応援コメント

第28話 一人称の語り部不在なら地の文は三人称?」への応援コメント

  • これは悩ましい問題ですよね。

    歴史物を1人称で書くとなると、なかなか難しく、
    いろんな意味で、そうしたものをすべてフットばして書いたのが、明智です。一人称で、三人称が他章ではでています。
    いいのか悪いのか。

    三人称直接話法。これを否定する古い方がいて、神視点だという方かいます。私は悪くないと思っております。

    みなさんのご意見、ほんとどれも納得のいくもので、そして、文章は口語といっしょで常に進化しているようにも感じています。

    作者からの返信

    アメリッシュさん、こんばんはヾ(・∀・*川
    これまでは、自分の執筆に対する考え方などを好き勝手述べてきましたが、この回は違います。お友だちの皆さんに教えを乞いました。お友だちって無茶苦茶頼りになってすごくありがたいものです。改めてそう思いました。
    他人のふんどしで相撲を取っている感は否めませんが、お互い様ですから。と言いながら、ボクは教えてもらうだけで何も返せていない気がします(笑)出世払いと言うことで(いつ?)
    よろしければ参考にしてみてください(≧▽≦)
    どうもありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト

  • こんばんは!

    人称の話題はやっぱりみなさん興味ありますよね。
    で、今回の話題について私も参加してみたく(笑)

    基本的に一人称で書くならば、見聞きしていないシーンは書かない方が読み手としてはスムーズなのかな、と思います。
    しかしこれでは具体策がないし、解決策にもなっていないわけですね。
    ということでどうするか?

    これはもう、ひたすらエピソードを考えるしかないのではないかと思います。あとで当事者から聞いたシーンとか、想像している、なんてのでもいいと思います。とにかくそれが本文にうまく絡むようにエピソードを作る、というのが大事なのかな、なんて思います。
    ま、思いつかなければバッサリカットです。あとは読み手の想像に任せます。

    あとは日記スタイルとか、振り返るタイプの構造にして、神視点を取り入れるとかですね。わたしはそんな感じでかわしています。

    作者からの返信

    せっきー、こんにちは(*´∀`)ノ゙ チワ-ッス!
    はい。すごく盛り上がっています(´ー`*)ウンウン
    ボクは質問をしただけで、後は皆さんの知見のなせる業です(おいおい)
    皆さんのコメントを拝見したところ、正解は一つではありませんが、使い方を誤ると小説が台無しになることがわかりました。これまでボクはあまり意識しないで書いてきましたが、これからは意識しないと……(´・ω・`)
    一人称で通すならエピソードや伝聞や推測でカバー。確かに、それなら違和感はないですね。と言いながら、「だそうです」とか「と思われる」を多用すると、読み手はストレス溜まるかも(笑)ただ、読み手の想像に任せると、上手く伝わらないことがあるので、しっかり描写したい気持ちもあります。
    昔(死神に選ばれた女)、1人称語り部がその場にいないのに堂々と実況&心理説明という「あたしは何でもお見通しよ的な地の文を展開したことがあります。この黒歴史を反省して精進したいと思います。
    どうもありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト


  • 編集済

    まだ途中を読んでないんですが、ほかのユーザーさんが近況ノートでこのエッセイのこの部分のこと書かれてたので、ちょっと気になって、さきに読んでしまいました。

    神視点は三人称多視点のことですね。心理にふみこむものは、つねにふみこむ形で、ふみこまずに外から観察する視点なら、それで統一するとよいかと思います。ただ、三人称多視点は、じつはかなり熟練してないと乱れが目立ちます。なので三人称一視点が書きやすいですね。

    あと、三人称だけど、主役の心情を()を使わず、ちょくせつ地の文に入れこむ三人称間接話法、または三人称直接話法という手法もあります。これ、もともとは海外の文学で用いられていた手法で、日本ではあまり市民権がありません。ありませんが僕は多用してますw 初心者のかたや中級者のかたが、たまに「三人称なのに急に一人称になるのはおかしい!」と言われますが、それはそういう手法なんです。

    さて、本題の一人称に神視点アリかナシか、なんですが。伝聞、手紙、メールなどを見る形など情報源を工夫して断りを入れた上ではアリかなと。

    主役がいる場面は一人称、主役がいない場面は三人称という書きかた、有栖川有栖さんがやっておられますので、そちらのほうが違和感はないです。昔はこれも禁じ手だったようですが、プロのミステリー作家がやってることならオッケーかとw

