第一幕ノ二十一 談合――蒼龍と源流斎


 凛が楓の部屋へとおもむいていたそのころ、蒼龍は源流斎のもとへと訪れていた。先の会合で決まった、おふれの件を話し合うためである。


「こうして、源流斎殿の道場へと足を踏み入れさせていただいたのは、いつくらいぶりになりましょうか?」

「七年ぶり、じゃなかろうかいの?」

「そうですか――あの時以来でございましたか」

「かっかっかっ! このジジイより先に耄碌もうろくしてもらっては困るのぉ!」


 いやはや、面目ない。と指でほおをかく蒼龍。


「しかし、おぬしいつまで経っても容貌が変わらんのぉ? もう三十は過ぎておろうに?」

「三十二ですね。まあ、若作りに精を出しておりますので」


 若作りか?! そうかそうか!! 道場の床を叩きながら愉快でたまらぬといった様相で笑う源流斎。


「さて、戯言はここまでにしておくかの――で、この老骨に何用かいのぉ?」

「折り入って、お願いがございまして」

「ほっ? 北条家長子が、かしこまって御来訪とは、その願いとやらを聞くのが空恐ろしいのぉ」


 長いあごひげをさすりながら、にやつく源流斎。おそれいります――と蒼龍は前置きし、


「お願いしたいことと申しますのは、件の辻斬りのことについてでございまして――――」

「ほっ? わしゃあ、てっきり柳生のクソボンのことかと思おうたがのぉ」

「ええ。たしかに柳生の件も頭の痛い話ではございますが、今は辻斬りの方が先決かと。御上にも、さっさと事態を終息させよと尻をひっぱたかれておりますしね」

「なんとなんと。そなたのような麗しい男士の尻をひっぱたくなど、御上もついに男色の趣味に目覚めたかのぉ」


 源流斎の冗談に、蒼龍は眉一つ動かさず、たとえ話でございますよ、と一言。


「あいかわらず、面白味のないやつじゃのぉ」


 顔をしかめる源流斎。


「難儀なものとは自分でも思っておりますが、性格ですので……それで、辻斬りの件で源流斎殿にお願いしたいことというのは――――」

「まあ、まあ。待て待て。お主の願いとやらを聞く前に、わしからもお主に聞きたいことがある。お主の話を聞くのは、わしがその話をしてからじゃ」


 言い出したら聞かぬ方だからなと、蒼龍は、ふぅと息を吐き、


「では、お伺いしたしましょう」

「お主は、件の辻斬りの下手人について、どう考えておるか?」

「どう、と申しますと?」

「とぼけるでない。将軍家から直々にで吟味役ぎんみやくを仰せつかっておる北条家ともあろうものが、今回の辻斬りが七年前の手口と酷似しておることを軽く視ておるわけなかろうよ?」

「ああ……ええ、そうですね。それに関しては源流斎殿のおっしゃるとおり、七年前の辻斬りと手口が酷似しております」

「して、お主はその事実をどう受けとめ、そしてどう考える?」


 そうですねぇ……と腕を組み、思案する素振りをみせる蒼龍。先の長屋での会合では、おそらく別人であるだろうという疑いが強くなった。そして、蒼龍自身も証拠はないが今回の下手人は七年前と別人であろうと確信している。しかし、それを素直にこの老人に伝えてもよいものだろうか。


 まあ――構わぬだろう。別に北条家の真なる御役目についてや、化け物長屋のことを話すわけでもなし――といっても、この現実主義の老人に全ての真実を話しても信じてくれるかは疑わしいが――あくまでも、僕自身の考えであると前おいておけば話してもよかろう。それに、被害にあったツバメ殿を幼少の頃に引き取り、手塩にかけて育ててあげたこの老人に、全てを隠しておくというのも、あまり気持ちのよいことではないからな。


