第一幕ノ十四 外道の正体模索――長屋一の智恵者


 煉弥が化け物長屋へと帰りついた頃には、すでに辺りは朝もやと共に白ばみ始めていた。


「連日の朝帰り……か」


 そう言えば聞こえはいいが、この場合の朝帰りは男の甲斐性全力発揮といったような朝帰りではなく、徒労と心労とが折り重なった勤め人の悲しい朝帰りである。


 ため息を吐きながら長屋の入り口である鳥居をくぐる。今日はまだ朝日が登りきっていないためか、いくらかの妖怪たちが長屋通りを出歩いていた。


 といってもその出歩いている妖怪たちの大半は今から部屋へと戻って寝るつもりらしく、各々が枕や寝具をその手に抱いていた。煉弥はその中の一人に問いかける。


「ちょいと、ごめんよ」


 呼びかけられた妖怪が振り向く。すると、その姿を見た煉弥、こいつぁ声をかける相手を間違っちまったかなと頭をかいた。


 なぜなら振り向いた妖怪の顔には、目も鼻も口もついておらず、さながらゆで卵の殻をむいたかのような、つんつるてんの肌がそこにあるばかり。


 しかし今さら、なんでもないっすとごまかすこともできぬ。ダメもとで煉弥はその妖怪の名を口にして問うてみた。


「のっぺらぼうさん。八重やえさんと先生がまだ起きていらっしゃるか、わかりやすかね?」


 問われたのっぺらぼう、首をかしげて考えてる素振りを見せ、さらには宙を仰いで何かを思い出そうとしている素振りも見せた。顔の部位がなくとも、なんとなく表情ってわかるもんだなと煉弥が妙に感心していると、のっぺらぼうが不意に長屋の部屋の一室を指さした。どうやら指さした部屋に行けと言っているらしい。


 どうも。と煉弥が軽く頭を下げると、いえいえどういたしまして、といったようにのっぺらぼうもちょいっと頭を下げてから自分の部屋の中へと消えていった。


 指さされた部屋の前へと移動し、障子をとんとん、と軽くたたいて、ごめんなすってと一声。すると、中から、


「ふあぁ~~い……」


 というなんとも気の抜けた返事が響いてきた。寝る寸前だったか? こいつは悪いことをしたかな。


「八重さん。ちょっとお伺いしたいことがあるのですが、よろしいですかい?」

「わっ、私に……ですかぁ? 私なんかにお答えできることなんて、それこそたかが知れてますし、そのっ、そもそも私って取り柄もなくて、ただちょっと手が器用なだけで、それにそれだって…………」


 障子のむこうで負の空気を滲みだしながら、さながら呪詛のようにもにょもにょとひたすらに己を卑下する言葉がこれでもかと聞こえてくる。これはいかん。あの人のいつものやつが始まっちまう。煉弥は急いで先ほどの言葉を訂正する。


「えっと、正確には先生にお伺いしたいことがあるのですが、先生はいらっしゃいやすかい?」

「はえっ? せ、先生にですかぁ? そ、それはそうですよね。わたしなんかじゃ――――」


 また始まりかける怒涛の自虐を、


「すんません、ちょいと急用でして、よかったらお邪魔してもよろしいですかい?」


 と制する。


「ふぁ?! も、申し訳ありませんっ! 私ったら、本当に何をやってもダメで、いつも皆さんにご迷惑をおかけしてばかりで、毎日毎日が心苦しくて、その――――」

「お邪魔します」


 多少の不作法は許してもらいやすよと、すすっと障子をあける。部屋の中は煉弥には理解のできぬガラクタやカラクリによって溢れかえっており、その中心には、しおらしげにちょこんと座り込み、畳の上を指でいじいじとこねくっている少女の姿があった。


 身の丈は四尺六寸(およそ一五二センチ)ほどで、人と目を合わすのが苦手という理由で目をすっぽりと前髪によって隠したショートヘア。粗末な上下の古着の中に無理矢理押し込んだかのような、今にも古着をはちきれさせんばかりのたゆやかな胸。図々しいというのが当然ともいえる化け物長屋の住人たちの中で、自分に自信がなくて控えめで、少々おっちょこちょいなこの少女の名は――――、