    一人称で通したい場合なら、こんな感じですよね。
    『これは、あとで友人Aから聞いた話なんだ。Aは昨日の放課後、教室で一人残って提出のまにあわなかった夏休みの宿題やってたんだってさ。で、そのとき、見知らぬ女の子がフラっと教室に入ってきて……美少女? 美少女だったの? って僕は意気込んで聞いたけど、そんなんじゃなかった! だって、女の子には首から上がなかったって!』みたいな。
    でも、これをあんまり長文でやると、シリアスな話だとウザイかなと思います。とくに相手の内面を事細かに描写する必要があるときなどは、そこまで主役に話したの?ってことになるので。
    伝聞の伝聞(共通の友人Bを通して、主役は聞いた。AとBはかなり深いことも話せる仲)なら、多少ごまかせるかな?
    そこらへんは好みで選べばいいのではないですかねぇ。

    一つだけ、一人称で一番やっちゃいけないなと個人的に思ってるのは、一人称なのに一作品のなかで何人も視点人物が変わるやつ。とくに長編で、三、四人、ことによるともっと大勢の人物の視点を何度も入れ代わり立ち代わりで描いた一人称。
    読者的には読みづらいです。
    他サイトのころに、何人かこの書きかたされてる人がいましたが、主役が誰かわからなくなるし、一人称であるメリットがまったくないと感じました。男女の恋愛物で一人称二人の視点交互でも、ギリかなぁと。ましてや三人以上の視点なら群像劇になるので、三人称のほうがふさわしいし、読みやすいです。
    たとえば短編や連作短編形式で、それぞれの主役が違うというのならアリですが。

    関係ないんですが、他サイトでシリアスゲームノベルの書籍化イベがあったとき、けっきょく大賞該当作品はなく、総評として「思ってた以上に視点の乱れた作品が多かった。もっと基礎力をつけてほしい」みたいなことが書かれてました……。

    視点は書き手にとって最後の難関だと思います。
    問題なのは書いてる本人が視点の乱れに気づいてないこと、指摘しても理解できないこと(指摘した部分でだけは「ああ、そうですね」って言われるけど、その他の部分で同じ間違いしてても直されないんで、根本的にわかってない)……ですね。

    では、長文、失礼しました。
    すでに他のかたが同じようなこと書かれてたら、すみません。

    作者からの返信

    涼森さん、こんにちは(*´∀`)ノ゙ チワ-ッス!
    お忙しい中、わかりやすい説明をいただきありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト
    とてもありがたいです……を飛び越えて恐縮しています(A;´・ω・)アセアセ
    私事ですが、もともと視点は素人で一人称と三人称ぐらいの区別しかできていません。そこで、恥を忍んで皆さんにお聞きしました。一人称の長編が書きたくなったのですが、群像劇のようなイメージなので事前に視点を勉強しておくべきだと思いました。
    過去に書いた作品は、長編・短編に限らず三人称視点が多いです。ただ、()を使わず、地の文でキャラの心情を描写していることもあり、ボクの言う「神視点」は多角的視点からさらに進んで、キャラの心の中まで見通すような三人称です。日本ではNGだけれど、海外では事例があるのであれば、何とかなるかなぁ……。とりあえず、読み手が混乱したり、ストレスが溜まるようであればNGでうね。いくら海外で市民権を得ているからと言って技術が足りないわけですから(ノ_-)ハア…
    一人称神視点については、以前ある小説で採用しました。そのときは「途中で視点を変えること自体がNG」といった思い込みがあったので。カクヨムのコンテストに応募して読者選考は通過しましたが、編集者には鼻で笑われていたのでしょうね(笑)過去の黒歴史ですが、臥薪嘗胆の意味も込めてそのまま残しておきたいと思います。
    そうそう、そのときは、主人公(語り部)ではないキャラの過去の回想を一人称視点で描写したのですが、伝聞表現を使ったナレーションみたいな感じでした。その場にいない、事情を知らないキャラが実況解説と心中を説明しているのですから違和感ありありですね(笑)

