第一幕ノ二十二 夕焼け映える妖怪温泉――追憶は骸骨と共に


「ふぅぅぅぅ~~…………」


 温泉に浸かりながら体中の疲れを腹の中で一つにまとめ上げ、それを口から一息に吹き出したかのような深い息を吐く煉弥。


 ここは化け物長屋の中に作られている、共同露天風呂。


 江戸っ子は火事とケンカも好きだが、それに次いで風呂に入るのもめっぽう好きな人種である。そして、それは妖怪であっても同じこと。江戸の化け物長屋に住む妖怪共は、一にも二にも、とかく風呂に浸かるのが好きで好きで仕方のないやつらばかりであった。


 長屋の差配人が楓の代になってから、楓の元に妖怪共の風呂を作ってくれという嘆願が山のように届けば、楓さんも実はお風呂が欲しかったのよねぇ♪ と長屋の端の空き地を楓が妖術で地面をぶち抜いて掘り起こし、温泉が出るまで休みなしよぉ♪ と地獄の沙汰を受けた式神達によって、この化け物長屋の露天風呂――通称『狐の湯』が作り上げられたのだった。


 露天風呂には景観が大事なのよぉ♪ という楓の強いこだわりもあって、この露天風呂から望む景観は中々のものであり、特に夕焼け時の燃えるような太陽がゆっくりと遠くの山々に沈んでいく景観は、まさに絶景であるといえた。


 それゆえに、今のような夕暮れ時には、この露天風呂は妖怪達の裸の付き合いの憩いの場となっているのであった。


 ちなみに、混浴ではなく、男風呂と女風呂でちゃんと隔てられている。が、男風呂と女風呂は壁一つで隔てられた隣同士になっており、スケベ妖怪によるのぞきが後を絶たないとか。


 ところでなぜ煉弥がこの狐の湯にきているかというと、凛が帰ったそのすぐ後にオオガミが目を覚まし、目覚ましがてらに湯に浸かってきたらぁ? と楓に促され、じゃあお前もついてこいヨ! とオオガミから引っ張られてきたという次第。


「景観は悪くはねえんだが……」


 そうつぶやく煉弥の周囲に集いしは、心臓の悪い人間が見れば、それだけでお迎えが来てしまいそうなほどの個性豊かな野郎妖怪共による地獄絵図。


 湯船の中には一つ目小僧の親子連れ、相撲取りのような巨体を有する肉人ときて、こいの頭をした筋骨隆々とした肉体をもつおとこの鯉野郎。


 そして洗い場には、お前は湯船につかっても大丈夫なのか? とツッコミたくなる巨大な車輪に火をまとった姿の輪入道と、そんな輪入道の身体を見て、いやぁ~~いつもワーさんの身体ぁキレッキレッすねぇと、おだてながら輪入道の身体を手ぬぐいでこする河童の集団。


「……いつもながら、中々に刺激的なお姿な湯治客の集まりだぜ」


 チラリと目線を男湯の入口へとやる。いったい、次はどんなイカれた姿をした野郎が入ってくるか、まったくもって気が気でない。そんな煉弥の後ろから、ざんぶざんぶと湯をかきわけながら近づいてくる一つの影。


「おぉ~にぃちゃん久しぶりやなぁ。元気にしてたんかぁ?」


 軽快な関西弁に振り向けば、そこにいるのは見事なほどに白光りをする一人の骸骨しゃれこうべの姿。


 この骸骨、その見てくれとは裏腹に、堺の国(関西)から、なんやおもろいことはないかと江戸まで着の身着のまま――といっても骨しかないが――の姿で一人で長旅を経てやってきた強者であり、聞き上手でありながらしゃべり上手という、化け物長屋きっての相談役として親しまれていた。


「ちわっす。シャレさん」


 おぉ、こんにちはさんやでぇ、と言いながら煉弥の隣でゆっくりと全身を湯に浸からせていく骸骨。


「あぁ~~……たまらんわぁ……骨まで染みるでぇ……生き返るようやわぁ……」


 そう言った後、しばらく煉弥を見続ける骸骨。しかし、骸骨の渾身のネタを聞いても黙ったままの煉弥に、ため息を吐きながら、


「なんやにいちゃん。悩みでもあるんか?」

「え?」

「いつものにいちゃんやったら、シャレさん骨しかあらへんがな~~とか骨だけのくせに生き返るもクソもありゃしませんがな~~みたいに、バシィ! と小気味いいツッコミいれてくれるやん? それなのに、ぼぉ~としくさりよってからに、そないな様子やったらにいちゃんが悩んでるいうの、誰が見ても一目瞭然やで?」

