第19話 落款


「先週のあれ、ワザとだろ」

「んー?何があ?」


 土曜の昼下がり、優馬はまたあの公園に来ていた。

 もちろん、陽の似顔絵屋だ。いつもの様に、断りも無く勝手に椅子を持ち出して腰掛ける。


 このひと月ほど、土曜は優馬と、日曜は恵流と夕食をとるのが陽のお決まりになっている。


「とぼけんな。清水さんにチョッカイ出すために来ただろ」

 陽は座ったまま、優馬の脛を蹴る真似をした。


「さあね~」

 優馬は鼻唄混じりではぐらかす。


「明日は来んなよ」

「お、やっぱ明日も会うんだ。どうしよっかなー」


「どうしよっかじゃないから」


 陽の拳を躱した優馬は、あからさまにニヤついている。


「だって、恵流ちゃん可愛いんだもん」

「……栞さんに言いつけるからな」


「え」


 優馬はいきなり狼狽し始めた。


「違う、違うって。そういう意味じゃなくてね? なんつーかその、小動物的な? 森の妖精みたいな? そういう可愛さがあるじゃん? ちっちゃくてさ」


「何が森の妖精だ。頭ん中ファンタジーか、オッサン」

「お前ね、オッサンオッサンて……恵流ちゃんが絡むとクチが悪くなるねえ」


 からかうような優馬の口調に、陽は大仰にため息をついた。


「セクハラで訴えられても知らないからな。客の3歳児の頭撫でるのとはワケが違うでしょ」

「あー……そうかぁ。でも俺、またやっちゃうかも」



 陽に睨まれたが、優馬はまだニヤニヤしている。


「だって、お前の反応がすごい面白いから」



 優馬は、肩にヘビーなパンチを喰らった。




   † † †




「今日は、スペシャルメニュー。オムライス弁当です」


 普段、工房の賄いは和食が多いと聞いていたので、恵流は努めてボリュームたっぷりの洋食メニューを作ることにしていた。


 今日のメニューは、オムライスに海老フライ、ミニハンバーグ、タコさんウインナー、温野菜のサラダ、ケチャップ味のスパゲティ。

 別の容器には、うさぎさんのリンゴと、くし形のオレンジ、輪切りのキウイ。


 しかも、ちょっとしたサプライズを用意している。



 おおお、と歓声を上げた陽を手で制し、恵流が小さなタッパーを開けた。


「今から最後の仕上げをします」


 小さなチューブの蓋を取ると、オムライスの上にケチャップで文字を書く。


 『 Y・O 』


「ハイ、『陽・大月』のイニシャルだよ。もしくは『陽』ね」


 文字の周囲に三日月と星を描き足すと、恵流はタッパーの中から、小さな旗を取り出してオムライスの真ん中に立てた。



「あ、俺のネームカード」


 うふふ、と恵流が嬉しそうに笑った。

 絵を買った客に付けるネームカードを模して、旗を作ったのだ。小さな白い紙の、右上に4分の1の太陽。左下に三日月。


「すっげー! お子様ランチみたいだ! すごい嬉しい! ありがとう!」



 食べるのが勿体ない、旗を抜くのが惜しいなどと騒ぎながらも、ふたりは弁当を食べ終えた。

 陽は最後まで旗を抜かず、まるで砂崩し遊びのように周りから食べていき、終いには抜いた旗を持って帰ると宣言した。



「そんなに喜んでくれると思わなかった。良かったあ」

「イヤ、旗の立ったオムライスは、永遠の憧れですから」


 真面目くさって断言するので、恵流は笑ってしまう。



「では、お子様ランチでもう一つ、大切なアイテムを」


 バッグからガチャポンのカプセルを取り出し、既にワクワク顔の陽に手渡した。


「何コレ」

「お子様ランチといえば、食後のおまけでしょ?」


「わあ!」と子供のように喜んだものの、カプセルがなかなか開かず、陽は苦戦している。



「で、あのね。私、しばらく来られないと思う」

「え?」


ポン、とカプセルの蓋が開いた。


「あ、開いた。いや、じゃなくて。来られないって、なんで?」


「大学の友達と、夏のハンクラフェスに出展出来ることになったの。今まで作り溜めてた分じゃ足りなくなりそうだから、頑張らなきゃいけなくて」


 ハンクラフェス、というのは「ハンドクラフトフェスティバル」のことだ。年一回、大きな会場に様々なハンドクラフトのブースが出展し、展示即売が行われる。

 その行事に応募しているという話を、以前恵流から聞いていた。



「凄いじゃん! 審査、通ったんだね! 倍率高かったんだよね?」


 ハンドクラフト界において国内最大であるこのフェスに出展すること。恵流達がそれを目標にしてたのは知っていた。

 陽は、思わず「おめでとう!」と恵流の頭をワシャワシャ撫でてしまい、慌てて手を引っ込める。これでは優馬のことを怒れない。



