第12話
「やだ……。ほんとに1千万振り込まれてる……」
さっきまで死にそうな顔で泣きじゃくっていたナオが不意にそう呟いたのが聞こえる。
その姿はあたかも自分の年収が低すぎてドン引きする広告バナーのようであった。
震えた指で何もない宙を凝視し、何度も桁を数えるような仕草を見せる。おそらく彼女の目には他人には見えない自分の通帳が見えているのであろう。
その驚きの声は次第に周囲からも漏れるようになり、すぐさま場の空気が驚嘆から警戒に変わるのをアラタは感じた。
「これは、マズいかもしれないね……」
普段冷静なユキの表情にも動揺の色が垣間見える。それが報酬の額によるものなのか、それとも張り詰めた場の空気によるものなのか、アラタには伺い知ることは出来なかった。
「みんな、お互いのことを疑い始めてる……」
セラが悲しそうにそう呟いた。
アラタの目にはセラが守るように抱えている猫型AIドラグノフにも、プレイヤーと同じ青いクリスタルがあるのが映る。
自分の使い魔を殺してクリスタルを獲得しても、イベントクリア条件になるのだろうか、ふとアラタはそう考えを巡らせるも、その視線でアラタの考えを察したのか、セラはドラグノフを隠すように背を向けて、横顔でアラタをむぅとふくれっ面で睨みつけた。かわいい。
「言い忘れておりましたが、AIキャラのHPを0にすることなくクリスタルを無理に剥がしたりすると、チート行為のペナルティとしてその場で死亡してもらいます。またプレイヤーの使い魔を討伐しても、もちろんイベントクリア条件にはカウントされませんので、悪しからず」
絶対に今考えたルールだろ!
アラタは心の中でそう突っ込み、AIのくせに気に入らない者はなんでも殺したがるその雑なアルゴリズムに対して、強烈な胡散臭さを感じざるを得なかった。
この女神はもしかするとただ会話をしているように見せかけるだけの、人工無能なのかもしれない。
アラタの疑いの視線をよそに、イリスは淡々と進行を進めていく。
「では説明の最後に、ユーザの皆様にはこの先にある輸送車に乗っていただきます。
輸送車はパーティごとに一台ずつ用意されております。
割り当てられた輸送車へは、ガイドラインが表示されておりますので、それに従い速やかに移動してください。
出発までの制限時間は30分です。車輌に搭乗後、任意に出発することが出来ますが、制限時間を過ぎますとペナルティが課せられますのでお忘れなきよう。
また車輌出発までパーティからの脱退、加入、追放などの一部編成機能を禁止します。この場でイベント攻略に特化したパーティをこの場で再編されますと、ユーザの皆様のなかで格差が生じてしまうからです。
ただし、いずれのパーティにも属していないソロプレイヤーによるパーティーの加入は認めます。
ご一緒のお連れ様が意識がないようでしたら、そのまま見捨てて行かれることをおすすめします。もし遅れてしまった場合は……」
もう解りますよね、と言いたげにイリスは最後の言葉を濁して微笑んだ。
直後、アラタの足元からは白いガイドラインが伸びて、道なりに雑木林の中まで続いていくのが見える。
他のプレイヤーの様子を伺うと、アラタ達とは異なる方向に視線が向けられており、それぞれのパーティが別々の道を指定されているのがわかる。
「それでは私はこれで失礼させていただきます。ユーザの皆様に光の導きがあらん事を」
女神イリスと名乗るホログラムはそう言い残すと、きらびやかなエフェクトを撒き散らしながらまばゆい光とともに消えていった。
その場に取り残されたプレイヤー達はあまりにも突然の出来事に呆気にとられてしまい、イリスを引き止めることも出来なかった。
するとプレイヤー達の視界には29:59:59という数字が現れて、1秒ごとに減っていくのが見える。それが死へのカウントダウンであることを皆が悟ると、周囲は一気にパニックに陥った。
「邪魔だ、どけっ!」
茫然自失となったアラタの背中に強い衝撃が走り、アラタは地面に倒れこんだ。
土の味を噛み締めながら体を起こすと、戦士の格好をしたプレイヤーが走りながら雑木林に消えていくのが見える。
「いってぇ…。何なんだよ、一体ってぐぼぉっ!」
その後にも何人ものプレイヤーがアラタの体を蹴飛ばしながら駆け抜けていき、その度に多段ダメージ数値がポップアップしては消えていく。
「アラタ…….。大丈夫?」
潰れたヒキガエルのように這いつくばっているアラタに、セラはクルセイダー専用のヒーリングスキルをかけた。
「アラタくん、我々も先を急いだほうがいい。歩けないないなら肩を貸すが……」
「いや、大丈夫だ。問題ない……」
差し出されたユキの柔らかな手を握り、アラタはゆっくりと立ち上がった。
