第一幕ノ十九 長屋への来訪者――少女の思い、浪人の想い


「…………ちゃん。――――レンちゃん」

「む……うぅん……?」


 楓の呼びかけを受け、目を覚ます煉弥。ゆっくりと身体を起こし、軽く伸びをする。伸びが終わったところで、楓が微笑を浮かべて煉弥にささやいた。


「人間が長屋の入り口をくぐったわ。そしてすぐにレンちゃんの部屋に向かってるみたいだから――きっと、リンちゃんじゃないかしら?」

「……凛が?」


 いったい、何の用だ? まあ、何の用であれ、まずは身なりを整えておくか。じゃなきゃあ、あのうるっせえ小言の連続で本題に中々までいきそうにねえしな。


 煉弥が立ち上がると、楓がパンパンと手を叩いて式神達を呼び出した。式神達が、な~~のなのぉ!! と一生懸命布団を部屋の隅にまで運ぶ。運び終えると、式神達にとってさすがに布団は重かったらしく、なのぉ……と口調にちょっと疲れをにじませながら物陰へと帰っていった。


 隣で寝ているオオガミはまだ起きる気配を見せず、相も変わらずすぅすぅと寝息をたてていた。自分の代わりに夜回りをしてくれる同僚を起こさぬよう、煉弥はゆっくりと水がめの傍へと抜き足差し足で移動した。


「はいっ♪」


 と楓が柄杓ひしゃくと手ぬぐいを煉弥に手渡す。どうも、とそれを受け取り、水がめの水で手ぬぐいを濡らしてそれで顔をぬぐう。そして柄杓で水を汲み、それをぐいっと一息に飲み干し、ふぅと人心地。


御髪おぐしを整える暇はないんじゃないかしらぁ? リンちゃん、早足でここまで一目散に向かってるみたいよぉ?」


 うふふっ♪ とキツネ目を細めて笑う楓。


 ちなみに、なぜ楓がここまでつぶさに化け物長屋に侵入してきた者の動きがわかるかというと、その秘密は長屋の入り口に据えられている鳥居にあった。


 実はあの鳥居、楓がこの化け物長屋全体をとりまくように敷き詰めている結界の起点となっているのだ。ゆえに、結界の中に侵入してきた長屋の住人以外の者――つまり人間の動きが楓には手に取るようにわかるという仕掛けになっている。


 そして楓のこの結界にこそ、化け物長屋が江戸の町人にその存在を知られることがない秘密があるのだが……その秘密の内容は、数分後に楓の部屋に訪れる凛自身が、その身をもって証明してくれることになるだろう。


「俺のぼさぼさ頭ぁいつものことなんで……」


 そしていつもその頭をどうにかしろと小言を言われているわけだ。苦笑している煉弥に楓が、


「オオちゃんはどうしましょうかぁ?」

「寝かせてやっててください。まあ、俺とあいつが言い合い始めて起きちまったら、その時はその時ということで……」


 ええ、わかったわぁっ♪ と楓が答えると、トントン、という障子を叩く音が響く。次いで、楓殿、凛でございます――、というそよ風のような声。


「は~い、なんでしょう?」

僭越せんえつながら――愚弟がこちらにお邪魔していないでしょうか?」

「お邪魔していますよぉっ♪ レンちゃんに御用があるのでしょぉ? どうぞ、お入んなさいっ♪」

「では、失礼いたします――」


 すすっと障子を開けて稽古着からいつもの袴に着替えた凛が部屋の中へと入ってくる。その表情には、心情を推しはかることのできぬ、なんとも複雑なモノが浮かんでいた。


「さぁさ、お座んなさいっ♪」


 楓のお招きに凛は、――はい、と神妙な面持ちで答え、あぐらをかく煉弥の前に流れるような所作事で正座した。きゅっ、ときつく結ばれた凛のくちびるに、煉弥は凛の覚悟というか、決意のようなものを感じた。


「――で、何の用だ?」


 その口調はぞんざいだが、煉弥の言葉には凛を思いやっているような温かさがこもっていた。凛もそんな煉弥の心中を察してか、いつもなら、その言葉遣いはなんだ!! と怒声をはるところであるが、


「……折り入って、聞きたいことがある」


 と、煉弥が今まで見たことも聞いたことのないような、しおらしい態度と口調でもって煉弥に問いかける。


 これには煉弥も思わず居ずまいを正した。凛がおそらく自分のところに来ることは、昨夜の邂逅かいこうの時から予測はしていたが、このような態度をとられるとは予想外であった。


「俺に――答えられる範疇ならば――」

「キサマにしか、答えられぬ――いや、キサマくらいしか……答えてくれぬことだ」


 凛がこんなことを口にすれば、いつもの楓なら、あらぁ? 楓さんってば、凛ちゃんに信用されてないのかしらぁ? 悲しいわぁ……。などと茶々をいれるところだが、凛のあまりの思いつめているかのような口調に、さしもの楓も煉弥の後ろにしずしずと座り込んで口をつむっていた。


