散華

「傾注! カルーニア議会代表の一、末席――」


 大部屋に踏み入った傭兵・カルーニア兵混合部隊の指揮を執るヘィベルが、役人連中と代表キリーシに向かって勧告を行っている。ミネアはそれを聞き流しながら、東の傭兵部隊を掻き分けた。

 革鎧の下に着込んだ衣服が蠢く。


「不味いぞ、ミネア。ヴィシルダの奴が火を用意してる。俺の弱点がバレてるのかも。今、目があったぜ」

「分かってる」


 傭兵たちの足元をすり抜けたミネアは、最前列に陣取るハンナの背を突いた。


「お姉様、相手にヴィシルダが居るとは聞いていません。それに、第三隊の隊長は“イーテ”を持つと聞きます。大事を取って後方に――」

「ミネア」

「――ッ!」


 振り向いたハンナと、見上げるミネアの視線が交わる。欲に由縁する闘争の光。ハンナの眼に宿っていたのは、まさしくそれであった。ミネアは全てを察してしまう。

 淡白な声音で、ハンナは尋ねた。


「隊長とは、あのデカブツか?」

「……はい」

「手出し無用。でやる」


 くろがねより強固なハンナの片意地。ミネアは潔く身を引く決心を固めた。

 ――それが、お姉様の望みならば――それより間を置かず、「者共、掛かれ!」との号令がヘィベルより発せられ、東西の傭兵部隊が孕む血気は最高潮に至った。


 北方の壁を背にし、半円を描く陣を構えた第三隊ジェシィ・ラ・タートゥに、傭兵たちが殺到してゆく。南のカルーニア兵は動かない。まずは捨て駒の尖兵をつかわし、ある程度の露払いをさせるつもりなのだ。

 それを承知の上で、傭兵部隊は立っている。敵兵の首一つで、山程の金貨を手に出来る実入りの良い仕事。報酬に目のくらむ彼らは、金の山を他に取られまいと焦る。


 ――焦ってしまう。


 半円の中央に突出とっしゅつするイライザは、その長身と同等の鉄槍を悠然と構えた。正規兵の隊長職である彼と、いち傭兵に過ぎぬおのれ、彼我の戦力差は歴然だ。数瞬だけ立ち止まり、一呼吸ほどでも間を取れば、死地に踏み込む前に理解出来た筈である。


 ちっぽけな俺たちが、こんなデケェ奴に勝てるわけねェ、と。


 鉄槍の刃が鈍く光る。これは嘗てイライザが隊長職を拝命した折、時の大隊長より餞別せんべつとして賜りし大業物おおわざもの。柄は上下全てに他国からせしめたくろがねを用い、カルーニアの熱気が手を焼かぬ様、保護の目的でコールファの革が惜しげも無く巻き付けられている。

 巨人の身をもってしても、生半可な力では構える事すら困難な柄の直径と重量から――この鉄槍は【巨鉄の槍クブ・ロ・デ・クキ】と銘打たれていた。


 イライザの右に構えられた鉄槍が、遥かな巨躯長身と並び立つが故に、傭兵たちはそれがあたかも短槍の様に錯覚する。れども、その錯覚は彼我の距離が縮まり、寄れば寄る程に薄れざるを得ない。

 見上げねばならぬ程の巨躯、ならば――必然、その右隣に立つ槍も――

 この戦場に生まれた間断に至って、ようやく、傭兵たちは背に走る悪寒を感じ始めた。だが、此処は既に死地である。


 鉄柄の中程を掴む丸太の様な右腕が、緩慢かんまんに揺れ動いた。だが、此れもまた彼らの錯覚。死地の一、二歩後方に居た傭兵の眼には、鈍色の刃が光を反射する扇状の軌道だけが映った。


 一振り、そのたった一振りに、大挙して押し寄せる波は氷付き、戦の喧騒は一時途絶える。イライザが取った攻撃行動は鉄槍を用いた一振り。だが、これを斬撃、薙ぎの類と称するには、些かばかり豪快に過ぎた。

 鉄槍の軌道上に存在した障害物は、その材質を問わず“かれ”、現世から完全に消失。壁や床に叩き付けられる事も無く、空気中の霞と成り果てた。


 イライザの前面が扇状に弾けた瞬間、第三隊と傭兵部隊の戦意が逆転した。

 ――こんなデケェ奴に勝てる訳が無い!――傭兵たちに走るおそれは大きな隙を生み、蹈鞴たたらを踏んだ者から第三隊の兵に頭をかち割られる。

 東西の傭兵は尖兵の役割を果たせず、唯一人の戦果も挙げぬ儘に崩れた。


 その様に、ヘィベルが舌打つ。

 ――何と情けの無い者共か!――判断の早い者、後方に陣取っていた者などは、既に逃げの一手を打ち始めている。それに触発されて残りの何割かが後退り、やがて、その波は傭兵全体へと広がった。


