第一幕ノ十一 夜回り警ら――沸き起こる不安
「きぇぇぇ~~~~い!! ついに現れたか辻斬りめ!! 今宵もおぬし凶刃を振るうて血をむさぼろうと画策し、それがしを見つけては、おお、よい獲物がおったぞ、などと思うていたかもしれぬが、そのような考えなど笑止千万!! おぬしが今まみえし男は獲物ではなく、おぬしを斬って江戸の平安を取り戻さんとする御上に忠実なる忠義の士なり!! さあ抜けい!! いかな外道相手とはいえ空手の相手を斬るなどという卑怯なふるまいをしては武士の名折れ!! さあ、抜けい!!」
夜も真っ盛りの江戸の町中に、一人の武士の小気味よい口上が高らかと響く。
そしてその口上は、手に持っている提灯の火が消えてしまいそうなほどに大きなため息を吐く、一人の貧乏浪人に向けて発せられていた。
「なあ、あんた。どうせ何言っても無駄だろうが、一言だけ言わせちゃくんねえかな?」
「ほう、どうやら覚悟はできていると見える!! よし、いいだろう。貴様の最期の一言、それがしが聞いてしんぜよう!!」
「そいつはどうも。あのな、俺は辻斬りなんかじゃなく、あんたと同じで辻斬りを探してるクチで――――」
「ええい、何をいまさら世迷い事を!! おぬしのような巨躯、面妖な刀、うらぶれた衣服、かように怪しいいでたちをしておれば、一目見ただけで辻斬りだとわかるわ!!」
「まあ、確かに怪しい姿してるのは俺も重々承知してるがな。だからといって、それだけで辻斬りときめつけるのは早計じゃねえか――――」
「問答無用!! 覚悟!!」
いぃぃ~~やぁぁ~~!! と雄たけびを上げつつ武士が煉弥に斬りかかる。
おいおい、刀を抜いていない相手を斬るのは武士の名折れじゃねえのかよ? ちょっとでも、てめえの気に入らねえことがあれば、問答無用の斬り捨て御免ってか。まったく、だから俺は武士ってやつが嫌いなんだよ。
手に持つ提灯を脇へと放り、武士が振り下ろしてくる刀めがけて腰の小太刀を抜刀する。
キィン!! と鋼鉄同士のぶつかりあう甲高い音が響いたかと思うと、武士の刀がその手を離れて宙へと舞う。
「うぬぅ?!」
あまりに呆気なく己の会心の一の太刀を防がれ、あまつさえ刀を薙ぎとばされてしまった武士が驚愕のうめきをあげる。
武士に小太刀による二の太刀の合間など与えぬよう、煉弥は抜刀した勢いそのままくるりと体を回転させ、刀身を逆にし、みね打ちにて武士の腹を薙いだ。
「うごっ!!」
短いうめき声を一つあげ、武士がその場に崩れ落ちる。完全に意識を失って地面に突っ伏す武士を見下ろしながら、煉弥はまたも地の砂が舞い上がるような大きなため息を一つ吐いた。
「こいつで五人目だ……」
煉弥が夜回りを開始して、およそ五時間。出会うのは、辻斬りなぞこの手で斬って捨ててみせる、と腕試しに勇んで辺りを徘徊する、“自称剣客”の腕自慢ばかり。しかもその腕自慢共は煉弥の姿を見るなり、煉弥を辻斬りと早合点して問答無用と襲い掛かってくるのだからたまらない。
辻斬りなんかより、こいつらのほうがよっぽど始末が悪いぜ、と愚痴をこぼしつつ、地に突っ伏す武士を担ぎ上げる。
この瞬間を狙われたら、危険だな――――。
そうは思ってみても、このままこの武士を放っておくわけにもいかない。自分がみね打ちをした相手が、翌日になったら斬られてましたなんてことになっては、これから毎朝目覚めが悪くなるというものだ。
脇に放った提灯を手に取り、煉弥は近くの同心詰所へと歩みを進めはじめた。
すると、近くの家の屋根のほうから、
ニャァン――――。
というネコの鳴き声が聞こえた。きっと今の煉弥の姿を、親分であるタマに報告しているのだろう。戻ったらきっとタマから、
――おみゃ~はお人好しすぎるにゃ! だからいつまでたっても貧乏暇無し甲斐性無しの童貞浪人なんだにゃ!!
