第25話 共同作業
「散らかってるけど、どうぞ」
おじゃまします……と小さな声で囁いて、恵流は陽が支えてくれているドアをくぐった。
「わぁ、広い……アトリエ? って感じだね。ちょっと美術室みたいな匂いがして、懐かしい」
「そうかな。慣れちゃってわかんないけど」
半畳ほどの玄関口、正面奥には一口のコンロと小さなシンクの簡易キッチン。
右手には、カーテンのかかった出窓。以前、シャッター絵を眺めている優馬を、陽がこっそり見下ろしていた場所だ。
窓の下には小さなダイニングテーブルと、2脚のスツールが設置されている。
玄関の左手には薄暗い廊下が伸びていて、その奥は暗くて見えない。
壁際の高い位置に横長の窓がいくつか並び、その下は全面作り付け棚になっているが、納められた荷物は少なく、スカスカな印象だ。
一歩入ると、広いひと続きの部屋が見渡せる。
簡易キッチンの隣には、木製の食器棚。食器棚の下半分に、小さな冷蔵庫が嵌め込まれている。
本来はこの食器棚辺りで上吊り式の引き戸で仕切られる仕組みだが、扉は全て開け放たれていた。
「棚だらけでしょ。前にここに住んでた先輩達が、練習も兼ねてあちこちに棚ばっかり作ったんだよ」
入り口付近で立ち止まったままの恵流の後ろをすり抜けた陽は、ボヤいている風に見えて、その声には笑いを含んでいた。陽が職場の先輩達を慕っているのがよくわかる。
「大月く……よ、陽は、何を作ったの?」
恵流の呼び間違えには触れず、陽は部屋のほぼ中央の壁際にある、大きな作業机を指差した。たくさんの絵の具や絵筆、ナイフ、パレット、謎の液体瓶などが並んでいる。
「あれ。って言っても、ホムセンで買ったのを組み立てただけだけど」
あはは、と笑う恵流に、思い出した様に付け加えた。
「あ、これもだ。この、丸椅子」
「作ったの?」
「いや、ホムセンで買った椅子に丸板くっつけて、座面が回転する様に改造した。高さが少し足りなかったし、絵を描くのに便利なんだ」
へえ……と感心する恵流を他所に、陽はいつの間にか冷蔵庫の前にしゃがんでいた。
「何か飲む? ……っても、水と緑茶とビールぐらいしか無いけど」
「あ……緑茶を、いただきます。ありがと」
作業台と丸椅子の側には空のイーゼルが立ててあり、その向こうに部屋を半ば仕切る様に置かれた棚には(また棚!)、書き終えた絵がいくつも立てかけてある。
棚の端からベッドが見えて、恵流は慌てて目を逸らした。プライベートな部分をじろじろ見るのは失礼だろう。
小さなダイニングテーブルに、お茶のペットボトルとグラスを並べ終えた陽は、今度は部屋の窓を開け始めた。
「この部屋、陽当たりと風通しは抜群なんだ」
キッチン横の出窓と、作業台の上、そしてベッドの上の腰高窓を開け放つと、部屋全体に風が通った。窓と反対の廊下側の壁にも、高い位置に通気口のように木製の格子が嵌め込まれている。通気口の下には、そう、もちろん、作り付けの棚。
「冬はちょっと寒いけどね。厚着すれば問題ないし」
部屋を縦断してテーブルに戻った陽は、グラスにお茶を注ぐ。
「で、いいアイデアは出ましたか?」
恵流の提示して来たイメージは、明確だった。
額の周囲をレースをあしらったチュールで覆い、花嫁のベールの様な効果を出す。所々を白い花やアイビー、リボンで飾り、フェイクパールのビーズチェーンをチュールに絡め、全体的に大人っぽい印象に。
一番上に、WELCOMEのメッセージ。
ふたりの顔の間に、カラフルな造花をまとめて飾り、ふたりでひとつのブーケを持っている様に見せる。
一番下に、ふたりの名前を。
説明しながら恵流はメモ帳を取り出し、簡単なデザイン画を描いて見せた。
「いいじゃん。この装飾だと、バストアップだから服装はほとんど見えなくなるね」
「そう。そう思って、デザインしたの」
ウエルカムボードの制作に当たって色々調べたところ、ボードに描かれるのは、ほとんどの場合、ウエディングドレス姿か、白無垢や打掛の姿だった。
栞は普段の服で良いと言ってくれていたが、少々悩むところではあったのだ。
「真ん中のブーケを挟む様に、それぞれの名前を入れるの。で、ウエルカムのメッセージと名前は、サテン地で中に綿を詰めて立体的に作ろうと思うの」
「うわ……すごくいいけど、大変そう。大丈夫?」
少し考えた後、陽は眉を寄せた。恵流自身、自分の出展を控えているので、心配だったのだ。
「大丈夫。実際取りかかるのは、ハンクラフェスの後になると思うし、2~3日もあれば余裕で出来るよ」
頼もしいな、と微笑む陽に、今度は恵流が訊ねる。
「絵の方は?」
「うん。せっかくだから、油絵にしようと思う。時間的にも、ギリ行けそう」
テーブルに置いていたクロッキー帳を開くと、既に下絵が出来ていた。荒い線だが、描かれたふたりの表情は良くわかった。
「これに、こう………いう、感じ?」
先ほどの恵流のデザイン画を見ながら、下絵にざっと装飾を書き込んでゆく。全体的なバランスを見るためだ。
「うん、いいね。背景は?」
「あの二人自体は、青とか緑系あたりが主体のイメージなんだけどさ。結婚式だし、ピンクとかオレンジとかの暖色系でぼかして塗るのがいいと思う。どうだろ」
「賛成」
「あ、リボンとかは? 何色?」
「絵に合わせるよ」
よし……と呟くと、陽は作業台近くの棚に駆け寄り、36色入りの色鉛筆のセットを取り出した。蓋を開くと、3分の2から半分ほどの長さにまで使い込んだ色鉛筆がずらりと並んでいる。
「ざっと塗ってみよう」
人物とその背景を大まかに塗ると恵流と交代し、装飾部分の彩色を任せる。細部は描かずに色合いや大体の雰囲気を描き入れると、それをテーブルに立てかけ、少し離れたところから眺める。
いくつかの修正を施したものの、作戦会議はあっという間に終了した。
「いやー、さすがは恵流。仕事が早い」
「いえいえ、陽だって。まさか下絵まで済ませてるとは」
再び並んで立ち、デザイン画を満足げに眺めながら、ふたりは健闘をたたえ合った。
「よし。じゃあ、昼飯がてら、ホムセン行こう」
「……え、一緒に?」
「ん? だって、材料買うし。キャンバスも選ばなきゃ」
私達のこと、ホムセンの皆に知られちゃいそうだけど、いいのかな……
恵流は一瞬そう思ったが、それを口にしたら、陽はきっと、また言うだろう。
『嫌なの?』
あの、悪魔的なまでに、美しい瞳で。
そして私は、あの瞳に逆らうことが出来ないのだ。
なんだかすごく恥ずかしい。でもすごく嬉しくて、ニヤニヤしてしまいそう。
恵流は少し目を逸らして下唇を噛み平静を装うと、頷いた。
「そうだね。一緒に行こう」
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