「八重さん、また色々と妙なモンが増えてますね」


「そ、そぉなんですよぉ……。皆さんが私を頼ってくれてるのは嬉しいのですけど……こ、これだとぉ、そのぉ、あ、足の置き場もなくなってしまいそうですぅ……」


 いじいじする手を止め、はふぅ……とため息を吐く八重。


 この八重という少女、その引っ込み思案で赤面症な性格とは裏腹に、いかなる細工職人さえも敵わぬと称されるほどに手先が器用で、その器用な手先でもって、化け物長屋での繕い物や、小物等の修繕を一手に請け負って――否、押し付けられているのであった。


 基本的には、破れた枕や着物の修繕、茶碗や湯飲みの修理等が主だが、一体どこの妖怪が持ってきているのか、何に使うのかまったくわからぬガラクタや、どこで手に入れてきたのか見当もつかぬカラクリ細工の浄瑠璃人形なども持ち込まれているような始末なのだ。


 そんな状態が続いていたせいか、いつしかとりあえず壊れているモノは八重のところに持っていけという、長屋内の暗黙の了解が出来上がってしまっており、そのせいでいつも八重の部屋はわけのわからぬガラクタの集積場となり果てているという次第。


「たまには持ち込んでくる阿呆共につっかえしてやってもいいんじゃないですかい?」

「そっ、そういうわけにもいきませんよぉ……」


 楓からまるで富士山が二つ並んでるみたいねぇ♪ と称された胸の前で、両手を合わせてもじもじする八重。


 妖怪というものは、怠惰・適当・無責任という三本柱で構成されているといっても過言ではないほど、その性格はともかくおおざっぱで毎日の享楽しか考えていない輩が多いのだが、そんな妖怪共の中で、八重は非常に責任感が強いという稀有な存在で、その押しの弱さも相まって、ともかく頼まれたらイヤと口に出せない損な性格の持ち主であった。


 しかし、そこまで頼りにされているというのに、八重はとにかく己に自信がなく、いつもいつも何かにつけては、私なんか……、ああやっぱり私のせいで……、というすさまじいまでの自己嫌悪と被害妄想を口から漏らすのが常であった。この間など、梅雨が明けないのは私がこの世にいるせいです、などと楓に泣きついてきたというのだから、どれだけ己に自信がないか伺いしれようというもの。


 八重がなぜここまで己に自信がないかというと、それは八重の正体にその大きな原因があるのだが……まあ、その正体はすぐにわかるであろう。どうせ、あの助平先生がいらぬことをして、八重の正体を披露させるに決まっている。


「ところで、先生はどこで?」


 問われた八重、あれぇっ? ときょろきょろ辺りを見回し、


「さっきまで、その、あそこにいたはずなのですが……」


 薄暗い部屋の隅を指さした。


 だが目を凝らしてみても、八重が指さした隅には人影一つ見えない。


「いませんな……」

「あ、あれぇ……? せ、先生~先生~どこですかぁ?」


 八重が問いかけてみれば、その声に応えてみせんと、腹の底まで響いてくるかのようななんとも頼もしげな低音が辺りに響く。


『余に、御用かぁ~~~~~い?』


 どこから聞こえたきたかと、煉弥と八重、二人してきょろきょろと部屋の中を見渡してみるが、声の主の姿はどこにもあらず。たまりかねた八重、


「せっ先生ぇ~~! 煉弥さんが、お聞きしたいことがあるそうなので、どっ、どうか出てきてくださぁ~~~い!」


 と、八重という少女にしては少し大きな声で呼びかけた。すると、


『そんなに、余に会いたいと申すなら――とくと、余の粋な姿を御覧ごろうじよぉ!!』


 部屋の中に突如として口上高らかに響いたかと思うと、八重のその豊満な胸の谷間から、しゅるしゅるしゅるしゅる~~~っ! と勢いよく白いもやのようなものが飛び出てくれば、八重も突然の出来事に、


「ひゃっ?! ひゃぁ~~~~~~~!!」


 びっくり仰天玉手箱といったふうに、その首をしゅるしゅるしゅるしゅる~~~っ! と勢いよく天井まで伸ばし、そのまま勢い余って天井にガーーンッ!! と激突したかと思えば、


「いぎぃっ?!」


 と、強烈な痛みを周囲に痛切に感じさせる短い叫びを一つあげ、伸ばした首をそのままに頭が畳の上にへにゃへにゃ……と花がしおれるように落ちてくれば、頭が畳の上に降りると同時に、伸びていた首も畳の上に落ち、首が畳の上に落ちれば八重の体も畳の上に転がって、きゅう……とそのまま目をまわしてしまった。


「だ、大丈夫ですかい?!」


 慌てて駆け寄る煉弥。しかし、この場合、どうすればよいのか見当もつかぬ。目をまわしたろくろっ首を介抱してやるには、頭と体、どちらを優先すりゃあいいんだ?


