彼、彼女

 ヴィシルダと議会の面々が交わした言葉は格式張った儀礼的なものばかりに終始し、会談はあっと言う間に終了してしまった。

 議会としては、この場ですぐに通商航海条約を結べるとは思っておらず、此度はファートの意志確認と友好を深めるものと割り切っていた。それに加えて、アレス教とジャンミー教の犬猿けんえんもある。事は慎重の上にも慎重を期するべき、と消極的だった。

 ファートの使者を務めたヴィシルダ達の方は、というと、彼らも又同様の考えを抱いていた。ヴィシルダとしてみれば、面倒な交渉が無く助かった所である。こういった類は実の方の“父上”にでも任せておけば良いのだ、と投げ遣りに構えていた為、詳細を託した国王の話をあまり聞いていなかったのだ。


 道中に知り得た情報をもって、ヴィシルダは思量しりょうする。これはファートに取って必ずや損失を齎す話ではない。

 国内で消費される塩の大半を、ローレリアを始めとした諸外国からの輸入に頼り切っている現状、基本的に塩は割高である。この様な状況を憂いている家臣の声や、国民の陳情はヴィシルダの耳にも入っていた。そこに現れた安価での入手が見込める手、逃すのは惜しいとも感じる。

 条約の締結に付属する益はそれだけではない。

 カルーニアはどうやら大陸奥地の大国たちとファートとの中間で、中継地としての地位を狙っているらしいのだ。今まで、海を挟んだ国々とのやり取りは距離もあり、民草の間、特に商魂逞しい商人たちに限られていた。

 大陸の奥地では、山程の金銀財宝が地より湧き出る、なんて噂話をヴィシルダは聞いた事がある。これは眉唾物としても、交易路の確立は是非とも申し出たい所存だ。 何故なら交易路を通じて入ってくるのは物と金ばかりではない、人や知識も伴って流入してくるのだ。これらは必ずファートに良い影響を及ぼすだろう。ヴィシルダには確かな予感があった。


 しかし、問題もある。それはカルーニアの“貨幣”だ。

 首都イェートで主に流通しているのは、カルーニア独自の貨幣だが、これの造りが不味く『粗悪』の一言に尽きた。

 見た目こそ金色銀色で金貨銀貨の体を辛うじて保っているが、ファートの貨幣とは比べるまでもなく、薄汚く、くすんでいる。恐らく、“混じり物”の含有量が多すぎるのだろう、ヴィシルダはそう当たりを付けた。

 更に悪い事に、この貨幣の製造にもジャンミー教が関わっているらしいのだ。詳細は調査の続報を待たねばならないが、この問題を片付けない事には、真にファートの利益とはならない。


 ヴィシルダは《残った積荷のを全て使って、明日の夜、宴を催す》とカルーニア側へ通達した。予めの連絡が無かったにも関わらず、議会の面々は五名中四名が出席を表明した。獣人シリィオ代表キリーシは「カルーニアの料理も振る舞いたい」と申し出たが、ヴィシルダはこれを固辞する。昨日食した様な貧乏臭い飯などもう真っ平であったし、この宴はファートの豊かさを見せ付ける目的も合ったからだ。

 第三隊ジェシィ・ラ・タートゥの面々に振る舞った時の様子では、種族問わず好感触を得られていた。ファートの料理と酒で、代表キリーシのみならず、下の役人共の胃袋から掴み上げようという魂胆である。


 明日の宴に向けて着々と進んでいく準備を眺めながら、ヴィシルダは大部屋の土壁を撫でた。摩擦により、僅かに削れらた土くずが手に付着する。ヴィシルダは何の気なしに、その手を暫く見詰めていた。

 この部屋には窓の一切が無かった。四方全てを土壁で囲っているこの大部屋は、行事や宴会によく使用されているらしい。見上げた天井は、ファートでの所謂“大広間”と比べれば、かなり低く見えた。


「まぁ、開放的にすれば、そこかしこから土煙が入ってくるのだろうな」


 パン、パン、と手についた土を払い落としたヴィシルダは、主催の席に座り込む。そしてじっと目を閉じ、身体に纏わり付く縁の感覚を探りながら、彼、或いは彼女の事を思い浮かべた。





 ソナァスへの出港前夜。ヴィシルダ一行はファートの港町『ハルボルン』に宿泊していた。王室御用達である高級宿の一室で、ヴィシルダは希少な孤独を噛み締める。王族の身とは侍従を引き連れ歩く物。ヴィシルダはこれを窮屈極まりないと感じ、疎ましく思っていた。

 窓下に広がる庶民の営みを愉しげに眺めていたヴィシルダだったが、唐突にその表情から笑みが消え去り、引き締まる。手元の杯を机に置き、ヴィシルダは虚空に問いかけた。


ぞ」


 気付けば港町の喧騒は杳然ようぜんとして静まり、部屋は何人なんぴとたりとも侵すことあたわぬ厳粛な神聖性で満ちていた。この世に自身と背後の人物だけになってしまった、ヴィシルダはそんな錯覚に襲われる。


「何のまじないだ? 振り向けぬ」


 首、腰、脚、ヴィシルダは自らの支配が及ぶありとあらゆる箇所に、抗い難い束縛を感じていた。力の限り藻掻くが、微塵も動く気配がない。正確に言えば、動かせはするのだ。しかし、振り向こうとした瞬間、それらは全て石像の様に固まってしまう。

 諦めた様に息を吐き、背凭せもたれに身を預けるヴィシルダ。背後の人物は部屋に敷かれた絨毯の上を摺り足で歩き、何処いづこかで止まった。

 鐘のが響く。


 ――貴方の信仰はに恐ろしい

「信仰? おれはアレスなぞを敬ってはいない」

 ――それで 良いのです


 彼/彼女は一歩、擦り寄った。信仰とはアレスに対する者ばかりではない。ヴィシルダはすぐに思い至った。

 ヴィシルダの視界が及ばぬ場所で、彼/彼女は憐れみに満ちた表情を作り上げる。


 ――の地へ 私の眼が及ばぬ地へ赴くのですね

「縁者が……待ってるのでな」

 ――貴方には二つの道が在ります


 彼/彼女がまた一歩、擦り寄った。神秘を体現する気配にあって、彼/彼女はその中に慚愧ざんきを纏い始める。自らの行いを過ちであるとは思っていない、皺寄せとも言うべき狂気に、報いたかったのだ。


 ――ひとつは彼の地に渡り 半死半生に生きる道

 ――ひとつはアレスの地に留まり 縁の温もりに生きる道

「それは、脅しか何かか」


 神秘に相対しながら、ヴィシルダの意志はれなかった。返って、彼/彼女の忠告を契機に硬固こうこさを増しているようにも思える。


「他に心の実権を明け渡す“ヴィシルダ”とお思いか? 当然、赴く」

 ――貴方は 死生の中間を彷徨い歩く事となる それでも

くどい」


 ヴィシルダに一切の説得が通じぬと理解した彼/彼女は、緩々かんかんと遠ざかっていった。その悲しみを湛えた顔裏に、一体何を思っているのだろうか。

 やがて、身体の自由を取り戻したヴィシルダだったが、先の様に酒を嗜む気にもなれず、寝床に向かった。


 全てに対し、虚無的な気分になったヴィシルダは、唯、天蓋を見つめていた。

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