最終章 縁は異なもの味なもの

悪縁契り深し その1

 神はしん


 紛擾雑駁ふんじょうざっぱく赤子せきしは 阿吽あうんそよぎ 手繰たぐられる


 渦描く赤子は筒糸巻つついとまきかたどり 芯はやがて うつろへとおもむいた



第四章 縁結びの神様 (かみ) 完





最終章 縁は異なもの味なもの



 朝方、イェート西郊外の掘っ立て小屋にて、ハンナ、ミネアとそれに附属ふぞくするビジャルアは、薄暗闇の中に支度を整えていた。すやすや、と寝息を立てる男二人を起こさぬ様、気を使って静かに荷物を確認していく。最後にミネアが剣をこうと持ち上げたのだが、これを意図せず取り落としてしまい、小さく「あっ」と声が漏れる。慌てて反射的に革鎧の下に纏うビジャルアを殴ったが、寝惚けているのかその意図は伝わらず、触手は伸びない。

 床に転がった剣はもたいにぶつかり、カーン、と甲高い音が鳴り響く。甕の空洞に増幅した音は、場の静寂の助長もあり、ミネアの想像より遥かに大きな音であった。

 驚いたハンナが振り返ると、ミネアは身を竦ませ、器用にも小声で衣服に怒鳴り付けていた。


「びしゃびしゃ、てめぇ!」

「いきなり殴られてもわかんねぇよ」

「おいおい、あんまり騒ぐと――」

「……う~ん」

「うるせぇぞ……」


 ハンナの懸念は的中し、喧騒に反応した男二人が起き出してしまった。目を擦るガロアが、寝惚け眼にも鮮明に映る縁の先へ問いかける。


「……仕事? 今日は早いね……」

「ああ、実入りの良い仕事でな」

「……そうなんだ、今日は水汲み手伝ってもらおうと思ってたのに……。ん~」


 大きく伸びをしたガロアに、申し訳なさそうな表情のミネアが囁く。


「明日、明後日にやってやるです」

「そっか……。仕事、頑張って」


 ガロアはゆっくりと寝床から抜け出す。今のですっかり目が冴えてしまい、もう一度眠る気になれなかったのだ。ミネアは開き直ったのか音を気にせず、どたどたと出て行った。それに続いてハンナも出掛けようとするが、その途中、外に足を一歩踏み出した姿勢で凍り付いたように止まった。


「……ガロア」

「ん、なに?」

「……いや、何でも無い」


 ハンナは暫く口元を動かしていたが、結局、それが言葉となる事は無かった。ガロアは不思議そうな顔をして、出掛けるハンナを見送った。ドアから顔を覗かせて、首都への道を進む二つの背を見ていると、後方の膨らんだ寝床から締まりのない脱力した声が届く。


「……あ~、ガロア~、寒いから閉めてくれ……」

「ああ、ごめん」


 カルーニアの夜は酷く冷え込む。朝方である今も気温は低い。言われてから肌寒さを感じ始めたガロアは、身震いしつつ扉を閉めた。膨らんだ寝床の掛け布団が更に膨らみ、やがてゆっくりと持ち上げられる。

 ウォーフにも、二度寝する気は起きなかったのだ。


「……釣りにでも行くか? 水汲みは明日でもいいだろ。日が昇って暑くなる前にさ」

「う~ん、そうしよっか」


 二人は軽い朝食を手早く済ませ、準備を整え始める。釣りによく行く為か、先に準備を終えたウォーフは、ごそごそと背嚢を覗き込むガロアに呼びかけた。


「よし……と。終わったか?」

「ちょっと待って」


 ガロアは確認を終えた背嚢を横に退け、掘っ建て小屋の隅に乱雑に置かれた荷物の山を漁りだした。しかし、目的の物は中々見付からず、その表情はどんどん険しくなっていく。

 ウォーフがガロアの肩から覗き込む。


「何探してるんだ?」

「帝国から持ってきた剣……だけど、無いみたい」

「確かハンナの奴、剣を二本持って行かなかったか?」

「え? ホント?」

「そう見えたが」


 困ったな、ガロアは頭を抱えた。ガロアは普段剣を持たない。この国での帯剣は一般的ではない上、ジャンミー教徒でも兵士でもない“人”が剣を持ち歩けば、いらぬ諍いに発展しかねない。