と指をさされながら思いっきり笑われるに違いない。まあ、タマのいうこともわからんでもねえが、これが俺の性格だからしょうがねえだろ。と心の中で毒づきながら、煉弥はその歩を速めた。
同心詰所につき、障子を軽く、とんとん、と叩き、ごめんなすってと一声。
すると間もなく障子が開き、出てきた若い同心、煉弥の姿を一目見るなり、
「またそなたか……」
と仰々しく肩をすくめてみせた。気持ちはわからんでもねえが、そうして肩をすくめたいのはこっちのほうだぜ。
「何度も何度もお手数をおかけして、あいすみません」
「大方察しはつくが、一応お役目ゆえ聞いておくぞ。背中の間抜けは辻斬りか?」
「いいえ。ただの間抜けでございます」
「ならば奥に放っておけ!! まったく忌々しい!!」
大きな舌打ちを一つし、同心は詰所の中へと煉弥を招いた。煉弥はそれに応じ、外に提灯をかけて詰所の中へと入っていった。
詰所の中にはもう一人、わりに年をとった年配の同心がいた。その同心も煉弥を見るなり、
「またおぬしか。難儀なことよのう」
と苦笑いをして見せた。
「まったく、おっしゃるとおりで……」
その同心に軽く会釈をし、詰所の奥の仮寝部屋へと向かう。仮寝部屋の障子を開くと、そこには煉弥に襲い掛かってきた腕自慢たちが所狭しと寝かされていた。
「そぉらよっ……と」
仮寝部屋の中に背負っていた武士を放り投げる。どすんっと体を地に打ち付けたときに、うぅ、と武士がうめき声をあげたが、命があるだけマシだと思えと吐き捨て、煉弥は仮寝部屋の障子を閉めた。
煉弥が同心達のいる部屋まで戻ってくると、若い同心が年配の同心に向かって不満を露わにしていた。
「まったく、なんと由々しき事か!! 将軍様のおひざ元であるこの江戸の町に、辻斬りなどという将軍様の御威光に弓引くような行為をはたらく痴れ者が現れようとは!!」
「まあ、落ち着くのだ。いくらここでおぬしがそのように息巻いたとしても、何もなりはせん」
「そうは言いましても、これが息巻かずにはおられましょうか?!」
「されど、みども達が出来ることなどたかがしれておる。御上の忠義を重んじるならば、まずは御上から申し渡された、詰所の任を大事にすべきと考えるが、いかに?」
うぐぐ……! と憤懣やるかたなしといった様相の若い同心と煉弥の目が合う。
「なんだ、まだおったのか!! もう用もなかろう!! はよう失せるがよい!!」
若い同心のこの言葉を年配の同心がたしなめる。
「何をいうか。この御浪人はみども達に出来ぬ夜回りを自ら買って出てきた忠義の士ぞ。称賛されこそすれ、非難を受けるようないわれはない。非難を受けるべきは、大した腕前を持っておらぬくせに勇み足にて夜回りをおこない、しかも辻斬りとは関係のないこの者に斬りかかってきた阿呆共よ。すまぬな、御浪人。この者はまだ若いゆえ、少々の無礼は笑って済ませてくれるとありがたい」
立ち上がり、深々と煉弥に対して頭を下げる年配の同心。若い同心、慌ててそれにならって、
「す、すまぬ! これ、このとおり!」
と腰を悪くするのではないかというような勢いで煉弥に頭を下げた。
「い、いや、そんなことをされるとこちらが困ってしまいます。さあ、頭をお上げください。さあ、さあ」
煉弥の言葉に年配の同心が頭をあげ、ついで若い同心もその頭をあげた。
「ところで御浪人。今宵のところは寝所に引き上げられてはいかがかな? さすがの辻斬りも、ここまで遅い刻限になってしまっては、辻斬ろうにも辻斬る相手もおらぬと思うておるだろうし、御浪人もさすがに阿呆共の相手で疲れが出ておるだろう」
「もう、そんな刻限になっていますか」
若い同心がすかさず、
「うむ。そろそろ丑三つ時にちかい」
丑三つ時――――。
となれば、なおさら引き上げるわけにはいかん。外道が動くには最適の刻限だ。それに獲物なら腕自慢の阿呆共がわんさと闊歩している。運が良ければ、今日でケリをつけれるかもしれん。
「お心遣い、痛み入ります。ですが、もう少しだけ回ってみようかと思います」
「そうか……うむ。それもよかろう。では、御浪人、お気をつけてな。命は一つしかないのだぞ」