「うん。とりあえず、第一目標クリアです」

 前髪を直しながら、恵流は上気した頬を隠す様にペコリと頭を下げる。



 短い沈黙に気付き、恵流は顔を上げた。目が合うと、陽はサッと目を逸らした。


「あのさ……」

 言葉を探す様に、視線を彷徨わせる。


「それ、ここじゃ駄目?」

「?」


 手の中の小さなビニール袋を弄びながら、陽が口籠る。恵流と目を合わせない様に、視線を自分の膝の当たりに漂わせている。



「だからあの……ここじゃ、出来ないかなって。ほら、材料の買い出しもあるわけだし」


 陽は俯いたまま、今度は耳たぶを引っ張り始めた。耳の淵がみるみる赤くなる。


「お弁当は要らないからさ、いやあの、作るの大変だと思うから。なんなら俺、材料の買い出し付き合うし……だから、毎週来てよ」


「あ、じゃあ、来れたら……」



……何か今、大変なことを言われた気がする。私の勘違いだろうか。

 恵流は自分が聞いたことが信じられなかった。


「うん、うん。来れたらでいいからさ……」


 目の前の陽は、なんだかモジモジしている。


……これって、この流れって、まさか?



「あっ、あの、それ開けてみて」


 頭の処理能力が状況に追いつけなくなり、恵流はとりあえず話を逸らせた。若干声がうわずってしまっている。


「あ、うん」

 今まで手の中で弄んでいたものに初めて気付いたみたいに、陽は改めてそれを見つめた。小さなビニール袋をそっと開く。


 中から出て来たのは、手彫りのスタンプだった。



「これって……」

「うん。旗のやつ」


 陽は口を薄く開けたまま、スタンプと旗を何度も見比べている。


「あの、絵の隅っこにね、押したらいいかと思って。よくあるじゃない?」

 予想外の反応に不安になり、恵流は急いで言葉を継いだ。


「……落款?」

「らっかん? って言うの? ……ごめん。名前知らなかった」



 突然立ち上がった陽に、恵流は驚いて身をすくめた。


「いいよ! これ! すごくいい! 押す! 俺、押すよ!」

 すぐさま大きなキャンバスバッグに手を伸ばし、10枚程の絵の束を掴み出す。


「あ、インクが無い。ちょっとインク買ってくる。待ってて」



 右手にスタンプ、左手に絵の束を持ったまま駆け出そうとした陽の上着の裾を、恵流はかろうじて捉まえた。


「あります。スタンプ台と朱肉、用意してますから」

 陽の突然の興奮ぶりに驚き、何故か敬語になってしまう。のみならず、言わずもがなのことまで口走る。


「100均の安物で悪いけど、ありますから」



 陽は急いで座り直すと、そそくさと絵を入れているビニールの封を剥がし始めた。耳の淵は赤くなったままだ。

 恵流は自分のバッグから、朱肉と赤黒2色のスタンプ台を取り出しベンチに並べた。


 数秒の逡巡ののち、陽は朱肉を選んだ。厳かな様子で色をつけると、絵の右隅に、神妙な面持ちで判を押す。



「出来た」


 判を押した絵を掲げ、陽は恵流に微笑みかけた。


「最高」


 破顔一笑、とも言える眩しすぎる笑顔に、恵流はぼうっと見蕩れてしまう。頭の処理能力は、まだ回復していないみたいだ。



 絵を傍らに置くと、陽は突然恵流の右手を掴み、その甲に判を押した。

 満足げに微笑むと、恵流の手の甲に息を吹きかけて乾かし始める。


 陽の突飛な行動に、恵流は固まったまま身じろぎひとつ出来なかった。



「……そんなことしたら、まるで私が大月くんのものみたいだよ」


 やっとの思いでそう言ったものの、声が少し震えてしまう。


 ちょっと驚いた表情の後、陽はいたずらを思いついた様にニッと笑うと、今度は恵流の左手を掴んだ。


「え」

 反射的に左手を引っ込めようとしたが、強く掴まれて動けない。



「嫌なの?」


 陽はほんの僅か、首を傾げ訊ねてくる。

 僅かにいたずらっぽい光を滲ませ覗き込むその瞳に吸込まれてしまいそうになり、恵流は軽い目眩を覚えた。



「嫌とかじゃ、ないけど……」


 満足げに微笑んだ陽は、悠々とした所作で判を朱肉につけ直し、恵流の手の甲にしっかりと判を押した。


「良かった」

 手を離し、花が開く様な満面の笑みを見せた陽に、恵流は鼻血を噴いて倒れそうになるのを堪えながら心の中で呟いた。




そういうのって、ずるいと思う………




______________________________________

<オマケ>


(オムライス分けっこして食べてる時点でラブラブじゃないですかー やだー もうやだー マジでやだー)

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