暗中模索

「ああ!」


 大声を上げたガロアが破られた窓に駆け寄り、下を覗き込んだ。


「ハーッハッハッハ!」


 夜のハイケス城に狂気じみた笑い声を響かせるヴィシルダは、落下の最中、戌枷鎖いぬかさを消し去り、組み付くウォーフを蹴っ飛ばした。


 ヴィシルダの衣服をしっかり掴んでいたウォーフだが、衝撃によって衣服そのものが千切れ、距離を離されてしまう。


 重りを蹴り出し、自由を手にしたヴィシルダは、再度鎖を引き出す。

 撒き散らすように投擲。ハイケス城外壁の出っ張りに鎖を絡めた。


「ウォーフ、貴様の奇縁なら落下程度では傷ひとつ付かんのだろう。だが――」


 そう呟きながらヴィシルダが外壁を傳い始めた時、ハイケス城のテラスを諸共突き破り、地面に影の片割れが墜落した。


 巻き上がった破片と塵の中からウォーフはゆらりと立ち上がる。

 それを見てほっ、と胸を撫で下ろしたガロアへ、後方から男声が届いた。


「このガキか? ――って、おい犬、聞いてんのか」

「あ……違う。たぶん窓から落ちた。コ、――縁は離れてないから生きてる」

「そうか」


 振り向いたガロアの紅眼に、血に濡れたリザードマンカイマンと首元から鎖を覗かせる女性コーミュが映る。


 違うのならば……。カイマンは瞬時にガロアを意識から消し去り、風の吹き込む窓にずかずかと鎖を引きながら歩み寄った。


 首元を引っ張られながら、コーミュは露骨に狼狽る。


「ちょ、ちょっと、ここ何階だと思って――」

「こっちの方が手っ取り早い」


 カイマンはコーミュを担ぎ上げると、まるで階段を降りるかのように窓の外へ踏み出した。


 後をひく女性の悲鳴だけが呆然としたガロアの耳に残る。

 はっ、と正気に返ったガロアは急いで部屋を飛び出した。


 一方、担ぎ上げられたコーミュは交互に浮遊感と小刻みな衝撃に襲われていた。


「うおぇ……」


 嘔吐寸前、といった所で漸く地面に下ろされる。


「どっちだ?」

「ひ、左、エルフのほう……」

「ん? 目がいいな。俺の『眼』でも、この距離では影しか映らん」

「『鼻』よ……」

「――すん、すん……。確かに違う匂いだが、どっちがどの匂いか判別できんな。興味もない」


 カイマンは軽口を叩きながらごく自然な動作で抜剣し、構えもせず無造作に歩み寄った。


「チッ、顔も見えねぇが……てめぇの増援か」

「……いや」


 ヴィシルダは否定を返しつつ、背後で燃え盛っていた松明に鎖を投擲して消火した。

 辺り一帯は完全な闇に包まれ、これにより戌枷鎖いぬかさは光を返さず、闇に紛れる。


 月のない夜の下、三人の男が対峙した。互いの相貌どころか輪郭線すらも判別できぬ状況下。

 場は一時の膠着状態に突入する。


 最初に動いたのは――同時に二人。

 カイマンとヴィシルダであった。


 カイマンはコーミュに伝え聞く『縁者』――左に斬りかかり、ヴィシルダは乱入者の剣先が自分にないと見て距離を離した。


 ……ウォーフの奇縁は剣では突破出来ない筈……悪魔の使いですら傷一つ付けられていないのだから……。


 ヴィシルダが持つ武術の心得は無いに等しい。王族が儀礼的に習う自衛用の剣術のみだ。

 自らが狙われていない……ならば、ウォーフに片付けさせようという腹積もりである。


 闇に溶けるカイマンの剣戟は、寸分の狂いもなく左に構え直立する『熱源』を軌道に据えた。

 直後、暗闇に響いた金属音だけが両者の衝突を告げる。


 カイマン必殺の一撃に込められた殺意は、しかし、影に払われる。カイマンは口中でのたうつ、その長い舌を巻いた。


