二巡目のプロローグ その3

 あか~い いとを たぐると しあわせ なんだ

 しあわせな きぶんに なるんだ


 えんを もたない ミューリーは うらやましくて うらやましくて


 だから みんなの えんを はさみで ちょきんと きっちゃった


 ――アレス教 説法・教話集 悪童ミューリー





 今日も今日とて快晴の下活気づくダリに、一人の男が来訪する。何処と無く陰気な雰囲気を纏う男は、似合わない艶やかな衣服で着飾っていた。


 男は今まさに村を出ようかという村人に話し掛ける。


「もし、そこの人」

「何だい?」


 村人は背負っている荷をそのままに応対した。


「この女に見覚えは?」


 そう言いながら、男は懐から一枚の人相書きを取り出す。村人はその人相書きを覗き込むと、すぐに心当たりを思い浮かべた。


「ああ! 騎士様だ。七日か……それよりもっと前ぐらいに来たよ。それがどうしたって?」

「ふむ、やはり司教の証言通りこの村に来ていたのだな。出発を引き止めて悪かった、後は別に聞くとする。では」

「お、おい……。どうしたのか教えてくれよ……」


 望んでいた答えを得た男はぞんざいに別れを告げる。村人はそんな態度にすっかり虚をつかれてしまい、呆然と立ち尽くした。


「……あぁ、そうだ」


 男は言い忘れていた事があったな、と振り返る。


「この女はもう『騎士様』ではないよ」


 数日後。


 夜分遅く、男は馬車道から外れて微かに踏み固められた道を歩いていた。足元を照らすカンテラの火が右へ左へ引っ切り無しに揺れている。


 いやはや、タイミングが悪かった。


「アレス教徒にとっては目出度めでたいことなんだろうがな。『縁婚』ってのは……」


 男は直接相対していた村長からの話を聞きたかったのだが、間の悪いことに縁婚の影響で村を留守にしていたのだ。


 しかし、村人たちからの聞き込みによると、足取りは女司教レリアから聞いたものと相違無い。男はそう結論付けた。


 『証言の裏取り』それが男に与えられた任務だった。


 その報告を三つに分けて送ったので、最早この村でする事はないのだが(捕縛は彼の領分ではない)、男はどうも村人たちの言葉が引っかかって仕方がなかった。


 つまり、この先は彼の単なる個人的な好奇心である。


 マリーヤ様を惨殺したハンナ・スネル。そんな彼女がこの村で行ったという『善行』。


 村の近くに住み着いた賊を成敗したと言うが、それを語る村人の言葉にはおかしな所ばかりなのだ。


 男は教えられた場所にたどり着き、目を凝らして件のドアを見つける。


「溶け込むような、擬態するような……。聞いたとおりだな」


 まず、この時点でおかしいのだ。賊の類なら馬車道の近辺にこんな凝った居を構えるのは割に合わない。


 通りがかった荷馬車を襲おうにも、人通り自体が少ないのだから報告に合った人数分の食料を賄えないし、蓄えもできないだろう。


 馬車じゃなく村を襲うならば、こんな近くに隠れようとはせず、嵐のように去るはずだ。


 そもそも、この近辺では一件の被害報告もない。だと言うのに、村人たちは山程の『盗品』を山分けしたという。


 そして、何より今通ってきた道だ。賊が居を構えた後、その行き来に馬車道から横に入る道筋を残すなど、おおよそ本職の選択ではない。


 後ろめたい奴らなのだ。ねぐらの場所は隠し通したいのが心情なのだ。


 あの踏み固められた道から伝わるのは、申し訳程度の偽装と怠惰。賊の感性ではない。


 男はそっと静かにドアを開く。すると中から酷い空気が漏れ出て、辺りは臭気に包まれた。


 ――なるほど、村人たちが近付かない訳だ。


