悪縁契り深し その2
紅眼を持たぬ者の視界には、ウォーフの奇縁など映っていない。或いは著しく視力に長けた者であれば、炎天の下に粟立つ白肌が見えたかもしれないが、見て取れる変化はその程度。
足早にガロアが距離を取り始めれば、彼らは名実共に二人きりとなる。取り決めや合図と言った類の遣り取りを、彼らは必要としなかった。潮風に靡き、視界の端をチラつく頭部の覆いを共に剥ぎ取り、共に鞘を投げ捨てる。
東方に
――俺を見ろ!――
そんな無言の咆哮を全身から放っているのだ。
西方に波飛沫を
カルーニアの炎熱に
数瞬の内に思考を巡らしたが、
悟ったような皮肉げな笑みと共に形作ったのは、消極的にも見える“受け”の
ギシリ、とカイマンの肉体が軋む。これは、カイマンの上半身、
何処までも愚直な剣。その姿勢から放たれる軌道が、ウォーフには手に取るように分かった。
――
――来る!――ウォーフが機を察すると同刻、カイマンは仕掛けていた。激昂した野生動物を想起させる爆発的な突撃。猛進するカイマンは引き絞られた右腕の前方に左腕を
――左腕を露払いとするつもりか?――だが、
――馬鹿な、届く筈が無い!――
――相手は彼のウォーフぞ――畳み掛ける様に更なる手を打つ。
猛暑のカルーニアにあって、不意に、空気が冷え込んだ。
この時、その発現を目撃出来たのは、遠巻きに視ていたガロアのみである。
ウォーフが背筋に走る薄ら寒い物を感じ取った時、“それ”は
激情を引き金に、欲望を体現する悪縁。
溜め切った力が開放される。彼我の距離は鉄剣の三、四倍。当然、剣先は届かない。
剛力に放たれた一矢は、地面と平行に乾いた空気を直走る。
――さぁ、奇しくもあの忌々しき夜と同じ構図だ、ウォーフ!――生きとし生けるものが生まれ持つ、“視神経の使用権限”を剥奪されたウォーフは、一切の光なき混乱の暗中で、残された四感に意識を集中させていた。
刹那――風切り音ッ!――受けの
カイマンの蜥蜴面が大きく歪んだ。
――アレを
――命中するや
リザードマン屈指の巨体が、森の
――まさか、あの夜の再現を!?――あの時はウォーフが両眼を抉り取った。だが、それは先にウォーフから仕掛けた為に、主導権を握る事が出来たが故である。このまま組み打たれては、筋力に劣るウォーフの敗北は自明の理。今、この瞬間にも衝撃に身を固めるウォーフの奇縁、打撃は効かずとも、絞めは効くのだ。
然し、ウォーフが立てた予想は
西方に広がるは一面のミシピ海――俺の記憶と方角が正しければ、だが! 場を海中へと移す腹か!――半ばに悟るも時既に遅し、抵抗虚しくカイマンの右脚が
不確かな浮遊感に包まれて、時間の感覚が引き伸ばされて行く。
――不味い!――その光景を知らぬウォーフは、
落下の瞬間、カイマンは抱えていた身体を地面との間に挟み込む。海面に押し付けられる物と思い、ウォーフは空中に身を捩るが、剛力の前に態勢の変更は叶わない。二度目の衝突。衝撃に反応した奇縁が発現した為、ウォーフに損傷の類は無い、
然し、ウォーフの奇縁には副作用が存在する。岩場に叩き付けられた脚部、腹部、胸部、頭部、
――これを待っていた!――痛む鱗の両脚に鞭が打たれる。カイマンは渾身の力で、ウォーフを海へ投げ入れた。
落下の衝撃に硬直していたウォーフは、海面へ投げ込まれた衝撃に又もや硬直。この機を逃してなるものか、カイマンは身に纏う布を素早く破り捨てた。その股座に一本の半
自重で沈み込んでいたウォーフが硬直から開放され、酸素を求めて顔を出す。そこへ、飛び込んだカイマンの膝が急襲。ウォーフは息継ぎも
ウォーフは海水を掻く。だが――
肺腑に息を取り込んだカイマンは、
締め落とす程に
――典型的な
海面より
――聴覚が、遠のく――引き込まれている方角が水底であろう、と察しは付くが、其れに対する解も、
鱗に伝わる抵抗の力は徐々に失われ、絡み合う一対の戦士は緩やかに沈んで行く。宛ら、安楽の揺り籠に乗せられた赤子の様に。
これは
――恐らくは《脱皮》――カイマンは、そう受け取った。
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