『だぁ~~いじょうぶだよぉ。八重君と天井のゴッチンコはいつものことだからねぇ。少し間を置けば、勝手に目を覚ますよぉ。八重君は、打たれ強い女だからねぇ』


 声のした方へと煉弥が目を向けると、そこにはゆらゆらとゆらめく真っ白な巨大な人魂に目と鼻と口がついたモノが浮いていた。この巨大な人魂こそ、化け物長屋一の智恵者であり助平でもある――お化け先生その人であった。


「いや、打たれ強いとかそういう問題じゃないでしょうが。そもそもお化け先生……アンタ、なんてうらやましい――じゃなくて、あんなところに潜んでいたんですかい?」

『なぁ~に。少し、考え事をしてたのさぁ。考え事をするには、八重君の谷間に限る。一挙手一投足ごとに揺れる、ほのやかな甘い香りを放つ巨大な果肉に挟まれるは、男子の夢。もし、余にまだ男根が残っていたならば、今頃、発育のよいきゅうりが如く反り返っているだろうねぇ』


 そう言いながら、気が高ぶっているのか、部屋の中を縦横無尽に飛び回る色情お化け。一般人が持つ、お化けというモノに対する想像を見事なまでに裏切るその姿には、おどろおどろしさの欠片など微塵もない。


「それじゃあ、別なことばかり気になって、考え事どころじゃありしませんかい?」

『それがそうでもないのだよぉ。夢心地にひたる無心の時にこそ、良い考えというものは浮かぶのであってねぇ。あれやこれやと妙な雑念を抱いたままの思案なんてのは、その実、思案しているようで思案していない――それどころか、ただ不安な己の心内を考えているという行為によって誤魔化しているだけな場合があるからねぇ』


 もっともらしいことを言ってはいるが、それこそ先生が八重さんの胸を覗こうとするための口実にしているんじゃねえのか?


 しかし、それを口に出したところでこの色情お化けに良いように理屈で丸め込まれることは、今までの付き合いで煉弥は身に染みてわかっている。それにこれ以上事態をややこしくして、用件をこなしている間に、道場の朝練に間に合わなくなってしまうのもいかん。


 煉弥は足の踏み場を一足ずつ確認しながら部屋の隅の水がめへといき、そこで自分の手ぬぐいを水に浸した。そして手ぬぐいをしぼって、目をまわしている八重の頭の方へと移動し、正座して八重の頭を膝に上に優しくのせてやる。そして八重の前髪をかきあげ、意外と広い八重のおでこにしぼった手ぬぐいを乗せてやった。


 う……うぅん……。と小さな声をあげる八重。だが、まだ目を覚ますまでには至らないようらしい。


『おめめを出したら、こぉんなに可愛いのにねぇ。自分がろくろっ首で妖怪としては何のとりえもないからと卑下しているけど、女子としてみれば、非常に類まれなる取り柄を多々持っていることを自覚すればいいのだけどねぇ』

「たしかに、それは言えますな。八重さん、よく俺にもこぼしてますよ。ろくろっ首なんて遠い行燈の油なめるだけの役立たずのぐうたら妖怪なんですぅ~~って」

『はっはっはっはっ~~~。まあ、余を含めてここに住んでる異常能力妖怪共の中にいれば、そういう劣等感を持ってしまうのはいたしかたのないことかもしれないけど、そこまで己を卑下せずともいいのにねぇ。いっそ、ろくろっ首として生きるのではなく、おっぱい妖怪なんていう新たな唯一無二の存在として君臨すれば、その劣等感も消えるんじゃないかなぁ?』


 高らかに笑うお化け先生。いや、おっぱい妖怪なんて、それこそ八重さんの自己嫌悪に拍車をかけちまうのでは?


『さて、冗談はここまでにしておくとして――余に、急用があるとのことだが、それは何用かな?』

「ええ、ちょいと先生のお智恵を拝借願えないかと思いやしてね。タマがもう方々に放言してるとは思いやすが、先ほどおこった辻斬りのことなんですが…………」


 かくかくしかじかと、先ほどの八丁堀での顛末を、利位とのやりとりは抜いてお化け先生に説明する。説明を聞いたお化け先生、ふぅ~~~むと一唸りしたのち、


『風…………』


 とつぶやいたかと思うと、己の意思によっていくらか自由に大きさを変えることが出来るという体を小さくし、八重の胸の谷間へしゅるりと飛び込んでいった。先ほどの胸に挟まれての考え事うんぬんのくだりは、どうやら冗談ではなく本気で言っていたらしい。


