第一幕ノ二十 長屋への来訪者――仕置き人の想い
「キサマ――いや、煉弥。煉弥は……人を斬ったことがあるのか?」
「……ああ」
大きく頷き、煉弥が答える。
「それも、両手の指じゃあ数えきれないほどに、な」
嘘であればいいと思う。しかし、これは紛れもない真実であった。
妖怪仕置き人としての御役目は、得てして妖怪だけが仕置きの対象だと思われがちであるが、時と場合によっては人間も仕置きの対象となることがあるのだ。
その場合とは、人間が妖怪を利用し、その私欲を満たしているような場合である。
実例を挙げると、先日煉弥が仕置きした、ある山賊の一件がわかりやすいだろう。
この山賊、ひょんなことから
当初は山童の仕置きとしておもむいていた煉弥であったが、調べをすすめていくうち、山童の裏にこの山賊の姿があることを知り、煉弥は山童と山賊、両方の仕置きをおこなったのであった。
――まこと醜きは、妖怪などではなく、人間の限りなき欲望のたぎりなり。
蒼龍の父であり、公儀御庭番の頭領である北条玄鬼の口癖である。
人間を仕置きしなければならないとき、煉弥はいつもこの言葉が脳裏によぎる。そして人間を斬り伏せた後、己に問いかける。
俺は、醜いのだろうか。
人間が醜いものだと断じるのならば、俺もまた醜いものであり、醜いもの共しかおらぬこの世はまさに八大地獄。生きるも地獄、死ぬるも地獄。
醜き畜生であろうと、生存本能という自然の摂理以外の理由では同族同士で殺しあうことなどまずありえぬ。同族同士で殺しあうは、人間の証明か。ああ、俺もそうなのか。醜い。醜い。醜い。
深い闇が煉弥の心を飲み込もうとする時、決まって煉弥の心に浮かぶは凛の姿。
いつも真っすぐで、世の穢れを許さぬ、
ふとした瞬間に浮かべる、優しい静かな微笑みは、血にまみれた煉弥の諸手の血を拭い去ってくれるかのような思いを煉弥に与えてくれる。その笑み、煉弥にとって
ああ、そうだった。そうだった。俺は、この微笑みを守ろうと、あの時に誓ったのだ。ならば、何を迷うことなどあるものか。ただただ、ただただ、生きるのみ。生きて生きて、斬って斬って、世が地獄になろうが俺が地獄に落ちようが、この美しい月だけは沈ませてはならぬのだ。
そうして思い直した後、煉弥はいつも決まって苦笑する。
バカでよかった。
妙におつむりが良い者は、この終わりなき思考の牢獄に囚われてしまい、牢獄の中での責め苦にたえかねやがては気狂いとなり、同じ仕置き人仲間に仕置きされてしまう悲しき修羅となってしまうことであろう。
しかし、利位が言うように煉弥には学がない。だが、学がないからこそ、その思考はひどく単純なものであり、単純がゆえに強いものなのだ。
それすなわち――大事な人達を守りたいという、単純だが、絶対的な思考。
だからこそ、煉弥はこれからも狂うことなく、粛々と仕置き人として生きていくだろう。大事な人達を守るために。大事な想い人を――守るために。
「…………」
煉弥になんと声をかけたものか、言葉がみつからぬ凛。だらしのない、手のかかる義弟だと思っていたが、その実、わたしにわからぬように……わたしに心配をかけまいとするために、そのような御役目を仰せつかっていることをにおわせぬように日々を過ごしていたとは……。
「凛」
真っすぐに凛の瞳を見据えて煉弥が呼びかける。
「……なんだ」
いつもなら姉上と呼べ!! と怒声をもって返すところだが、さしもの凛も今だけは
「人を斬るってのは、な……それは、それは、言いようのない悲しさがあるんだ。それがたとえどんな悪人であろうと、命を奪うことにはなんら変わりがなくて……なんというか、その……残るんだ! てめえが斬った相手のツラが――てめえが斬った相手の血が……! それは、いつになっても消えなくて……そして、斬れば斬るほどそれが増えていって……」
煉弥にとって、初めての己の心内の吐露であった。長い間に溜まり溜まっていた思いが、堰を切ったかのように煉弥の口からあふれ出てくる。
「悲しくて、悲しくて……ただ、それだけしかない! 俺は、そんな思いを……凛にはさせたくなくて……くそっ! 俺は、その、おつむりが悪いから、上手いように言えねえや……」