    一人称の視点の変化は、ボクも同感です。読み手の混乱が容易に予想できます。一人称の呼称を「私」「ボク」「おいら」「俺」「あたい」など、キャラと呼称を一対一となるよう整理することで緩和されるかも。過去作でもプロローグの2話でそれぞれキャラに語らせたことはありますが、それは男と女ということもあって混乱はなかったと思います。
    あっ、ボクがカクヨムで読んだ短編でも人称がコロコロ変わっていたので「読み手としてはわかりづらい。ストレスが溜まる」という意見をオブラートに包んで意見したところ、ご立腹だったみたいでお付き合いは途絶えました。縁がなかったと諦めます(笑)

    今回、皆さんの意見を聞いて、視点の重要さを改めて認識しました。「たかが視点。されど視点」ですね(´ー`*)ウンウン

    次回作の課題は決まりました。意識しながら視点を書いていきたいと思います。自分が映画監督になったつもりでカメラを回して、読み手の皆さんに情景が伝わるようがんばります。

    改めまして、感謝&感謝です<(_ _)>


  • 編集済

     ぼくはほとんど三人称で書いているので、一人称小説については素人同然なんですが、そのうえで思ったことを語らせてください。ちなみに、ぼくは人称とか視点とかの話、じつは大嫌いなのですが(笑)。

     まず小説には三人称と一人称がありますね。二人称はふつう使いません。
     で、作中でこの三人称と一人称を書き手が混同してしまうと、文章の意味が違ってきます。
     ちょっと前に、どこかでも書いたことなのですが、たとえば。


     健太郎は冷蔵庫からコーラを出してグラスに注いだ。俺はそれを一気に飲み干す。


     これは一人称小説であれば、健太郎がコーラをグラスに注いで、俺が飲むという場面です。が、もし書き手が一人称と三人称を混同していると、健太郎=俺で、この場には一人しかおらず、自分で注いだコーラを自分で飲んでいることになり、まったく意味がちがってきてしまいます。
     というように、人称の混同は、良いとか悪いとかの問題ではなく、小説として欠陥があることになります。ただし、書き手が故意に三人称と一人称を同時に使用している作品もあり、たとえばロバート・ラドラムの『暗殺者』などは、その成功例といえます。

     さて、一人称で、主人公の存在しない場面の描写ですが、基本的にできないとぼくは思います。それは言うなれば無いものねだりであり、たとえるなら「食べて身体が温まるアイスクリーム」みたいなものだと思います。一人称小説で、主人公のいない場所を描写することはできません。

     たとえば、ハワイに旅行に行った親友が帰国してきて、旅の話を聞かせてくれているとします。その旅の話に、いきなり「行ってもいないグァムの光景」が入ってきたら、それはおかしいです。しかも、友人の声ではなく、聴いたこともないナレーションとして入ってきたとしたら、それはホラー、もしくはギャグになると思います。

     ただし、方法がないわけでもありません。友人がハワイで会った人から聞かされた話ということにすればいいです。つまり、回避して挿入する方法はあると思います。

     小説にルールがあるとは、ぼくは思いませんから、そこは無視して無理に主人公不在の描写をいれても構わないと思います。やってやれないことも、ないと思います。

     ですが、一人称小説は、「ハワイから帰ってきた親友のみやげ話」みたいなものです。見てきていないものを唐突に語ることはできません。
     すなわち、「一人称小説とは、そういうものではない」というのが、ぼくの考えです。

     といっても、それは所詮、「パスタはフォークで食べるものだ」程度のことだと思います。食べたかったら、箸でも素手でもいいのではないでしょうか。

    《追記》
     でも、ぼくも前回書いた一人称小説で、主人公以外の視点による解説を入れました。


    作者からの返信

    雲江さん、こんばんはヾ(・∀・*川
    お忙しい中、どうもありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト
    大嫌いな人称の話、この暑さも手伝って気分が悪くなったのではないですか?
    でも、大変参考になるお話、心より感謝いたします<(_ _)>
    ボクが以前書いた一人称小説で、語り部不在の時に一人称を押し通した際は、ナレーションのような言い回しだったと記憶しています。改めて考えると、これも違和感ありありですね(笑)例えば、こんな感じです。

    突然、潤一郎はサラに向かって大きな声を上げた。普段の温厚な彼には似つかない、乱暴な言葉だったけれど、それは優しさの裏返し。私も彼にそんな言葉を浴びせられたことがあるだけによくわかる。

