第一章 魔導戦 VS希 

「失礼します!」


 果琳かりん溌剌はつらつとした声を張り上げ、一礼と共に修練場へと入っていく。


「失礼します……」


 ならうようにして修練場へ足を踏み入れる。


「広いな……というかもしかして準備できてる?」

「ぽいねー」


 修練場の敷地の広さに驚き周囲を見回すと、奥の方に希の姿があった。

 女将おかみの他にも何人かのぞみの準備を手伝っている人たちが見える。

 亭主は不在であった。


「よろしくお願いします!」

「ん、よろしく」


 俺たちに気づいた希が、礼儀正しくぺこりと一礼する。

 先ほどの着物ではなく、真っ白な道着と薄紫色のはかまに身を包んでいる姿は、なかなかどうして様になっている。

 そこへのぞむもやって来た。

 彼も着物ではなく紺に染め抜かれた道着と黒の袴を着ている。


「よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 また挨拶を交わしあう。

 と、俺と果琳の姿を見た望が怪訝けげんそうに首をひねった。


「お二人は着替えや得物えものを用意しなくて良かったのですか?」

「あぁ、いつでもどこでもどんな状況でも戦えるように。が俺たちのモットーだからな」

「それはまたなんとも……尊敬の念を抱かずにはいられません」

「そうする必要があるからそうしてるだけだよ」


 笑いながら俺は言う。

 これは謙遜けんそんでもなんでも無い。

 事実、そのようにしなくてはならないからしているだけだ。

 というのも、果琳は幻想種の気配に対して敏感なのだ。

 正直、信じられないほどに。

 果琳が明後日の方向を見ているときはまず何らかの幻想種がいると思っていい。

 そして、それが悪行を成し得る存在だとわかった瞬間、たとえどんな状況であろうともそこへ向かっていくのだ。

 それに振り回されたせいで、俺はどれだけ危険な目にあったか覚えていない。

 が、果琳の化け物じみた察知能力に助けられた事も数え切れないほどある。

 と、長々と説明するのも面倒なので黙っておく。


「それじゃあ始めよっか! 誰からいく?」


 当の本人はすっかりやる気になっており、腕を伸ばしたり、屈伸くっしん運動をしている。

 我先にと手を挙げたのは希だった。


「そ、それじゃあわたし、貴己さんと手合わせしてもらってもいいですか!?」

「え、俺? 記憶失ってるから正直、期待に応えられるかは怪しいと思うんだけど……」


 俺がそう言っても希はがんとしてゆずらない。


「それでも構いません! 七年前、約束したんです。次会う時は、互いに強くなって勝負しようねって! 自己満足なのはわかっています。それでも、わたしは貴己さんと……」


 初めの方は弾けるように紡がれていた声も最後の方はしぼんでいた。

 成程、そんな約束を彼女たちと交わしていたのか。

 それなら、その約束を果たすとしよう。


「わかった。やろう。それと、木刀があれば借りたいんだけどいいかな」

「……ッ! はい!」


 不意に後ろからトントンと肩を叩かれ、振り返ると木刀をたずさえた望がいる。


「僕が普段稽古けいこで使っている木刀で良ければどうぞ」

「ありがとう。恩にきるよ」

「いえ、貴己さんの為ですから」


 言って、微笑む姿は男の俺でもドキッとしてしまうくらい綺麗だった。


「あ、ありがとう……」


 もう一度礼を言ってから木刀を受け取る。

 男物にしては少し小振りだが、不思議と手に馴染なじんだ。


「審判は私が務めましょう」


 またどこから現れたのか、亭主がぬっと進み出てきた。

 この人、なかなかに神出鬼没だ。


「よし……」


 木刀を中段に構え、希と相対する。


「これ以上は危険、と私が見做みなした場合は即座に中断すること、いいですね?」


 と、審判を務める亭主が断りを入れてくる。

 そんな大げさな、とこの時の俺はどこかタカを括っていた。


「あ、そうそう。希ちゃんが使うのは白の魔法だけだよ。それだけは意識しといてね」


 果琳が思い出したように声をかけてくる。

 白の魔法は増幅ぞうふく増長ぞうちょう、応用すると光の操作など、わかりやすくいえば、正の方向に働きかける魔法。

 それを聞いて俺はますます気が抜けてしまう。

 というのも、白の魔法は対象に触れなければ発動することが出来ない魔法だからだ。

 必然、対人戦ならば他色の魔法を主に使い、白や黒の魔法を接近戦のからめ手として用いる程度。

 間違ってもそれ単体で戦える代物では無い。

 だというのに、希が使うのは白の魔法のみであるという。

