印璽

 曇天の続く帝都に一台の乗合馬車が到着した。城門に設けられた検問を通過して、馬車は路肩に停められる。料金は前払い制なので、さしてつかえることなく乗客たちは降りていく。

 どこか顔を顰めている様にも見える暗い雰囲気の集団に、ジェラルドの姿はあった。地面の感触を確かめるながら降り立ったジェラルドは、葉巻の煙を燻らせながらぼんやりと歩き出す。

 取り敢えず帝都まで来たはいいが、さて、どうしようか。ジェラルドは懐に仕舞い込んでいる残りの金子を思い浮かべた。かなりの余裕を持って渡されたそれは、このまま帰る分には何の問題もない。しかし、どうも気が進まなかった。

 ロア山脈を命からがら踏破した後、張り詰めていた緊張が急激に萎んだ所為か、普段以上の倦怠を感じていた。

 暫く帝都でゆっくりしたって良いだろう、誰だって……責めない。

 ジェラルドは何と無しに目に付いた張り紙を眺めた。


「『人材募集』、ねぇ……」


 いっそ、このまま帝都に住み着いてしまおうか……。当分の金はあるし、なくなればこの『剣』も売り払ってしまえばいい。そこまで考えて、思考を打ち切った。住み着くにしろ、帰るにしろ、兎にも角にも今は宿を取らねばならない。

 ジェラルドは帝都の中心に向かって、葉巻を片手に歩き出した。


「あの……」

「……ん? 俺か?」


 ジェラルドは声に振り向く。そこに居たのは……率直に言って“乞食”と称するに相応しい風貌の男だった。男はジェラルドの腰に提げた剣を見ながら、何やらブツブツと呟いている。


「……装飾……いや……でも……」

「おいおい、呼び止めておいて無視か? 金なられて遣るから、はやく――」

「いえ! あの、その剣……」


 男がそう言って剣を指差したので、ジェラルドは手を添えて揺らしてみせた。


「これか? これは然る止事やんごと無き御方から下賜された剣だから、やれねぇぞ」

「……やっぱり……」

「あぁん?」

「……これを」


 男は口元をモゴモゴやりながら、懐から薄い長方形の物体を取り出した。差し出されるままに受け取ったジェラルドが、その茶色い物体を怪訝な目で覗き込んで見れば、それは油紙に包まれた手紙であった。

 ジェラルドがディアから預かった文書ですら、ここまで丁重な扱いをされてはいなかった。「これは何なのか」そう尋ねようと顔を上げた時には……。


「……居ねぇ」


 男は既に居なくなっていた。ジェラルドは親に置いてけぼりにされた子供の様な気分で、受け取った手紙を裏返してみる。

 蝋で施された印璽いんじの紋章は――腰に佩いた剣の装飾と瓜二つであった。

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