第一幕ノ十 差配人の想い――必要なのは休息

 過去への回想を終えた煉弥が、楓に向かって頭を軽く下げてみせる。


「まあ、楓さんには本当に感謝していますよ。おかげさまで、色んなモノを見ることができましたし、色んなモノを知ることができましたから」


 つっても、見たくもねえし知りたくもねえこともあったけどな。とは口が裂けても言えない。だが、その点を差し引いても、やはり楓には感謝してもしきれないほどの大恩があることには相違ない。


 なぜなら――――楓さんのおかげで、あいつに会うことが出来たんだから。


 どこかいじらしいような表情を浮かべる煉弥に楓は、


「リンちゃんのことを考えてるのぉ?」


 と思いっきり図星をついた。


「べ、別に、そういうわけじゃあ……しかし、この漬けもの、本当にうまいですね!」


 少しの狼狽を見せながら飯をかきこむ手を再開させる。それを見た楓は、ほんっと、この子は可愛いわぁ♪ と、くくっと忍び笑いを一つ。そして空になった茶碗を煉弥から受け取り、


「おかわりは?」


「いただきます」


「いいこといいことっ♪ 寝る子は育つ、食べる子も育つ♪」


 ふんふんふ~ん♪ と上機嫌で茶碗に飯をよそい、それを煉弥に手渡した。受け取った煉弥はすぐに飯をかきこみ始める。その見事な食べっぷりに、ほぉと息を吐いたところで、


「そうそう。これは楓さんの独り言なんだけどねぇ」


 だから、そのまま食べながら聞いてね、と前置きして楓が話し始めた。


「今回の辻斬り騒動――楓さんとしては、なんだかキナ臭いものを感じているのよねぇ」


「それは、どういう――――」


 独り言っていってるでしょぉ? と、ぷぅと頬をふくらます楓に、慌てて煉弥は口の中に白飯をかきこむ。へそを曲げられては、楓のことだ、きっと独り言とやらを話してくれなくなるだろう。


「楓さんが今回の一報を聞いておかしいなって思ったのは、この辻斬りが七年前と同じものだとするのなら、どうして七年も経った今になって、辻斬りをまた始めたかってことなの」


「…………」


「どうして、“今”なのかしらねぇ? そこになんだか秘密があるような気がしてならないのよねぇ」


 楓のこの言葉に煉弥は、はたと飯をかきこむ手をとめた。


 たしかに、言われてみればそうだ。あの辻斬りの手口から考えて、下手人は明らかに愉快犯であることは間違いないだろう。それはあのタツ兄も認めている。


 だが、下手人を愉快犯だとするのなら、どうして今になってまた辻斬りを始めだしたのか?


 ほとぼりが冷めるまで待っていたとしても、七年は長すぎる。それに愉快犯だとすれば、すぐにでも辻斬りを再開したくてうずうずしていたはずだ。


 さらに言えば、下手人は人間ではなくほぼ間違いなく妖怪である可能性が高いのだ。人を斬ることに快楽を見出した妖怪が、七年もの間じっとしているなど、とても考えられるものではない。


 だとすれば、下手人は人間か? いや、だとすれば、タマの子分の証言がどうにも釈然といかなくなる。あれは間違いなく、人業ではない。とすればやはり妖怪の仕業と考えるが妥当なのだが――――。


 茶碗と箸を手にもったまま難しい顔をしている煉弥に、心情を察した楓が助言をする。


「まあ、考えてもしかたがないんじゃないかしらぁ? そもそもレンちゃんは考えることが苦手なんだし、さっさと行動してその目で確かめちゃえばいいのよぉ♪」


 キツネ目を細めてうふふっ、と笑いつつ尻尾を調子よく左右に振りながら楓が言った。いやいや、考えさせるようなことを言ったのはアンタでしょうが。


 とはいえ、楓の言う通り、ここで頭をひねっていたって答えが出るわけでもない。やっぱり、ここは行動するしか方法はなさそうだ。


 しかし、行動しようにも辻斬りが行われているのは、夜のとばりがおりた、人と妖怪その種族を問わず世の外道どもが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする闇の中。今はおてんとうさまが煌々と辺りを照らす、町人どもの活気でにぎわう真昼間。夜にはまだまだ時間がある。


