信仰の叫び

 酒宴の席は、陽が地平線に落ち切ると共に始められた。まず、ヴィシルダが心許こころばかりの礼を述べ、無礼講を宣言。東、西、南にそれぞれ位置する扉から、侍従に料理を運ばせた。カルーニアの者達が料理に気を取られたのを見て、ヴィシルダは大部屋の北に用意させた上座に腰掛ける。

 この大部屋に於いて、椅子の体をなす物はこれ以外には存在しない。


 宴は、身分の貴賎を問わず、地面に広げた毛皮や絨毯じゅうたんに座してみ交わすが、カルーニアの習い。ヴィシルダはそれを受け入れたが、自らは共に座する気など無く、「主催者はかみ御座おわすがファートの習い」と強弁にて押し退けた。


 料理が全て持ち込まれ、最後にカルーニアの楽団が入室し三方の扉が施錠される。扉の外にはカルーニア兵が見張り、内はファート正規兵が、ヴィシルダの前には第三隊ジェシィ・ラ・タートゥの面々とニヴァーリが座し、警備は万全に近い状態である。ヴィシルダ本人も壁を背にし、回りには兵と侍従を侍らして何時でも肉壁として利用できる構えだ。


 カルーニアの楽団が軽妙な音色を奏でると、ぎこちなく固まっていた空気が、徐々に緩みを纏い出す。出席者の手がファートの料理と酒に伸び、場には少しずつ会話が生まれ始め、宴の喧騒が形成されて行く。


 舌鼓を打つカルーニアの者達は、ファートの上等な馳走に気を取られながらも、ちらちら、とヴィシルダの様子を窺っていた。その何れも目の奥に野心を滾らせており、これを機に取り入ろう、気に入られよう、と必死である。

 しかし、カルーニアに於いて、宴席を卒爾そつじに歩き回る行為はあまり好ましくない。土埃が舞い、料理の風味を損なうからだ。主催はファートのヴィシルダ王子なれど、この宴はカルーニアの形式を取っている。その気を害しては台無し。彼らは挨拶すら出来ずにいた。


 その様な膠着にあって、宴席から起立した男が二名いた。座り込む人々の合間を縫ってヴィシルダへと歩み寄ったのは、カルーニア兵を纏める大隊長レオとエルフの代表キリーシティグリスであった。

 血の繋がった兄弟である彼らは、止事無き身分を用いてこの膠着を打破せしめんと、尖兵を務める腹積もりである。折角の宴、カルーニアのしがらみで客人に退屈な思いをさせまい、との心意気だ。

 ヴィシルダは座し、侍従の波を割る二人を迎えた。


「……エルフの代表キリーシ、ティグリスであったかな」

「よもや名を覚えて頂けるとは」

「其の方は?」


 その呼びかけに応え、ティグリスの後方に控えていたレオが一歩進み出て、礼をとる。


「ティグリスが直弟じきてい、カルーニア大隊長レオ」

「カルーニアのエルフは体躯が良いな。森の草花より、余程良い物をしょくすと見ゆる」


 チラ、と見上げたレオと、ティグリスの視線が交わり、互いに頷きあった。レオが口開く。


「カルーニアは海洋の国でありますれば、其れ故かと」

「海洋? あの海は――曰く『死の海』と聞くが?」

「魚も寄り付かぬ程、“塩”が濃いのでしょう」

「ふっ、成程な」


 弛緩したヴィシルダの雰囲気を察知したティグリスは、レオに立ち替わり、二言三言の言葉を交わした後、座に戻った。会話の内容は宴の喧騒に紛れ、他の出席者の耳には届かなかったが、戻ってくる気色の良い二つの顔を見れば、実りの有る会話だった事は想像に難くない。


 この流れに乗じようと、獣人、リザードマン、巨人の代表キリーシも我先にと挨拶に向かい始めた。その背を眺めつつ、「我先に」と機を窺う役人連中も居る。これで手隙になる事は無いだろう、とティグリスは胸を撫で下ろした。

 大船に乗った気持ちで、ファートの料理を堪能するティグリスだったが、その愛しき汝弟なおとレオは、何処か浮かない面持おももちである。


「レオ、お前も食え。此の国の砂と塩より、美味うまかろう」

兄御あにご、そりゃ、たくらぶべくもない。……然し、ゴブリンの代表キリーシ、名は何と言ったか」

「ギ・ヘィベル」

「そう、其奴。奴が何故なにゆえ出席を拒んだか、俺にはとんと分からんぜ。此頃このごろせわしい時節か?」

「……否」


 相も変わらずカルーニアは貧困に喘いでいるが、それでも当面の雑事には方が付いた。首都イェートの開発に関しても、既に完成図は共有済みであり、これ以上詰める所はほぼ無い段階にまで来ている。

 ティグリスを含めた四名の代表キリーシが出席を表明したのは、ヴィシルダ王子の覚えを少しでも好意的な物にしようと言う、涙ぐましくも切実な動機からだ。それはヘィベルとて同じ筈。この接待より大事な用など、果たしてあるだろうか。悩みを打ち明けたレオに釣られて、ティグリスも思考の海に沈み始める。


