第一幕ノ四 化け物長屋での騒動――畜生喧嘩

「お~~いレンニャ~~!! 子分たちから聞いたけど、おみゃ~はま~た余計なおせっかいでも焼いてきたにゃ?」


 いたずらっ子のような幼さを思わせる声とともに、障子を開けて現れた妖怪の姿に、煉弥はつくづく己の運の悪さというものに絶望した。


 身の丈はおよそ十歳くらいの童子と同じくらいで、太ももが露わにほどの非常に丈の短い白い着物をまとい、その白さをひきたたせる黄色い帯をしめている。ところどころ露出している肌の色は、オオガミのそれとは対照的に陶磁器を連想させるような乳白色をしていた。白銀の髪色をしたポニーテールの髪は、ふわふわとした質感をもち、さながら新雪を思い起こさせる。白玉のようなほっぺたにはネコのひげが左右対称に三本ずつ伸び、青い大きな瞳の上には一目見たら忘れられない麿マユゲがのっかり、頭の上からはこれでもかと主張するネコミミを興味津々とばかりにピコピコ動かしていた。


 見てくれからわかるように、もちろんこの少女も人間ではない。


 少女の名はタマ。その正体は化け猫で、このタマもまた煉弥と同じ妖怪仕置き人の一員である。


 ただこのタマは武芸よりもそのたぐいまれなる情報集能力の高さが周囲から評価されていた。タマがなぜそこまで情報収集が得意かというと、その秘密は江戸中に散らばるタマの子分たちにあった。


 ここでいうタマの子分とは、江戸に住まう猫のこと――つまり、タマは江戸中に散らばる猫たちから様々な情報を得ることができるというわけで、それがタマの特技であるテレパシー能力とあいまって、常にリアルタイムでタマは江戸中の動きを把握できるのである。


 つまり、江戸で何か動きがあればすぐさまタマの知るところとなるのだ。そして、その情報をもとに、他の仕置き人仲間に敵の居場所や、的確な状況を知らせ、仕置き人達の生存率と仕事の成功率を大きく底上げすることに貢献しているのであった。


 そんなタマゆえ、仕置き人仲間がタマにつけた愛称が『地獄猫耳のタマ』。だが、情報通のくせに非常に口が軽いことでも知られており、その口の軽さの被害にあった仲間からは『かわら版のタマ』という蔑称べっしょうでも呼ばれているんだとか。


 慌てて布団をかぶって身を隠すオオガミ。それをできるだけタマの視線に入れぬよう、瞬時にタマの前へと体を移動させ視界をふさぐ煉弥。まさに阿吽の呼吸といったこのコンビプレイは、タマに対する互いの防衛本能が効率的に働いた成果であった。タマに今の煉弥とオオガミの状況を見られでもすれば、とんでもない風説が面白おかしく尾ひれをつけられて流されること間違いなしだ。それだけは絶対に防がなくてはならない。


「なっ、なんの用だ?」


「別に、にゃんがおみゃ~に用事があるわけじゃないにゃ。おみゃ~がこっちに戻ってきてるというのを、さっき蒼龍そうたつに出会ったときに話したら、すぐに屋敷まで来てくれと伝えてほしいって頼まれたから、様子見ついでに来たまでにゃ」


「タツ兄が?」


「そうにゃ。おみゃ~がいない間に、江戸でちょっとややっこしい事件があってにゃ。たぶん、そのことじゃないかにゃ」


「事件? どんな?」


「辻斬り事件だにゃ」


「辻斬り――――」


 煉弥の脳裏に、嫌な思い出がよみがえる。両親の亡骸にすがり、血に塗れながら泣き叫ぶ少女。何もできなかった自分。煉弥を今の公務につくことに決断させた、忌まわしい事件。七年前の、あの辻斬り事件。


「ところで、レンニャ」


 タマの言葉で我に返る。気負うな。今度の事件の下手人があの時と同じ奴とは限らねえ。それに、その事件を俺が追いかけるかどうか決まったわけでもねえんだ。とにかく、まずはタツ兄から、詳しい話をきいてからだ。


