第16話 わんぱくな31歳


「お疲れ」

「お疲れっす」


 公園近くの馴染みの定食屋。陽と優馬は小さなグラスで乾杯した。


「今日はどうだった?」

「ん~、まあまあかな。あの後、似顔絵1点と絵が3点」


 おしぼりで手や顔を拭いている優馬に、陽が冷たく言い放つ。

「あ、それやりだしたらオッサン」


「うるせえ。いいんだよ、オッサンなんだから」


「そういえば優馬さんって、年いくつなんですか?」

「31」


「え」

「……なんだよ」


 優馬は顔を拭いたおしぼりを軽く畳み、テーブルに置いた。


「もっと若いと思ってました。27ぐらいかな? って」

「まあね。よく言われる」


「……童顔」

「若々しいと言え」


ぷぷ、と顔を背けて笑いを堪える真似をした陽に、優馬はおしぼりを丸めて投げつけるふりをする。


 気持ちが若いのだろうか。陽は優馬と過ごすうえで年齢差を気にしたことはあまり無かった。まさか、10近くも離れているとは。

 親戚の縁が薄いのでよくわからないが、年の近い叔父とか従兄弟のお兄さんとかというのはこういう感じなんじゃないかと、漠然と思う。


だ が、何故優馬が自分とこうも仲良くしてくれるのか。それが不思議だった。


「ね、なんでメシに俺誘うんですか? 会社の人誘えばいいのに」

「やだね。俺みたいに嫌々仕事してる奴と一緒だと気が滅入るし、喜んで仕事してる奴とだと飯が不味くなる」



……そういうものなのか。


 陽は自分の職場の環境に満足していたが、改めて自分は恵まれているのだと思い知った。オヤジさんも奥さんも良い人だし、先輩達も仕事には厳しいが、みな親切だ。



「お前はさ、自分のやりたいことを自力でやって、自分の力だけで進もうとしてるだろ。そういうの見てるのは、面白い」

「いや、自力だけじゃないっす。周りの人に随分助けてもらってるし。工房のオヤジさん達にも、優馬さんにだって」


「あと、弁当の差し入れの娘とか?」


 言葉に詰まった陽は、軽く咳払いして、ほんの少しビールを飲んだ。そんな陽の反応を見て、優馬は満足げにニヤリと笑う。


「明日も来るんだろ?」


 陽は意味も無くおしぼりを手に取り、手の平をごしごし擦った。付いてもいない絵の具を拭い取ろうとする様に。


 彼女は単に、良い友人だ。それなのに、わざわざ聞かれるとなんだか妙に照れくさく感じてしまう。



 彼女は高校の同級生で、バイト先が同じだったこと。

 大学に通うため実家を離れていたが、地元に戻ってきて久しぶりに再会したこと。

 手工芸の材料の買い出しのついでに、似顔絵屋に顔を出してくれるようになったこと。

 その際飲み物の差し入れなどをくれるので、お礼に夕飯を奢ったらそのお返しに弁当を作ってきてくれたこと……


 かいつまんで説明しながら、なんでこんなことをわざわざ話しているのだろうかと疑問に思う。まあ、どっちみち優馬が聞き出してくるのだろうけれども。



「で、また弁当作るって言うから、悪いからって断ったんだけど」

「ほうほう」

「今度は俺が奢るからって」

「ふんふん」

「そしたらなんか、お昼は弁当食べて、夜は俺の奢りって流れに……」


「……ラブラブですな」

「そういうんじゃ……でも、いいんですかね。バイトしてるとはいえ、彼女まだ学生だし。材料費とか金かかるのに、弁当とか負担になるんじゃないかな」


「知るか。勝手にやってろ」



 ちょうど注文した品が運ばれてきた。優馬の生姜焼き定食と、陽の焼肉定食。


「いただきます」

 優馬は手を合わせると勝手に食べ始めた。


 自分から水を向けたものの、彼らの青春丸出しな甘酸っぱい遣り取りが眩し過ぎて、これ以上話を聞いていられない。自分の10年前を思い出してしまい、懐かしいやら恥ずかしいやらで身悶えしたくなってしまったのだ。



 突然話が打ち切られ、陽は一瞬呆気にとられていたが、同じく手を合わせ食べ始めた。



     † † †




 ビールをもう1本頼みたかったが、我慢した。まだ仕事が残っている。


 優馬は、陽の小気味良いくらいの食べっぷりを眺めながら、残り少なくなった自分の皿を突つく。


……まったく、よく食うなあ。おかわり大盛りって。


 そう思ったところで、自分も22ぐらいの時はそうだったのを思い出した。あの頃は大盛りの丼メシをバカバカ平らげていたのだ。



「優馬さん、そえちょっと食べたい」


 陽が生姜焼きを指差すので、優馬は箸を握ったままの手で皿を少し押し出し、顎先で促した。


「あいがと」

 優馬の時間を気にしているのか、ご飯を頬張ったまま喋るので、声がくぐもっておかしなことになっている。

 陽は豚の生姜焼きを一切れつまんだ。


「いいから、ゆっくり食え。ちゃんと噛んで」



 言ってみて気付いたが、これはいつも自分が栞に言われる台詞だった。

 食事に夢中になると、ついつい口一杯に頬張ってしまう。その都度栞は「まったく、もう」と苦笑しながらティッシュを手渡し言うのだ。


『いいから、ゆっくり食べなさい。ちゃんと噛んで』



 立場が変わると言うことも変わるのだろう。

 自分がこのセリフを言う立場になって、栞が今までどんな気持ちでいたのかが少しわかった気がする。

 わんぱくなガキんちょをあやすような、そんな気分だ。少しくすぐったい。



 問題は、栞が俺より2つ年下だということだ。



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