 ドアを覗き込むと、中はがらんどうとして闇が幕のようにおりていた。本来は家具や明かりがあったらしいのだが、今は綺麗さっぱり取り除かれて岩肌が剥き出しになっている。


 男は手に持っているカンテラを先に突っ込ませた。しかしそれでも、少し先は闇で覆われている。これは気長な調査になると男は確信した。


 しかし、すぐさま入口付近の調査に取り掛かる。何を隠そうこの根気と行動力が、ハンナ捜索の任に男が宛がわれた理由なのだ。


 入口付近は奇麗そのもの。床に無数の足跡や引き摺った跡が伺えるが、これはどう見ても村人たちが盗品を整理した跡だろう。


 それ以外に見つかった物といえば、床の焦げ跡と壁に複数ある小さな穴だけだった。穴は恐らく幾つも設置されていたという明かりの痕跡だろう。


 次は――と奥の暗がりを眺めた。闇はまるで、来訪者を拒んでいるかのような雰囲気を醸し出している。男は踏み出し続ける両足に、かなりの心理的な抵抗を感じていた。


 恐怖ではない。調査が億劫になった訳でもない。ただ、この纏わりつく臭気の出所が明らかに奥なのが問題……。男はゆっくりとその足を踏み出していく。


 少し進むと、岩壁にはちらほらと血痕が目につき始めて来た。これもあらかじめ聞き及んでいた事。


 一歩ごとに増えていく血痕と臭気に、男の内心は見たい物への期待と、見たくない者への不安とがい交ぜになっていく。


「……おっと」


 しかし、今この瞬間にも絶頂を極めんとする臭気に反して、男はあっさりと洞窟の最深部に到達してしまった。


「まぁ、こんなもんだよな。既に村人が来てる。怪しい物なんかも売り飛ばされてるか」


 落胆と緊張からの解放によって、胸中を独りでに口から漏らしていた。だが、そんな言葉とは裏腹に男は几帳面にも調査を始める。


 そして――気付く。気付いてしまう。災厄を封じるせきに。


 直後、つつーっと、血痕を辿っていた指が岩に阻まれた。


「ん?」


 男は立ち上がって離れて岩の全体像を把握しようとした。背の丈ほどもある大きな岩、血痕はその裏側に飛び散っている。


「ハンナが賊を殺した後にこのデカい岩を動かしたのか……? なぜ?」


 床に引き摺った跡があるのを発見。……男は岩を押してみる。


「……うえっ」


 ぶわっ、と臭気が舞い上がった。臭気の発生源は間違いなくここである。男の気分はべらぼうに高揚した。


「ハンナよ、一体何を隠したんだ!?」


 男は更に押す。背の丈ほどもある大きな岩は、その見た目に反して異様な軽さを持ち合わせていた。岩が退けられた事で、隠されていた物が姿をあらわす。


「――通路!」


 更に足元には腐敗の進んだ女の死体が幾つも転がっていた。男は鼻を抓んでスカートを捲り上げる。


 ヒヒッ、男は口角を下品なまでに釣り上げた。


「余罪、発見だな」


 スカートの奥にはマリーヤ様や賊と同じく股座から貫かれた傷跡が残されていた。これを隠したかったのだろう、ハンナは。


 しかし、本題はそうじゃない。男は不自然な賊の目的をこそ知りたいのだ。奥へ進み、更なる調査を行おうとした、その時。


 男の背後から――砂と空気が囁いた。


 じゃりっ。


 地面の砂が踏みしめられた音を聞いて、男の背筋に冷たいものが走る。


 いる。


 背後に、いる。


 背後に確かな存在の気配が――。



 ――行くのは止めなさい ゲイル ゲイル・ローズ



 洞窟内に響いた鐘のは、ゲイルと呼ばれた男の心にすっと入り込んで来た。


 まるで、慈愛に満ち満ちた母の胸に抱かれて、優しく諭されている様な。静かな口調で語る父の、厳しくも配慮に満ち満ちた諫言かんげんの様な。