「そんなもんっすかね」

「せやで~。ほんで、どないな悩みや?」


 骸骨の言葉にこたえず、頭にのっけていた手ぬぐいで顔をぬぐう煉弥。それを見た骸骨、ここはさすがに聞き上手の名にふさわしく、


「まあ、別ににいちゃんが話したぁないいうんやったら、無理して話さんでもええねんで。せやけど、話したが楽になるちゅうこともあるよってなぁ……ま、本人の好きや」


 せかすでもなく強制するでもなくといった言葉を、骸骨は諭すような口調で誰にでもなくつぶやいた。


 …………煉弥と骸骨の間に流れる長い沈黙。やがてその沈黙は、


「シャレさん――ちょっとした身の上話なんですが、よかったら聞いちゃくれやせんかい?」


 という煉弥の神妙な口調によってやぶられた。


「ええで~おっちゃんなんかでええんやったら、いくらでも聞いたるでぇ」


 ありがとうございます――、と前置きし煉弥は語りだした。


「身の上話なんて言いやしたが、つまりは俺がガキん頃の話です。そもそも俺が両親のわからねえ山っ子ってことはシャレさんも知ってますよね」

「おぉ~もちろんやでぇ。なつかしいなぁ。にいちゃんが坊の頃、おっちゃんの姿一目見るなりびっくらこいて大泣きしたやん? あれにはほんまに往生したでぇ」


 カタカタカタとあごの骨を鳴らしながら笑う骸骨。


「御言葉ですがね、シャレさんとの初対面で泣かねえガキがいるってんならこの目で見てみてえくらいですよ……。まあそいつぁさておき、俺が楓さんから引き取られて一年間ここで過ごした後、俺は北条家――つまりはタツ兄と玄鬼オジキのところに引き取られたわけですが……」


 ふふっ、と笑う煉弥。


「どないしたん?」

「いや、引き取ってくれたのはありがたいことなんですが、ほら、タツ兄も玄鬼オジキもお忙しい身でしょう? だから俺の相手ぇするのはおはしさんしかいなかったわけですが、そのおはしさんも一人で北条家の雑用を切り盛りしている身ですから、おはしさんも中々ぁ俺の相手ができなかったもんでしてね」

「せやな~。あの家のやつらぁ、ほんまいつ休んでんねんってくらいに働きづめやからなぁ。ま、せやからおっちゃんらがこうやってここに住めるワケやけどな。ほんま、感謝感謝やで」

「ですな。とまあ、それで俺はたいがいあのでかい家の中のでかい部屋の中にぽつねんと一人でいることが多かったってわけでさぁ」

「ほたら、にいちゃん寂しかったやろ?」

「それがそうでもなかったんで。山の時から一人っきりってのは慣れてやしたからね。ただ、じっとしてなきゃなんねえってことがしんどかったんでさぁ」

「お~なるほどなぁ。確かに、ガキの仕事は遊ぶことやからなぁ」

「だからおはしさんの目ぇぬすんではよく抜け出したもんでした。そして、そこら辺のガキ共見つけちゃあ、いちゃもんつけていたずら放題の好き放題ってなもんでしたよ」


 この煉弥の言葉に、骸骨はケタケタ笑ってあごの骨をカタカタならしながら、


「そらぁにいちゃんガキの間で有名人になったんちゃうかぁ? 山におる感覚で町ん中走り回りよったらごっつ目立ったやろうに?」

「シャレさんのおっしゃるとおりで。いつの間にか、俺は盗み働いてた時みたいな、カラス天狗だの化け物の子供だの、あまりありがたくねえ異名を拝命してたんでさ。だけど、当時の俺はそんなことなど露知らずに、いたずらにドンドン拍車をかけていきましてね」

「いたずらも慣れがきたら刺激が少ななって、おもろなくなってくるやろからなぁ。せやから、拍車がかかっていったんちゃうん?」

「まさに、その通りで。この頃になると、タツ兄達も俺が家を抜け出して悪さしてるなってことに気づいてきた。だけど、どうやって言い聞かせりゃいいかわからねえから、手をこまねいてた次第でやして」

「あ~わかるわぁ。もし、北条のやつらがにいちゃんに、オイタをもうやめや? って言うたとするやん? ほたらにいちゃんが、せやったら遊んでくれるか? って言い返しよったら、どうしようもあらへんからなぁ。北条のやつらが遊べへんから、にいちゃんは外でオイタしよるんさかい」


