第一幕ノ二十三 夕焼け映える妖怪温泉――仕置き人の想いと少女の願い


「そんなこんなで毎日のように凛と絡み始めた頃でした――左馬之助のおっちゃんとツバメさんが、凛を北条家に連れてやってきたのは」

「おぉ~そらぁお互いびっくらこいたやろぉ」

「そりゃあもう。お互いがお互いを指さして同時にお前はっ?! と叫んだのを今でもよく覚えていますよ。そしてツバメさんからお前などという言葉を使うなと頭をペシンとはたかれて仏頂面してたあいつのツラも。それを見て、まぁ~堅苦しいことをいわんでもよかろう、俺の見る限り凛とそこの坊主は仲の良い顔見知りのようだ、砕けた言葉を使ってもかまうまい。なんてツバメさんをたしなめてたおっちゃん……。本当に、今でもよく覚えていまさぁ。それが、おっちゃんとツバメさんを初めて見た時だから、なおさら……よく」


 遠い彼方を見るかのような目をする煉弥。その目はおそらく、二度とは戻ってこぬ、美しい追憶の彼方を見据えているのだろう。


「その時、タツ兄が初めて俺の存在を左馬之助のおっちゃんに打ち明けたらしいんでさぁ。そしたら左馬之助のおっちゃんが、北条家が子育てなんてできるものかよ、なあツバメ、この坊主をうちで引き取ってやらないか? って言いだして……」

「豪気なやっちゃなぁ。で、ツバメはんはそれ聞いてなんていうたん?」

「そしたらツバメさんも、それもそうですねっていともあっさりと受け入れちまったんですよ。それから話はとんとん拍子。あれよあれよという間に、その日のうちに俺は藤堂家へと連れ帰られちまったわけでさぁ」

「……ほんま豪気な夫婦やなぁ」

「ええ、まったくっすよ……それで俺はその日から藤堂家の世話になることになったんですが、ここで凛が大癇癪を起こしちまいやしてね」

「まあ、そうなるやろなぁ。今までは一人っ子で花よ玉よと大事にされてきたんに、にいちゃんが来るとなるとそうもいかなくなるやん? それに自分のおとんとおかんをとられたような気もするやろうし、にっくき仇敵きゅうてきみたいなにいちゃんが一緒に住むいうんは、色々と思うこともあろうしなぁ」


 骸骨のこの言葉に、煉弥は思わず、ふふっと笑みを漏らしながら、


「そうっすよね。誰だって、そう考えますよね。おっちゃんもツバメさんも凛の癇癪の原因はシャレさんの言うようなものだと思って、藤堂家の広間に俺と凛を座らせて二人して凛に言い聞かせようとしたんでさ。そしたら、あいつ何て言いやがったと思います? おっちゃん達が言い聞かせようとした時に、機先を制するように開口一番、この者は凛の弟になるべきです! 凛が姉上なのです! 凛はこの者の下になどなりたくはありません! ですぜ? これにはさしもの二人も目を丸くしてやしたよ」

「なんやねん、それ。その凛って娘ぇ、どんだけ気が強くてどんだけ上下関係にうるさいねん」

「まったくっすよ。だけどここまで言われちゃ、俺だって黙ってはいわかりましたと凛の弟に成り下がるのもなんだか癪ってなもんです。すぐさまその場で俺と凛はどったんばったんといつものように大ゲンカをはじめちまいやしたよ。でも、すぐにツバメさんから静まれ! ってげんこつ落とされてその場はいなされましたがね。おっちゃんはというとそれを見てニヤニヤしながら、賑々にぎにぎしい家族が増えて嬉しいのうって言ってましたよ」

「せやけど、ツバメはんからすりゃあたまったもんやないやろうなぁ。凛ってはねっかえりな娘ぇだけでも手を焼いてはったろうに、わんぱくで暴れまわるにいちゃんまで抱え込んだとなると、何しくさるかわからへんから、常に目ぇ離せへんかったんちゃうん?」


 たまらんなぁ、と両手を目一杯広げて首をかしげて見せる骸骨。


「それがそうでもなかったんで……後々わかったことなんですが、凛は家の中でかなり大人しい子だったようで、あんまり大人しすぎる――というか大人びすぎてて――おっちゃんもツバメさんも心配してたらしいんすよ。でも、俺が藤堂家に来て、凛も年相応のガキっぽい姿をちゃんと見せるようになって、御二人とも安心したみたいなんすよね。おっちゃんがよく言ってましたよ。坊主が来てくれて、凛がちゃ~んとガキになってくれたって」