「ごちそうさまでした」


 箸と茶碗をお膳に置き、久しぶりに心地よい馳走を与えてくれた楓に深々と一礼する。


「お粗末様でしたっ♪」


 それに楓も三つ指をついて深々とお辞儀をして返した。ただ、頭は下がっているが、下がった頭とは対照的にふさふさの尻尾がぴーーんと高々に上がっている。はたしてこれは礼儀正しいといえるのかどうか。ただ、楓のことだ、これがキツネにとって最大限の礼儀のお辞儀よ、なんて言うに違いない。つっこむだけ野暮というものだろう。


「食後のお茶は?」


 姿勢を戻した楓が煉弥に問う。


「いただきます」


 はいはぁ~~い♪ と、楓は袖口に手をつっこみ、その中から湯飲みを取り出し煉弥の前へと置いた。湯飲みの中を覗いてみると緑茶らしきものが入っているのが見てとれた。まったく、あの袖口の中はいったいどうなっていやがんだ。


 ふぅ、ともはや諦観の境地ともいうべきため息を一息吐いて湯飲みを手に取ると、煉弥はさらなる衝撃をその手に覚えた。


 なんと、湯飲みがキンキンに冷えているのだ。驚いた煉弥が片づけを始めている楓に目を向けると、


「よぉ~く冷えてるでしょ~? 楓さんってば、気が利く女なのよっ♪」


 と弾んだ声でそう言って、さっさとお台所で汚れたお膳を洗い始めた。いやいや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、どうやって冷やしたのかということで、さらに言うならなんで袖口から湯飲みが出てくるんだと――――いや、もういい。考えるな。考えたら疲れるだけだ。このキツネと付き合っていくうえではこの場合、ああ、冷えたお茶うめえなぁって思ったほうが建設的だ。今までそうしてきただろう。


 今一度煉弥は楓との付き合い方を自分の中で再認識し、手に持った冷えた湯飲みの中のお茶をぐいっと一息に飲み干した。腹立たしいことに、そのお茶はとてもうまかった。


 すんません、と空になった湯飲みを楓に向かって掲げる。すると楓は心得てますよと言わんばかりに、またも袖口に腕を突っ込んで湯飲みを取り出し、取り出した湯飲みと煉弥の空になった湯飲みを取り換えた。


 おかわりをいただいた煉弥はまたも一息にそれを飲み干し、空になった湯飲みをそばに置いた。それを楓がひょいと手に取り、洗い物の中にそれを加えて洗い始めた。金色の長髪と同じく金色の尻尾を左右に調子よく揺らしながら洗い物をする楓を見ながら、煉弥は食後の充足感をおぼえながらつぶやく。


「さて……これからどうしたもんか……」


 夜までにはまだまだ時間がある。それも、じっとしているにはあまりにも長い時間だ。とすれば何かよい時間つぶしを見つけなければなるまい。


 凛の様子でも見てくるか?


 いや、タツ兄から直々にでっかい釘――それも五寸釘くらいの釘をさされて、きっと今頃歯噛みをしているはず。そんな状態の時の凛に会うなど、自分から嵐の中に身を投じるのに等しい暴挙。時間は潰せるかもしれないが、夜の見回りに大いに影響を及ぼすことは請け合いだ。この案は却下でいいだろう。


 じゃあ、辻斬りの下手人について考えてみるか?


 いや、これはさっき考えてみて、これ以上の推察をするには情報が不足しているとの結論が出たばかりだ。これもナシ。


 じゃあ、町で情報を集めてみるか?