 女性だから、とあなどるわけでは無いが、それでもやはり木刀を持つ俺に分があるだろう。

 とはいえ、油断は禁物だ。


「それでは……始めッッ!」


 手合わせ、開始。

 どのように立ち回ろうかと逡巡する。


 ……木刀の間合いリーチを活かして、牽制けんせいしつつ最初は相手の出方をうかがおう。


 触れられなければいい、それにさえ気をつければ、と意識を集中させた瞬間だった。


「−−−−−−−−−−−−−−−−−−は?」


 気づけば俺はくうを舞っていた。

 いつの間に?

 どうやって? 

 いや、記憶はある。

 希が真っ直ぐに間合いを詰めてきて、そのまま正拳突きを放ったのだ。

 が、いつ飛ばされたのかがわからない。

 どういうことだ?

 こうして考えている間も俺は空を飛んでいた。

 とてつもない距離を飛ばされたのか、と思ったがそうではない。

 視界がゆっくりと動いている。

 段々と、元いた場所から遠のいていく。

 それで悟った。

 思考速度が有り得ないほど上がっている。

 人は集中した時や緊張した時、時間の流れを遅く感じることがある。

 が、これほどまで体感時間が長くなったことは無い。


「−−−−−−−−−−がっ、はっ!」


 床に身体が打ち付けられ、木刀と共に無様に転がっていく。

 どうやら感覚が元に戻ったらしい。

 頭がふわふわとしていて、なんだが現実感が感じられなかった。


「ぎゃーーーーっっ! ごめんなさいいいぃぃぃ!?」


 希が奇声を発しながら駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか!? ごめんなさい、つい最初から全力でいってしまって……お怪我はありませんか!?」


 俺を抱きかかえながらなかば叫ぶ希の目尻には涙が浮かんでいた。

 そんなに心配してくれているのか。

 正しくは、こんな風になるとは思っていなかった、ということなのだろう。

 やはり俺は彼女の期待には応えられなかったようだ。

 と、果琳が俺の顔をのぞき込みながら言う。


「だから言ったじゃん。今まで出会ってきた中で一番強いよって。まぁ、貴己は対人戦初めてだし、希ちゃんの魔法を知らなかったから仕方ない部分もあるんだけどさ」


 その顔は面白くて仕方がないといった様子。

 どうやら俺がこうなる事は初めから予期していたらしい。


「何が起こったんだ……?」


 礼を述べるよりも先に、そんな言葉が口をいていた。

 未だ口角を下げぬまま、果琳が上機嫌に口を開く。


「希ちゃんが使ったのは白の魔法。感覚を超強化させる魔法を貴己に掛けて、暴走状態オーバーフローにさせたの」

暴走状態オーバーフローったって、どこも触られて無かったはずなんだが……」


 あぁそれは、と果琳が注釈ちゅうしゃくを加えいれる。


「この子と望くんの魔法はそもそもが他と一線をかくしてて、魔法が空間そのものに作用するの」

「……は? 空間?」

「うん。普通の白と黒の魔法は他の魔法と違って、物質そのものに働きかける魔法。けど、この子たちは空間上に存在する外魔力マナに直接魔法をかけられる。だから、空間そのものに魔法が作用するってわけ」

「なんだ、そりゃ……」


 愕然がくぜんとした。

 卑怯、反則、そんな言葉で罵倒できる次元では無い。

 異常だ。

 通常、魔法というものは空間上にあるとされている外魔力マナに働きかけ、それで初めて魔法となる。

 赤、青、黄、緑の魔法はそれ自体が炎や水といった何らかの形を成すのに対し、白と黒は物質に働きかけ、変化をもたらす。

 ゲームで例えれば、バフやデバフの概念がそれに近い。

 が、ゲームほど単純ではなく、先ほど述べたように通常、白と黒の魔法はかける対象に触れていなければ発動することはできない。

 そして、白だろうと黒だろうと、バフにもデバフにもなり得る。

 術者が己の靴に白か黒の魔法でバフをかけるとしよう。

 白の魔法なら、靴底の反発力をある程度増幅ぞうふくさせれば、少しの力で足を前に進めることができる。

 黒の魔法なら、靴底の摩擦力まさつりょくをある程度減衰げんすいさせれば、足にかかる負担を減らすことができる。

 と、多少の力ならば助長される魔法も、過重にかければ、デバフとなる。

 先ほどの白の魔法ならば、少しの力で吹っ飛んでしまい、歩くどころの話では無くなる。

 黒の魔法ならば、摩擦力が無いに等しいため、足を踏み出しても前に進めず、その場から動くことが出来なくなる。

 というように使い方次第でバフにもデバフにもなる術者の技量が試される魔法、のはずなのだが。

 空間そのものに働きかける? 外魔力マナに直接魔法をかけられる?