「煉弥……」
「レンちゃん……」
「だから、凛――頼む。今度の辻斬りに関しては、どうか俺に任せておいちゃあくれねえか? お前の気持ちは重々承知しているつもりだ。でも――だからこそ――俺はお前に夜回りなんかしてもらいたくない。お前に人を斬らせたくはない。お前に……あんな思いだけはさせたくはない! すまん。この通りだ! 頼む!」
凛に向かって、畳にひたいをこすりつけるほどに頭を下げる煉弥。
「……この――痴れ者が――!!」
そう吐き捨て、頭を下げる煉弥の手をとる凛。
「謝るな……!! 謝ってくれるな……!! キサマにそうして謝られると……わたしは……何も言えんではないか……!! 頼むから、頭をあげてくれ、煉弥……」
頭を上げる煉弥。そしてその目に映るは、いつものその名の通りの凛とした一人の女剣士ではなく、頬に薄く紅をさした今にも泣きだしてしまいそうな潤んだ瞳を煉弥に向ける、一人の可憐な少女の姿。
「凛……」
七年前に、二度と涙は流さぬと誓いしその少女は、なんとか歯を喰いしばって涙を流すものかと耐え忍びながら、
「わかった……正直、納得はあまりできぬが……キサマが――煉弥がそこまで言うのならば致し方ない――――」
そこまで凛が言ったところで、くくっと煉弥が吹き出した。
「な、なにがおかしい?」
「いや――変わってないなと思ってな。昔っから、ケンカしたりして俺が謝ると、お前は決まって、そこまで言うのならば致し方ない、っていって許してくれたよな」
ふふん、と笑う煉弥。頬を真っ赤に染め上げ、
「まっ、ままま真面目な、はっはっ、ははは話をしているというに! きっ、ききキサマはそれだから礼儀がなっておらぬと――――」
照れ隠しといわんばかりに、いつもの小言の連続を繰り出し始める凛。空より青い春がこの部屋におとずれているわねぇ♪ とキツネ目細めてうふふっ♪ と笑う楓。
「――――ところで、話は変わるのだが」
「うん?」
「キサマの部屋で一体何があったのだ? あのすさまじい有様、野盗にでもあったのか?」
「ああ……あれはなぁ」
チラリと布団で部屋の喧騒などどこ吹く風といったように寝息を立てているオオガミに視線を向ける。その視線に気づいた凛が、
「む? 布団に誰ぞいるのか?」
とオオガミの寝ている布団に目をやる。しかし、目をやった後すぐに、
「……誰もおらんではないか?」
怪訝な顔つきで煉弥に言う。
これこそ、楓の結界の効果である。完全に人間に化けることのできぬ妖怪たちは、楓の結界の力によって、その姿を人間の目からは見えぬようになっているのであった。
「まあ、ちょいと一口には説明できんことがあってな」
「ふむ? まあ、今は理由についてはおいておこう――して、そ、その……どうするつもりだ?」
「は? どうするって何がだ?」
「あ、あのままだと、キサマの寝所がなかろうが!! ゆえに、どうするつもりなのだと聞いておるのだ!!」
なにやら妙な風向きになってきた。
「ああ、それは、だな――――」
「楓さんのところに来てもらうつもりよぉ♪ 久しぶりの親子水入らずを楽しみたいですからねぇ♪」
「そ、そうですか……し、しかし、この愚弟は身体はでかいし、人並み以上に米を食します。さらには、寝相は悪いし、時にはいびきもいたしますし……」
「あらあら? リンちゃんってば、どうしてレンちゃんの寝相のことなんて知ってるのかしらぁ? 最近、一緒に寝たことでもあるのぉ?」
「い、いいいいいえいえっ!! かようなことは決してございません!! 童子の時分がそうでありましたから、今もきっと変わってないと思いまして……」
「まあ、たしかにリンちゃんの言う通りではあるわねぇ♪」
「そうでございましょう? ですから、楓殿の安眠の妨害になりかねませぬ。となれば――――」
嫌な予感が煉弥の背筋にはしる。
「ど、どうだ。キサマさえよければ、キサマの部屋が直るまで、その……わたしの屋敷に来ぬか? その……そ、そうっ!! 袖達もキサマに会いたがっていたからな!!」
