夢幻

 ガロアが目を開いた時、そこには何もなかった。意識の外、或いは内側で、ガロアは揺蕩う。一面の白。何処か心地よい空間でガロアは、何も考えなかった。

 無意識の遊泳を続けるガロアの背後に、鐘の足音が、ひた、ひた、と歩み寄る。ガロアはその足音の主を一目見ようと身を捩った。

 しかし、その試みは両肩に乗せられた温い両手によって押し止められる。毛布に包まってそうする様に、ガロアは黙って目を瞑ると、鐘の音は全身を満たしていく。


 ――彼の者が垂れた縁は 緑眼りょくがん赤光しゃっこうを返す


 鐘の音は決して反響せず、空間にとけ広がった。


 ――その紅眼が映すは 光に限らず

 影も また――


 徐々に、ガロアの身体が浮上していく。鐘の音も耳から遠ざかって――。


「……」


 二度目に目を開けば、そこに見えたのはルクテスの通りに面した安宿、その天井である。昨日、演説を覗き見た窓から射す朝日が目にかかっていた。ガロアは眩しそうに手で陽射しを避けながら身を起こした。

 寝惚け眼を擦り上げた時、ガロアは手に絡まる何かに気付く。


「……縁?」


 手だけではない。全身に絡んだ赤糸が四方へと伸びていた。1、2、3……と数えた所で正確な本数を把握するのは諦めた。

 縁はそれぞれが絶えず動き続けるのに加え、縁同士が複雑に絡まり、捻れて交わっていたりするのだ。根気のある方ではないガロアはすぐに投げ出した。

 寝床から抜け出してみれば、同室だったウォーフの姿が見えない。便所にでも行っているのかと思った所で、タイミング良くウォーフが部屋に戻ってきた。その両手に二つのトレーと二本の縁を携えて。


「ガロア起きてたか? 朝食を貰ってきたぜ」

「あぁ、ありがと――」


 ウォーフの右手に持つ朝食を受け取ろうと、手を伸ばした、その時だった。ウォーフの右腕が悪魔の使いの様な鱗に覆われる。


「うわっ!」


 驚いて手を引くガロア。ウォーフは何に反応を示したのかわからず、眼をパチクリとさせた。


「……どうした? 虫でも入ってたか?」


 心を落ち着かせたガロアは改めてウォーフの両手を見るが、そこにはエルフ特有の柔らかい絹のような肌があるだけだった。

 ……見間違いだろうか……。


「……何でも無い。寝惚けてたみたい」

「そうか、ほらよ」


 受け取ったガロアは備え付けである木製の机椅子に腰掛ける。ウォーフも追手腰掛け、二人は朝食に手を付け始めた。


「ねぇ、ウォーフ」

「ん?」

「何だか、縁が視えるようになったみたい」

「なにっ!? あ、例の――箱に入ってた両眼球の影響か?」

「たぶん、そう」

「なら一度アレス教の連中にでも診て貰った方が良いかもな。ハイケスの医者は問題ないと言っていたが……。まさか、縁が視える様になるとはな」


 話しながら、ガロアはパンを手にとった。宿代の割に良いパン……に見えた。決して高くない宿の宿泊費はこういった部分に費やされているのだろうか。ガロアはパンというより、金を食っているような気分だった。


「なぁ、縁ってどういう風に視えるんだ?」

「うーん、よく言われるように赤糸だよ。ウォーフの縁もちゃんと二本視えるよ」

「いや、前に視てもらった時は一本だったが……」

「あれ」


 確かに二本あった筈……。疑念を抱いたガロアがもう一度視てみれば、ウォーフには縁が一本しか垂れていなかった。おかしい、そう思いつつも寝起きだった事もあり、ガロアは自分の視間違いだろうと自己解決した。


「ガロアは多縁だったよな? その縁と視間違えたんだろう」

「あはは、そうかも」


 気まずさを噛み砕くガロアの脳内に浮かぶのは、夢に見た彼/彼女だ。あれは夢枕に見た幻なのだろうか、それとも現世の……――アレス様、じゃあない。言葉通りだと――。

 縁が赤の光なら、影は何なのだろう。スープに混ざった中々噛み切れない肉を食みながら考えたが、明快な答えには行き当たらなかった。

 先に食べ終わったウォーフが腹を擦りながら今後の予定を通達する。


「今日中にこの街をでるからな。ミネアの奴が馬を二頭、街の外れに用意させたらしいから、それを使う」

「馬かぁ……」

「乗り方を知らない?」

「うん」

「暫くは後ろに乗れ。また、夜にでも教えてやるよ」


 ガロアは値段相応に思える安っぽい味わいのスープを残した。田舎に居た事は食い物を粗末にするなど考えられなかったが、旅がガロアの細かな振る舞いに変化を齎していた。

 二人は示し合わせたわけでもなく、同時に立ち上がる。そして、隣室に居るはずのミネアとハンナを訪ねに行くのだった。

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