第一幕ノ十三 天敵との邂逅――女剣士の相手
――――足音。つづいて、声。
「おやぁ? これはこれは――ほんとに、ボクは運が良い。夜回り初日に件の辻斬りと相まみえることができるなんてねぇ」
なんとも鼻につく、スカした声。この声に聞きほれる女子が多いと言うが、少なくとも煉弥にとっては胸糞悪いことこの上ない声であった。
やがて、足音の主が煉弥のもとへと近づいてくるにつれ、足音の主がその手に持った提灯の光によってその姿が月あかりの下に浮かび上がってきた。
身の丈はおよそ五尺三寸(約一六一センチ)ほどで、おそらく特注であつらえたのであろう雪の結晶の紋の入った、白を基調とした袴に総身をつつみ、腰に下げた大小の柄にも雪の結晶の細工を施している。前髪は眉にかかり、女子顔負けの長髪の艶髪をさながらポニーテールのように垂れさせ
「柳生――
突如として訪れた不意の
「ふぅん。人斬りの快楽に溺れた畜生でも、まだ人の名を――それも、高貴な名をつむぐ風流は持っているとみえる」
クククッ、と
顔立ちは確かに良いが、その心根はタツ兄のおっしゃる通りのクソ野郎と見える。そしてこのクソ野郎が、あの凛と夫婦になろうとしてるってのか――――ッ!!
「……勘違いをされておられるようだが、せっしゃは辻斬りなどではございませぬ」
煮えたぎる思いをなんとか心の奥へと押し込み、つとめて冷静な口調で、煉弥は己の言われもなき疑いを否定する。しかし、利位、いっそう腹立たしい笑みを強めて、
「当然、誰でもそう答える。罪を犯した者が、はいわたくしが今しがた罪を犯しましたなどと告白するわけがないものよ。まったく、学識乏しき下人の憐れここに極まれりというべきだな。己が斬り殺した死体のそばで、己は辻斬りなどではないなどと、どういう了見でかような言葉を吐くことができようか」
「なんと申されましても、違うものは違うとしか――――」
煉弥が言葉を言い終えるのを待たずして、利位の腰から月明かりを反射する一筋の光が煉弥に向かって伸びてくる。
すかさず煉弥、腰の小太刀を引き抜き光を受け止めれば、キィンッ!! という鋼鉄同士が打ち合う甲高い音が辺りに響く。
話に聞いたよりは、太刀筋が速いか? そんなことを思いながら飛びのいて利位から距離をとると、
「へぇ? さすがに辻斬りをするだけはあって、多少はできるということか」
クククッ、と感情ある者すべての神経を逆なでする笑い声が煉弥に向かって浴びせられた。これには平静を取り繕っていた煉弥の化けの皮もはがれ、
「てめぇ!! 俺は辻斬りじゃねえって言ってるだろうが!! 問答無用で斬りかかってくるつもりなら、こっちにだって考えがあらぁな!!」
と、ムカつく笑い声のお返しにとばかりに怒声を利位へと浴びせてみせた。
この煉弥の言葉に利位は浮かべていた笑みを引っ込め、その通り名を体現するかのごとき、雪の結晶のようなどこか美しさを感じさせる冷たい表情でもって煉弥に問う。
「ふぅん……じゃあ、その考えってのを――ボクに見せてくれるかなぁ?」
左手に持つ提灯を放り出し、腰の小太刀も引き抜いて、二刀流の構えを利位は煉屋に披露して見せた。どうやら、二刀流が利位の剣の型らしい。
なるほど、見栄えの良い表面ツラに、見栄えの良い剣の型ってわけか。
だが――――所詮、そのツラも、その剣も――――この野郎は上辺だけだ。
深く腰を落として臨戦態勢をとって見せる。それを見た利位は、
「おやおや、そんな巨躯のくせして抜刀かい? それに、そのような長い刀――さながら物干し竿のような刀で抜刀なんて、本当にできるのかなぁ?」
クククッ、とまたもはらわたが煮えくりかえる笑いを一つ。
……この野郎。さっきの間抜けのように刀はじき飛ばして済ませてやるつもりだったが、いっそのこと辻斬りにやられたことにしてたたっ斬っちまうか?