「これはあくまで、僕個人の考えでございますが――今回の下手人は、七年前の下手人とは別人であろうと考えております」

「ほう? その心は?」

「仮に七年前の下手人と今回の下手人が同一人物であったとします。すると、下手人がどうして七年もの空白をおいて辻斬りをまた始めたのか説明がつきません。それに七年前の辻斬りは武士・町人・商人と無差別に斬っておりましたが、今回の下手人は武士及び武芸者しか狙っておりません。さらに申し上げれば、一夜に行う辻斬りの頻度が前回とは明らかに違います。これらの点から鑑みて、今回の下手人は七年前の下手人とは別人である、と愚考した次第です」

「ふうむ…………」


 しばしの沈黙――後、パシィン! と源流斎が己の膝を手で打つ音が道場内に響く。


「そうか! そうか! さすがはあの北条の息子よ。実に賢しいのぉ。ワシも同じことを思うておったわ。此度こたびの下手人は、七年前の下手人とはまごうことなき別人じゃて!」


 かっかっかっ! と、ひとしきり笑った後、源流斎は突如として神妙な面持ちになった。


「しかし――そうだとすれば、七年前の業が断ち切れぬということじゃのぉ」

「……そういうことに、なりますな」

「のぉ、北条の」


 そう言って、縁側のほうへと顔を向ける源流斎。その視線の先には、青と紫の彩あざやかなアジサイが庭一面に所狭しと咲き誇っていた。


「ツバメはのぉ――アジサイがほんに好きじゃった。ゆえに、わしはツバメのためにと、せっせとせっせとアジサイを庭に埋めてやった。慣れぬ仕事に難儀したが、これもツバメの喜ぶ姿のためじゃと思えばなぁ~~んの苦もなかったわい。そして、ようやくこのようにアジサイの庭が形になった時の、ツバメのあの嬉しそうな顔よ……。いつもはツンとした男勝りが、その瞬間だけは年相応の乙女の顔をのぞかせておったわい。それこそ、あのアジサイたちのように、彩豊かな美しさじゃった……忘れがたき、美しさじゃ」


 遠い目をし、どこか寂し気な横顔を見せる源流斎に、蒼龍はその推し量れぬような心痛の深さを垣間見た気がした。


「そうでしたか……ツバメ殿は、アジサイがお好きでしたか」

「そうじゃ。そうじゃ。咲きはじめの頃など、陽が登ってから陽が落ちるまで、飽きもせずにずぅ~~っとあの縁側に座り込んで眺めていたこともあってのぉ。そして、そんなツバメに感化されてか、わしもいつのまにやらアジサイのとりこになってしもうてのぉ。ゆえに、今でも庭のアジサイを手入れしておるわけじゃが……」


 突如として源流斎は身にまといし神妙な空気を一転させ、かっかっかっ! といつもの笑みをこぼしはじめた。


「どうされましたか?」

「いや、すまんすまん! ちと、凛のことを思い出してのぉ! 凛も、この庭のアジサイが好きじゃと申して、つい先日も、ぼぉうっと庭のアジサイを眺めておったのじゃて! やはり、カエルの子はカエルということかのぉ! アジサイだけに、のぉ!」

「――かもしれませんな」


 男勝りで勝気な義妹ぎまいが、縁側にちょこんとしおらしく腰を下ろして愛おしそうにアジサイを愛でている姿が脳裏に浮かび、思わず蒼龍は破顔一笑はがんいっしょう。それを見た源流斎、誰に言うでもなく、ポツリと一言。


「凛には……幸せになってもらいたいのぉ……ツバメも美しい女じゃったが……凛の美しさは、ツバメのそれを超えておるわい……じゃから……なおさら凛には幸せになってもらいたいのぉ……」

