第14話 木暮優馬の息抜き
「よう! 久しぶり~」
「……先週も会ったじゃないすか」
「えへ。また来ちゃった☆」
木暮優馬は断りもせず、客用の椅子を勝手に移動し、大月陽の隣に座った。
「えへ、じゃないですよ。毎週来てるし。仕事、いいんですか?」
「いいのいいの。ちょっと息抜きしなきゃ、死んじゃう」
そう言いながら、陽の描いている絵を覗き込む。
「何これ。どっちが上?」
あちこち首を傾けながら絵を眺める優馬に、陽は絵筆の尻で少し離れた場所に倒れて落ちている、溶けかけたソフトクリームをを指し示す。
「描いてるのは、あれ。向きはこのまんまです。後で蟻を描き足します」
「ああ、あれはショックだよね。ソフトクリーム落とした時の絶望感ったら、もう……ところで、さ」
優馬は椅子に座ったまま、上半身だけ陽ににじり寄った。
「こないだのコ、誰よ。彼女?」
ヒュ~、などと言いながら肘でツンツンと肩を突つく。
いきなり話題が変わる話し方にも、もう慣れた。いやむしろ、優馬にとってこっちが本題なのだろう。そんな印象だ。
突ついてくる肘を、陽は左腕でやんわりと払った。
「こないだって、いつのことですか」
「なんだよ、とぼけんなよ。先週の日曜日、イチャつきながら一緒に弁当食ってたじゃん」
まさか、見られていたとは思わなかった。
陽は言葉に詰まり、乱暴に絵筆を洗った。敷いているビニールシートに少し水が飛び散った。
「別にイチャついてないし。ただの、高校の時の同級生だから」
「ふうん。た・だ・の・同級生、ねえ」
声だけでニヤニヤしているのがわかったので、陽は優馬から顔を背けるように体を捻ると、バッグからペットボトルを取り出し、ひとくち水を飲む。
「俺の事より、そっちは大丈夫なんですか? 栞さん、あれっきり見ないけど」
「んー。週末はね、なかなか休みが合わないんだよ。向こうは土日はほとんど夜勤だし、俺もまだ仕事あるし。平日は会ってるよ。たまにだけど」
「看護師さんはともかく、出版社も忙しいんですね。しょっちゅうぶらついてるから、暇なのかと思った」
「しっ、失礼な。お前が淋しいだろうと思って、わざわざ来てやってんのに。先週だって晩飯誘いにきたのにさ、お前らなんか楽しそうにイチャついてるからさ、俺はひとり淋しく帰ったんだから」
優馬はオーバーに下唇を突き出し、人差し指で膝に「の」の字を書いていじけたふりをする。
「あーハイハイ、すんませんでしたね」
陽は棒読みでそう流して、ペットボトルのキャップを固く締めた。
話を逸らそうとして栞とのことを訊ねたのだが、カウンターを喰らってしまった。だが、先週の件についてそれ以上聞くのは思い留まってくれたらしい。とりあえず。
優馬はおもむろに胸ポケットからチューインガムを取り出し、「ん」と陽に勧めた。陽が受け取ると、自分も一枚取り出し口に放り込む。
「禁煙、続いてるんだ」
「まあね。うちの看護師様がうるさいから」
ふたりはしばらく無言でガムを噛んでいた。爽快なミントの刺激が舌に刺さる。
優馬は身体の向きを少し変え足を投げ出して、池に泳ぐ鴨たちをぼんやりと眺めている。その隣で、陽は再び静かに筆を走らせる。
新緑の枝が燦々と降りそそぐ太陽光を遮り、時おりさらさらと音をたてる。遠くから子供のはしゃぐ声が聞こえる。ふたりの前を、たくさんのカップルや家族連れが通り過ぎていく。
心地よい沈黙とともに、時間が流れた。
ふと思いついた様に、優馬がポツリと口を開く。
「なあ、この鳥に餌やってもいいのかな?」
陽はそれについて知らなかったので、「さあ」としか答えようがなかったのだが、答える前に優馬が声を上げた。
「あっ、アイスほぼ溶けちゃってんじゃん」
「ですね」
「描けるの?」
「憶えてるから大丈夫」
ふうん、と感心した様に唸ると、再び絵を覗き込む。
「おお。結構進んだな」
「うん。まあ」
「で、なんで溶けかけのソフトクリームなの? なんか、こう諸行無常的なメッセージとか? 食物連鎖的な教訓なんかが含まれてたりするの?」
陽は思わず吹き出した。噛んでいたガムが飛び出すところだった。
「いや、単に目の前にあったから……強いて言うなら、季節感? ほら、ここんところ暖かくなってきたし。メッセージとか教訓なんて、考えた事も無かった」
「へえ……そういうもんなんだ」
「うん。他の人は知らないけど、俺の場合はそうですね。わりと、目の前にあるものとか、頭の中に浮かんだ風景とかを描くことがほとんど」
なるほどねえ、と呟きながら、優馬は腕時計を見遣った。
「やべ。ぼーっとしてたら20分も経ってた。仕事戻るわ。あ、今日メシ行こうぜ」
「んー、割り勘なら」
「お前ね、つまらん気を遣うなよ。黙って奢られとけ。どうせいつもの定食屋だ」
慌ただしく、しかしちゃっかりと夕飯の約束をとりつけて帰る優馬の後ろ姿を見送ると、陽は立ち上がり、落ちているソフトクリームのコーンを拾い上げた。
ソフトクリームはすっかり溶けてしまい、甘い香りのする液体になってしまっている。
コーンにくっついていた蟻をそっと指先に乗せ、仲間のところへ返してやる。
陽は池の淵まで行くと、コーンを小さく千切り取って投げた。大きな鯉や鴨たちが寄ってきて、それを啄んだ。
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<オマケ>
優馬さん、ニヤニヤです。
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