激突

 ビジャルアによる治療は恙無く行われ、アイジープ、ハンナの両名は共に五体満足で一命をとりとめた。

 両名の身体には色違いの皮膚が傷跡に薄く残っただけである。


 アイジープは今だ臥せって動けずにいたが、ハンナはに恐ろしい生命力で戦の翌日には自前の二本足で闊歩していた。


 数日の療養を経てアンリの村から帰還し、その流れで敢行した凱旋式は馬車がハイケスの城に到達した後も、民衆に熱狂の残響を残していた。


 喧騒を背後に、一同は大きな食堂に通される。そこに王子とガロアの姿はない。

 皆が席についたのを確認し、グリューがにこやかに謝辞を述べる。


「傭兵の方も、帝国の方も、遠慮せず召し上がって下さい。ヴィシルダ殿下は皆様の功績を多大に評価しております故……『褒美にも期待しておけ』とのことづけも授かっております」


 グリューは何時になく上機嫌だった。何しろ戦闘後のどさくさに王家からの援助を取り付けられたのだ。

まつりごと嫌いのヴィシルダを半分騙す形ではあったが)


 ともかく目先の問題が片付き、グリューの胃は久しぶりに清涼感に満ちていた。

 しかし、ウォーフは挨拶の終わりもまたず、肉料理を貪り、粗野に尋ねる。


「そのヴィシルダ様はどこにいってんだ。ガロアも一緒だろ?」

「あ~、殿下は……ガロア様が気に入ったようでして……」

「チッ」


 舌打ちをしたウォーフがすくっと立ち上がる。あからさまな不機嫌を顔と態度で表して。

 これには、同席していた副団長も警戒心を顕わにする。


 晩餐の場に突如走る不穏な気配。

 ミネアは行儀よく食事を続けながらもウォーフを睨みつけた。


「傭兵、何処に行く気です」

「アイツはどうも気に食わねぇ」


 しかし、ウォーフはまともに取り合わず、一直線に食堂のドアを目指した。

 言動に有無を言わさぬ気配を感じたミネアは黙って見送る。


 グリューは止めねばならない。

 俄に胃痛を察し始めたが、そこで頼もしくも副団長が起立する。


「お待ち下さい。王子のもとへ赴くのならば、我々を同伴して頂きたい」


 グリューは副団長を心の中で褒め称える。「よく代わりに言ってくれた!」と。ウォーフは振り向くと、首で「来い」と合図した。

 副団長は扉前の警備兵二名を更に引き連れ、ウォーフの後に続いた。

 その一部始終を尻目に、沈黙を保っていたハンナは呟く。


「……三人では不足に思うがな、ウォーフの奴は私より強い」


 グリューは込み上げる物を吐き出さぬよう、必死で努めねばならなかった。





 ハイケス城の高階層、その一室にヴィシルダはガロアを招いていた。ヴィシルダは部屋から護衛と従者を追い出し、普段やった事もない給仕の真似事をしてみせる。

 目の前に注がれていくワインを、ガロアは落ち着かない様子で眺め、その両手は食器の上を右往左往していた。

 ヴィシルダは優しくも微笑む。


「好きに食べて呉れ」


 促され、それでも尚、震えだしそうな手が、ようやくと言った感じで一口目を口に運ぶ。


「えっと、美味しいです……王――じゃなくて、ヴィシルダ」

「……ふふ」


 『至福』である。母が我が子の一挙手一投足を見守るような視線。

 それはガロアのあるに注がれていた。

 ガロアが二口目を咀嚼し始めた事を確認して、ヴィシルダは切り出す。


「奇麗、だな」


 ガロアは「またか」と思ったが、ヴィシルダの視線は窓に向いていた。

 思わず釣られてそちらに視線を移す。


「おぉ……」


 高い城の窓から望むハイケスの夜景は、思わず感嘆の声を上げてしまうほどに壮観だった。ハイケス城眼下の街には、民衆の熱狂が点々と光る灯となって風に揺れている。

 この灯ひとつひとつの下に人が居る事を想像して、ガロアは圧倒されるような物寂しさを感じた。


「だが――おれはガロアのあかりの方が好きだな」

「あはは……」


 やっぱり……。アンリの村から続く口説き文句に、ガロアは苦笑した。


 ガロアの眼は父親の残した物の影響なのかは分からないが、燃えるようなくれないに染まっていた。

 その紅瞳をヴィシルダは気に入ったのか、こうして度々を受けているのだ。


 しかし、その度に眼だけを抉り取られるのではないか、と勝手に嫌な想像をしてガロアは肝を冷やしていた。


 ビジャルアや医者の検査でも異常はなく、視力も問題無いのだが……、父親が残したものの影響という事実は、やはり不安の種だった。


 真正面にガロアを見据えるヴィシルダは、珍しく口説き文句以外の話題を出す。


「ガロアの旅は終わったのだろう?」

「はい、まぁ。でも村に帰る気はないし、どうしようかな……」

「……なら、おれの城に来ないか?」

「城?」


 ガロアが発言の意図がわからないままスープを啜っている。


「うーん……」


 悩むガロアの様子を見て、ヴィシルダは申し訳無さそうな顔をした。


「……すまない。ガロア、返事は待てない。彼奴らには任せておけんのだ」

「ど、どういう――!?」


 言葉を否応無しに遮られてしまうガロア。

 机の下から急襲した戌枷鎖いぬかさが、ガロアを瞬く間に縛り上げた。

 関節という関節をがっちりと固められ、身動ぎ一つ満足に取れない。