煉弥の脳裏にそんなぶっそうな考えがチラリと浮かんだ刹那――――、
「――――ついに見つけたぞッ!!」
という、煉弥と利位が醸し出していた不穏な空気を払拭する、凜とした爽やかな風が一陣。
あいつッ!! タツ兄からあれほど釘を刺されたのを忘れてやがんのかよ!!
利位に対する警戒を緩めずに、声のした方向へとチラリと目線だけを動かす。すると案の定、その目線の先には――――、淡い月明かりにてその身を薄く浮かび上がらせている、さながら地に降り立った天女の如き凜の姿がそこにあった。
白い半襦袢に腰巻だけという、限界ギリギリまで露出させられている肌がさながら月明かりをその身に纏っているかのように淡く浮かび、その腰巻辺りには、凛が常日頃愛用している刀が強く握られ、暗闇を射抜く目線は相対する煉弥と利位の二人に向けられていた。
童貞にはいささか直視しかねるあられもない姿の凜に向かって、
「お、お前ッ!! なんて恰好してやがんだッ?!」
と煉弥は怒声を浴びせ、慌てて視線を利位のほうへと戻す。怒声を浴びせられた凜、聞き馴染みのある怒声につい反射的に、
「お前とは誰に向かって言っているッ!! わたしのことは姉上と呼べと常に言っておろうがッ!! そもそもキサマこそ、ここで何をしているッ!!」
「俺はタツ兄から夜回りを頼まれてんだよ!! お前こそ、タツ兄からあんだけ釘さされたってのに――そ、そっ、そんな恰好して何してやがんだ?!」
そう言われて己のあられもない姿を思い出したか、凜は顔をゆでだこのように真っ赤に染め上げつつ、はだけた胸元を手で隠しながら煉弥に一喝。
「よよよよいか!! こっ、こここ、こっちをけけ決して向くでないぞ!! ももももし、こ、こここっちを見たならば――――この世に生まれ落ちたことを、キサマに後悔させてやるからなッ?!」
一体どんな仕打ちだよそれ……と軽く戦慄を覚えつつも煉弥も負けてはおられぬと、
「頼まれたって見てやるかよ!! っと、それはともかく、お前、何しにここに来た?!」
「たまたま目が覚めて、
つまり、夜中に小便したくなって目が覚めたら悲鳴が聞こえたので、とるものとらず着るもの着らずといった感じで急いで駆けつけてきたということらしい。
まったく、いくら蒸し暑くて寝苦しいとはいえ、一応女なのだから夜着(袖のついた掛け布団のこと)くらい着て寝ろよと、思ったところで、凜がその艶肌を
「どんな理由があれ、タツ兄から言われたことを忘れたのか?! 凛は夜回りをしてくれるな――つまりは、辻斬りの件には余計な手をだしてくれるなっていうタツ兄の言葉をよ?!」
「そっ……それは……!!」
痛いところを突かれ、うぐぐ……と、ぐうの音も出せずに歯噛みをする凛。それを背中に感じ、複雑な思いを浮かべる煉弥。俺が凛の立場ならば、きっと同じことをしているだろう。お前の気持ちはわかるが、ここはぐっとこらえてくれ。
そんな二人の思いの拮抗を、なんとも鼻につく声でもって利位がやぶる。
「凛……貴女が、藤堂凛殿か?」
臨戦態勢を保ったままの煉弥を横目に、ずかずかと凛の傍へと近寄る利位。やがて闇夜に淡く浮かぶ凛の艶美な姿を目にとめ、
「少々背丈がでかい、な。まあ、それも興の一つか……」
と、今日一番のゲスな笑みを浮かべて漏らせば、それを耳にとめた凛、
「……でかい、だと?」
人一倍高い背丈を気にしているいじらしい女心を刺激され、ジロリと雷光でも放ちそうな激しい視線を利位に向ける。初対面で人を値踏みとは、なんという無礼極まりない御仁か……!! いつもの怒声が喉元までせりあがってくるのをどうにか飲み込み、武士としての礼儀にのっとりつつも、多少の皮肉を交えつつ凛が利位に問う。