 一合の後、ウォーフが闇に囁く。


「――蜥蜴とかげか」


 ウォーフの目には滲んだ影の微かな輪郭しか映っていないが、相手の淀み躊躇無い一撃に敵種族特定に至る。


 カイマンは熱源の左腕が振り被られるのを知覚。

 すぐさま剣を上段に構え、迎え撃つ態勢を整える。


 そして、上段から振り下ろされる剣を悠々受け止める……筈だった。

 予想を裏切り、熱源はカイマンの防御をすり抜けていく。


「なっ――!」


 剣は何処に!?

 その疑問の答えを、カイマンは鼻先をこそぎ取られた痛みで知る事となる。


「――!!」


 声にならない唸りを動揺と一緒くたにして押し殺す。

 カイマンの世界は他種族のそれと同じく、没個性的な闇に覆われた。


 ――このエルフ! 右手に剣を!


 種を明かした時には遅く、闇に血飛沫と影が蠢いた。


「グオオオオオッ!」


 カイマンは咆える。

 しかし、19年連れ添ってきた感覚の喪失は、カイマンに恐怖を抱かせるには十分だった。


 表裏一体。強く発した気勢はその裏。


 カイマンは熱を失った視界に映る、前方の幽かな影に斬りかかる。

 虚勢交じりの一撃は、それでも持ち前の鋭さを失ってはいない。

 だが、どんな剣豪の一撃もを定めずに放てば、斬れるのは空だけである。


 ウォーフは雄叫びを聞いた時点で地に這っていた。

 カイマンが斬り掛かった影とは、恐怖と暗闇とが生み出した幻だったのだ。


 剣という武器の性質上『斬撃』では足元への対応が困難である故の選択。

 もし、これを斬らんと欲するならば、叩き付けるが如く振る、或いは槍の如く突かねばならない。


 盲目的な一撃は二つの摂理に従い空を斬る。

 空を切る剣を感知し、ウォーフは這った姿勢のまま目の前の暗がりを刈るように斬撃を横凪いだ。


 ハイケス城に今宵二度目の金属音が響く。


 ――鱗、ではないな! 防具か!?


 ウォーフの腕先のみで放った草刈りは、金属音とともに弾かれた。

 この闇中あんちゅうで鎧に覆われていない部位を探し出すことは困難。

 まして、敵の種族はリザードマン……下手な斬撃では鱗板にも弾かれてしまう。


 故に、ウォーフは斬撃の選択肢を放棄する。

 続いてすぐさま突進。暗闇に紛れる人影の足元へ組み付いた。


 暴れ、藻掻き、縺れる。両者は力任せに相手を組み伏せようともみ合う。

 カイマン、ウォーフ共に剣を手中から零し、両者ステゴロの掴み合いだ。


 相手を組み伏せたのは――先に仕掛けたウォーフだった。

 ウォーフは相手の両手を取り押さえ、手探りで“両眼球”を抉り取る。


「ガアァッ!」


 痛みによって限界を超えた膂力りょりょくがウォーフを弾き飛ばす。

 だが、カイマンが両眼球を抉り取られた事で勝敗は決していた。


 両者の命運を分けたのは……偏に“経験”がものを言っただろう。

 若いカイマンは強者との戦いや拮抗した戦いを介さず、対するウォーフは30近い齢にして、こと戦闘となると老獪な雰囲気を纏わせる。


 それもその筈、ウォーフはエルフの集落を追放されてからその身一つで数多の戦場を渡り歩いてきたのだ。


 しかしながら、今の言説にはウォーフの奇縁を勘定に入れていない。


 カイマンの斬撃が鱗鎧を突破し得なかった事を考えると、使うまでもなく制圧されたカイマンとウォーフの戦力差は今夜の闇にも覆い難い程大きなものだろう。


 空中で身体を捻り、ウォーフは四足で着地した。

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