「俺にしか、ね……答えてやれればいいんだがな――」


 煉弥のこの言葉を受け、凛は小さく、ふぅと息を吐き呼吸を整えた。そして、煉弥に問いかけた。


「昨夜のことだが……キサマは、蒼龍殿の命を受けて夜回りをしていたとのことだが、それはまことか?」

「ああ」


 そうか――、と小さくつぶやき、慎重に次につむぐ言葉を探す凛。束の間の静寂の後、


「――蒼龍殿は、わたしには、夜回りを、やらせてはくれぬのだろうか?」


 と、絞り出したかのような、か細い声にて煉弥に訴えた。


 腕を組み、深く目を閉じる煉弥。どう答えてやるべきか――。どう答えてやれば、凛は納得をしてくれるであろうか――。どう答えてやれば、凛を傷つけぬことができるであろうか――。


 深く熟考し、言葉を探す。しかし、どれだけ考えても言葉が見つからぬ。ああ、もう少し俺に学があれば、気の利いた言葉がすぐに出てくるのだろうが――――。


 ――――キミは、学がないねぇ。


 利位のあざけりが脳裏によみがえる。くそっ、ふざけやがって。そんな邪念が、ますますつむぐ言葉を霧中に隠していく。そんな焦る煉弥を凛がさらに追い立てる。


「……やはり、わたしが女だからなのだろうか?」


 半分正解で、半分ハズレといったところか。いや、違う。そんなふわっとした回答では納得してくれるはずもない。確かに、凛が女だからというのもあるが、それだけじゃなく、俺は、ただ――凛のことが――――。


「ねえ、リンちゃん」


 愛しい息子の狂おしいほどの葛藤を察した楓が助け舟を出す。


「仮に、よ。もし、リンちゃんが夜回りをしてもいいって言われたら、リンちゃんはどうするの?」

「言うまでもありませぬ!! 父上と母上のカタキやもしれぬ下手人を必ずやわたしの手で見つけ出し、そして――――」

「殺すの?」

「えっ……」


 楓にあまりにも直接的な表現をされ、思わず言葉を失う凛。しかし、それを許さじと楓は今一度凛に、


「殺すの?」


 と問いかける。凛がその生涯で初めてみる楓の真面目な表情に思わずたじろいでしまったが、しかしすぐに、気圧されてなるものかといつもの負けん気をつむぐ言の葉ににじませながら、


「その下手人が――カタキならば!!」


 と楓に強く言い放つ。楓はとても悲し気な面持ちになって、凛に言う。


「そして――今度はリンちゃんが誰かのカタキになる」

「そっ、それは……!!」

「そしてリンちゃんが殺されて、今度はレンちゃんがリンちゃんのカタキを討つ。そして今度はレンちゃんがカタキになって殺されて――そしたら楓さんがレンちゃんのカタキを討って…………」


 楓が口にするは、終わりのない怨恨えんこんの連鎖。人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。


「リンちゃん――あなたの気持ちはわかる、な~んてそんな気休めを楓さんは言うつもりはないわ。でもね、リンちゃんが思ってる以上に……楓さんも、七年前の下手人に対しては、それはもう筆舌にしがたいほどの憎悪を持ってるのよぉ。ツバメちゃんは楓さんの親友でしたし、サマちゃんとも長い付き合いでしたからね」


 ギリリという歯ぎしりの音が部屋の中に響く。そして楓が浮かべている鬼神のような表情を見て、凛は驚愕し、煉弥は楓の元仕置き人としての心痛の深さを、同じ仕置き人としてひしひしと感じた。


「あの二人を殺した下手人は憎いわ。でもね、憎しみでもってして下手人を断じてはいけないの。憎しみは憎しみしか生まず、憎しみは連鎖し伝染し、伝染した憎しみは周囲に悲しみをまき散らし、まき散らされた悲しみはさらに大きな憎しみとなってまた伝染する――とめどなく。そう。とめどなく」


 まるで唄でもうたうかのような調子で凛に語りかける楓。


「しかし……!!」

「しかしもかかしもないわ。いい、よく聞いてね、リンちゃん。リンちゃんがどうして夜回りをさせてもらえないかっていうのはね――それはリンちゃんがカタキ討ちなんていう復讐心にとらわれているからなのよ。男とか女とか、武士とか武士じゃないとか、そんなことは関係ない。リンちゃんが、その復讐心を捨て去らないかぎり、タッちゃんも楓さんも――それにレンちゃんもリンちゃんの夜回りには反対します」