「あなたがおっしゃる通り、わたしの名は藤堂凛です。しかし、相手に名を問う前に、まずは自分が名乗るのが武士の礼儀であると存じますが?」
「ああ。ああ! そうだね、ボクとしたことがとんだ無礼を働いてしまったようだ! しかしそれも、凜殿のあまりの美しさのために我を忘れてしまった、憐れな一人の阿呆の粗相だと思っていただけるとありがたい」
手で髪をかき上げながらそうのたまう利位の姿に、煉弥も凛も同時に、
……なんなんだ、コイツは。
と身体に鳥肌を浮かべながら身震いを一つ。されど、そこは融通もお世辞も効かぬ女剣士・藤堂凛。すぐに気をとりなし利位に、
「して、お名前は?」
と、棘のある一声を突き刺した。しかし利位も江戸中にその浮名を流すたらし者。凛の放った棘を軽くいなすかの如く、
「利位――柳生利位と申します」
挨拶と同時に甘い声でもって凛に逆襲をする。その胃もたれするほどに甘ったるい声とその声が告げた名の両方に凛は驚いた。
「あなたが……?!」
「おやおや、思いもがけぬところで将来の良き夫に出会い、感激のあまり声をあげて驚いていらっしゃる。クククッ――実に愛らしい方です」
――――戦慄。女剣士・藤堂凛、生涯で初めて接する生粋の軟派男に対し、えも言われぬ戦慄がその総身にはしる。人間、己の考えが及ばぬ相手に出会った時というのが、一番恐ろしいものだ。
「ですが、そのようなお姿を他人に晒すのは感心いたしませんなぁ。貴女のそのようなお姿は――床の間で、夫の前にだけ見せるべきだと、ボクは愚考いたしますが?」
クククッ、と本日何度目かの腹立たしい笑みを浮かべつつ、身構えている凛のそばへと利位がずかずかと近寄る。
「――――ッ!!」
近寄られた凛、利位の言葉で己のはしたない恰好を思い出したことと、利位にせまられたことに顔を赤らめ、ばばっ! とせまる利位から距離を置く。そしてずっと背中を向けている貧乏浪人へ、声を荒げて投げかける。
「よよよよいか!! ああっ、朝の稽古には、かかか必ずくるのだぞ!!」
「わかったから、さっさと帰れよ……」
振り向く煉弥に凛が一喝。
「こここっちを向くなというにッ!!」
す、すまん!! と顔を前へと戻すと、凜の駆け出す音が背中から聞こえ、徐々にその音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
ふぅ……まったく、なんて時になんて奴がきやがるもんだとため息を吐く煉弥。そんな煉屋の背中に利位が問いかける。
「キミは、凜殿とはどういう関係だい?」
「はぁ?」
不快さを前面に押し出した声と共に、煉弥が利位のほうへと振り向く。
「まあ、キミたちのやり取りから察するに、キミと凜殿は中々に、互いに憎からず思っているようだ。凜殿が現れたと同時に、キミは体を微妙に動かし、凜殿から死体が見えぬように気配りをしていたしねぇ?」
「……てめぇの知ったことかよ」
「はっはっはっ!! 確かに!! ボクの知ったことではないねぇ!! ゆえに、ボクがどのような手を使って凜殿を手籠めにしたとしても、キミの知ったことでもないというわけだ!!」
思いもよらぬ言葉であった。
「なにぃ?!」
「おや? なんだいその顔は? クククッ――どうやらキミは、よほど凜殿にいれこんでいるようだねぇ? うん、素晴らしい!! 実に素晴らしいことだ!! ボクはね――――人が大切にしているモノを奪うことが、世で一番の快楽だと思っているんだ!! 次いでの快楽は、美しいと評されるモノを、ボクの好きなようにめちゃくちゃに汚してやって捨ててしまうことなのさ!! 素晴らしいと思わないかい?! つまり、キミの前から凛殿を奪い去ってしまえば、ボクは一度に二つの快楽を得ることになるんだよ!!」