 絶妙なタイミングでうたれる、的確な相槌。これぞ骸骨が聞き上手と言われる所以ゆえんである。


「だからますます俺は助長しやした。今までは楓さんという絶対者がいたから大人しくしていた。だけど、もうその楓さんは俺の傍にいない。自由だ! 自由だ! いい気なもんでしたよ」

「せやけど、にいちゃんの気持ちもわからんでもないでぇ。おっちゃんが楓はんと一年も一緒に暮らしたら、きっと気ぃ狂うやろなぁ。いや、楓はんが悪い人いう意味ちゃうで? 性格があわへんねん。おっちゃん、適当でズボラな性格やん? そんな性格のおっちゃんが、あの几帳面でちょいと潔癖な楓はんと一緒に暮らすなんて、何べん楓はんをキレさせて、何べん雷落とされて死んでまうかわからへん。にいちゃんも、おっちゃんと一緒でそないな適当なところあるやん? せやから、楓はんからの解放感いうんはわかる気がするわぁ」

「いや、シャレさんはもう死んでるでしょうに……ってまあそんな感じで、俺が毎日好き放題をして手が付けられなくなってた時でした――――あいつと、出会ったのは」


 遠い日を思い出すように、少し顔をあげて夕焼け空を見つめる煉弥。その拍子に、頭にのせていた手ぬぐいが湯にポチャンと落ち、それを骸骨が手ですくいあげて煉弥に手渡す。


「あいつってぇ、どなたさんや? おっちゃんの知ってるもんかぁ?」

「ええ。何度か見たことがあるでしょう? 凛ですよ。藤堂凛。左馬之助のおっちゃんと、ツバメさんの娘ですよ」

「あ~、そういやツバメはんと一緒にここにきてたときに、何べんか見たことあるなぁ。ガキん頃から、きっつい性格しとんな~思うてたから、よぉ覚えてるわぁ」

「そのきっつい性格ってのが肝でしてね。ある意味で言えば、あいつがきつい性格をしてたからこそ、俺と出会ったみてえなもんでして」

「どないなこっちゃ?」

「俺が俺でガキの間で有名だったように、あいつはあいつでガキの間で有名だったんですよ。チャンバラごっこで遊んでたら、飛び入りで参加してきて容赦なくボッコボコにしてくるきつい武家のガキがいるってね」

「そりゃあ、ものごっつ恐ろしいガキやな」


 カタカタと笑う骸骨。


「あいつは昔っからとにかく清廉潔白せいれんけっぱくを地で行くやつで、とかく世の悪許すまじって口癖のように言うやつでしてね。そんなやつが、さいきん巷で噂になってるいたずら小僧のことを耳にしたら、どうすると思いやす?」

「そないな悪党、自分が成敗したるわ~! って息巻いたんちゃうん?」

「その通りで。まあ、聞くまでもありやせんでしたかね。その時、あいつは七つで俺もおそらく七つ? くらい。つまりはお互いまだガキなわけでさ。そんなもんだから、いきなりあいつが問答無用でケンカを吹っかけてきた時、俺もつい本気でそのケンカを買っちまって――――」


 ばつの悪そうな顔をする煉弥。


「で、どないなことになったん?」

「あいつが竹刀もって本気で襲ってきたもんだから、ついついこっちも本気でボッコボコにしちまって大泣きさせちまったんですよ。そんときゃあ、まさかあいつが女とは夢にも思っていやせんでしたからね。姿恰好が、どうみても良いとこの武家のおぼっちゃんてな感じでしたから。まあ、やけに綺麗な顔立ちしてんな~くらいなことは思ってやしたが……まさか、女だったとはね」

「せやなあ。ガキの時分やったら、男か女かようわからんこととかちょいちょいあるもんなぁ。その点、妖怪連中はわかりやすくてええよな。女の妖怪いうんは、わりとちゃ~んと人の形して女子な見た目しとるけど、男の妖怪いうんは、なんかしらんけど見た目からはっちゃけてるやつばかりやからなぁ。というか、男の妖怪でまともに人型しとるやつとか、滅多におらへんくらいやからな。まあ、それはそれとして、にいちゃんどこで相手が女やって気づいたん?」

「いや、最初から最後まで俺はあいつが女だってきづかなかったんですよ。たまたまその時、用事で外出してたおはしさんが通りかかって、わんわん泣いてる凛の姿と泣いてる凛の頭ぁポクポク叩く俺の姿見つけて駆け寄ってきやしてね。そして俺のそばにくるなり、身体が吹っ飛ぶほどのビンタはられて一喝されちまいやしたよ。男が女殴って泣かせるとはどういう了見だい!! ってね。そこで凛が女だって、初めてわかったんでさ」