 己の願いを真っ向から否定され、顔をうつむかせて身体を震わせる凛。だが、このまま引き下がるわけにもいかぬと、キッと顔をあげて楓に問う。


「では――なぜ、煉弥は夜回りを許されているのですか?!」


 どうしてわたしはダメなのに、あいつだけはいいのですか?! 子供の理論ではあるが、凛の言うことももっともであった。しかし、楓は涼しい顔で、


「それは、レンちゃんは御役目だから許されているのよぉ」


 凛の一縷いちるの望みを、さながら凛の抜刀術も顔負けとばかりにすっぱりと斬り捨てた。


「か、楓さん……?!」


 煉弥が咎めるような口調で楓に一声。煉弥は、自分が仕置き人だということを当然ながら凛には秘密にしている。まさか、楓さんが俺の御役目を凛にばらすはずはないだろうが……。


「御役目……?!」

「そう。御役目よぉ。レンちゃんは、タッちゃんから――いえ、御上おかみから直々の勅命を受けて夜回りをしているの。江戸の町を騒がせている辻斬りの下手人を捕らえよ、というね。そして、捕らえる際には、下手人の生死を問わずという条件もつけられているわ。つまり、下手人が抵抗をすれば、躊躇することなく斬り伏せてよい――ということね」


 ここまで聞いたところで、楓の考えがなんとなくであるが煉弥はわかったような気がした。


 楓の考えとはつまり、煉弥の御役目を妖怪の仕置き人ではなく、罪人の仕置き人という形にして凛に説明するのではないか? ということであった。この煉弥の考えを裏付けるかのように、楓は凛に、


「言ってしまえば、レンちゃんは詮議の必要のない罪咎が明白な凶悪なる下手人をその場で断罪することを御上から許された、特別な御役目を担っているの」

「かっ、かようなこと――わたしは一度も聞いたことがございませぬ!!」

「だって、聞かれたことございませんでしたからねぇ♪」


 真面目な口調から一転、いつものおどけた口調に戻って楓が言う。


「そっ、それはそうかもしれませぬが……!!」

「それに、リンちゃんにだけは言うなって、楓さんはレンちゃんからきつぅ~~~~く言い含められてましたからねぇ~?」


 楓のこの言葉に、なにっ?! と目を釣りあげて煉弥をにらむ凛。突然の無茶ぶりに、はいぃ?! と素っ頓狂な声を出してしまう煉弥。


「キサマ、どういうことだ?! かような重大な事柄を、どうしてわたしに黙っていた?!」


 ずずずいっ、と身を乗り出しながら問い詰めてくる凛。この剣幕だと、適当な言い訳や取り繕った言葉では到底納得などしてくれぬだろう。あの性悪キツネめ、なんてややこしいことをしくさりやがる!


「い、いやぁ……それは、だな……」


 頬を指でかきながら、どうにかこの場を切り抜けようと必死に思案を巡らす煉弥。


「ハッキリ言え!! キサマは男であろうが!!」


 てめえが大切に想う相手に心配をかけまいとするのに、男も女もあるもんかよ。だが、それを口にすることなど思いもよらぬことである。しかし、そんな煉弥の葛藤など凛が知る由もなく、凛はさらにずずずいっ、と身を乗り出し、


「さあ、言え!! なぜわたしに黙っていた?!」


 と煉弥をせめたてる。このままでは、まずい。このまませめたてられると、余計なことまで口走ってしまいそうだ。


「だから、その……それは……」


 狼狽する煉弥の背後から、


「それはね。レンちゃんがリンちゃんに自分の御役目のことを知られたくなかったからよ」


 という楓の鶴の一声。


「なぜです? 御上からかような御役目を直々に仰せつかるなど、名誉でこそあれ負い目に思うことなどないはずです!!」

「そうかもしれないわねぇ。でも、ね。それって、別な目で見ると、御上はレンちゃんに人殺しになれって勅命をくだしてるのと同じじゃないかしらぁ?」

「えっ……? い、いや……しかし、その、それは……」


 今度は凛が狼狽する番であった。


「ねえ、リンちゃん。男の子っていうのは、不思議な生き物でね。自分が憎からず思う相手に対しては、自分が弱っている姿や自分が悩み苦しんだりする姿を見せたくないものなのよぉ。たしかに、レンちゃんが仰せつかった御役目は、はたから見ると名誉なことだけど、その実、人を斬り殺さなければならないという、とても苦しくてつらいことなの。御役目だからと割り切ることができれば、いくらかは心の負担も軽くなるのだろうけど、レンちゃんは優しい子だから、そういうことができなくて……」


 ほんっと、不器用よねぇ。とキツネ目を細めて笑う育ての母。


「……楓さん。あまり、余計なことを言わんでください」


 ぶっきらぼうに言う煉弥。しかしその実、煉弥の心内を代わりに楓が吐露してくれたことに対する、少しの感謝の気持ちが言葉の裏に隠されていた。


 突如として楓から告げられた煉弥の想いを聞き、どういったものかと、困惑顔の凜。しかしやがて、意を決したかのように煉弥に問いかけるのであった。

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