    その場にいない語り部(私)が彼の気持ちを推測しながら、状況を説明しています。後日談で「彼から話を聞いた」というのを匂わせながら語るのはOKですが、霊体としてその場にいるような語りはNGですね。実際その場にいないと。

    やはり一人称に拘るのであれば、その部分は三人称を違和感なく織り交ぜる必要がありますね……。

    これから書こうと思っている小説は、ぜひとも一人称でいきたかったのですが、内容が群像劇っぽくなるので事前に確認しておきたいと思いました。
    もう少し悩んでみます。

  • 一人称の視点で地の文を書く場合、神視点で書く。自分はあまりやりたくないですね。
    あくまで語り部が知っている情報で描いてこその一人称なのだと考えていますから。

    しかしこれだと、描けることの範囲が狭まってしまいますね。
    語り部がいないところで他のキャラクターがどう動いているか。書く必要が出てくる事は多々あります。自分が見てきた中では、そこだけ語り部を変える、そこだけ三人称にするパターンが多かったです。
    もちろん基本となる語り部は主人公ですから、視点が変わる文は極力少なくなるよう工夫が見られました。章と章の間の短い一話だけ、視点が変わるなど。

    個人的には、一番幅広い範囲の出来心や心情を描けるのは、神様視点の一人称なのかもって思っています。
    作者の分身とも言える存在が、あらゆるキャラクターの心情を解説してくれるので、描けることの幅が広がり、書き方次第で読者がキャラクターに感情移入できる語り方にすることができます。

    生憎、自分はこの神様視点を書いたことがありませんけど。
    だけど時折見かける素敵な文章には憧れます(*´▽`)

    作者からの返信

    弟さん、こんばんはヾ(・∀・*川
    お忙しい中、どうもありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト
    一人称ですべてお見通しと言うのは、もともとの一人称視点の魅力がなくなるといった感じでしょうか。確かにその通りかも……。やはり一人称の語り部がいないところでは人称を変えるべきかな。
    一人称に拘るのであれば、三人称との併用を違和感なく書くようにしないといけないですね。悩みます(´-ω-`)ウーーン


  • 昔はNGでも、現在は市民権を得ているものは多くなったかなと感じます。ただ、個人的には「一は一」「三は三」と言うのがストレス無く拝読できるかなと感じます。
    あとは、エピソードによって視点を変えている作品というのも、最近はストレスを感じなくなっているかなぁと思います。キャラは変化しても一人称なので理解しやすいし、書き手によっては作品の世界観を大きく広げてくれるので作品そのもののイメージが深まったりもします。

    (個人的感想です)

    作者からの返信

    愛宕さん、こんばんはヾ(・∀・*川
    お忙しい中、お付き合いいただきありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト
    そうそう、時代・時代に応じて言葉遣いが変わっているように、文章の評価も変わっています。ボクの抱いた違和感も一般的に受け入れられるレベルなのかもしれないと思いました。
    エピによって人称を変えるのも今ならOKなのかな?(´-ω-`)ウーーン
    読み手が「えっ? どういうこと?とならなければOKかな……。
    もともと芸術の世界では、オリジナリティのある作品が異端とされた歴史がありますが、逆にそれが評価されたことも少なくありません。認められるかどうかは時の運かもね(笑)
    もう少し悩んでみます<(_ _)>


  • 編集済

    これは難しいですが、自分の場合は一人称で神視点は今まで書いたことがありません。絶対ダメという事はないと思いますが、途中で神視点に移るとなるとそれを上手に伝えるための書き方が必要になり、自分にその力量はないと判断し避けました。

    と言うわけで、一人称で主人公がいない場合、そこだけ三人称、もしくは別のキャラの一人称にすることが多いです。
    ただ主人公がいない場面が頻繁に出てくるようなストーリーの場合、別キャラ視点の一人称や三人称が何度も入れ替わり出てきてしまうので、それなら最初から全部を三人称にしようと判断し、全体を書き直した事もありました。それが、自分にとって初めての三人称小説になります。

    基本的には、一人称の方が書きやすいのですよね。三人称の場合、主人公の心理描写を書こうとすると、そこだけ主人公の感情が入りすぎて一人称っぽくなる事も多いです。それこそ、一人称神視点に近くなってしまうのかもしれません。
    三人称の上手な書き方や、主人公不在の際にどうすればいいか、良い回答があれば参考にしたいです(#^^#)