「せやかて、にいちゃんとその凛って娘ぇ毎日ばったばた暴れくさっとったんやろ? ほたらやっぱり目ぇ離せへんちゃうん?」

「そこは凛の性格と信用みたいなのがあったんじゃないですかい? たしかに、ケンカしたり大暴れはしやがるかもしれねえけど、人様に迷惑をかけるような無茶苦茶はしねえって。それをもし俺がやろうとしたら、凛が意地でも俺を止めようとするんじゃないかってたかをくくってたみたいですよ。まあ、おっちゃん達のこの想像は大体当たってたんですけどね……」

「ってことはなんや。にいちゃん、その凛って娘に首根っこひっつかまれてたわけか?」


 カタカタとあごを鳴らして笑う骸骨。


「まあ、そういうことっす。いたずらをしようとすると、キサマッ!! と一喝。凛と呼び捨てで呼べば、姉上とよべっ!! と一喝。そして一喝されるたんびに、俺はうるせえこのやろう!! とケンカをふっかけたもんでした。そしてどったんばったんとやり始めたら、ツバメさんがすすっとどこからともなく現れてがつーーんときつい拳骨一発、それを見たおっちゃんがゲラゲラ笑うってのが様式美になってやしたね」

「騒々しいけど、幸せな家族風景っちゅうやっちゃなぁ」

「ええ……ほんとうに。うん……ほんとうに、幸せでしたよ。当時は、んなこと思いもしやせんでしたが、こうしてちったあ歳とって、世間の厳しい風あびて、そして――そのなんでもない日常ってのが二度と戻ってこないってなって……やっとその価値がわかったもんでさぁ」

「そりゃあしゃあないでぇ。人っちゅうもんはな、幸せんときほど、その幸せがわからんもんなんや。そして、その幸せぇ失って、初めてその幸せがどれほど素晴らしく、ほんでどれほど手に入れ難いもんかって、やっとわかるもんなんや。おっちゃん見てみ? 肉も皮膚も命も失って、やっと幸せちゅうもんがどないなもんかわかったクチやで? それから考えたら、そないな若い歳で幸せちゅうもんがどないなもんかわかったちゅうんは、にいちゃんにとって、大きい財産になるんとちゃうか?」

「そんなもん……ですかねぇ」


 そんなもんやで、とつぶやきながら骸骨がバシャリと自分の顔に湯をかけ、きゅっと手ぬぐいで吹き上げる。こころなし、さっきより顔が白光りしているようにみえる。


「せやからこそ――あの七年前の辻斬りの下手人が許せへんのやろ。せやからこそ――にいちゃんは妖怪こっちの世界へ足を踏み入れた」

「ええ――ですが、理由はそれだけではないんですがね」

「みなまで言わんでもええ。せやけどな、おっちゃんからすれば、にいちゃんが全部背負うて生きていくっちゅうんも、なんかちゃう気がするでぇ。ほんまに、その凛って娘ぇが好きなんやったら、分かち合わなあかんとちゃうん? 喜びも、悲しみも、嬉しさも、憎しみも――それが大事なんちゃうん? せやけど御役目のことに関しては、まあしゃあないで。ツバメはんは左馬之助はんと祝言しゅうげん(結婚式のこと)あげとったから例外やからな。にいちゃん、その凛って娘ぇと祝言あげる気とかあるんか?」

「……いえ、ありません」


 言葉は断定的だが、態度が明らかに煮え切らない煉弥に、骸骨がその白光りする空洞だらけの顔をずずいっと近づけて一言。


「あんなぁ、にいちゃん。生きていくうえで一番あかんことってのは、自分に嘘つくことや。二番目にあかんことは、人に嘘つくこと。にいちゃん、今一番あかんことと、二番目にあかんことを同時にやってるで」