袖達とは、凛が生まれた時から仕えている、凛の屋敷の双子の女中のことである。凛は気づいていないが、この双子も妖怪だ。
「あ~……」
答えづらそうにする煉弥に代わって楓が、
「ごめんなさぁ~いリンちゃん。ちょっと長屋のお仕事がたまっちゃってるから、レンちゃんにはそのお手伝いもしてもらいたいのよぉ」
「さ、さようですか……」
わかやすくガックリと肩を落とす凛。こういうちょっとした子供っぽい動作が、やはりまだ凛は身体は大人であっても心はまだまだ子供なのねぇ♪ と楓にはとても愛らしく感ぜられた。
「まあ、そういうわけだ……悪いな、凛」
「う、うむ……致し方ないな」
すっくと立ちあがり、楓に向かって深々と頭を下げる凛。
「いきなり押しかけておきながらの非礼なふるまい、さらにはみっともない姿までさらしてしまい、申し訳ありませんでした。あまり長居してしまっては、楓殿の長屋のお仕事に差支えがでるやもしれませぬから、わたしはこれにてお
「もぉ~そんな堅苦しい挨拶なんていいわよぉ♪ また、いつでも気軽に訪ねてきてくださいねっ♪」
ありがとうございます。ともう一度深々とお辞儀をし、部屋の障子に手をかけたところで凛は、
「よいか煉弥。夜回りの件はキサマに任す。わたしが任す以上、しっかりとやり遂げるのだぞ。だが――決して無理だけはしてくれるな。わかったな?」
「……ああ。わかった」
「そうか。ならば、もうこれ以上は言わぬ――――」
そして障子をあけ、部屋から出ていこうした刹那、あっ! と何かを思いついた表情をし、煉弥に向かって、
「今日だけは、名前で呼ぶ無礼を許したが――明日からはまた姉上と、呼ぶのだぞ?」
いたずらっ娘のような無邪気な笑みを後に残し、凛は障子を閉めて去っていった。ふう……とため息をつく煉弥。そして性悪キツネを睨みつけ、
「楓さんのせいで、色んな余計なことを言っちまいましたよ」
と毒づく。
「だけど楓さんのおかげで、腹にためてた色んなことをしゃべることができたでしょう? それに――リンちゃんに、レンちゃんはリンちゃんを嫌っているから離れていったわけじゃないっていうのを、レンちゃんの口から直接リンちゃんに言えたからよかったじゃない♪」
「……ですが、ね――――」
「レンちゃん。レンちゃんがリンちゃんから離れていこうって決めるのはレンちゃんの勝手よ。でも、リンちゃんがレンちゃんとの距離を縮めたいって思うのも、またリンちゃんの勝手じゃないかしら?」
「そう、かもしれやせんが」
「レンちゃん。リンちゃんのこと嫌いなの?」
「そんなわけ――――」
「ないでしょう? 楓さんとしてはレンちゃんの気持ちはわからないでもないけど――最初から別れのことしか考えないというのは、あまりよくないことよ?」
「…………」
「これでも楓さんは、コクリやセイメイやココノエに……ともかく、その他諸々の母親よぉ? つまり恋愛関係に関しても楓さんはレンちゃんの数百倍の経験を持っているのだから、そんな経験豊富な頼りがいのある先輩の言うことは聞いておくべきだと思わないかしらぁ?」
「…………」
沈黙を続ける煉弥に、もぉ、これだけがこの子のいけないところね。相手を傷つけたくないってことだけが先行して、自分の気持ちを素直に相手に伝えることができないんだからぁ。だからこの子はいつまでたっても、
「童貞さんなのよねぇ♪」
うふふっ♪ と笑いながら煉弥の股間に手を突っ込もうとする。
「おおわっ?!」
慌てて身をよじって避ける煉弥。
「なっ、なにすんですかい?!」
「べぇ~つにぃ~~♪ まあ、貞操は大事な相手にとっておくのもまた美学かもねぇ♪」
うふふっ♪ とキツネ目細めて、じゃぶじゃぶと残してあった洗い物をはじめる楓。
まったく、いつもながら何考えてるのかわかりゃしねえ。まあ、でも…………。
おかげで、ずっ凛にと伝えられなかった秘密の一つを自然に凛に話すことができたことにゃあ、感謝しますぜ。
洗い物をする楓の後ろ姿に、煉弥は楓に気づかれぬよう、小さく感謝のお辞儀をするのであった。
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