第11話 清水恵流


 お客さんが目の前の椅子に座ると、彼は世間話などしながら、おもむろにパレットに水彩絵の具を絞り出す。

 いくつか色を作ると、当たりも下書きも無しに、いきなり描き始める。淡い色で顔の輪郭を描き、素早い筆運びで髪をざっと塗る。


 お客さんとの会話は続いている。バランスを見ながら上半身の輪郭をざっくりと描く。


 まず、先に髪を描きあげる。毛の流れや光沢など、いくつもの色を重ねて表現していく。

 全く迷うこと無く、彼は驚異的なスピードで色を選び、筆を運ぶ。


 笑顔で和やかな会話を続けてはいるが、彼の目の奥は真剣だ。

 髪やなんかを描いている間に、客の表情を観察していることを、私は知っている。会話は、客をリラックスさせ自然な表情にするための手段なのだ。時たま客を笑わせたりしながら、相手の最も魅力的な表情を見つけるのだ。


 だから、彼の描く似顔絵はとても素敵だ。

 大抵は幸せそうに微笑んでいたり、楽し気に大笑いしてたり。

 でも、描かれるのはいつも笑顔とは限らない。ツンと気取った表情だったり、ちょっと斜に構えた表情だったり、気合いの入った表情だったりというのもある。

 その時その時の客の気分を読み取り、絵の具に乗せて表してゆく。


 だから、リピーターも少なくないという。

 大きな転機の後に再び絵を頼みにきたという客もいたし、辛かった時期に幸せそうに笑っている絵を描いてもらったのが励みになったと言って何度も通っている客も居るそうだ。


 彼の描く似顔絵は、姿形を描くだけじゃなく、客の心やその背景にまで思いを馳せながら描かれているのだと思う。


 彼の真剣な、そして優しい眼差しをよく知っているから、私にはわかるんだ。




 のっぺらぼうだった顔に瑞々しい表情が描き出され、細かい陰影や背景などが加えられる。

 絵の中の人物は、描いている最中の会話に出て来た物を持っていたりする。たとえば、好きな動物だとか、鞄についている小さなぬいぐるみだとか、誕生日プレゼントでもらった花だとか。

