第一章 再開、理解、後悔

 目的の旅館には車で二十分ほどで辿り着いた。


「おおー! おっきいね、貴己!」


 果琳が大きく弾んだ声を上げる。


「だなぁ」


 俺も鷹揚おうようと頷いた。

 目の前に巍々ぎぎとしてそびえ立つのは歴史ある湯屋。

 そこから立ち上る湯気とオーラは既に何かが違う。

 時の厚みが感じさせる圧倒感というのだろうか。

 いざ目の前にしてみて初めてわかる迫力。

 確かにこの旅館なら妖怪の一匹や二匹出てもおかしく無い。

 そう思わせる何かがここにはあった。

 と、俺たちを迎えに来てくれた男性に旅館の入り口まで案内される。

 玄関引き戸が引かれた先、上がりかまちでは落ち着いた藤色の着物を着付けたたおやかな女性と、黒羽織くろばおり羽織はおった、これまた着物姿の男性が正座していた。

 旅館の女将さんと亭主だろうか。

 さらに背後にはこの旅館の従業員と思わしき人たちが並んでいる。


 ……随分手厚い歓迎だな。


 皆一様に神妙な雰囲気をまとっており、対面するこちらまで緊張して来てしまう。

 彼らはこちらを認めると、その雰囲気を少しも崩さず、


「ようこそおいで下さいました。お二人ともご健在な様で、我が事の様に嬉しく思います」


 正座のまま、言いながら深々とお辞儀をする。

 いきなり大層な挨拶をされた俺はどうしたらいいか分からず、


「あ、ありがとうございます……?」


 と、戸惑いがちに返すことしか出来なかったが、


「こちらこそ、中御門様もお変わりない様で大変嬉しく思います。こちら、つまらないものですが」


 果琳はにこやかな笑みと共に菓子折りを差し出している。

 流石は名家のご令嬢、対応が完璧だ。


「ありがとうございます。あとでお茶請けとして振舞わせて頂きますね。−−−−−−と」


 楚々とした動作で菓子折りを受け取った女将が、こほん、と咳をした。

 次の瞬間、


「二人共、本っ当に大きくなったわねぇ!」


 彼らの雰囲気と表情が一瞬にしてやわく、明るくなった。


「えっ」


 何がなんだか分からず、硬直する。


「はいっ! おじ様おば様もお元気そうで何よりです!」


 果琳まで先程とは打って変わって華の様な笑顔を咲かせている。

 本当に嬉しそうだ。


「果琳ちゃんは本当に別嬪べっぴんさんになったなぁ。貴己君も全く変わらない」


 無骨そうだった亭主も柔和な笑みを浮かべている。

 果琳は美人になったと褒められたのに、俺のは褒められているのかと問い詰めたかったがそんな事できる筈もなく、代わりに横の果琳に小声で尋ねる。


「な、なぁ、俺たち何でこんなに歓迎されてるんだ?」

「電車内で言ったじゃん、昔からの知り合いだよって。会うのは七年ぶりだけど」

「あぁ、そういえば」


 思い出し納得した。

 そういえばそんなことを言っていた。

 聞いた時は驚いたのだが、鬼の出現にすっかり印象を塗り潰されていた。


「ところでこの感じだと俺の記憶喪失のこと知らないっぽいんだが、果琳何も伝えてくれてないのか」


 う、と果琳は少々気まずそうになる。

「ご、ごめん」

「……まぁ、あとで言えばいいだけだから気にすんな」


 俺たちが小声で話しているのを怪訝に思ったのか、女将が声を掛けてくる。


「どうかした? もしかしてお部屋のことかしら? 一緒の方が良かったり?」

「い、いえそうじゃないです! でも部屋は一緒で構いません!」


 思いっきり構うんだよなぁ……。と言いたいが拒否権はないので黙っておく。

 と、何か思い出したのか、果琳が女将と亭主の方に向き直った。


「そういえば、しんさんとか、のぞのぞ姉弟ブラザーズはいないんですか?」

「ああ、静は大学の講義に出ているから、あと半刻程で戻るはずだよ。のぞみたちは−−−−−−−のぞみ! のぞむ! 出てきなさい!」


 どうやら後方で控えていたらしく、亭主の呼び声に応じて一組の男女がツツ、と歩み出てきた。

 見た目からして中学生くらいだろうか?