 有り得ない、と一笑に付してしまいたかった。

 外魔力マナは魔法を編む為に存在するものだ。

 間違っても魔法をかけるものでは無い。

 というより普通はそんな事できやしない。

 それはつまり、こちらが木刀しか持っていないのに対し、あちらは不可視かつ範囲不明かつ初動不明な飛び道具を持っているということだ。

 しかも効果は超強力で、何がどこまで及ぶのか未知数。

 チートもチート、もはやバグの領域だ。

 そこまで考え至った所で、ああ、と納得したことがあった。


 ……彼女たちは“色つき”だったな。


“色つき”というのは最も狭義的きょうぎてきには、濃い外魔力マナ内魔力オドに晒され続け、身体の一部が変容した生物の事、と述べられている。

 身体の一部、というのは特別変化が現れやすい髪や目のことで、生物とあるのは人間以外にも当てはまるからだ。

 要は “魔導の才能がある奴”のことである。

 一目でわかる才能人、と思ってくれればいい。

 尽きぬ魔力量、凄まじい魔力変換効率、常人とはかけ離れた魔導のセンス。

 彼らの生まれ持った才が、激烈なほど眩しいことなど、果琳を見て知っていた、はずなのに。

 俺は今、こうして地にしている。

 俺を八畳分もぶっ飛ばした少女に抱きかかえられている。

 言葉も出てこないほど、悔しかった。

 記憶を失っているから仕方がない? 

 相手の手の内を知らなかったから仕方がない?

 違う。

 俺が弱いからだ。

 俺の気合が生温なまぬるいからだ。

 希は七年来の約束を待ち望んでいて、初めから誠心誠意を込めて全力で向かってきてくれたというのに。

 俺は、相手の出方をうかがおうなどと、戯言ざれごとを抜かしていた。


「どうする? もうやめる? 休んじゃう?」


 果琳が明からさま、挑発するような調子で問いを投げ掛けてくる。


「……」


 大きく息を吸い込み、吐きだす。

 答えは決まっている。


「やるに決まってんだろ」


 果琳の目を見据みすえ、答える。


「そうこなくっちゃ」


 果琳がニッカリと笑う。

 腕を引かれて立ち上がる。

 頭がふわふわとしていたのは、既に治っていた。


「本当に悪いんだけど、もう一回お願いできるか?」

「だ、大丈夫ですか……?」


 希が心配した様子で尋ねてくる。

 本当にこちらのことをうれいてくれているのだろう。

 軟弱だと思われているようで、それはそれで少し悲しいが。


「大丈夫。今度は期待に応えるよ」

「わかりました。もう一戦、よろしくお願いします!」


 希は未だ不安が拭いきれない様子だったが、俺の言葉を信じてくれたようだ。

 トテトテと、希が元いた位置に戻って行こうとする時、果琳が、


「希ちゃん、もう貴己に魔法は効かないから頑張って立ち回ってね!」


 と、声をかけているのが聞こえた。

 そのくらいの忠告ならば構わないだろう。

 むしろ正々堂々と戦える。

 俺も再び、元いた位置まで戻ろうとして、はたと気づき、


「望くん、でいいのかな」


 近くに寄ってきていた望に声を掛ける。


「望、と呼び捨てで構いません。なんでしょうか」

「悪いけど、君との手合わせは夜か明日になる。反故にはしないから安心してくれ」

「……? わかりました」


 不承不承、何のことだかわからないといった様子だが、了承してくれた。


 ……よし、これで心置きなく希と戦える。


 陽が沈むまでに幻想種が現れた場合は果琳に任せっきりになってしまうが……果琳のことなので、あまり心配はしていない。


「双方、準備はよろしいですね?」


 審判の声に、俺と希は無言で頷く。


「では、第二戦−−−−−−−始めッッ!」


 俺は木刀を中段に構え、一歩踏み出した。

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