 ズバリと指摘され、骸骨の空洞の眼窩がんかから視線をそらす煉弥。そして、絞り出すように一声。


「……かもしれやせんが、そうせざるを得ない俺の気持ちもわかってくださいよ」

「あ~~わからへん。わからへん。おっちゃんはにいちゃんやあらへんから、にいちゃんがどう思っとるかとか、にいちゃんが言うてくれへんとわからへん。そやろ?」

「…………」


 二人の間に流れる、長い静寂。その間、骸骨の空洞の眼窩が、視線をそらす煉弥に絶えず向けられていた。やがて、骸骨の無言の圧力に耐えられなくなったか、


「そりゃあ――もし、できるもんなら凛と一緒になりたいと、夢想したことは何度かありやすよ。しかしですね……わかるでしょう? 俺とあいつじゃ、ダメなんですよ。住んでる世界が違いすぎる。凛がツバメさんのように分別あればまだいいが、凛が俺のいる世界を知ってしまえば、きっとよくないことになるに決まってる。こいつは理屈じゃありやせん。感覚でわかるんです。あいつと一緒にいたからこそ、わかるんです。あいつが……その、すっ、す、好きだから……わかるんです」


 視線をそらしたまま、顔を赤くして煉弥がその心情を吐露する。やっと素直になった唐変木に、骸骨はカタカタ笑いながら、


「なんやにいちゃん、湯あたりでもしたか? 顔が真っ赤やでぇ?」

「しゃっ……シャレさんが話せってすごむから、話したんすよ? 後生ですから、おちょくらないでくださいよ……」

「いやぁ、すまんすまん。まあ、冗談はおいといてや。にいちゃん、凛って娘ぇに、一度でもええから、お前んことが好っきゃねんて伝えたことあるんか?」

「あ、あるわけないでしょう!」

「ん~そらあかんなぁ。にいちゃん、色々考えるんは結構やけど、とりあえず気持ちだけは伝えたほうがええと思うでぇ? ほんで、気持ち伝えて、そっから相手がどう出るかで、身の振り方考えたらええんちゃうん? 今のにいちゃん、言うなれば捕らぬ狸の皮算用やで? どうなるかわからへんのに、自分で勝手にこうなる決めつけて、ほんで相手の気持ちも考えんと勝手にそれが相手にとっていいことなんや~いうてるだけやで? そらあ、にいちゃんの予想通りになるかもしれへん。せやけど、人の気持ちいうんは、本人にしかわからへんもんやろ? 人間になんで口っちゅうもんがあると思う? 生きるためにあるもんや。ほんで生きるってぇのは、一人っきりじゃ生きていかれへんもんや。人同士がつながりあって、助け合って、互いに思いやりながら生きていくもんや。そのためには、自分の口を使つこうて、自分の思ってること相手に伝えて、相手に自分を理解してもらわなうまくいかへんもんや。わかるか、にいちゃん?」

「…………」


 沈痛な表情でうつむく煉弥に、骸骨がカタカタと笑いながら言葉を付け足す。


「まあ、おっちゃんもこないなえらそうなこと言うとるけど、おっちゃんも色々とやりそこなっとるからなぁ。せやから、こないな姿になってもうてるわけやしな。けどな――やりそこなっとるからこそ、色々とわかることもあんねんで。おっちゃんは、にいちゃんにおっちゃんのような後悔はさせとうないだけやねん。なんもせんで後悔するより、なんかして失敗したほうが一万倍マシやで。少なくとも、なんもせんより成長できるからなぁ」

「……ですかねぇ」

「せやでぇ。やから、ビビッとらんと、いつものにいちゃんらしく図太く、凛って娘ぇにバシィ!! と言うたれや。お前は知らへんかもしれんけど、俺はずっと前からお前のことが好っきゃねんぞぉ!! ってなぁ」


 カタカタカタカタと高らかに笑う骸骨につられたか、煉弥もふふっ、と笑みを取り戻して、


「まあ――考えておきますよ」


 と、夕焼け空に向かってつぶやいた、その刹那――――、


『うひゃぁ~~~~ひゃっひゃっひゃッ?! や、やめっ、やめろやめろやめろぉ~~~ッ!!』


 ついたて一枚向こう側の女風呂から響く、悲鳴と笑い声が入り混じった、狂瀾怒濤きょうらんどとうなる少女の叫び声。


「なっ、なんだぁ?」

「お~お~盛大にやられとるようやなぁ。こりゃあ、声から察するに、あのオオカミの姉ちゃんやな」


 まさにカンラカラカラと、そのものずばりな音をたてながら笑う骸骨に煉弥が問う。


「何が起こってるんですかい?」

「いやなぁ。おっちゃんが風呂の前まで来た時な、垢舐めの集団がキャッキャ言いながら女湯の脱衣所に入っていくの見たんや。ああ、こりゃあ女湯におる妖怪、ひどい目にあいよるなぁ思ってたら案の定や。あのオオカミの姉ちゃん、いっつも走り回りよってるから、身体に垢がいっぱいついとるやろうから、今頃、垢舐めの集団に全身ねぶられてんねやろ」