    作者からの返信

    お兄さん、こんばんはヾ(・∀・*川
    お忙しい中、お付き合いいただきありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト
    読み手のことを考えれば、人称変更はストレスが溜まりそうなので避けた方がいいかと思います。ただ、そうすると、他のキャラの過去の回想シーンなんかで、一人称神視点となってしまいます。三人称を使うのが無難ですが、一人称を使いたいときは……最初から三人称にするか、違和感を抱かせないよう人称変更をスムーズに行うか(´-ω-`)ウーーン
    おかげ様で、たくさんの方から回答をいただきました。
    もう少し悩んでみます。


  • 編集済

    私の場合なので参考にならないかもしれませんが、一人称の視点で地の文を書くとき神視点で書くのはNGにしています。
    そこで一人称にとても近い三人称(憑依型?)を使っています。

    昔と比べて今の三人称はとても使いやすく、視点の切り替えが楽になってます。
    主人公がいない場面でも書けるし、心理描写もできます。
    昔の三人称だと心理描写は絶対NGだったのですが、一人称にとても近い三人称が使いやすく、人気です。

    一人称は内面をしっかり書けますが、視点の切り替えが難しく、主人公のいない場面は書けません。
    私なら大まかなストーリーを考えたとき、主人公以外の過去談を書く予定があるなら最初から三人称で書くと思います。

    一人称のままだと主人公が主人公以外の内面を説明することになり、ちょっと戸惑ってしまうかも?
    その点、もともと三人称なら違和感を減らすことができると思います。

    どうしても人称や視点を変えるときは、章をかえたりエピソードタイトルをかえたりして、誰の視点なのかわかりやすくすれば良いと思います。

    作者からの返信

    江田さん、こんばんはヾ(・∀・*川
    いえいえ、参考になりましたよ(´ー`*)ウンウン
    ご多忙の中、ありがとうございました(*╹◡╹*)アリガト
    やはり一人称ですべてをお見通しと言うのはキャラに感情移入できませんね。
    次回作は一人称と思っていましたが、群像劇の様相があるので三人称にした方が良さそうです。
    もう少し考えてみます<(_ _)>


  • 編集済

    RAYさま、世の中は暑いですね。私が陣取っている場所は、エアコンが壊れていてサウナの様な世界です(笑)

    的を得ているのか。そう言われればぐうの音も言えませんし、RAYさまも知ってることだと存じ上げます。
    一応、私が思った事を書き綴りますね。

    >一人称視点の小説で、その場に語り部がいない場合、風景描写や会話文は一人称で書くのか? それとも、三人称に変更すべきなのか?

    >>私が見た市販されている小説の中でこんなものがありました。一人称の視点の小説でしたが、場面によっては三人称を交えたものがありました。三人称に変わることを改行などで明確にしていましたね。混ぜる事はタブーではないようです。すなわち一人称から三人称に変わる事を改行などで明確に伝えて、物語を進める。

    >個人的には、途中で地の文が変わることに違和感があって、過去にそんな場面に直面したとき、一人称で通してしまったことがある。

    >>私も同じです。違和感を覚える輩です。チラシ裏で書き綴っている小説は、視点を変えました。章ごとに一人称の人物を変えて物語を進めました。如何しても、神視点のような語り部を必要とする場面は、映るや見るを使って一人称で語りました。鏡や瞳などに映る自分や自分達を表す。もしくは、写真などを見るなどで、過去を思い出す形で場面を演出しました。この手法は名前を忘れてしまいましたが、名称が付いています。
    あっそれと、会話する人に語らせることもしました。
    参考になれば、幸いです。が、的外れであれば削除して下さい。

    作者からの返信

    美ぃ助さん、こんにちは(*´∀`)ノ゙ チワ-ッス!
    お忙しい中、ありがとうございます(*╹◡╹*)アリガト
    いえいえ、大変助かりました<(_ _)>
    一人称の長編を書きたいと思っていたところ、疑問に思って悩んでしまったので、皆さんを頼ってしまいました。本当にありがたいものですね。お友だちって❤
    主人公以外のキャラについて過去や心情を掘り下げる必要がある場合なんかは、やっぱり三人称ですよね。何となくはわかっていながら、モヤモヤしていました。どちらも読み手の違和感があるような気がして……。
    お心遣いに感謝&感謝です*:.。☆..。.(´∀`人)
    今日も一日笑顔で過ごせますように☆彡