 ハンナもそれを知っていたから無言で持ち出したのだろう。現に、ついさっきまで埃を被っていたのだ。仕方ない、ガロアは床板を外した。


「……それを持っていくのか?」

「動くかどうか、わかんないけど……」


 床板の下に隠していたのは、父親が残した小箱だった。ガロアの父がアンリの村に埋めた小箱。その中に収められていたのは、ファート正規兵に支給される“小筒”である。

 ガロアは小筒を取り出し、状態を確認してゆく。破損は無く、弾も数発分ある、問題はない……筈だ。

 ガロアが丁寧に箱の中へ小筒を仕舞い込むのを見て、ウォーフは口を挟む。


「俺はエルフだから帯剣してても目立たねぇ。少し物騒なヤツに見えるだけだが……」

「これぐらいなら隠し持てるから……大丈夫だよ」


 ガロアは背嚢に、小筒の入った小箱を詰め込んだ。


「……やっぱり、気になるのか?」

「うん」


 多縁の動きが怪しい事もそうだが、もう一つ、最近カルーニアを騒がす“ある噂話”の事もあった。ファートより謎の一団がソナァスに来航し、これを第三隊が護衛しているらしい。その一団は一昨日の晩に、まるで人目を忍ぶかの様に首都イェートに入ったらしいのだ。

 これがヴィシルダではないか? と、ガロアはそう思えて仕方が無かった。



 ガロアとウォーフは、ハンナとミネアが向かった首都の方角、東とは逆、西へ向かって歩を進めだした。カルーニアの住人に踏み固められた道は極平坦であり、それ程の労を要せず、五号地のほど近くにまで差し掛かった。ウォーフが何時も通う場所は五号地を横目に西へ行けばすぐだ。


 背後の東から、空が白み始める。


 朝の澄んだ、それでいて少し砂っぽい空気を吸い込んだガロアは、肩に担いだ釣り竿を握りしめた。西へ西へ、無言の健脚でひた歩く。その一歩を踏み締めるごとに、ガロアの肩に力がこもる。対し、隣のウォーフは極自然体のままに警戒を強めてた。


 断崖の岩場が近付く。

 痺れを切らしたガロアが、先に口を開いた。


「……ねぇ」

「分かってる」


 ガロアは縁に、ウォーフは戦士の第六感とも言うべき直感で、追手の気配を察知した。ウォーフの足が止まり、次いでガロアの足も止まる。

 息を吸い込み、二人が緩慢にも振り返れば、追手はそこに居た。誰に憚る事無しとばかりに、隠れる気配すら見せず、追手のリザードマンは仁王立つ。

 このリザードマン、嘗て暗闇のハイケス城にて、ウォーフが鼻先を切り飛ばし、両眼を抉り取ったカイマンその人であった。互いに互いの姿形を光ある下で直視したのは、これが初となる。


 ウォーフは眼の前のカイマンが暗闇の相手であった事を瞬時に理解した。


 しかし、ウォーフが確実に抉り取った筈の虚ろな眼下は、形容し難い怪しげな“光”で満ちている。

 現れた敵を前に、指示を仰ごうとガロアは隣を見遣った。事戦闘に関してはウォーフが経験豊富である故の選択。


「ウォーフ、どうすれば――」


 ガロアの紅眼こうがんが限界まで見開かれた。紅眼に反射したのは、熱くたぎるカルーニアの陽光を遥かに越える凌ぐ熱気を孕んだ、夥しい数の“鱗”であった。それらは揃って、さざ波のように波打ち、回遊魚の如くうねりうねってウォーフの全身を覆っている。


 光を返さぬ漆黒の炎。

 その蠢きが示す所を、ガロアは敏感に“視”て取った。


 それは――歓喜。目も眩むほどの喜びの感情なのである。


 分厚い鱗鎧から赤糸が伸びている。その縁は前方に仁王立つカイマンの鱗板りんばんへ向かっていた。

 徐々に膨れ上がる思いを抑えきれず、ウォーフは腰の剣に手を遣る。


「ガロア、お前は関係ない。下がっていな」

「そうだ。邪魔をしてくれるなよ」


 突き放すようなウォーフの言葉に、向かい立つカイマンが同調する。ガロアは、彼らが言葉通り止める事も助太刀も拒んでいる事を飲み込む。最終確認として、もう一度だけ意志を聞きたくもあった。


 しかし、もしも尋ねていたとして、彼らの耳に届いたかどうか。


 二人が作り出す“お互いしか存在しない世界”を見せ付けられて、ガロアは終ぞ口を開く事が出来なかった。

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