多神教

 ファート王国、大都市と大都市を結ぶちょうど中間点に於いて、宿場町として発展したのがこの『ルクテス』だ。この街は四方から出入りする物と人とを血になぞらえ、屡々しばしばファートの血道とも称された。

 ハイケスの街を北東に抜けたガロア達はこの街に宿を取り、身を潜めていた。兵から分捕った馬車を使い続ければいづれ足がつく。馬車は近辺に乗り捨て、この街辺りで乗り換えるつもりであった。

 ガロア達は男女に別れて部屋を二つ取り、隠密行動に長けたミネアとビジャルアに諸々の調達を任せ、宿の柔い寝床で一時の緩怠を享受していた。

 ミネアに買い付けさせた剣の手入れをしながら、ウォーフは独り言の様に話し掛けた。


「しかし、ハイケスを出てから追手の影はねぇな」


 ガロアは寝床の上に座り込み、隣接する窓を覗きながらそれにこたえる。


「うん、多分だけど……ヴィシルダが止めたんだと思う」

「あの王子が?」


 作業の手を止め、ガロアを見るウォーフ。何故、ガロアがそう思ったのか皆目見当もつかなかった。アンリの村からハイケスに至るまでの道中、ヴィシルダが見せた“眼”への執着は、薄ら寒い嫌悪を感じる程だったのだ。

 戌枷鎖いぬかさと称した奇縁を振り翳し、ハンナ達へ部下を差し向ける程に欲していた物……何故止める?


「なんで、そう思うんだ」

「うーん、ヴィシルダは――『夢想家』だから」


 ぼんやりと、ガロアはそう言い放った。昼の陽射しを浴びながら、窓枠に頬杖をついて知った風な口を利く姿に、ウォーフは苛立ちを覚える。しかし、それを表に出すこと無く剣の手入れに没頭した。

 通りに面しているとは言え、ここは安宿。まるで建物自体が呼吸しているかのような隙間風に揺られて、二人は無言無音の空間を作り上げていく。

 麗らかな昼の陽気も相俟ってガロアの意識が段々と沈み込み始める。だが、それを許さぬ大声が通りから響き渡った。


「人間は脅かされている! 人ならざる低級な者共を優遇するアレス教によって!」


 女性の声。それも病的に興奮した声だった。何事かと飛び起こされたガロアは、窓を少し開けて下を覗き込む。眼下に広がる大通りでは、如何にも貧乏そうな布を身に纏う幸薄そうな女性が、古びた木製の空箱の上で手足を振り回していた。


「聞け!」


 異様な光景。何が異様か? それは大声と大身振りの女性を通りがかる誰もが一瞥すらしないのである。

 気付いてはいるのだ。驚いて、意識が向く事はあるのだ。

 しかし、見えないものの様に扱う訳でも無く、意識して見向きせぬ様にしているのだ。

 人ばかりではない、通りがかる他の種族も同様である。

 異様、異様だ。


「アレス教は最早人の宗教ではない! 汚辱にまみれた穢らわしい獣の代弁者に成り下がった!」

「ガロア、窓を閉じろ」

「あ、うるさかった?」

「そうじゃない」

「貧しさは人の仕事をアレス教が獣に明渡した所為だ!」


 ウォーフに問答するつもりは毛頭なく、ガロアに有無を言わせず窓を締め切った。そして窓下に広がる光景を、虫の湧いてしまった保存食を見る目で一瞥し、すぐに視線を切る。


「あれは最近流行りの新興宗教だ。関わるとアレス教に目を付けられるぜ。そろそろ――」


 言うが早いか通りから怒号が鳴り響いた。ガロアが好奇心に打ち勝てずチラと覗くと、そこには人混みを脱兎の如く駆け抜ける先の女性と、追いかける衛兵らしき人物たち、そして協力もせず不潔なものを避けて道をあける商人たち。

 ガロアの目は女性の行先を追随する。


「アレには近付かない方が良い。降りかかる火の粉で火傷しちまうからな」

「……ふぅん」


 傍から見れば可笑しな逃走劇も、女性が路地を曲がった事でガロアの視界から姿を消した。

 ウォーフはガロアの寝床を降り、自らの寝床に転がった。


「どこからか流れてきた『ミューリー』とかいう神を頂点に据える多神教だ。結構古くからあるらしいが、最近ファートで信者を増やしてる。ああいう風に不満を煽って信者集めてんだ」


 やつらの言うことを真に受けるなよ、とウォーフは続ける。


「さも、人の味方の様に言っているが、あれは人用の謳い文句でな。他の種族には昔のアレス教による弾圧を持ち出して勧誘してんだ。信者の中身は人以外の方が多いってもっぱらの噂だぜ」


 ウォーフの説明を聞きながら、衛兵によって回収されていく木箱をガロアは眺めていた。

 あの女性は逃げ切ったのだろうか、それとも……。


 その日の夜、寝入るまでガロアはそれだけが気がかりだった。

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