流されるままに

 ヴィシルダは先んじてドアを開こうとする見張りを制し、執務室のドアを蹴破った。中で待機していた四対の瞳が一斉に音の発生源を捉えた。

 その注目の前で、ヴィシルダはハキハキと尋ねた。


「一体何の用だ? おれは明日の朝には王都へ発つのだぞ、取り次がねばならぬ用件などあるのか?」


 ヴィシルダが見下ろす執務室に着席していたのはグリュー、マイト、ハイケスの街に教会を構える女司教ディア、そしてヴィシルダとは初対面となる男――“ジェラルド”の四名だった。

 グリューは最早動じることもなく、平然とした態度で小汚い羊皮紙を差し出した。受け取ったヴィシルダは、当てつけのように気取って音読し始める。


「親愛なる――達へ

 リッティアとダリの―――祭壇を用意した。詳しい位置は――――――――。

 今回――――試験も兼ねている為、必ず―――――――。

 しもべに下す命令―――を――――殺せ――食え』、最初はこの3つ―――だ。

 方角は君達―教えなく――、――――に知る―――――、問題ないよ。


 内容を把握―――――――燃や――くれ。

 以上、君達の――が―――――事を切に願う ――リア」


 歯抜けの文章だった。湿気の所為だろうか、それとも馬にでも踏まれたのか……。恐らく、保存状態が極めて悪かったのだろう。

 しかし、所々黒ずんではいても大凡の文章は察せられた。

 中身を把握し終えたヴィシルダは、羊皮紙をグリューへ投げ返す。


「それで?」


 続きを促す彼の仕草は、本当に何とも思っていない風だった。四人は目を見合わせてから、発見者であるジェラルドが情報を付け加えた。


「この羊皮紙はリッティアの――文中で言う“祭壇”にて、私が見付けた物です。しもべが悪魔の使いを指しているなら――」

「もう一匹いる、と?」

「はい」


 ヴィシルダは雁首揃った深刻な顔達を、鼻で笑った。


おれには関係のない事だ」


 その言葉に女司教のディアが大きく顔を顰める。当然の反応だ。アレス教どころか生命いのちに仇なすの存在を、ヴィシルダは「捨て置く」と言って憚らない。

 沸々と湧き上がるディアの気配を察知して、マイトはヴィシルダを諭しにかかる。


「ヴィシルダ王子、悪魔の使いは肉と縁を食らい血肉とする化外。ダリは帝国にある村ですが、そこでの被害は聞きません。という事は――」

「育っていない、或いは不手際があった。つまり叩くなら今、と」


 ヴィシルダはガロアから道中の話を聞き出しており、その中でダリの話も聞いている。時期的に被害があってもおかしくないが「ダリは平和そのものだった」と。

 マイトは柄にもなく大声を出して言った。


「そこまで分かっていながら――!」

「ならば、尚更おれの出る幕ではないな。帝国にでも任せておけ」


 言葉を遮り、ヴィシルダは一貫して非干渉の立場を表明し続ける。業を煮やしたディアが、遂に声を張り上げた。


「貴方の奇縁と多縁はどちらもアレス様の愛! そのもの! 何故、腐らせるような真似を!」

「ふっ、アレスの思惑など知ったことではない」

「なっ! ……貴方のその発言は、“懲戒”の対象になり得ますよ……!」

「まぁまぁ、ディア様。落ち着いて」


 一触即発の空気に、グリューが割って入る。その落ち着き払った様子は肝の太さから来る剛気さではなく、諦観まじりの物ではあったが……。

 とにかく、グリューは議論を進める為に続ける。


「確かに悪魔の使いの脅威は深刻ですが、未だ被害の報告がないのも事実。ここは、アレス教を経由して帝国に調査を要請してはどうでしょう」

「ですが、事は一刻を争います! 早馬を潰し走ってもロア山脈の所為で情報が届くのは早くて七日後! そこから調査隊を派遣するとなると、時間は更に経過してしまいます!」


 白熱する議論をジェラルドは面倒そうな表情で静観していたが、次のヴィシルダの発言で瞬時に槍玉となってしまう。


「では、其処の兵士にロア山脈を越えさせるのはどうだ」

「……えぇ!?」


 突然の無茶振りにジェラルドは慄いた。「ロア山脈を越える」など……、絵空事にしか聞こえなかった。長い歴史の中で、ロア山脈を越えて奇襲をかけた例もあるにはある。だが、その殆どが道中での落伍という末路を辿っているのだ。

 遠回しに自殺を要求されたのと同じ事……、ジェラルドはそう受け取った。


「そもそも、其奴が羊皮紙を見付けたのが全ての元凶なのだ。責任を取ってちょいと使いに行って貰おうじゃないか」

「そ、そんな……」

「ロア山脈を回り込み、“教皇区”を通ればどれだけ早くても七日はかかる。冬ならともかく、今の時期なら天候やらなんやらに恵まれて成功した例もあるだろう。史実では、一日か二日で越えられた……らしいぞ?」