 いや、これもナシだろう。事件のあった翌日に俺のような明らかに見た目が異質な奴が聞き込みをやっているとなれば、周囲に余計な誤解を与えかねない。それはすなわち、タツ兄に迷惑をかけることも意味する。ただでさえ迷惑のかけ通しなのに、これ以上の余計な迷惑をかけるわけにはいかん。


 となれば、何をしたものか……。


 思案していると、洗い物を終えた楓が煉弥のそばにやってきて、袖口から護符を一枚取り出しそれを煉弥のおでこにペタリと張り付けた。


「……なんのつもりですかい?」


 煉弥のこの言葉に、楓は頬を膨らませ少し咎めるような口調で、


「それはこっちの言葉よっ! もぉ、そんなにひどいクマをこさえちゃって、仕置き人に一番大事なのは健康管理って楓さんがいっつも口をすっぱくして言っているでしょぉ?」


「そりゃあ重々承知してますが、それを言うならどんどん俺に仕事を放り込んでくるタツ兄に言っちゃくれませんかね?」


「言い訳しないっ!」


 ピシャリと楓がそう言うと、楓の周囲がまるで陽炎のように揺らめきはじめた。怒りから楓のとてつもない妖力が周囲に漏れ始め、その妖力の奔流によって楓の周囲の大気が揺らいで見えているのである。


 これはまずい。このまま楓を怒らせてしまっては、広場につるし上げられてた畜生二匹と同じ運命を辿ってしまいかねん。ここは素直に言うことを聞くが賢明というものだろう。


「……で、何をなさるつもりですかい?」


「それでね、楓さんとしてはレンちゃんには休息が必要だと思うのよっ♪」


「それはわかりました。ですが、それとこの護符にいったいどんな関係があるんですかね?」


 楓はキツネ目をいっぱいに細めて、じつに悪そうな笑みを浮かべながら、


「だぁ・かぁ・らぁ♪ 休息がぁ~~必要なのよぉ~~♪」


 煉弥の背筋に薄ら寒いものがはしった。何をされるかわからんが、楓さんのあの顔はまずい。あの顔は、オオガミを化かしたりとかする時にきまって浮かべる、ろくでもない悪だくみを考えている時の顔だ。


「ちょ、ちょっと楓さ――――」


「それじゃあ、おやすみなさいっ♪」


 ぱんっ! と楓が手を打つと、煉弥は一瞬にして気を失い、正座したままゆっくりと前のめりになって倒れこんだ。


「これで、よしと。ほんっといつまでたっても世話の焼ける子なんだから。でも、そこがレンちゃんのかわいいところなんだけどねぇ♪」


 ふんふふ~~ん♪ と鼻歌を奏でながら、楓は煉弥のために布団を敷きはじめた。それが終わると、パンパンと二つ柏手を打って式神達を呼び出し、式神達に煉弥を布団の上へと転がさせた。


「最近、少しは凛々しくなってはきたけれど、やっぱり寝顔はまだまだ子供ねっ♪」


 うふふっ、と温かな笑みを浮かべ煉弥に布団をかけてやる。


 そう。この子はいうなればわたしの子供。子供の行末ゆくすえを案じない親などいるものですか。


 今回の辻斬りの一報をタマから聞いた時から、楓は自分の胸の奥底に沸き起こってくる、とてつもない違和感を覚えずにはいられなかった。


 それは先ほど独り言という形で煉弥にもらした“なぜ今頃になって辻斬りを再開したのか”という疑問である。


 昨日から楓なりに色々と頭をはたらかせて思案をみるものの、考えれば考えるほどどうにも合点がいかない。ただただ疑念ばかりが頭の中をぐるぐると回るのみ。


 なぜ“今”なのかしら? “今”じゃなければいけない理由でもあるのかしら? だとすれば、あの辻斬りは何か理由があっておこなわれているのかしら?