「はぁ~~……ほたら自分、そうとう後味わるかったんちゃうん?」

「ええ、そりゃあもう。俺としちゃあ、生意気なクソ坊主をぶっとばしたつもりでしたが、まさかその実、女の子をぶっとばしてたなんてねぇ……今度は俺がわんわん泣きながらおはしさんにすがりつく番でしたよ。どうか、楓さんだけには絶対言わないでくれって」

「はん? そこでなんで楓はんが出てくんねん?」


 首をかしげる骸骨。


「いや、一年間の楓さんとの生活で、楓さんから口をすっぱくしてずっと言われてきてたことがあったんすよ。いくらケンカしても構わねえけど、女にだけは手をあげんなってね」


 それを聞いた骸骨、カタカタと全身の骨を鳴らしながら小刻みに身震い。


「うわぁ……そら、おそろしかったやろ? おはしはんに泣いて土下座したなる気持ちわかるわぁ」

「でしょう? まあ、そこはおはしさんもわかってくれてたみたいで、なんとか大事なかったんですがね――ですが、今度は別な問題がおこりやしてね」

「どないな問題やねん?」

「それからというものの、凛が毎日のように、俺に果し合いを挑んでくるようになっちまったんですよ。元来のあんな性格に負けず嫌いが加わって、そりゃあもうしつっこいしつっこい。だけど、こっちからすりゃあ凛が女の子だってわかっちまってるから、本気でやりあうわけにもいかねえ。だからといって、本気でやりあわなければ、凛がそれに気づいてまた大激怒ってなもんで……」


 話している内容と裏腹に、どこか楽し気な表情をしている煉弥。それを見て取った骸骨、茶化すような口調で、


「そら、かなんなぁ」

「ええ、まったくっすよ……でも、正直、俺ぁ嬉しかったんでさぁ。他のガキは俺の姿みりゃあ逃げるようになってたけど、凛は俺の姿みりゃあ駆け寄ってきて、勝負だ! 勝負だ! って必死に食い下がってきやがる。そりゃあ、最初はうっとおしかった。でも、いつの間にか、それが当たり前になってきて、あいつに会わない日があったりすると、なんかすごく空虚な気持ちになっちまったりして……今思えば、それが俺にとって“寂しい”っていう感情が初めて芽生えた瞬間かもしれやせん」

「ふ~~~~~~~ん…………?」

「……なんですかい。その意味深な長いふ~~~~~~~んってやつぁ?」

「いやぁ? そん時にいちゃんが感じたのは、ほんまに“寂しい”って感情だけやったんかなぁ思うてなぁ。おっちゃんはそれだけやない思うけどなぁ」


 少しの沈黙。そして積年の想いを吐き出すかのような、深いため息を煉弥が一つ。


「……たしかに、シャレさんの言う通りかもしれやせん。ひょっとすると、俺はあの時から、あいつに――凛に、どこか想いを寄せ始めていたのかもしれやせん」

「――なあ、にいちゃん。ほんまに、どないしたんや? いつものにいちゃんやったら、そんなことありゃせんで~とかいうと否定しくさるところやん? それをそないにあっさり認められると、おっちゃんなんかこわいわ。にいちゃん――変な事考えてへんやろな?」

「変な事……といいやすと?」

「死ぬ気やあらへんやろな? 聞いとるでぇ。にいちゃん、今度の辻斬りの仕置きを一手に引き受けとるらしいやん。頼むから、変な気ぃ起こすのだけはよしや?」


 骸骨の心配を、快活な笑い声で吹き飛ばす煉弥。


「大丈夫っすよ。俺ぁまだシャレさんのダチになるつもりはありやせん。ただ、ちょっと今日、色々ありやしてね。それで、てめえの気持ち整理するってえわけじゃあありやせんが……上手く、説明することができねえのがもどかしいんですが、まあ、つまりは誰かに聞いてもらいたかったのかもしれやせん」

「ほおか……それならええんや。じゃあこの際、腹ん中のモン全部はきだして、もっと楽になりぃやぁ」

「そうっすね――確かに、シャレさんの言う通り、ここまで話したからにゃあ、この際だ……そうさせて、いただきやしょうかね」


 両手で湯をすくい、入気いりきをしようと、パシャッ! と顔に打ちつける煉弥。そしてゆっくりと、骸骨に腹の中にためていたものを吐き出しはじめるのであった。

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