利位の嘲り笑う声に、煉弥はこの利位という男がどのような噂でもって江戸にその名を知られているかを思い出していた。江戸で人気になった町娘・看板娘達を、身請けしてやるとの甘い言葉でささやき落とし、散々に弄んだ後に捨て去って心を堕として嘲笑する。そんな、外道妖怪すらもかわいく見えるようなクズの噂を。
「この……野郎――――ッ!!」
激情にかられ、思わず腰の本差に手をかける。だが、煉弥のその激情でさえ、利位にとっては興の一つにすぎぬと言わんばかりに、
「やめておいたほうが賢明だと思うがねぇ? キミは先ほど、タツ兄、という言葉を吐いていたが、それはひょっとすると、北条家の嫡男である北条蒼龍殿のことじゃないのかい?」
と、ニヤニヤしながら煉弥にいう。
「くっ……!!」
すんでの所で思いとどまり、本差にかけていた手を怒りで震わせながらゆっくりと放していく。この野郎……俺が手を出せないということを察し、いいようにおちょくっていやがる!!
「そうそう。それがいい。まぁ、たとえここでボクとキミがやりあったとしても、ボクが負けることなど万に一つもないけどねぇ――しかし、それだと凜殿が悲しむだろう?」
クズ野郎が。てめぇなんざ、目をつぶってでもぶっ殺せるぜ。それに、てめぇの腕前は凛の足元にも及ばねえんだよ……!!
ギリリと歯ぎしりする煉弥の姿に、クククッ、と満足気な笑みをもらす利位。そしてくるりと煉弥に背を向け、
「さて、よい座興を堪能できたゆえ、ボクはこの辺でお
そう言い残し、利位は憎悪の目を向ける煉弥を尻目に、あの腹立たしい忍び笑いをあげながら闇の中へと溶け込んでいった。
残された煉弥、思いっきり地面を足蹴にし砂をまき散らしながら、畜生がぁッ!! と咆哮する。
外道を逃がしてしまったという無念さと、凜を手籠めにしてやると煉弥の目の前で宣言したクソッタレ利位の言葉が煉弥の心をかき乱す。
――このままでは、ならぬ。
そうは思ってみても、今の煉弥には外道に関しても凛のことに関しても打つ手がない。
ざわつく心を落ち着かせようと、何度も何度も深呼吸を繰り返す。
――平静を保て。止水の如き心を取り戻せ。まずは己のやるべきことを……否、今の己にやれることをこなすのみ。
十数度目の深呼吸の後、煉弥はどうにか落ち着きを取り戻すことができた。それと同時に、仕置き人として、己が真っ先にやるべきことが思い浮かんでもきた。
懐から巾着袋を取り出し、その中から小さな鈴を取り出す。そしてそれをチリチリチリリン、と小気味よくならしてみせた。音が鳴りやむとまもなく、
にゃぁん――――。
というタマの子分の鳴き声が辺りに響く。
「タマとタツ兄に知らせてくれ。辻斬りの被害者が出たと。場所は――――」
かくかくしかじかとタマの子分に言い聞かせる。言い聞かせ終えるとタマの子分は心得たりといわんばかりに、にゃにゃんっ! と駆け出して行った。
「これでよし――」
そう呟き、辻斬りによって無惨な姿にされてしまった武芸者を見下ろし、軽く手を合わせて、心の中で呟く。
悪いな。手厚く葬ってやりたいところだが、まだ御上の検分が残ってるから、それができん。だがせめてもの慰みってわけでもねえが、アンタの無念、きっと俺が晴らしてやるからな。
束の間、武芸者の菩提をとむらい、煉弥は化け物長屋のほうへと、その足を向けるのであった…………。
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