第15話 木暮優馬の溜息

 帰社した優馬は、何事も無かったかの様に装いつつ席に着いた。少し長めに休憩をとってしまったため内心焦っていたのだが、幸いそれを指摘されることは無かった。

 まあ、5分や10分長く離席したところで、それほど業務に支障は無いのだが。


 眠っていたパソコンを起動し、電話をかけるべき者のリストを表示する。


 これはパス、次もパス、これも……パス。



 土曜の午後3時すぎ。

 若者は家に居ない確率が高いだろう。主婦層はこの時間帯なら掴まるだろうか。もう少し遅くなると、夕飯の支度や何かで電話どころではなくなる筈だ。

 だが、彼女たちは金にシビアだ。営業をかけるのは難しい。やはり、引退した社長の回顧録や、金持ちの道楽で自己啓発めいた文章を書いているものがいい。そういうのは、こちらも気が楽だ。



 木暮優馬が勤めているのは、小さな出版社だった。

 以前には、発行部数はそれほど多くないもののマニアックで面白い雑誌をいくつか出している、コアなファンの多い会社だった。

 だが、長く続く出版業界の不況、それに伴うトップの入れ替わりで、完全に営業方針が変わってしまった。


 ある程度の固定ファンがついている雑誌を除き、雑誌部門は大幅に縮小された。

 代わりに力を入れているのが、「素人の自費出版」部門だ。


 「○○社大賞」と出版社の名を冠した賞を設け、素人から原稿を募集する。

 応募された作品の中からいくつかが選出され、いくばくかの賞金が出る。さらに、大賞の作品は書籍化され、全国の書店で販売される。その際の本の営業や宣伝も全て出版社で行います、という触れ込みだ。


 優馬の仕事は、この「大賞」から漏れた作品の中から、ある程度の文章力のある作品を選び出し、その作者に「自費出版」の営業をかけることだ。


 優馬がこの仕事を毛嫌いしているのは、この営業が詐欺に近い様なやり口で行われるからだった。

「本物の編集者がしっかりサポート、一丸となって作品を作り上げましょう」「出版した書籍は、弊社の誇る営業力で全国の書店に並びます」等と耳障りの良い文句で客を釣っておいて、かなり高額な費用を負担させるのだ。


 夢を持って、勉強や仕事の合間を縫い一生懸命書き上げた作品を送ってきた者に、優馬はそんな仕打ちなどしたくなかった。

 まんまと口車に乗せられ、期待と緊張で震える唇を噛み締めながら応接室に通される若者を目にする度、胸が潰れる思いだった。騙されるな、迂闊に契約なんかするじゃないぞ、といくら念じてみても無駄なのだ。


 作家になるという夢が叶うかも、という期待に目を眩まされ、編集者のあの手この手の口車に乗せられて契約を結び、高額な出版費用を工面するため借金までして、本を書き上げる。

 本が売れれば、借金も返せる。そう期待しているのだろうが、そう上手くはいかない。

 確かに書店に本は並ぶが、売れなければ金は入らない。売れなかった本は、本人に返品されるだけなのだ。


 数百万もの借金と返品された本に埋もれ、狭く薄暗い部屋で茫然と佇む。

 そんな光景を、優馬は思わず想像してしまう。最悪なのは、確実に、そういう境遇に陥っている「作家志望」の人間が少なからず居るということだ。



 だから優馬は、前にあげた様な層を狙って営業をかける。

 はじめに出版にかかる費用を説明し、それでも良いと納得する者とだけ話を進める。数は少ないが、とにかく「本を出版する」ことに拘る人や、趣味道楽、自己満足のために出版し周囲に無料で配る、等という人々も存在するのだ。


 おかげで営業成績はあまり上がらないが、詐欺師になるよりずっとましだ。上司からの嫌味なんて気にしなきゃいい。



 優馬はとあるタイトルに目を留めた。


『私が月収800万稼いだ方法』


 こういう自慢話のような本は、話が簡単だ。要は小金持ちの道楽。本を出して売れりゃそれはそれでラッキー、売れなくても「本を出版している」という事実で箔がつく、みたいな感覚。


 興味も尊敬の念も無い相手を「○○先生」と呼び、自分では絶対に買って読まないであろう作品を共に書物というカタチにするのは苦痛ではあるが、これも仕事だ。仕方ない。


 優馬はうんざりした気持ちで溜め息をつき、その作品のファイルを開いた。




______________________________________

<オマケ>


本作品はフィクションであり、登場する人物・団体は実在のものではありません。

また、特定の企業や団体などをモデルにしたわけでは、ましてや中傷しているわけでもありません。本当です。本当ですってば。

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