は、壁の時計を見上げる。7時を少し過ぎていた。クロッキー帳を手早く片付けると、テーブルに戻り、恵流の後片付けを手伝う。


「結構たくさん出来たね」

「うん。おかげさまで、捗りました」


「こんなちっちゃい手で……頑張りましたねえ」

 陽は恵流の手を取り、自分の手と合わせた。陽の指は、第二関節の中程から飛び出している。


「どうせちっちゃいですよーだ。いつも手袋の指先が余っちゃうんだから」

「冬になったら、赤ちゃん用の手袋を買ってあげましょう」

「そこまでちっちゃくないもん!」


 恵流がぷうっと頬を膨らませてみせると、陽は両手で挟む様に、恵流の頬を押し潰した。ぎゅっとすぼめた唇から、プーッと音を立てて空気が漏れる。

 弾ける様に、恵流は笑った。


「ね、もっかいやって?」

「顔も小ちゃいから、片手でも出来る」


 再び頬を膨らますと、陽は片手で恵流のほっぺたを潰した。恵流はきゃあきゃあ言って笑った。笑い過ぎて、目尻に涙を滲ませている。



「陽もやって?」


 今度は陽が思い切り頬を膨らます。最初は片手で試みたものの潰すことが出来ず、恵流は両手で陽の頬を潰した。

 同様に、プーッと空気が漏れて、恵流はまた大笑いしている。


「何この遊び」

「陽が始めたんでしょ。ああ、おかしい」


 手の甲で涙を拭いながらまだ笑っている恵流を眺めながら、陽は「何がそんなに面白いんだか」と呆れた様に笑った。しかし恵流があまりに楽しそうなので、終いにはつられて自分も楽しくなってしまう。



 ふたりは、息が出来なくなるまで笑い転げていた。




   † † †




 夕食を終えて部屋に戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。食後の気怠さを感じながら、ふたりは手を繋ぎ、ゆるゆると歩いている。


「そういえばさ、優馬さん達、来週引っ越しだって。昨日聞いた」

「ああ、マンション買ったって話だったよね。素敵」


「交際期間が5年もあったから、必死で頭金溜めたってさ」

「うふふ。いきなり結婚前提だもんね。プロポーズの話、思い出しちゃった」


 普段の優馬からは想像もつかないけれど、何というか、不格好で朴訥とした、でもなんとも心温まるプロポーズ。


「でも、なんで5年もかかったんだろう」

「タイミングが合わなかったんだって。優馬さんの仕事の異動とか、栞さんが資格取ったりだとかで」


「色々あったんだねえ……」


 恵流が感慨深気に呟いた。

 つい、自分の5年間を想い起してしまう。5年前には、陽とこうして手を繋いで歩くことなど、想像もしていなかったのだ。


 恵流は思わず、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。陽は黙って、強く握り返してくれた。


 夏の始まりを感じさせる夜の風の中、ふたりはしばらくの間、無言で歩き続けた。




 ふたりが工房に近づくと、倉庫のシャッターの上のライトが自動で点灯した。神々しい月と、瑞々しい緑の樹が浮かび上がる。


「ほんとだ。夜になると、随分雰囲気が変わるんだね」


 恵流はまた、シャッターの前にしゃがみ込み絵を見上げた。並んで陽も腰掛ける。


「秋になったら紅葉、冬には雪景色。春には桜吹雪になるんだよ」

「楽しみ」


 季節がいくつ変わっても、こうしてふたり並んでこの絵を眺めていられるだろうか。出来ればずっと、この先何年も、こうしていられるといいな‥‥


 絵を見上げながら、恵流はしんみりとそう考えていた。



「恵流?」

「うん?」


 名前を呼ばれ隣に座る陽を振り向くと、悪戯っぽい表情で陽が聞き返してくる。


「ん?」

「え、何?」


 陽から呼びかけてきたのに、わけがわからない。恵流は少し混乱して、僅かに身を引いた。


「んんー?」

 陽は身を乗り出し顔を近づけてくるので、恵流はアタフタしてしまう。


「んんんー?」



……ようやくわかった。この顔。陽は私のことをからかって、楽しんでる。


「もう、何よぉ」

 少し腹が立って、陽の肩を押し返すふりをすると、陽は突然、恵流の頭を両手でがっしと掴んだ。


「うーーーーー」

 恵流の頭を引き寄せ、額と額をグリグリと擦り付けた。


「きゃああ!ちょっとぉ、痛いよぉ」


 本当はそんなに痛くなかったが、わざと大げさにジタバタすると、陽はようやく手を離して笑った。


「はあ、面白かった。恵流は表情がくるくる変わるから、見てて飽きない」




……何よ、その言い草。


 朝から陽に翻弄されっぱなしで、さすがに恵流もカチンと来てしまう。



「もう、怒った。私、帰る」


「……怒ったの?」


 拗ねてそっぽを向いた恵流を覗き込む様にして、陽はほとんど挑発的とも言える眼差しで微笑みかけた。恵流は内心、歯ぎしりをしたい思いだった。


 何でこの人、こんなに意地悪で……こんなに、美しいのだろう。


 陽の真っ黒な瞳は緑色に着色された光を反射して神秘的に煌めき、唇には自信に満ちた微笑みが浮かんでいる。


 ああ、もう!ほんとに、頭に来る。



「……怒った」

 泣きたいような気分になって、恵流は低い声で答えた。


「ほんとに?」

「ほんとに!」


 両腕で膝を抱え、陽から目を逸らして腕の上に顎を乗せる。あの目を見ちゃ、いけない。



「……本気で?」


 ついさっきまで至極ご機嫌だった、陽の声の様子が変わった。その声色は心許な気で、不安を帯びていた。思わず視線を戻してしまうと、捨てられた仔犬みたいな表情の陽と目が合った。



「……それほどって、わけじゃ、無いけど」


 再び目を逸らし腕の中に鼻を埋めると、恵流は自分のつま先を見つめた。



……負けた。完敗だ。



 陽の大きな手が、恵流の頭を優しく撫でる。


「荷物持ってくるから、ここで待ってて」


 目だけ横を向いて表情を窺うと、陽は零れる様に笑ってみせた。



 人のことを楽しそうにからかうくせに、ちょっと怒ってみせたらあんな仔犬みたいな顔するなんて。あげく、何も無かったみたいに笑うんだ。


 階段を駆け上がって行く足音を聞きながら、恵流は完全に腕の中に顔を埋め、呟いた。



……やっぱりあの人、絶対に、ズルいと思う。




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