「ヘィベルの奴は確か……『やり残した仕事がある』と言っていたが……」

「それを鵜呑みに? どんしたか」

「……あの王子の事以外、頭には無かった」


 嫌な予感が脳内を直走る。顔を見合わせたエルフの兄弟は、どうにも、嫌な予感が尽きなかった。


 カルーニアを炎熱足らしめる太陽は沈んだ。照り付ける輻射ふくしゃ熱は既に無いのだ。大地は自ずと冷気を纏い始め、やがて、天と共に活動を停止する。地に這う矮小な者共に、不可抗の身震いを呼び起こす“夜”の到来だ。


 予感は、間も無く現実の物となる。


 始まりを告げたのは、闇夜を切り裂く断末魔の悲鳴と、宴安えんあんの喧騒を塗り潰す怒号だった。絶え間なく続いていた楽団の手を遮る様に、三方の扉は同時に蹴り破られた。

 扉の内に構えていた数名のファート正規兵が踏み潰され、土煙が吹き込む。南扉からは、カルーニア兵装の長槍集団が雪崩込み、東西の扉には粗末な布と剣の集団が押し寄せた。


 浮足立つ役人、色めき立つ第三隊ジェシィ・ラ・タートゥとファート正規兵の面々。間に非戦闘員を挟み、場は張り詰めた糸の様な緊張に満ちた。

 南に構えていたカルーニア兵の集団が左右に割れる。巻き上がる土煙の中から現れたのは、今宵、唯一の欠席者であるヘィベルの姿だった。大いに遅参せしめた彼は両手を突き上げ、肺腑を膨らませる。


「――傾注! カルーニア議会代表キリーシいち末席ばっせきカルーニア・ギ・ヘィベルである!」


 突き上げられた手は勢い良く振り降ろされ、背後の南扉を指した。


「役人連中に用は無い! 南より去れ!」


 床に広がる馳走は踏み荒らされている。出席した役人はあまりの急展開に面食らい、暫くまごついていたが、再度響いた「去れ!」と言う勧告に従い、おずおずと退室していった。

 伽藍堂がらんどうとした大部屋の隙間を埋める様に、じりじり、と間合いが狭まっていく。高まるいくさの空気に触発され、ティグリスが前に出た。


「カルーニアを転覆させる気か! ヘィベル!」

「否! 断じて否だ! 我々の目的は唯一つ! カルーニアの大地を何の配慮も無く踏み躙る、ヴィシルダ! 悠々と座す怨敵おんがたき! 彼奴めに頭を垂れるなど真っ平、御免被る!」


 南のカルーニア兵はその言葉に同調し、大部屋には鯨波ときのこえが湧き上がる。地鳴りの様な響きに包まれて、ティグリスは苛立ち混じりに声を張り上げた。


「そんな事をすれば、カルーニアは滅びるぞ!」

「笑止! 我々にはジャンミーの神々が付いている! さぁ、ここが歴史の分水嶺と心得よ! 此方こちらに付くなら今ぞ! 悪いようにはせん!」

「ジャンミーの戯言を真に受けたか……!」


 ティグリスは後方の代表キリーシ達の反応を見遣った。ここまでだいそれた行動を取っているのだ、事は用意周到に進められた筈、何人かは既に向かう側かもしれない、と。しかし、代表キリーシたち三名の狼狽えきった表情を見るに、根回しの類がなされた形跡は見て取れない。

 暫くの沈黙の後、ヘィベルは心底残念そうな表情で嘆息を漏らした。


「……残念だ、有能なお前らを此処で処す事となるとはな。皆の者――」

「待って!」


 大部屋の視線が一点に集まる。ティグリスの背後から、弾かれた様に歩み出た女性は、獣人の代表キリーシベルム・レイターだった。切羽詰まった表情の彼女は、即座に言葉を紡ぎ出した。


「私はそちらに付くわ!」

「ベルム、貴様!」


 ――この女、安っぽい保身に走りおって!――レオが怒号を張り上げる。その叫びの中には、非難の色が在り在りと込められていた。しかし、ベルムは怯まなず、必死の形相で泣き喚く。


「レオ、周りを見て! 死んでしまうわ!」

「貴様! カルーニアが滅ぶぞ!」

「今、死んだら元も子もないじゃない!」


 レオは歯軋りを抑え切れない。反対に、ヘィベルは諸手を挙げて、迎え入れる姿勢だ。


「よし、ベルム! 此方へ来い!」


 その言葉に、ベルムはほっとした表情を見せ、ゆっくりと歩み始める。


 レオの手が震えている。口中で軋む臼歯が、ピシリ、と音を立てた。

 ――分かっている、分かっているとも!――この時、レオはイライザの熱視線が、背に突き刺さっている事を勘付いていた。

 果たしてレオが抜いたのか、それともイライザが抜かせたのか。レオの右手は剣の柄を引っ掴んだ。神速で抜き打たれた剣は、無防備に歩むベルムの背中へ吸い込まれてゆく。


 大部屋に舞い散った鮮血に対し、顔を顰めたのは此の場に於いてヘィベルただ一人だった。

 レオは咆える。己と、背負う者へ向けて。


「カルーニアの興廃は此処に在る! 俺に背を見せてみろ! 例え代表キリーシであろうと斬る!」


 決裂を見て取ったヘィベルは、狂気の入り混じる信仰の中、激した。


「者共、掛かれ!」

「ヴィシルダ王子を守護しろ!」

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