 幼子の姿をした垢舐めの集団から、全身をべろべろと舐められて悶絶している、健康的な小麦色の肌のオオガミの姿が煉弥の頭にまざまざと浮かんでくる。なんと、けしからん光景であろうか。


「……そろそろ、俺ぁあがらせてもらいやすよ」


 努めて平静な声をだしながらも、やや屹立きつりつ状態になりつつある自慢のムスコを手ぬぐいで隠しつつ、前かがみになって立ち上がりかける煉弥。それを見た骸骨、急に妙な体勢をとりだす煉弥を心配し、


「にいちゃん、どないしたん? 腹でもいとうなったん?」

「い、いや……別にそういうわけじゃありやせんが……」


 ここはなんとかうまく誤魔化さなければ、またありがたくもない異名を拝命しかねん。そんな焦る煉弥に思わぬ助け舟。突如として、骸骨に向かって大きな湯しぶき一つ。それを思いっきり顔に浴びた骸骨、声を荒げて、


「何さらすねん?! どこのアホやボケェ?!」


 骸骨の振り向いた先には、肉の塊の肉人がふんぞり返って骸骨を見下ろす姿。なぜかこの肉人、そりが合わぬのか、ことあるごとに骸骨に対してちょっかいを出してはケンカを吹っかけてくるのであった。


「ま~たおどれかこのボケが!! 今日こそ、おどれのケツから手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるからなぁ!! 覚悟せえよ!!」


 煉弥を心配していたことなど、どこ吹く風。因縁の強敵ともへと飛び掛かる骸骨。それをどでかい肉体で受け止める肉人。化け物長屋の数ある名物の一つである『骨肉の争い』が、ここ狐の湯にて始まった。


 いいぞぉ~~! やっちまえ~~~! と、やんややんやと騒ぎ立てるやじ馬妖怪共をすり抜け、煉弥はいそいそと脱衣所へと逃げ込んだ。気持ちとムスコを落ち着かせるために何度か深呼吸をし、いくらか落ち着いたところでテキパキと身支度を整えはじめる。身支度の途中、先程の骸骨の言葉が煉弥の頭の中で繰り返されていた。


(好きなら好っきゃねんって、伝えた方がええんとちゃうか?)


 たしかに、シャレさんの言う通りかもしれん。だが……それをあいつに伝えるには、ちと今の俺にゃあ荷が重すぎまさあ。


 身支度をパリっと整え、鬼薙乃太刀を手に持ったところで煉弥はふと思う。


 今の辻斬り事件を解決し、七年前のことを少しは明るみに出すことができりゃあ――その時は、あいつに伝えることができるのだろうか。


 束の間の思慮は、鬼薙乃太刀を腰につけたところで打ち切られた。


 何はともあれ――まずは、今の事件を解決してからの話だな。


 決意新たに、脱衣所から出て狐の湯の入り口にまできたところで、思わぬ姿が煉弥の目に映った。風呂桶を手に抱えてうつむいている八重と、その横でニヤニヤとキツネ目を細めて悪い笑みを浮かべている楓が狐の湯の入り口にいたのだ。