「……全くです」


 しばしの間、二人して庭のアジサイを見つめていた。


 源流斎がその心に何を思っているかは、その表情から読み取ることが蒼龍にはできなかったが、おそらく、若き日のツバメの追憶をしているのではなかろうか、と想像した。


 では、当の蒼龍は何を思っていたかというと、たしかにアジサイほどツバメと凛に似合う花は他にないだろうということであった。


 アジサイは、青や藍色の寒色と呼ばれる色が一般的である。そしてこの寒色という色の持つ意味合いには、清らかさ・知的・涼やかさ・神秘的といった良い意味合いと、冷淡・近寄りがたい・変節という悪い意味合いがある。


 変節という部分はツバメと凛には合わぬが、その他の意味合いについては、まさにツバメと凛を簡潔に言い表しているとは言っても過言ではなかろうか。


 そして、この時代にはまだ花言葉という風習はないが、現代においてアジサイには“辛抱強い愛情”という花言葉がつけられている。


 そもそも、ツバメと左馬之助の縁談について、育ての親である源流斎は最初から最後まで真っ向から反対を決め込んでいたのであった。


 ――いくら名高き藤堂家といえども、わしより弱い男にツバメをくれてやるなぞ思いも及ばぬわ!!


 どこかで聞いたことのあるような理由である。まあそれはともかく、このように源流斎は烈火の如く激怒し、名家とは想像もできぬほどにいつもだらしのない恰好と、不作法極まりないぼさぼさ頭をしていた左馬之助を蛇蝎だかつの如く嫌っていたのであった。


 しかし、ツバメはそんな飾らない左馬之助様をお慕いしているのです、となんとか源流斎に許しを得ようと、ひたすらに拝み倒す日々を送ること、なんと二年。二年間拝み倒したツバメの精神力もさることながら、二年間ツバメの願いを退け続けた源流斎の頑固さもよっぽどである。


 だが、ついに難攻不落の砦も、顔を突き合わせるごとにお許しくださいませと拝まれる生活に根をあげ、わかったわかった、もう許そう。と白旗をあげることへと相成ったのである。なんと、辛抱強くそして深い愛情をツバメが左馬之助に抱いていたことか。


 そして左馬之助とツバメは祝言をあげ、その年に凛をもうけ、後六年後に煉弥を家に迎えて、日々は騒々しいけれども幸せな日々を送っていたのだった――七年前の、藤堂家の幸せの全てを奪い去った、あの辻斬りの日までは。


「ツバメは、のぉ……ほんに美しい女じゃった……それも表面だけの美しさにあらず、内面――すなわち、その心根も実に美しい女じゃった……」

「左様で、ございました」

「臆面もなく言わせてもらわば――わしは憎いッ!! わしから、そんな美しいツバメを奪った者が、わしは心の底から憎いッ!!」


 目をぐりっ! とひんむきながら、蒼龍へと言い寄る源流斎。


「ゆえにッ!! 七年前の下手人について何かわかれば――すぐにわしに言うてくれッ!! わしはツバメの亡骸なきがらに誓ったのじゃッ!! 必ずや、お主のカタキをわしが討ってくれようぞと――わしはそう誓ったのじゃッ!!」


 ここにも――カタキという業にとりつかれし者が一人。


 蒼龍はただ黙ってうなずいた。それ以外に、何ができるであろうか。


 必ずじゃぞ?! 必ずじゃぞ?! と念を押す源流斎に、蒼龍はただただ、黙ってうなずいてみせるしかなかった。


「――お主も男じゃ、信用しておるぞ。ふう……いきりたってしまってすまんかったのぉ」


 気を沈めるために、大きく深呼吸をする源流斎。


「さて、これにてわしの話はおわりじゃ。約束通り、次はお主の話を聞くとしようぞ」

「そう言っていただけると、幸いです。さて、僕が源流斎殿にお願いしたいことというのは…………」


 いつか、この老人に下手人のことを話せることがくるのだろうか。


 そんなことを思いながら、蒼龍は源流斎に武士と武芸者の夜間の外出を禁ずるというおふれをだせないでしょうか、という話をすすめていくのであった。

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