 今座っている小さな女の子は、ついさっき割れてしまったという赤い風船を書き加えてもらい、とても喜んで目を輝かせている。


 そういうちょっとした工夫が、その絵をより特別な一枚にしてくれるのだ。



 描き上げた絵を団扇で扇いで乾かすと、ビニールの封筒に入れ、さらに薄い紙袋に入れて手渡す。

 彼は、「ありがとうね。また来てね」と笑顔で女の子の頭を撫でる。


 女の子の母親が礼を言い、ふたりは嬉しそうに手を繋ぎ立ち去っていった。途中で何度も振り返り、大きく手を振りながら。彼もその度に、手を振り返している。


 そんな姿を眺めているだけで、私はこんなに幸せな気持ちになる。




「こんにちは」


お客さんの姿が見えなくなったのを見計らい、声をかけた。



「おお、清水さん。いらっしゃい」

「賑わってますか?」


 彼はハハハ、と笑った。笑うと急に目尻が下がって笑い皺が出来、優しい顔になる。


「おかげさまで。いつも差し入れありがとうね」

「やだ。たかだかジュース一本とかだよ」

「たかだか、じゃないよ。嬉しいし、美味しかったし」


 絵筆を丹念に洗いながら、彼は椅子を勧めてくれた。周りを見回し、客の居ない事を確認して座らせてもらう。


「今日も買い出し?」

「うん。そんなとこ」


 ここに寄る口実に、近くにある大型手芸店に買い出しに来ていることにしてあるのだ。


「今ね、和裁の課題で……」

「わさい?」

 大月くんは筆に残った水を拭き取る手を止めた。


「あ、うん。洋裁、和裁の和裁。浴衣を縫ってるの」


「浴衣かぁ、いいねえ。ね、なんか『洋裁和裁』ってかけ声みたいじゃない?ヨゥッサーイ!ワッサーイ!って」

「ああ……ヤーレンソーランみたいな?」

「あはは! そうそう!」


 筆を振り回しながら、楽しそうに声を上げて笑う。


 なんて無邪気な笑顔なんだろう。

 普段あまり笑わない人だけど、笑う時には本当に楽しそうに笑うので、こちらもつられてしまう。


「やあ、なんかいいな。この感じ。ホムセンのバイトの時もさ、こういう下らない会話でよく笑ってたよね」



………あああ、どうしよう。大月くんが、何年も前の私との会話を憶えててくれてる。しかも「いい」って言ってくれてる……

 それだけで幸せ過ぎて、頭のてっぺんが痺れてきた。


「なんつーか、打てば響く感じ?俺、清水さんの言葉のセンス、なんか好きだわ」



 私は鼻血を噴きそうになった。




† † †





 ああ、頭がふわふわする。


 なんてこと。なんてこと。

 ワタクシは今日……なんと、大月くんと、お食事をしてしまいました。

しかも、ふたりで!! ふたりっきりで!!



……だめだ。誰かに話さないと、このまま部屋の窓から飛び降りて100キロぐらい走っちゃいそう。アヤさん、時間あるかな……





† † †




「しかもね、奢ってもらっちゃったの! 私も半分出すって言ったんだけどね、『一応社会人ですから』だって」

「あー……」


「でね、『逆にファミレスなんかでごめんね。俺、シャレた店とか知らなくて』って。ねえ、謝る必要無くない? それに、お洒落な店を知らないって、遊び人ぽくなくて逆に素敵だよね!」

「んー……」


「でね、昔話したこととか、結構憶えててくれてね、でねでね、ワッサーイとか」


「あー……ちょっと待て。一回落ち着きなさい。アンタ声でかいから。声が割れて耳が痛いし。深呼吸して……そうそう。興奮してるのだけは電話越しでもよくわかったけど、何言ってるかわかんないから。大体ワッサーイって何よ」


「だからね」

「最初から、落ち着いて、順番に」


「……はい」




 私は精一杯心を落ち着けて、今日起きた事を話した。

 いつもの様に似顔絵屋さんで少し話して、時間があるかって聞かれて、夕方待ち合わせして食事に行って……


「ふんふん……で、彼は何を食べたの?」

「え? えーっと……ハンバーグの何か。そうだ、ハンバーグとミックスフライセットだ」


「なるほど。じゃあ、洋食系もイケルわけね」

「……うん?」



「鈍いわね、まったく。リサーチよ、リサーチ。一緒に食事なんて、リサーチの大チャンスでしょ? ……この間の飲み会では確か、唐揚げとピザとししゃもをモリモリ食べてたのは憶えてる。アンタは?」


「私は、えっと……緊張してあんまり食べられなかったから」

「あんたが食べた物じゃなくて、大月くん!! 憶えてない?」


「うぅ……憶えてないです……」

「でしょうね!!」



だってぇ……そんな余裕無かったんだもん。そこまで冷静に観察出来てたら、こんなに苦労してないよ……


自分の不甲斐なさに若干気落ちした私に、アヤさんは衝撃的な提案、いや、指令をを下した。



「よし、お弁当作れ。そろそろいいでしょ」




† † †




 高い。いきなりお弁当とか、ハードルが高すぎる。

 私はそう言って尻込みしたけど、アヤさんに怒られてしまった。


「いつまで片思い続けるの? また目の前でかっ攫われてもいいの?」



 ちょっと話し掛けづらい雰囲気はあるものの、ただでさえ男前。副業とは言え客商売をやって、昔よりは人当たりも良くなってる。

 性格も……まぁ、ちょっとアレだけども、悪くない。

 リピート客の中に、彼に好意を持ってる女性が居ないと言い切れる? すごいアグレッシブにアタックされたら、受け入れないと言い切れる?



 畳み掛ける様なアヤさんの言葉に、私は打ちのめされた。そう言われると、言葉もない。

 確かに彼には、高校のときに猛アタックしてきた女子に押されて付き合ったという前科(?)があるのだ。


 性格云々について抗議しようかとも思ったけれど(アレってどういう意味よ)、それはとりあえず置いておいて。

 私は、決意した。やる。やります。お弁当、作ります。



「よろしい。もう少し暑くなってきたら、お弁当作戦は危ないからね。食中毒的な意味で。あんた料理は上手いんだから、今のうちにさっさと胃袋掴んじゃいなさい」





______________________________________

<オマケ>


アヤ「で? ワッサーイって、結局何なの?」

恵流「あ、あのね! ヨゥッサーイ!ワッサーイ!ってね……ぷっ!うぷぷぷあははは!」

アヤ「なんかもういいわ」



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