第2話 魔法のある世界
ケントが目を覚ましたのは暗い森の中だった。
全身を襲う鈍い痛みが、徐々にケントの意識を覚醒させた。
思考がだんだんとまとまりをもってくる。
そうしているうちにふと、胸の奥から湧き上がる感情を感じた。
(あの野郎、許さないからな・・・)
(・・・あの野郎とは、誰だろう。うまく思い出せない)
(あれ、俺は誰だ?)
ケントはあたりを見渡した。しかしながら、生い茂った木々に遮られ、詳しいことはよくわからない。
ズキズキと痛む後頭部に手をやりつつ、ケントはその場から立ち上がった。
そしてふと、違和感を覚えた。視線がやけに低いのである。
ケントは自分の四肢に目をやった。
そこで彼が見たのは、自分の知っているものよりも明らかに小さい手足――もしくはおててとあんよと表現されるかもしれない――だった。
そうして気づいたことがもう一つ。
それは足を見た時に気が付いた。
それを見たケントは、かなりの衝撃を受けた。
そしてその後、羞恥心がこみ上げてくる。
自分のよく見慣れたモノも、かわいらしくなっていた。
――つまりは全裸だった。
ケントの困惑がピークに達した。
自分の名前がわからない。なぜこんな夜中にこんな場所に裸でいるのかもわからない。
そもそも、なぜ体が縮んでいるんだ。
様々な思考がケントの頭を駆け巡る。
そして、ケントのキャパシティが上限に達しかけたその時――
背後から、音が聞こえた。
嫌な予感がした。全身が総毛立つのを感じた。
俺の勘違いであってくれと、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには1匹の小柄な、イノシシのような獣がたたずんでいた。
暗闇に同化するような暗い色の毛、口の横に小さく生えた2本の牙が、暗闇の中で妖しく光っている。
獣は鼻息荒く、ケントのほうをみていた。
(まずい!)
ケントが横に大きく飛んだのと、彼のいた場所を猛スピードで獣がかけていったのはほぼ同時だった。
標的にタックルをよけられたイノシシの獣は、そのまま勢いをおとすことなく直進し、正面にあった木にぶつかって――
――その木をなぎ倒した反作用によって静止した。
「ッ!?」
ケントが声にならない驚愕の悲鳴を上げた。
ザザザと、獣に倒された木が、ほかの木々の葉を薙ぎ払いながら倒れていく。
イノシシの獣は再びケントのほうへ向きを変え、間合いを測るようにしてひづめを地面にこすりつけていた。
こんなことはありえないと、ケントは胸中で叫んでいた。
しかしそれは、ケントのもといた世界でのこと。
しかしそれは、ケントの今いる世界ではよくあること。
獣の正体は、この世界では魔獣と呼ばれる、世界に広く分布している魔物である。
ケントが出会った個体はまだ子供であるが、成体は人間よりもずっと大きくなり、2本の猛々しい牙にこめられた魔力であらゆるものを蹴散らす、人類に害なす存在である。
魔獣が低く身をかがめた。
来る、とケントにはわかっても、避けることはできそうになかった。
最初の一撃を大きく横に飛んで躱したケントはそのまま転がり、しりもちをついていた。
どうやら右足首も痛めたらしい。回避は絶望的だ。
しかしながら、ケントの顔は不安というものをあまり感じさせなかった。
むしろどこか、不敵な笑みを浮かべている。
胸が高鳴るのを感じた。
(きっと俺は、ずっとこういうときを待っていたんだ)
それは胸の奥底に刻まれた想い。
記憶が失われてしまっても、彼の心の中に残り続けたもの。
――男に生まれたからには、血沸き肉躍る冒険に出たい
――剣と魔法の世界で、思う存分暴れたい
イノシシの魔獣がこちらに突進してくる。
先ほどよりも距離が離れていた分、ずいぶんと速さと威力が増しているように思える。
ケントは右手を魔獣に向けて突き出し、告げた。
「エクスプロージョン」
それはケントが子供の頃から10年以上にわたり、何度も繰り返してきてポーズであり、何度も繰り返してきた呪文であった。
そのたびに何も起こらない現実に嫌気がさしたが、今は違う――
胸の奥に秘めた熱い思いが、魔力の奔流となって右手から放たれた。
空間が爆ぜた。
音を置き去りにして、まばゆい光がはじけた。
数舜遅れて、爆炎があがる。
ケントが放った魔法は、この世界では原始魔法と呼ばれるものだった。
この世界ではファイアと呼ばれる初歩的な魔法だ。
しかし、元の世界では決して発揮されることのなかった、高い魔法適正を持つケントが放ったそれは、魔獣を消し炭にし、背後の木々までをも焼き払った。
だが、幼いからだで、不安定な態勢から繰り出された技術の伴わない、全魔力を注ぎ込んだ魔法は使用者の体を傷つけた。
十分な指向性の確保されなかった爆風はケントにも襲い掛かり、その小さな体を吹き飛ばした。
ゴロゴロと地面を転がり、背後にあった木に打ちつけられた。
右手がヒリヒリと痛むのは、おそらく爆風によって火傷を負っているからだろう。
しかしながら、ケントの顔は恍惚としていた。
「あぁ、これが魔法かぁ」
ケントは薄れゆく意識の中、初めての魔法の喜びをかみしめていた。
Lost Memory みなと @mintia717
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