 唯一動かせた首をガロアはのたうつ様に必死で捻った。


「嗚呼、ガロア……。視線を逸らさないでくれ、その薄目蓋の裏に隠さないでくれ、その『紅瞳』を彼奴らに預けてはおれぬのだ」

「だから――どういう意味!?」

「これを見て呉れ」


 懐より一枚の紙を取り出して、ガロアの目前に翳して見せるヴィシルダ。

 それはある人物の人相書きだった。


「『ハンナ・スネル』殺人の罪で帝国が探し回ってる。なんでも同じ騎士団の者を刺し殺した、とか……」

「……」

「そして『ミネア=ポーリス・シッ・クィータ』。アレもハンナを追って騎士団を出たらしい」


 ハンナならやりかねない……ガロアはそう感じていた。

 道中での奇行を間近に見ていれば、『鞘探しの一環』として刺殺したであろう事は容易に想像できた。


「でも、あんなんでも縁者だし……」

「それだけではない。あのリー・ウォーフとかいうエルフの傭兵もだ」

「ウォ、ウォーフも?」


 ガロアに取ってこの場でその名が出てくるなど、寝耳に水である。道中では良い兄貴分的な態度だったし、ハンナが近くにいた所為か余計常識人に見えた。


「王国内では有名なヤツだ。エルフの『リー』が何を意味するか知らないのか?

あれは――」


 ――ガンッ!


 荒々しい音をたてて扉が蹴破られる。

 時期、乱入して来た人物、どれをとってもヴィシルダの言葉を遮る意図を感じざるを得ない。


「ヴィシルダ。ガロアに変なコト教えんなよ。離れろ」

「来たかリー・ウォーフ! ――ガロア、危ないから離れていてくれ」


 言うが早いか、ガロアの身体に纏わり付いていた鎖は一瞬にして消え去った。


 ヴィシルダはガロアを後方へ押しやりながら左の水面みなもに波紋を湛え、ウォーフは腰の剣に手を添える。

 状況を飲み込めずにいるガロアを余所に、部屋はいつ弾けてもおかしくない泡沫の爆弾に埋め尽くされていく……。


 唐突なウォーフの凶行に後方の副団長と兵二名は暫し凍り付いていたが、時間により解凍。自らとウォーフの剣を見比べながら、色めき立つ。


「ウォーフ殿! 抜けば斬ります!」


 笑う。ヴィシルダは高笑う。


「ハハハハハ! 4対1だな、『異端者』!」


 呼応してウォーフは剣を抜き放った。その動きを予測していたヴィシルダは、即座に戌枷鎖いぬかさを投擲する。

 手元から鉛玉のように放たれた銀鎖は静かな照明の灯を浴びて鈍い輝きを返す。回転する先端の錨は直線の進路でウォーフに迫った。


 抜剣で泳ぐ装飾剣の軌道はウォーフの手によって捻じ曲げられて行く。装飾剣は正面に向けて振り下ろされ、飛来した鎖を軌道に据えた。

 ウォーフは剣の行先を横目に、後方を見遣って三つの抜剣を視認する。


 甲高い音と弾く手応えを右手に感じ取ったウォーフは、直後、後方へ身体を突っ込ませる。


「うわっ!」


 兵の片割れはウォーフを懐に招き入れてしまい、押しも押されてたたらを踏む。

 もう一名の兵と副団長は巻き込むのを恐れて、一瞬だけ剣撃を躊躇した。


 戦場に於いては、時に戦友諸共切り捨てる覚悟が命運を分けることもある。

 ウォーフが欲しかったのはこの一瞬。


 自らが作りだした隙を温々と見逃してやるウォーフではない。反転しながら横薙ぎ一閃。この一薙で雑兵二名を一刀で両断せしめた。

 腕前の確かな副団長だけが、辛うじてそれを回避。


 剣の二振りで二名が絶命。残るは三。

 戦場には再び間合いが生まれた……。


 装飾剣に弾かれ、中空を舞っていた鎖がヴィシルダの手元に手繰られ、即座に次の投擲で放たれる。

 ウォーフは副団長を警戒しつつ身構えたが、先端の錨はてんで見当違いの方向を向いていた。


 グブッ……。


 副団長は震える手で喉元をまさぐった。手に返ってくるのは喉元に突き刺さる冷たい感触……。

 焦点の定まらぬ両目はゆっくりとヴィシルダを捉えた。


「お、おう……じ……」


 先端の錨は副団長の喉に貫通し、っていた。

 首を通る太い血管から流れ出た血は喉を駆け上がり、口元より溢れ出ていく。


 ヴィシルダは水面から更に鎖を引き出し、十分なたわみを確保。

 部屋中に鎖を撒き散らす。


 意図を察したウォーフかしめやかな舌打ちが漏れる。

 ひとまず部屋から退避しようとしたが、ヴィシルダの後ろで震えるガロアの姿が目に入り、留まった。


 獣が弾けて吼える。ウォーフは勇ましくも鎖撒き広がる中心へと突っ込んだ。

 宛ら、否定を体現するかのように。


 水面に勢い良く引き絞られる鎖が、力なく白目をひん剥く副団長を伴ってウォーフに絡み付く。

 しかし、それでもウォーフの勢いは衰えない。


「オオオオオオッ!」

「道連れにする気かッ!?」


 極限まで圧縮された時の中で、ヴィシルダは背後を見遣った。


 己は背に窓を背負っている……。このままでは諸共空へ――。


 どうにかなそうとして、その『紅眼』と視線がち合う。


 その右手に握りしめられた戌枷鎖いぬかさが輝きを増して行くならば……ヴィシルダは突進を胸中に迎え入れた。


 ――激突。


 城の上空、彼らは一つの塊となってその影を落とした。

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