 鐘のは響き渡る。



 ――ここに貴方の求める物はありません 求める者もありません 戻りなさい



「ア、アレス……様?」


 ゲイルがその声を絞り出せたのは、既に洞窟を埋め尽くしていた神性とも言うべき何かが、すっかり消え去っていたからである。


 当然、後ろからの返答はない。手に持ったカンテラがやけに熱く感じた。


「――ふっ、ふぅ……! ふ……はぁ、はぁ……」


 ゲイルは慄く。自らの矮小さをまざまざと見せつけられ、睾丸が縮み上がった。


 しかし――


 その足は一歩、また一歩と奥へ蹴り出されていく。


「ヒ、ヒヒッ」


 独りでに喉が鳴った。



 ――愚かな



 最後に響いた鐘のは誰の耳にも入ること無く、岩壁に吸い込まれた……。


 ざっ、ざっ。


 洞窟の壁にゲイルの足音だけが反響する。一寸先も不確かな闇を進むゲイルは、それほど間をおくこと無くすっかり本調子を取り戻し始めていた。


 後ろに感じた何者かの気配も今は全く感じない。


 あれは恐怖と興奮が臭気に掻き混ぜられた所為で見てしまった幻覚なのだ。きっとそうだ。


 頭上と足元に注意して歩きながら、ゲイルは村人たちの話を誰に言うでもなく復唱する。


「『あの場所に洞窟があったなんて初めて知った』」


 生まれも育ちも花咲く帝都であるゲイルに、洞窟の知識など無いに等しいが、一切の高低差が見られない点については「成程、人の手だ」と感じていた。


「賊は一体この場で何をして――」


 ゲイルはその数を増やしつつ在る独言に気付いて口を噤む。これは不安の表れ……。所従の身の上でありながらも、度々顔を出す安っぽいプライド、反骨心がそうさせた。


 無言で進み始めたゲイルの足が何かに突っかかる。


「うおっ! ……っと」


 女の死体。先の死体より腐敗が進んでいる、という事はハンナの手による物ではない。嗅覚が麻痺していた事実をまざまざと見せ付けられ、ゲイルは鼻を頻りに擦る。


 その時、ふと、ゲイルは気付く。


 ――慟哭。


 洞窟の奥から生暖かい風に乗って、かすかな泣き声が、確かに反響している。


 ……何が悲しい? 何が悲しくて泣いている……?


「大人を煩わせるなよ……!」


 転ばぬよう気を使いながらも、ゲイルは足を速めた。


 揺れるカンテラに照らされて、地面に横たわった幾つもの死体がその姿を表した。進めば進むほどに解体済みのモノが目に付く。


 ――ここは食料庫だ! こいつらは人食いの集団だ!


 大人に取っては決して解せぬ悲しみは、なおも増しているのか……慟哭は大きくなるばかりだ。


 到頭、暗闇を走り抜けたゲイルは、円形に開けた最奥に飛び出した。


 赤子の慟哭は最早断末魔の悲鳴の域。赤子は台の上で身をくねらせて泣いていた。ゲイルはカンテラをそっと置いて、赤子を優しく抱き上げる。


「……リザードマンの赤子か?」


 ゲイルにリザードマンの親族や友人などいない。だが、その蜥蜴頭はリザードマンのそれとそっくりだった。


 先程までの喧しさはどこへやら。抱き上げられた瞬間に赤子は泣き止み、それどころかすやすやと寝息を立て始める。それを見てかほっと一息、ゲイルの頬が勝手に緩む。


 その表情は、ゲイルの主人も、友人も、人生の中で関わった誰もが見た事のない物だった。


 ゲイルは揺らさぬ様に自分の衣服を引き千切って背負紐とし、赤子を背に。


 そして、極めてゆっくりとカンテラを拾い上げ、洞窟を引き返した。

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