「先生?」


 問いかける煉弥の声に答えるは、


『すこぉ~~し、静かにしておいてくれ』


 という、八重の富士の谷間から響いてくる、艶美さとは不釣り合いな低音。しゃあねえ、ここは待つしかねえか。


 手持ちぶさたになり、なんとはなしに、膝の上の八重に視線を移す。


 普段は前髪に隠して滅多に他人に見せることのない、八重の素顔。


 少々広めの愛らしいおでこ。今は目をつむっているが、開けばきっと、くりっとしたつぶらな瞳がその両目に浮かんでいるのだろうと想像のできる大きなまぶた。


 煉弥の周囲にいるのは、図体も態度もデカい義姉上と、何を考えているのかわからない性悪キツネときて、ぴーぴーにゃーにゃーうるさいチビネコに、食欲バカで色気もクソもないイヌ――もとい、オオカミときたもんだ。


 まったく、女の子らしい女の子というのがそばに一人もいない煉弥にとって、八重の女の子らしいふわりとしたやわらかい雰囲気というものはとても貴重で、そしてとても好ましくも感じているものであった。


 ほんと――女の子としてこれだけ魅力的なんだから、もちっと自分に自信を持ちゃあいいのにな。


 八重のおでこの手ぬぐいをひっくり返してやりながら、ふと煉弥はそんなことを思う。そして、そんな思いはすぐに、煉弥に先刻の事を思い出させもした。


 ――――凛殿を手籠めにしたって、キミの知ったことではないだろう?


 思わず表情が険しくなる。知ったことどころか、絶対に許すもんかよ。なぜなら、凛は――俺の大切な…………。


 大切な――――なんだ?


 俺は、凛を――いや、凛と、どうなりたいと思っているんだ――――。


 俺と凛では、決して結ばれることなど許されぬ――――。


 ゆえに、俺は凛から身を退いたはずではなかったか――――。


 それなのに……まだ――俺は…………。


『そんな難しい顔してどぉしたんだぁあ~~~い?』


 いつの間にか、富士の谷間から帰還していたお化け先生が、煉弥の目と鼻の先に、にゅっとご登場。


「おぉわっ?!」


 慌ててお化け先生から顔を離す。まったくお化けだけあって、心臓に悪いことこのうえない。


「驚かさないでくださいよ!! で、何か先生の知識と記憶の中に、あてはまりそうな外道はいやしたか?」

『有力そうなのが三つ、だねぇ』

「して、その名は?」

『その前に、煉弥君に問いたい――君は頬を斬られたそうだが、それは間違いなく強風が吹いた後だったんだね?』

「ええ、間違いありやせん」

『ならば、風神・辻神の類ではないだろうねぇ。となれば残りは二つ。もう一つ確認したいのだが、凶行現場にはひどい獣臭が漂っていた――これも、間違いはないね?』


 煉弥は静かに、だが力強くうなずいて見せた。


『となれば、風斬りという異名名高い“ムチ”でもない。あれは、その異名のとおり、姿のない風そのものの妖怪だからねぇ。風に臭いなどありゃしない。ということは――奴で決まりというわけだなぁ』

「では――その外道の名は?」


 うぉっほんと咳ばらいを一つして、お化け先生は外道の名を重々しく紡いだ。


『妖怪“かまいたち”』

「かまいたち――――」


 ついに明らかとなった、公儀御庭番・特忍組が七年前から追い求めていた外道の名。それを煉弥はオウム返しにつぶやいた。


『このかまいたちという妖怪は、読んで字のごとく、前足が鋭利な鎌になっているイタチの妖怪さ。風を操り、強風と共に人や動物の肉を切り裂き愉悦に入る、まさに畜生根性丸出しの腐れ外道妖怪だよ。そしてこのかまいたちは、常に二匹以上で徒党を組んで獲物を襲うという習性を持っている。つまり、先日の一夜にてほぼ同時に三人がやられたという事件も、このかまいたちの仕業だと考えれば、非常に納得がいくんじゃないかなぁ』