 地団駄を踏んだヘィベルが、正規兵に激を飛ばそうとした時、突如として後退する傭兵の一角が円形に弾けた。第一陣が退けられ、双方共に弛緩した空気の中、崩れ落ちる傭兵の中心に血染めの華が開花した。

 しくも大部屋の中心でもあった場に、ハンナは悠然と構える。右腕うわんそなえたるは帝国由来の直剣。左腕さわんそなえたるは大陸伝来の曲刀。意匠いしょうの異なる二振ふたふりの剣を携え、呉藍くれないの華は大胆不敵に媚笑ほほえんだ。


 時は圧縮され始める。


 重圧の吹き荒れる大部屋に、イライザとハンナは互いの存在を認め合った。その稟性ひんせいを尊重する事で、互いの取る攻撃的行為がどれも必殺である事を確認する。


 ――何と天に近き者か――

 ――何と地に近き者か――


 ハンナに向かい立つイライザの身長みたけは、黒の大剣を柄まで突き入れて、なお有り余る長身である。

 ――せき褐色かっしょくの皮に詰ま込まれた肉塊!――果たして愚息を挿入せしめた刻、それは如何なる感触を手に返すのだろうか。否応無く、ハンナの欲は掻き立てられた。


 イライザに向かい立つハンナの心中は、火を伴って見下ろす眼力で、赤裸々に見透かされている。

 ――出さざるを得ないか、俺の悪縁イーテ――武士もののふ然とした佇まい、そしてその精神の立脚は、確固たる“力”に裏付けされている物だ。色を見れば分かる、雑兵では無い。


 戦場いくさばの緊張張り詰める刹那、イライザは動かない。先と同様、右に鉄槍を構え、全身で挑発の詩を謳い上げているのだ。

 ――挑戦して来い――と、何たる不遜、ハンナの胸は高鳴った。


 冷え切った夜に、だる様な熱気が巻き起こる。それに引き摺られ、火蓋を切り落とす役目を担ったのは、数瞬で我慢の限界を迎えたハンナだった。二振ふたふりの意匠、更には、今か今かと抜刀を心待つ黒の大剣を胎内に構え“三刀流”となったハンナは、低く身を屈めて踏み込んだ。


 時を同じくして、第三隊の一兵卒、緑眼りょくがんを持つリザードマンだけが、その変化を捉えていた。イライザの頭上、虚空に練り上げられて行く縁の塊を。

 ――あれが隊長の悪縁イーテ! 見るのは初めてだ――縁塊えんかいは頭部程の大きさとなり、これにて核の形勢段階を終えた。次段階、熱気を孕む塊が周囲の空気を取り込み始める。すると、塊は瞬時に膨らんだ。


 次の瞬間――膨らんだ塊が弾ける。ハンナの眼が見開かれ、口角が釣り上がった。突如として、縁覚を持たぬその他大勢の前に、“それ”は圧倒的な存在感と身を焦がす熱を携えて、現出せしめた。


 《炎塊えんかい


 えんの塊はえんの塊となり、迫り来るハンナを燃え落とさんと矢の如く放たれた。猪突猛進を信条とするハンナだったが、生命として備わる生存本能が無意識に回避を選択する。右に横っ飛び、視界に広がる一面の赤色へ、左の曲刀をぶち当てた。


 軌道を逸らす、或いは叩き落とす為の試みであったが、刀身を伝い、左腕に広がる嫌な感触がハンナの皮膚を粟立てる。

 ――失態か!?――イライザの蔑み混じりの笑みを視界の端に捉え、そう思考するも、事実は少しばかり異なっていた。

 床への着弾でも同様の事象は起こり得たのだ。むしろ、途中で軌道にずれが生じた事で、被害の軽減に繋がっていたのかもしれない。


 炎塊えんかいの核に到達した曲刀は、核となりて凝縮されていた熱気の“膜”を破っていた。


 断面から漏れ出た熱気が近傍きんぼうに立つハンナを襲い、その左半身を焦がす。直後、炎塊が大部屋の床に着弾するや否や、詰め込まれていた熱気の全てがぶち撒けられ、床にひしめく絨毯じゅうたんと毛皮へ炎を這わせた。


 渦中の二名を除く者は、之により戦闘への干渉が困難となった。干渉どころか、吹き上がる火の手に逃げ惑うので精一杯なのだ。イライザは自らの分厚い皮膚に対する驕りから炎に踏み込み、ハンナはじくじくと痛む全身を無視して立っている。


 何故、気付かなんだか、ハンナはおのれを叱咤した。イライザの頭上では、次弾の装填が既に始まっており、その気配は揺らめく陽炎かげろうに見て取れる。前兆は合ったのだ、然し、ハンナは見過ごした。