「……」


 ――絶句。ヴィシルダの命を軽んじる放言にジェラルドは絶句した。助けを求めて周りを見回したが、その誰もがさっと目を逸らす。


「ふん、話は終わりか? では、おれはあの蜥蜴を見舞ってくるぞ」


 返事も待たずに、ヴィシルダはさっさと執務室を出て行ってしまう。その後ろ姿を呆然と見つめるジェラルドへ、次に声をかけたのはディアだった。


「ジェラルド、誰かが役目を果たさねばならないのです。世に住まう『生きとし生けるもの』の為に……。一人だけを派遣するのは成功率からして不安があるのですが――」


 ディアは言葉を切り、グリューと視線を交わした。グリューはその意を受け継ぐように口を開く。


「我が私兵団は人手不足だ。そのような博打に人員は割けない。ジェラルド、なんとしてでも成し遂げてくれ。これは王家直々の命」


 その言葉を契機に、彼らは次々と執務室から退室していく。

 一人残されたジェラルドは椅子に深々と座り込み、自らの両足と床の間で、忙しなく視線を行き来させていた。





 暫くの間、椅子に沈み込んでいたジェラルドだったが、疲れがどっと出てきた身体に鞭打ち、ハイケス城の足元に併設されている兵舎に向かった。

 大量の食料は不要である。携帯食が少しあれば良い。水筒一杯の水、詰め込んでいた酒類は背嚢から取り除く。ナイフ、火起こし道具一式、これらの状態を確認して入れ直し、貸与品である古びた剣を腰にいた。

 そして最後、背嚢の残った隙間に備蓄していた葉巻を詰めた。もし、途中で落伍しようものなら、恐らくそれが最期となる。ならば、最期ぐらいは目一杯、肺一杯に葉巻を吸ってから死にたい。

 そんな思いからだった。ジェラルドは背嚢を背負い、部屋を出る。


 自らの弔事に臨むが如し、ジェラルドの顔は青い。

 人から血という熱、熱という熱を全て取り除いたら、きっとこうなってしまうのだろう。


 常日頃から長ったらしく感じていたハイケス城の廊下も、今日に限って縮んでいる。ジェラルドは窓から僅かに見えるロア山脈を極力目に入れぬよう歩いた。

 ハイケス城の正門近くに着いた時、そこに居たのはグリュー、マイト、ディアの三名だけだった。正門前で警備する兵はこちらを見向きもしないし、巡回の兵もこの場を避けるようにくるりと踵を返していく。

 中心に立っていたディアがすっと前に出て、一枚の便箋を差し出した。


「この文書をティルミュのレリアという司教に渡して下さい。その後の連絡はアレス教が速やかに執り行います」


 便箋を無言で受け取ったジェラルドは、折り曲げぬよう丁寧に背嚢へと仕舞い込んだ。

 そこに一台の馬車が通りかかる。馬車はゆっくりとジェラルドたちの方へやって来ると、その隣に横付けて止まった。


「今、出立か?」


 御者の奥から声をかけたのはヴィシルダであった。御者台から顔を突き出したヴィシルダが、出立の準備を整えたジェラルドの姿を目に収めると眉根に皺を寄せた。

 ヴィシルダの視線はジェラルドの腰、引っ掛けるようにいている古びた剣を捉えている。

 気に入った訳ではない。彼らは皆、ヴィシルダの表情でそう察する。


「なんと粗末な剣。我が国の使い走りがその様な剣を佩いていては、帝国の連中にも侮られよう。暫し、待て」


 そう言って馬車の奥に引っ込んだ。奥に積んでいた荷を漁る為である。ヴィシルダは明日の朝にハイケスを発つ、その荷造りの過程でこの場を通りがかったのだ。

 奥から戻ってきたヴィシルダが手に持っていたのは、一振りの剣だった。鞘、柄、刀身に至るまで装飾のあしらわれたそれは、ウォーフが昨夜の闇に投げ出して、回収できなかった物だ。


「リー・ウォーフの忘れ物だ。斬れ味は知らんが、見てれは良いだろう」


 ちらりとグリューの方を見てから、ジェラルドは投げ渡された剣を受け取った。投げ渡されたとはいえ、その時のジェラルドの動作には王族に対する礼も敬いもなかったが、それを気に留めるヴィシルダではない。

 ジェラルドが腰の剣を入れ替えたのを確認し、ヴィシルダは馬車をさっさと走らせ、去っていく。

 ジェラルドは古びた剣をグリューへ手渡した。すると、グリューが今まで閉じていた口をようやく開かせる。


「ジェラルド、この金子を渡しておく。帰りはゆっくり教皇区を通って帰ればいい。それと、あの馬を君にやるから好きに使いなさい」


 指差した方角には一頭の毛並みのいい茶色の馬がつながれていた。「好きに使え」とは言っても、ロア山脈を越える道中には使えないだろう。

 主君の言はハイケスからロア山脈への道中にのみ用い、その後は気にせず捨てろ、という事とジェラルドは認識した。

 鐙に足掛け、跨った瞬間、突如ジェラルドの胸中に背信が渦巻いた。

 ハイケスには監視に割く人員も居ないのだ……。


 逃げてしまえば……。


 しかしそれでも――ジェラルドの背に人命という荷が重くのしかかる。長く命令に従ってきた兵士としてのさがなのかも知れない。

 背信は使命に塗りつぶされた。


 さぁ、花華しき出立の時。


 ジェラルドに尻を蹴飛ばされた馬が裏門より飛び出して行く。終始無言を貫いていたジェラルド。その背が路地の奥へと消える。

 その光景を横目に、グリューとマイトは早々に城内へ戻った。


 しかし、ディアだけは、路地の向こう側に消えていったジェラルドを、何時までも見つめ続けていた。

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