「――――そういう、わけか」


 これで、全ての合点がいった。


 七年前――なぜゆえ、凄腕の仕置き人・藤堂左馬之助があれほど容易に斬られたか。


 全ては外道妖怪“かまいたち”による、多勢に無勢、卑怯千万なる奇襲にあり。


 唇が切れてしまいそうなほどに、強く、強く、煉弥は唇を噛みしめる。


 おっちゃん。ツバメさん。カタキ討ちってわけでもねえけど、御二人の無念――――必ずおいらが晴らしてやっからな。


 刹那、左馬之助・ツバメ・凛・煉弥が四人で笑って暮らしていた幼児期の記憶が煉弥の脳裏を駆けめぐる。


 そして、その二度とは戻ってこぬ甘美な記憶を振り払い、煉弥が仕置き人になることを決意した日に誓った思いを……今一度胸の中で強く思う。


 カタキ討ちなんていう呪縛から――――凜を、必ず解放してみせる。


 そんな決意新たに総身に力をみなぎらせる煉弥の膝の上で、


「う……うぅ~ん……」


 八重がうめき声と共に、目をゆっくりと開いた。状況が確認よくわかっていないらしく、くりっとした瞳をきょろつかせながら目を何度もぱちくりとしている。


「大丈夫ですかい?」

「あ、あれ……私……」


 そう言ったところで、八重は己が膝枕をされているのだということが徐々に飲み込めてきたらしく、長く伸ばした首の根本から徐々に頭のほうへと向かって真っ赤に肌の色を染め上げていき、やがて手ぬぐいの乗ったおでこまで真っ赤に染め上げたところで、


「ごっごめんなさいぃ~~~!!」


 と、物凄い速さでもって、しゅぽん!! と伸ばしていた首を元の長さへと戻した。そして前髪をいつものように下ろしてしまい、煉弥に向かって、土下座と謝罪と己を卑下する言葉の雨あられを浴びせ始めた。


「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! 首を伸ばしてごめんなさいっ! 頭をぶつけてごめんなさいっ! 煉弥さんに膝枕なんてお手間をとらせてしまってごめんなさいっ! お手ぬぐいを濡らさせてしまってごめんなさいっ! ろくろっ首でごめんなさいっ! 妖怪として何のとりえもなくてごめんなさいっ! 油を舐めてごめんなさいっ! 生きててごめんなさいっ! 生まれてきてごめんなさい~~~~~~っ!!」

「ちょ、ちょっと八重さん落ち着いてくださいよ! 八重さんは別に何にも悪いこたぁしちゃいませんから!」

『そうだよぉ、八重君。君は、なぁ~~~んにもわるくはなぁ~~~~い』


 悪いのはアンタだろうが! と言いたい気持ちをぐっとこらえ、なんとか煉弥は八重をなだめようと四苦八苦。やがてなんとか八重が落ち着きを取り戻してくれたのを見計らって、立ち上がる。


「では、俺はこの辺でおいとまさせていただきやす。先生、オイタは程々にしてくださいよ」

『善処、しよう』


 まっこと便利な言葉である。あくまでも善処するのであって、オイタを辞めるつもりなどさらさら無いことは、お化け先生の声の調子から容易に想像できた。まったく、お化けのくせになぜこうまで色事に執着するのか理解ができぬ。


「八重さん、それじゃあ……」


 立ち去ろうと、部屋の障子を開ける煉弥の背中に、


「あ、あのっ――――!」


 と、決死の思いをにおわせる八重の一声。


 振り向き、なんでしょう? と問いかける煉弥の前に八重が差し出したるは、先ほど八重の額に乗せてやっていた煉弥のぼろ手ぬぐい。


「そ、そのっ……き、綺麗にして、お、お返ししますから……」


 頬を季節外れの紅葉を散らしたかのように、彩鮮やかな朱色に染め上げつつそう言う微笑ましい姿の八重を見て、思わず煉弥は表情を緩ませ、


「わかりました」


 と涼やかな優しい一声を部屋に残し、障子を閉めて部屋から退出していった。煉弥が出ていった後をぼぉ~~~っと見つめる八重。そんな八重にお化け先生が、




『たまゆらに

 昨日の夕べ

 見しものを

 今日のあした

 恋ふべきものか』




 万葉集の一節でもって茶々をいれる。この歌の意味はわからぬも、なんとなくお化け先生の言わんとしようとすることを肌で察した八重が、


「も、もぉっ! 先生っ!」


 と、頬どころか顔全体を真っ赤に染め上げてお化け先生に抗議をする。


『は~っはっはっはっ~~~~! 若さだねぇ!』


 高笑いをしながら縦横無尽に部屋の中を飛び回る色情お化け。


 ふ、ふ~~んだっ! とプイっとお化け先生から顔をそむける八重の手には、煉弥の手ぬぐいが愛おしそうに握られているのであった。

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