「ありがたく存じます。それでは、これにて――――」
煉弥が詰所から出る時、背中に若い同心の、ふん、そこまでして手柄がほしいか、あさましいものよ。と侮蔑の声が浴びせられた。
手柄、か――――。人をぶっ殺して、手柄もクソもあるもんかい。
煉弥は心の中でそう吐き捨て、外にかけておいた提灯を手にし、同心詰所を後にした。そして、同心詰所が見えなくなるくらい歩いてから、その足を止める。
このまま当てもなくぶらついていては、また阿呆共の相手をさせられるに違いねえ――さて、どうするか。
煉弥は朝の北条家での蒼龍とのやりとりを思い出した。
その時に蒼龍が広げて見せてくれた辻斬りの分布図からは、次の辻斬り発生の場所は予測できそうにはないということだった。
ただ、その分布図を見るからに、少なくとも辻斬りが一度起こった場所では、二度目の辻斬りが起こってはいなかった。とすれば、今もって辻斬りが行われていない場所が、今のところは辻斬りの起こる可能性が高いということだ。
だが、それを当てはめようにも、広い江戸の町において辻斬りの起こっていない場所のほうが遥かに多く、だからこそ予測ができないということにもなるのだが…………。
それでも、当てもなくぶらつくよりはマシだと、煉弥は仕置き人として今まで培ってきた勘を信ずることにした。
「ここはヤマカンでいくしかねえな」
分布図から察するに、下手人は場所に何か思い入れがあるというわけではなさそうだ。それに被害にあった者達の身分や就いてる仕事から見ても、そこに何かこだわりがあるわけでもない。
じゃあ、何を基準にして考えるか?
あまり良い気分ではないが、ここは下手人の気持ちになって考えてみるべきだろう。
現時点で考えうる下手人像をしてみよう。愉快犯であること、おそらく妖怪でありそれもかなりの妖力を秘めた者であること、狡猾でどこか人間たちをコケにしてるような印象を受けること――ざっとこのくらいだろう。
そんな胸糞悪い外道が次に凶刃をはたらくは
「俺だったら――――」
煉弥は下手人の立場に立ち、思案した。そして一つの答えを導きだした。
「八丁堀――――」
馬鹿馬鹿しい答えだと思う。
しかし、この外道は人間達を、そして仕置き人達を完全になめきっているような気がする。つまりは
そんな外道だからこそ、八丁堀で辻斬りを起こし、それにて一層愉悦感を得ようとするのではないか?
分布図を見る限り、八丁堀ではまだ辻斬りは起こっていなかった。となれば、外道が現れる確率はそれなりにあるのではないか?
「……急ごう」
手に持っていた提灯の火を消し、提灯を放り投げた。そして先ほどまでの気だるげな足取りから一変、煉弥は飛ぶようにして駆け出した。
駆ける煉弥の胸の内――――それは恐怖。
だが煉弥という男は、いかに強大なる外道が相手でも、外道如きに恐れをなして恐怖を感じるような臆病者ではない。
煉弥が今感じている恐怖というものは、不安から来る恐怖である。
なぜなら、八丁堀には北条家の屋敷がある。そして、北条家の屋敷の目と鼻の先には藤堂家の屋敷――つまり、凛の屋敷があるのだ。
大丈夫だとは思う。大丈夫だとは思うが――――。
あの凛のことだ。タツ兄からあれだけ釘を刺された以上、不本意ではあろうが屋敷の中でおとなしくしてくれているだろうとは思う。
だが、もし……もし、両親のカタキかもしれぬと、憎しみに抑えがきかなくって夜回りなんてしていたら?
そして――――もし、辻斬りと鉢合わせでもしていたら?
ええい、そんなことあるものか!! そんなことに、俺がさせてなるものか!! 駆けろ!! 駆けろ!! 今はただ、疾風が如く!!
不安と恐怖を胸に秘めつつ八丁堀への道を駆ける煉弥。
八丁堀へと駆けるその道すがら、己の耳に響く風切り音が、煉弥の大切な者へと凶刃が振り下ろされた時のような音に聞こえて、なおさら煉弥の心を焦燥の念に染め上げていくのであった。
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