 あまり歳は離れていない気がする。

 恐らく、双子。


「果琳さん、貴己さん、お久しぶりです!」

「希ちゃん久しぶり! 望くんもカッコ良くなったねぇ〜」

「ありがとうございます」


 どうやら希と望だからのぞのぞ姉弟ブラザーズというらしい。

 適当すぎやしないか? という問い掛けは空気を読んで飲みくだし、顔を上げた彼らの容貌を眺める。

 希、と呼ばれた女の子は輝く様な乳白色のボブカットに、同じ色の着物を着付けていた。

 まるで真珠の様だ、と思った。

 ふんわり、というか、ふにゃりと笑う顔は彼女のイメージとよく合っていて、人の良さそうな子、という印象を抱かせた。

 望、と呼ばれた男の子は対照的に濡羽ぬれば色の見事な漆髪と、これまた髪と同じ色の黒い着物を着付けていた。

 如何にも冷静沈着といった言葉が似合いそうな、寡黙な少年といった印象を受ける。

 少し華奢きゃしゃな体つきをしているのが気になるが、第二次性徴を迎える前の少年特有のはかなさと思えばそれもまた良さなのだろう。

 双子にしては似ていないな、と思ったが見比べると全体のシルエットはよく似ている。

 と、彼らの様子を伺っていると、望と目が合った。

 互いにしばし硬直。

 望がぺこり、と頭を下げたのでこちらもぺこりと頭を下げる。

 如何いかんともし難い空気が流れた。

 が、気まずくなる前に女将さんがパンと手を叩く。


「こんな場所でお話しするのも何だしさっさと上がっちゃって! 依頼の話もしなくちゃいけないし! 大きい荷物は運ばせるから手荷物だけ持ってね」

「それもそうですね! 貴己、行こう!」

「そうだな。それじゃ……短い間ですがお世話になります」


 果琳の言葉に一つ頷いた後、俺は自分からも挨拶をした。

 彼らは俺が記憶を失った事を知らない。

 俺も彼らの事を何一つとして知らないが、彼らは俺が知らない俺のことを知っている。

 それが何だか途轍とてつもないことの様に思えた。


「好きなだけゆっくりしていってね!」

「はい」


 笑顔で言われ、俺も笑って返した。

 出だしは中々順調だろう。


 □ □ □


「記憶喪失!? それってどういう事ですか!? こんな所にいて大丈夫なんですか!?」


 前言撤回ぜんげんてっかい、全くもって順調じゃなかった。

 角部屋に通され、お茶が運ばれて来るのを待ってから、いざ事情を説明してみればてんやわんやの大騒ぎ、何故だか従業員の人たちまで慌て出す始末。

 なお、亭主は既に仕事に戻って不在だ。


「だ、大丈夫です! 記憶を失ったのは一年以上前の事で、まだ記憶は戻っていませんけど、人並みのことなら覚えているので日常生活に支障はありません」


 現状は落ち着いていることや、こうして京都を訪れているのも記憶を取り戻す活動の一環である事を説明するとようやく落ち着いてくれた。


「ということは貴己さんはわたし達のことを覚えていらっしゃらないんですね。少しだけ、さびしいです」


 悲しげにそう漏らしたのは希だった。

 彼女の言によると、当時の俺や果琳、そしてのぞのぞ姉弟はかなり仲がよかったらしい。

 確かに言葉の端々からこちらを慕ってくれていることがありありと伝わってきた。

 目尻に涙まで浮かべている。

 それはまるで子犬がしおれてうなだれている様で、言いようの無い罪悪感が胸の内にこみ上げてきた。

 しかし、こればかりはどうしようもない。


「ごめんな。これからまた少しずつ知っていくからさ」


 そんな耳触りの良い言葉を掛ける事しか出来なかった。


「はい! ……ですが、そうなると楽しみにしていた手合わせは無しになりそうです」

「手合わせ、というと?」

「それは私が説明しよーう!」


 希の口から出た言葉の意味を尋ねると、果琳がドヤ顔と共に横から失礼してくる。

 ドヤ顔でふんすと鳴らしている鼻をつまんでやりたい衝動に駆られるが、グッとこらえ、続きを促す。


