第17話 陽と優馬


「ぼく、お名前はなんていうの?」

「しゅんくん」


「しゅんくんか。カッコイイ帽子かぶってんな。サメかな?」

「そうだよ。すいぞっかん行ったの。しゅんくん、サメ好きなの。おっきくて、シューって」


「そうか。サメかっこいいよな。シューって泳ぐもんな」


 陽が似顔絵を描いている間、優馬はモデルの話し相手になってくれる。

 職業柄か、それとも単に人柄なのか、優馬は話し上手で聞き上手だ。子供の扱いも上手い。相手の好むものや、自然な表情を上手く引き出してくれるので、陽は観察に集中することが出来る。

 今回は、絵の中にサメを登場させることにしよう。



 陽の描く似顔絵は、デフォルメの要素の少ない、いわば簡潔な肖像画という感じのものだ。色紙に、透明感のある淡い色彩を用い軽いタッチで描かれる。


 いつもの様に20分ほどで描き終えると、優馬に頭を撫でられご満悦の男児は両親の手を何度も振りほどき、「絵のお兄ちゃん、サメのお兄ちゃん、バイバイ」とこちらに手を振りながら帰って行った。

 サメのお兄ちゃんこと優馬は、すっかり懐かれた様だ。男児が手を振る度、律儀に手を振り返している。


 彼らの姿が見えなくなるまで見送ると、陽は軽く頭を下げた。


「いつも助かります」

「どういたしまして。っていうか、俺が勝手に出しゃばってるだけだし」


 そう言いつつ、優馬はキョロキョロと辺りを見回している。やがて、「あ!」と立ち上がると、いきなり駆け出した。


 優馬の突然の行動に驚いた陽は声を掛ける間もなく、首を巡らせて優馬の駆けてゆく先を見遣る。そこには、自分に向かってダッシュしてくる見ず知らずの男に驚き、怯えて固まっている清水恵流が居た。



「ちょ、ちょっと」

 陽は慌てて立ち上がり後を追おうとしたが、筆洗いに躓きそうになる。なんとか体勢を立て直し後を追ったが、優馬は既に「おーい、めぐるちゃーん」と手を振りながら彼女のすぐ側まで迫っていた。


 彼女は男性が自分の名を知っていたことで、とりあえず逃げずに留まることにした様子だ。陽と優馬を交互に見ながら、目顔で訊ねてくる。



「清水恵流ちゃんだよね。俺は陽の友人で、木暮優馬って言います。よろしくね」

「え、あ、はい。清水恵流と申します。よろしくお願……」


「よろしくしなくていいから!」

 やっと追いついた陽は、息を弾ませながら優馬の肩を拳で殴った。もちろん軽く、だが。


「なんだよ、いいじゃん別に」

「良くない。清水さん、驚かせてごめん。この人、ちょっと変人なんだ」


「ひでえ。いきなり変人呼ばわりか。さっきまで『助かりますうぅん』とか言ってたくせに」

「そんな喋り方してないから!」


「この子、ちょっと暴力的なとこあるけど、悪い子じゃないんですよ。本当は、挨拶もちゃんと出来る優しい子で……」


 左肩を擦りつつ涙を拭う真似をする優馬の首に、陽は無言で腕を回し、絞め技を掛ける。優馬は一瞬「ぐえ!」と唸ったが、するりと抜け出すと素早く陽の背後に周り、両手首を捉まえた。


「いやあ、いつも話は聞いてるんですよ。うちの陽がお世話になってるみたいで」

「だれが『うちの陽』だ。手を、は・な・せ!」


 陽も背の低い方ではなかったが、さらに10センチ近く上背のある優馬は強敵だった。もがいてはみるものの、なかなか振り切れない。



「昨日もね、弁当がどうだとか……」

「黙れ、童顔オヤジ。ハゲろ。みるみるうちにハゲ散らかせ」


「ひ、酷い……人が気にしてることを。恵流ちゃん、聞いた? ねえ、今の聞いた?」

優馬は手を離すと、胸の前で腕を交差し胸を押さえた。悲し気な表情で恵流に訴えかける。


「大丈夫だよね? オッサン、まだ禿げてないよね?」


「だ、大丈夫です……フサフサです」

 恵流は震える声でそう答えた。拳で口元を隠しているが、必死で笑いを堪えているのがわかる。


「俺、猫っ毛だし、父方の爺さんが薄いんだよ。だから気にしてるのに……お前ね、男同士でハゲ呼ばわりは反則だからな」


 優馬はくるりと振り向きざま、陽の鼻先に人差し指を突きつける。陽は突きつけられた人差し指を捉まえようとしたが、サッと手を引っ込めて逃げられてしまった。


「反則とか知らないし。うちの親父はフッサフサだったから、俺はハゲとか関係ないもん」

 そう言う陽の鼻先に、今度は逆の手で指が突き出された。陽はまた、それを捉まえ損ねる。



「ほれほれ。捉まえてごらんなさーい、だ。恵流ちゃん、こんなドンクサい子だけど、これからも仲良くしてあげて下さいねー」

「なんでだよ。言っとくけど、あんたより清水さんとの方が断然付き合い長いからな。あと、鈍臭くないし」


 陽はやっと、優馬の人差し指を掴んだ。

「やった」


 得意気な表情の陽に、優馬はヒョイと片方のまゆ毛をあげ、視線を促す。

「いやお前、アレ、いいのか?」


 捉まえた指が指した先には、陽が放り出してきた荷物があった。子供が絵筆に触ろうとして、親に窘められている。


「あっ」

「やっぱドンクサいわー」


 慌てて駆け出す陽の背中に、優馬が声を掛ける。


「俺、そろそろ仕事戻るわー」


 うん、と振り向いて手を振ろうとした陽は、踵を返して駆け戻った。


「触んなジジイ」

『じゃあ、恵流ちゃん、またね』と言いながら恵流の頭を撫でようとした優馬の手首を掴み、捻り上げる。


「痛い、痛いって! すみません、もうしません。放して! これ、曲がっちゃいけない角度だから」

 なんとか逃れようとへっぴり腰になりながら、優馬は情けない声を出す。


「清水さん、ごめんね。今度この変態に触られそうになったら、殴っていいから」

「え、うん……あの、私は別に……」


 オロオロしている恵流を横目に、ようやく解放された優馬が手首を擦りながら口を尖らす。


「なんだよ、陽のケチ。おまけにジジイだの変態だのってさ」

「ケチとか関係ないから。自業自得です」


 優馬に向かって何度も指を振り立てながら、陽は荷物を片付けに戻る。


「清水さん、行こう。オッサンはとっとと会社に戻れ」

「あいあい、わかりましたよーだ。スーパーイケメンビジネスマンは仕事に戻ります。恵流ちゃん、今度皆でご飯行こうね」


 優馬は鷹揚に片手を上げると、反対方向へブラブラと歩き出した。その背中を眺めながら、陽が呆れた様に呟く。


「自分でイケメンとか言うかね。全く」


ついに、恵流が隣で吹き出した。


「面白い人だね、木暮さん」

「面白いっていうか、何ていうか……変な人?」


「うふふ。賑やかで、私は楽しかったよ」

「賑やか、かぁ。清水さん、相当優しいね……」


 やれやれ、とでも言いた気な陽の口調が可笑しくて、恵流はクスクス笑った。




______________________________________

<オマケ>


陽「優馬さんて、ちょっとチャラい?」

優馬「社交的と言ってくれ」

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