「楓さんに八重さん?」


 煉弥の呼びかけに楓が、まってたのよぉ♪ と、うつむいている八重の手をひっぱって煉弥の前へと放り出した。ひゃぁ! と声をあげる八重を、煉弥が手で受け止める。


「っとと……大丈夫ですかい?」


 煉弥に受け止められ、耳まで真っ赤に染め上げる八重。慌てて煉弥から離れていつもの、


「ごっ、ごめんなさぃ~~~!!」


 という怒涛の謝罪を繰り出そうとするのを楓が、


「ほらほらぁ~? 八重ちゃんってば、レンちゃんにお願いしたいことがあるんでしょぉ?」


 と、八重の背中をパシンと叩いて制した。


「ひゃうっ?! でっ、でも、あの、その……煉弥さんは、今とってもお忙しい身の上ですし……それに、私なんかがお願いをするなんて、そ、そんな恐れ多いこと……」


 うじうじとする八重にイラッ☆ とした笑みを浮かべた楓が、煉弥に向かって、


「ねえレンちゃん。明日の夜に町でお祭りがあるのは知ってるでしょう? そこに八重ちゃんのお母さんが興行を打ちに来るらしいのよ。だから八重ちゃんはお母さんに会いに行きたいのだけど、一人で江戸の町に出ていくのは怖いから、レンちゃんに付き添ってもらえないかって、お願いしにきたのよぉ♪」

「かっ、楓さぁん!」


 勝手に話を推し進める楓に、顔を赤くした八重があわわわわと訴える。そんなことなどお構いなしに楓は、


「レンちゃんにとって、ちょうどいい息抜きになるんじゃないかしらぁ? ねえ、レンちゃん、楓さんからもお願いよぉ♪ 八重ちゃんとぉ、お祭りに行ってあげてくださいなっ♪」

「祭り――ですか」


 チラリと八重に視線をやる。肌という肌を真っ赤に染め上げ、うつむいたまま小刻みに震える八重の姿に、思わず煉弥は笑みを浮かべた。きっと、八重さんなりに相当な覚悟でお願いをしにきたんだろう。それを無下にしちゃあ、かわいそうだ。


「ええ、わかりました。俺でよければ、ご一緒いたしますよ」


 この煉弥の言葉に、八重は思わずぴょこんと小さく跳ね、


「ほっ、ほんとですかぁ?!」

「やったじゃない八重ちゃん♪」


 着地した八重のお尻をぺしん、と楓が手ではたけば、ひゃぁ?! と悲鳴をあげてびょ~~~~んと伸びる八重の首。ごめんなさいねぇ♪ と笑いながら楓が謝れば、八重も伸ばした首をあわててしゅるしゅると元に戻して、


「そ、そ、それではっ! あ、あ、あ、明日はよろしくお願いいたしますっ!」


 と逃げるようにして、女湯の脱衣所の方へと駆けていった。八重の姿が見えなくなったところで、


「で、どうして八重さんと楓さんが一緒になったんですかい?」

「なぁに~? さては楓さんが八重ちゃんをけしかけたとでも思ってるのぉ? おあいにくさまっ♪ レンちゃん達が出ていった少しあとに、八重ちゃんがお部屋にやってきたのよぉ♪ それでお話を聞いたらああいうことだったから、じゃあ楓さんもついていってあげますからお願いしてみなさいってことになったのよっ♪」


 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべて煉弥に言う楓。楓がこの笑みを浮かべている時は、大概たいがいろくでもない悪だくみを考えている時である。しかし、それを追及したところでまともな答えが返ってくるわけでもないことも、楓との長い付き合いで煉弥はよく心得ていた。となれば、煉弥がとるべき行動はただ一つ。


「……そうですか」


 なるようにならぁな、と流れに身を任せることである。


「さぁさぁ、お部屋に帰りましょう♪」

「オオガミはいいんで――――」


 そこまで言いかけたところで、先ほどのオオガミの叫び声が脳裏によみがえる。


「――ええ、帰りましょう」

「帰りましょう♪ 帰りましょう♪ カラスが鳴かなくても帰りましょう♪」


 元からオオガミなど眼中になかったのか、見事にオオガミのことを無視して帰途につこうとする楓。その楓の後ろに追従するかのように、煉弥も帰途につきはじめた、その刹那――――、


『ひゃっ?! ひゃぁぁ~~~~~~~~~~~~~~!!!!』


 今まで聞いたことのないような、八重の心の底から助けを請うような悲痛な叫び声が狐の湯から轟いた。


「……まさか」


 煉弥の脳裏に、たゆんたゆんと二つの巨大な果肉を揺らしながら、ごめんなさいごめんさいと垢舐めの集団に謝りながら悶絶している八重の姿が浮かび上がる。なんと、なんとけしからん光景か。


「あらぁ?」


 首をかしげて怪訝そうな表情を浮かべる楓を尻目に、煉弥はやや前傾姿勢になりながら小走りに部屋への帰途へとつくのであった。

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