 剣撃が“失態”なのでは無い、これこそが“失態”なのだ、そう肝に銘じながらも、ハンナが浮かべるは喜色の笑みだった。


 赤熱し、左腕を焦がし続ける曲刀を投げ捨てる。軋む左半身を強引に捻じ曲げ、掘っ建て小屋より持ち出したガロアの直剣、その剣身を掴んだ。


 ――巨人よ、私が死んだら腹にコーミュでも詰め込んで焼いて食え!――


 両の掌に血が滲む程に剣身を握りしめ、そのきっさきを自身の腹部に押し当てた。


 ――割腹かっぷく自刃じじんあらず、勝利を齎す《儀式》なり!――


 切り詰められた時の中、ハンナは腹部に真一文字を描き出す。事を戦場に於かずとも、正気の沙汰とは思えぬ行動。しものイライザも口角を引き攣らせ、背後に垂れる冷や汗を自覚した。


 直剣が投げ捨てられる。これは、最早必要無い。

 ――度、抜いてやる――意気込むハンナの前に、次弾の炎塊が現出。二度目であるこれは予想済み、ハンナは間髪入れずに吶喊とっかんを開始した。無手による唯の吶喊か、否、ハンナの両手は真一文字のその奥に挿し込まれている。炎塊が放たれる直前、ハンナは臓腑のことごとくを引き千切り、イライザに向けて投擲した。


 視界に広がる一面の赤色に、イライザは無根拠な不安を抱く。

 ――狙うきは臓物か!? 身体しんたいか!?――だが、濁流の如き戦場の余勢よせいは、沈思黙考ちんしもっこうを続ける時間を与えてはくれない。イライザは地に近い方の身体は己で向かい打つとし、眼前に迫る赤色へ向けて炎塊を解き放った。


 この判断が果たして“正解”であったか、それは最早、誰にもわからない。宙に漂っていたハンナの臓腑は、炎塊の核を覆う膜を破るには至らず、燃え落ちた。だが、“空きっ腹”のハンナは驚くべき瞬発力で、既に、足元にまで迫っている。イライザは謎の既視感を抱きながら、右の鉄槍を振り払った。


 神速を以て振るわれる鉄槍。

 だが、ハンナがりし日に見た、あの“化物”の速さとは――


 たくらぶまでも無い!


 加之しかのみならず、ハンナは一度イライザの動きを目撃している。余裕すら感じる表情でハンナは跳躍した。その足元を、森羅万象しんらばんしょうかんとす禍々まがまがしきくろがねが空過する。飛び上がる媚笑ほほえみに、イライザの上体は仰け反った。


 ハンナが狙うは雁首がんくび。巨人の中ですら常識外れな図体のデカさ、並大抵では突き崩せぬだろう。

 ――だが、頭部潰されて生きながらえる者など居るか!?――否である、イライザとて頭部を喪失すれば、程無く死に至る。眼前にまで登り詰めた唐紅くれないの狙いに気付き、待機していたイライザの左腕が本能的に振り払われた。


 だが、遅い、遅すぎる。


 ――魯鈍ろどんめ!――

 右掌に発現した大剣は、華の右腕うわんと共に突き出された。


 苦痛に歪む顔、相反する、快楽に浸る顔。黒の大剣は皮膚を裂き、鼻骨、頬骨を突き抜け頭蓋骨へ到達、小脳と大脳を完全に破壊し、頭蓋骨を通り皮膚を破り抜ける。その様子は大剣を通じて、逐一、ハンナに在り在りと伝えられた。


 ――まこと、心地良き感触――浸るハンナは気付かない。苦痛に歪む顔にめ込まれた両瞳ひとみに、射殺さんばかりの怨念が籠められている事を。


 に恐ろしきかな、巨人の膂力りょりょく

 矮躯わいくの“人”を殺むるに、刀槍矛戟とうそうぼうげき無用むようと申すか。


 巨人の頭部へ突き出された右腕の下を、無風流な左腕が通過した。直後、イライザの瞳から怨念を含む有りと有らゆる光が薄れて行く。事態の顛末を徐々に飲み込むに連れ、ハンナの表情は喜色満面の笑みを形作った。

 頭部に突き刺さった大剣をそのままに、右腕から力が抜ける。


「……ククク、怪力美事みごと……」


 戦場いくさばに咲いた華は摘み取られた。


 空洞の腹部をかれたハンナは、現世げんせに残された上三分の一と下三分の一となり、地に落ちた。時を同じくして、イライザの巨躯が後方へうつろい始める。


 竜攘虎搏りゅうじょうこはくの死闘は《相討あいうち》の終幕と相成った。

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