「それは大丈夫じゃない時にいうセリフだろう…….。まったく、まだ始まったばかりなのにこんな所で死なないでくれよ」
ユキは呆れながらアラタの服についた土を払い落とす。先ほどのダメージもアラタの行動力に支障を与えるほどのものではないようだ。
「状況の整理は後にしよう。次の目標地点までの距離を見ても間に合わないような距離ではないけれど、この先何が待ち受けているかもわからない。怪我をして歩けない者がいても治療はしないで引っ張ってでも連れて行くからそのつもりでね」
「……誰か、俺を助けろッ!」
ユキの指示に被さるように、どこからともなく少年の怒鳴り声が聞こえた。
「あ?なに、あんた……。調子乗ってんの?」
「い、いや、俺じゃねぇし……」
ナオはアラタをジト目で睨みつけるが、アラタは目を逸らしながら即座に否定した。
「なにボサッとしてやがるッ!こっちだッ!」
アラタは声が聞こえる後方に視線を向けると、そこには今にも泣きそうな顔で地面に突っ伏している少年剣士の姿が見えた。
見るからに小柄で中学生になりたてか小学生の高学年と言ったところだろう。
深い紫色を帯びた艶のある黒髪で、右目を覆い隠しもう片方のアメジストのような色をした目には大粒の涙を溜めているのがわかる。
どうやら先ほどアラタを襲ったラッシュの餌食となってしまったようだ。
「右足をやられちまって動けねぇから、俺のパーティのとこまで連れてけってのッ!」
この少年剣士はどうやら自分が所属しているパーティに置き去りされてしまったらしい。
なんだこのクソガキ、とアラタはその少年剣士の不遜な態度に心の中で悪態をつきながら、こういう手合いは関わるだけ面倒だとユキに視線を送る。
「おい、行こうぜ。あんなやつ構ってる暇なんてないだろ」
「いや、しかし……」
それでもユキは仲間の安全を守りたい使命感と、目の前で怪我を負った少年を救いたいという気持ちで心が揺れ動き、すぐに判断が下せない状態に陥っていた。
こういう時の気持ちは、ゲームでギルドリーダーを経験しているアラタには痛いほど分かる。
しかもこれはバーチャルで起きていることではなくリアルに人の命を天秤にかける選択で、そして時間制限があるのも相まって、どうしても冷静に意思決定を下せなくなってしまう。
いずれの判断を下しても何かを犠牲にしなければならないリスクが孕んでいるのだが、今ここで最もやってはならないことは、何もせずにただ立ち止まっていることだ。
アラタはそう思うと深々とため息をついた。
「……仕方ねぇなぁ。おい、捕まれガキんちょ」
「は、はぁ!?何気持ち悪りぃ男が俺に気安く触ってんだよッ!気持ち悪りぃんだよッ!」
うんざりしたようにアラタは少年剣士の左腕を掴み取り、自分の首の後ろに回して担ぎ上げる体勢を取ると、少年剣士は大慌てで何度も気持ち悪い、気持ち悪いと吐き捨てながらアラタに担ぎ上げられてなんとかその場で立ち上がることができた。
その重さは見た目以上に軽く、アラタの力でも難なく立ち上がらせることが出来たが、少年の右足は捻挫しまっているようで一人で歩くことは出来なさそうであった。
「お、おい離せッ!離せッてば!あいてててて……」
「ったく、助けて欲しいのか助けて欲しくないのかどっちだよ……。こっちだって時間がないんだ。さては自分が怪我をしていることをいいことに、かわいい女の子の体に触りたかったって腹じゃないだろうな。てか気持ち悪いはやめてくれ。その言葉は俺に効く」
「ちょ、ちょっと、アラタくん……」
ユキはリーダーである自分の同意無しにメンバーが動き出したことによる戸惑いとアラタを心配に思う気持ちを露わにした。
「俺がこいつを連れて行く。帰りに走れば間に合うだろ。だけどこの先どんな罠があるかわからない。ユキたちは先に行って経路を確保しておいてくれ」
「それならみんなで一緒に行こう。少人数に別れて移動するのは危険だ」
「ユキの言っていることはもわかる。だけどこいつの仲間が先に行っているから比較的安全だろう。まぁ危険がないわけじゃないと思うけどな。あとは俺がパーティーに逸れるかもしれないってことだが、お前らと違って俺は方向音痴じゃないからひとりでも道に迷うことはないって」
そう言いながら少年剣士とともに立ち去ろうとするアラタに、ユキは少しの間目を閉じてから覚悟を決めたようにこう言った。
「……わかった。そのかわり何かあったら、すぐにパーティーチャットで連絡すること。いいね?」
アラタは「おk」とボソリと呟くと雑木林の方へと足を進めた。
引きニートが仮想化された世界で勇者するそうです。 レオポン♂ @Leopon_OSU
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