信仰の叫び
酒宴の席は、陽が地平線に落ち切ると共に始められた。まず、ヴィシルダが
この大部屋に於いて、椅子の体をなす物はこれ以外には存在しない。
宴は、身分の貴賎を問わず、地面に広げた毛皮や
料理が全て持ち込まれ、最後にカルーニアの楽団が入室し三方の扉が施錠される。扉の外にはカルーニア兵が見張り、内はファート正規兵が、ヴィシルダの前には
カルーニアの楽団が軽妙な音色を奏でると、ぎこちなく固まっていた空気が、徐々に緩みを纏い出す。出席者の手がファートの料理と酒に伸び、場には少しずつ会話が生まれ始め、宴の喧騒が形成されて行く。
舌鼓を打つカルーニアの者達は、ファートの上等な馳走に気を取られながらも、ちらちら、とヴィシルダの様子を窺っていた。その何れも目の奥に野心を滾らせており、これを機に取り入ろう、気に入られよう、と必死である。
しかし、カルーニアに於いて、宴席を
その様な膠着にあって、宴席から起立した男が二名いた。座り込む人々の合間を縫ってヴィシルダへと歩み寄ったのは、カルーニア兵を纏める大隊長レオとエルフの
血の繋がった兄弟である彼らは、止事無き身分を用いてこの膠着を打破せしめんと、尖兵を務める腹積もりである。折角の宴、カルーニアの
ヴィシルダは座し、侍従の波を割る二人を迎えた。
「……エルフの
「よもや名を覚えて頂けるとは」
「其の方は?」
その呼びかけに応え、ティグリスの後方に控えていたレオが一歩進み出て、礼をとる。
「ティグリスが
「カルーニアのエルフは体躯が良いな。森の草花より、余程良い物を
チラ、と見上げたレオと、ティグリスの視線が交わり、互いに頷きあった。レオが口開く。
「カルーニアは海洋の国でありますれば、其れ故かと」
「海洋? あの海は――曰く『死の海』と聞くが?」
「魚も寄り付かぬ程、“塩”が濃いのでしょう」
「ふっ、成程な」
弛緩したヴィシルダの雰囲気を察知したティグリスは、レオに立ち替わり、二言三言の言葉を交わした後、座に戻った。会話の内容は宴の喧騒に紛れ、他の出席者の耳には届かなかったが、戻ってくる気色の良い二つの顔を見れば、実りの有る会話だった事は想像に難くない。
この流れに乗じようと、獣人、リザードマン、巨人の
大船に乗った気持ちで、ファートの料理を堪能するティグリスだったが、その愛しき
「レオ、お前も食え。此の国の砂と塩より、
「
「ギ・ヘィベル」
「そう、其奴。奴が
「……否」
相も変わらずカルーニアは貧困に喘いでいるが、それでも当面の雑事には方が付いた。首都イェートの開発に関しても、既に完成図は共有済みであり、これ以上詰める所はほぼ無い段階にまで来ている。
ティグリスを含めた四名の
「ヘィベルの奴は確か……『やり残した仕事がある』と言っていたが……」
「それを鵜呑みに?
「……あの王子の事以外、頭には無かった」
嫌な予感が脳内を直走る。顔を見合わせたエルフの兄弟は、どうにも、嫌な予感が尽きなかった。
カルーニアを炎熱足らしめる太陽は沈んだ。照り付ける
予感は、間も無く現実の物となる。
始まりを告げたのは、闇夜を切り裂く断末魔の悲鳴と、
扉の内に構えていた数名のファート正規兵が踏み潰され、土煙が吹き込む。南扉からは、カルーニア兵装の長槍集団が雪崩込み、東西の扉には粗末な布と剣の集団が押し寄せた。
浮足立つ役人、色めき立つ
南に構えていたカルーニア兵の集団が左右に割れる。巻き上がる土煙の中から現れたのは、今宵、唯一の欠席者であるヘィベルの姿だった。大いに遅参せしめた彼は両手を突き上げ、肺腑を膨らませる。
「――傾注! カルーニア議会
突き上げられた手は勢い良く振り降ろされ、背後の南扉を指した。
「役人連中に用は無い! 南より去れ!」
床に広がる馳走は踏み荒らされている。出席した役人はあまりの急展開に面食らい、暫くまごついていたが、再度響いた「去れ!」と言う勧告に従い、おずおずと退室していった。
「カルーニアを転覆させる気か! ヘィベル!」
「否! 断じて否だ! 我々の目的は唯一つ! カルーニアの大地を何の配慮も無く踏み躙る、ヴィシルダ! 悠々と座す
南のカルーニア兵はその言葉に同調し、大部屋には
「そんな事をすれば、カルーニアは滅びるぞ!」
「笑止! 我々にはジャンミーの神々が付いている! さぁ、ここが歴史の分水嶺と心得よ!
「ジャンミーの戯言を真に受けたか……!」
ティグリスは後方の
暫くの沈黙の後、ヘィベルは心底残念そうな表情で嘆息を漏らした。
「……残念だ、有能なお前らを此処で処す事となるとはな。皆の者――」
「待って!」
大部屋の視線が一点に集まる。ティグリスの背後から、弾かれた様に歩み出た女性は、獣人の
「私はそちらに付くわ!」
「ベルム、貴様!」
――この女、安っぽい保身に走りおって!――レオが怒号を張り上げる。その叫びの中には、非難の色が在り在りと込められていた。しかし、ベルムは怯まなず、必死の形相で泣き喚く。
「レオ、周りを見て! 死んでしまうわ!」
「貴様! カルーニアが滅ぶぞ!」
「今、死んだら元も子もないじゃない!」
レオは歯軋りを抑え切れない。反対に、ヘィベルは諸手を挙げて、迎え入れる姿勢だ。
「よし、ベルム! 此方へ来い!」
その言葉に、ベルムはほっとした表情を見せ、ゆっくりと歩み始める。
レオの手が震えている。口中で軋む臼歯が、ピシリ、と音を立てた。
――分かっている、分かっているとも!――この時、レオはイライザの熱視線が、背に突き刺さっている事を勘付いていた。
果たしてレオが抜いたのか、それともイライザが抜かせたのか。レオの右手は剣の柄を引っ掴んだ。神速で抜き打たれた剣は、無防備に歩むベルムの背中へ吸い込まれてゆく。
大部屋に舞い散った鮮血に対し、顔を顰めたのは此の場に於いてヘィベルただ一人だった。
レオは咆える。己と、背負う者へ向けて。
「カルーニアの興廃は此処に在る! 俺に背を見せてみろ! 例え
決裂を見て取ったヘィベルは、狂気の入り混じる信仰の中、激した。
「者共、掛かれ!」
「ヴィシルダ王子を守護しろ!」
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