「じゃあ説明してくれ」

「うん。実は察しがついてるかもだけど、中御門家って平安時代の貴族なの」

「へぇ。それはすごいな」


 素直に知らなかった。

 が、苗字の珍しさだったり、こんな老舗旅館しにせりょかんを経営していたり、という事をかんがみれば確かに納得出来る。


「で、それが手合わせとどう関係が?」


 果琳はむぅと頰をふくらませる。


「最後まで話を聞いてよ。それで、貴族と言っても中御門家は陰陽師おんみょうじだったのね。それで、ずっと陰陽道で家を守って来たわけだけど、近代化とか、幻想種の減少に伴って家の存続が危ぶまれたからその有り様を時代に合わせて変えてきたのです! そのうちの一つが武芸道場の経営。それで、希ちゃん達は武芸にも精通しているから、貴己や私と手合わせする事を楽しみにしてたってわけ」

「なるほど、そういうことか」


 合点がいった。

 家の話をすると、うちも祖父が道場を経営しているのだ。

 祖父は今の時代かなり珍しいというか、前時代的というか何というか、根っからの日本男子気質だ。

〝日本男子たるもの、あらゆる武芸を極め後世に継ぐのが務め “

 とは、祖父の口癖である。

 そんな祖父の実力は本物で、口癖通りあらゆる武芸の免許をかなり若い頃に皆伝しており、全盛期は武神とまで呼ばれたこともあったのだとか。

 道場の規模もかなり大きくそちらの方面では全国的に名を知られているため、結構お偉方と謎の繋がりがあったりする。

 言ってしまえば果琳と俺が幼馴染なのも祖父の道場に昔、果琳の父親が通いつめていてかなりお世話になったからだという。


 だから、中御門家が道場を経営しているのであれば、俺が昔からの知り合いであるというのも頷けた。


「単に手合わせするだけなら俺は全然構わないよ。記憶を失ってからも鍛錬はしているし」

「本当ですか!?」


 わっ、と希の表情が一瞬で晴れる。

 やっぱり子犬みたいだ。

 望の方も何も言ってはいないが、何処と無くそわそわしているのがうかがえる。

 どうやら二人とも余程楽しみにしていたようだ。


 ……これはいよいよ無下にすることは出来ないな。


「依頼の話を伺った後なら−−−−−−」


 俺が手合わせの約束を取り付けようとすると、いつの間にいたのか亭主が待ったをかける。


「それならば、先にこの子らと戯れてやって下さい。依頼の方は息子が戻って来てからにしましょう。あの子が一番事情に詳しい」

「わかりました。それじゃあ、どこでやりましょうか」

「すぐ隣がうちの修練場です。そこを開けさせましょう」


 言うが早いか亭主は既に従業員に言いつける。


「では、わたし達も準備をしてきます。また後で」


 希たちもそう言って部屋を後にした。

 残されたのは俺と果琳のみ。

 果琳はぼんやりと窓の外の広がる庭を見つめている。


「まさか京都に来てこんな事になるとは思わなかった」


 俺はしみじみと口にした。

 彼女達の思いを無下にしたくなくてつい引き受けてしまったが、期待に応えられるだろうか。

 いざとなると不安が募る。


「まぁ殺し合いをする訳でも無し、気楽にいくか」


 言いながら立ち上がると、それまで窓の外を眺めていた果琳がこちらを向いた。

 その表情は真剣そのもの。

 普段、絶対に見せることがない、魔導師としての顔で果琳は言う。


「多分、貴己がこの一年間で戦ってきた相手の中で一番強いよ」

「…………冗談だろ?」

「二人とも“色つき“だったでしょう? 貴己はどこを見ていたの?」

「……………………ああ」


 果琳の言葉で、俺は自らがこれから対峙する存在の大きさを正しく認識した。


「やっぱりやりたくねぇ」

「遅いよーだ」


 嘆いても後の祭り。

 果琳に引きずられるようにして、修練場へと向かった。

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