 でも、理由があって斬られているとすれば、その理由がありそうなのが悪党妖怪共に恨みを買っていた、当時の指折りの仕置き人である左馬之助ぐらいしか考えられない。


 だがそうだと考えれば、前日に左馬之助の妻であるツバメが斬られたことについての説明がつかぬ。


 辻斬りの下手人が左馬之助に恨みをもっていたと仮定するならば、ツバメを斬るくらいなら人質として利用して左馬之助をおびき出し、そして左馬之助を斬った後にツバメを斬り殺すという手筈をとるが最上の策。


 しかし、実際に七年前に起こったのはまったくの逆。ツバメが先に凶刃に倒れ、そのことに激昂した左馬之助が翌日の警ら中に斬り殺されたのだ。


 そもそも楓は七年前のこの顛末にも納得ができていなかった。


 左馬之助という男は、楓がその腕を認める数少ない凄腕の仕置き人だった。そんな左馬之助が、いくら激昂していたとはいえ、あのようにいとも簡単に後れを取ることなど果たしてありうるのだろうか?


 それゆえ楓は様々な可能性を思索した。だがそのいずれをもってしても、七年前の辻斬りについて明快な説明のできるような案を思いつくことができなかった。


 結局、行きついた答えは蒼龍と同じく、“辻斬りの下手人は左馬之助をもってしても始末をつけれなかった強力な悪党妖怪”という安直だが最も可能性の高い答えを導いたのであった。


 安直ではあるが、この答えなら確かにタマの情報網にもひっかかることなく悠々と辻斬りを繰り返すことができたことにも説明がつく。七年前の辻斬りも、タマと子分たちがその総力をもってして下手人の姿をとらえようとしたのだが、その努力もかいなく下手人の姿をとらえることはできなかった。


 つまり、それほどまでに下手人の妖怪は狡猾なのだ。それでいて、その狡猾な性格に釣り合うような強力な妖力を備えているに違いない。


 だからこそ、タマの一報が入った時、楓はただちに蒼龍に連絡をとり、煉弥を蜘蛛駕籠討伐の任につかせるよう嘆願したのであった。


 蒼龍も今度の辻斬りについては思うところが多々あったらしく、楓の嘆願に渡りに船とばかりに乗ってくれたのだが…………。


「どうして戻ってきちゃうのかしらねぇ、この子ってば――――」


 煉弥のひたいの護符をめくり、我が子の安らかな寝顔を見る。


 煉弥がどうして戻ってきたかは、タマから聞いている。この子らしくていいことね、と思う反面、その優しさが命取りにならなければいいのだけど、とも思う。


 だが、その優しさがなければ、仕置き人として幾度となく外道妖怪と相対していくうちに、外道の返り血を浴びつづけることによっていつかその心もすさみ、やがては修羅の者にもなりかねない。そして、そのような仕置き人を何度も楓は見てきたし、そうなってしまった仕置き人を何度も楓は仕置きをしてきた。


 この子には、そうなってほしくない――――。


 そう思い、楓は煉弥と接するときにはとにかく努めて明るく振舞うようにしてきた。それが功を奏したか、煉弥はちょいとひねくれてはいるが心優しい人間に育ってくれた。そして、今後もずっとそうであってほしいと思う。


「だけど――この子がこうして戻ってきたのも、何かの運命かもしれないわね……」


 きっと、そうに違いない。ひょっとすると左馬之助がこの子を呼び出したのかもしれない。己と妻の無念をはらしてもらうために。


 そして――――二人が愛してやまなかった娘を、カタキ討ちという呪いから解放してもらわんがために。


 きっと――――そうに違いない。


 静かな寝息をたてる煉弥の頭を優しくなで、楓も久方ぶりに我が子の横でお昼寝をすることにした。


 煉弥が夜の警らに向かう時は、いつものように明るく送り出してあげよう。


 そうすればきっと――――いつものようにこの子も帰ってきてくれるだろうから。

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