「なんだ?」


「さっきから気になってるんだがにゃ。おみゃ~ってばな~んでこんな玄関口でつったってるにゃ?」


 さすがは地獄猫耳のタマ。異変をかぎつけるその鋭い嗅覚が煉弥の小さな異変を察知したようだ。


「いや、な。その、あれだ……俺もついさっき帰ってきたばかりなんだよ。だから俺がここで突っ立っていても変じゃあるまい?」


「おみゃ~はマヌケにゃ? あの街道から徹夜でここまで歩いてきて、やっと帰りついたとくれば、おみゃ~の性格なら草鞋も脱がずにさっさと布団に飛び込んでいそうなものにゃ。それなのに、草鞋も脱がずに突っ立ってるというのは、あきらかに妙な話にゃ」


「そっ、それは……」


「ひょっとして、布団に飛び込めない理由でもあるにゃ?」


 そういって煉弥の横をすりぬけようとするタマを慌てて体で防御する。


「なっ、なんでもねえよ! 俺は今からタツ兄のところへ行くから、お前もさっさと自分の部屋へと帰れ!」


「ふぅぅぅ~~~~~ん……?」


 訝しむタマのネコ目がキラリと光る。まずい。さすがに勘づかれたか。


「ま、いいにゃ。にゃんも暇じゃないから、おみゃ~の言う通り、さっさと部屋に帰って寝ることにするにゃ」


 ふんふふ~ん♪ と鼻歌交じりに背をむけるタマに、煉弥は肩透かしを食らった気分になった。いつもならしつこく食い下がってくるくせに、今日はなんだかやけに素直じゃねえか。安堵のため息を吐く煉弥。しかし、世の中そんなに甘いわけがない。


「隙ありにゃっ!」


 気を抜いた煉弥の股下をくぐり、布団の前へぴょ~~んっと一足飛びに向かうタマ。今は人の姿をしているとはいえ、その身軽さはやはりネコならではである。


「しまったっ?!」


 後悔したところでもう遅い。すでに敵は布団をつかみ、ネコ目をキラキラと輝かせながら一息にひんむいてやるにゃと意気込んでいる。死刑執行二秒前、といったところか。


「よ、よせっ!!」


「よせっ!! と言われてよしてやる化け猫がいてたまるかにゃ!!」


 謎の理論を振りかざしながら、タマは一息にオオガミがくるまっている布団をはぎとった。


「ッ?!」


「んにゃっ?!」


「勘弁してくれよ……」


 オオガミは声の無い悲鳴と共に体をびくっ! と震わせ、タマは想像もしていなかったオオガミのあられもない姿に仰天の声をあげ、煉弥は己の不運に対して心底からの悲嘆の言葉をしぼりだした。


 部屋の中にまたしても沈黙が流れる。だが、今回の沈黙は乳房を両手で隠し、足を組んで陰部が見えないようにしっかと防御し、頬を羞恥の淡い赤色に染めながらタマを見つめるオオガミによってすぐにやぶられた。


「よ、よウ……。お、おはよウ……」


 なんとか場をとりなそうとしてオオガミなりに必死に考えた結果がこの言葉である。なんとも間抜けな感じがするが、今の状況で口にできることといえば、せいぜいこれくらいしかないのかもしれない。


「お、おう……。おはようにゃ……」


 タマもとりあえずそれに応答した。そしてオオガミの足元に目をやり、それから頭のほうへとゆっくりとなめるように視線を動かし、オオガミが裸体であることを改めて確認した。


 くるりとタマが煉弥のほうへと振り向く。頭をおさえている煉弥の姿を見て、タマはニマァ~となんとも悪そうな笑みを浮かべた。まずい。このままでは色んな意味でまずい。煉弥はウォッホン! と大きな咳ばらいをして、タマの注意をひきつけようとした。


「いいか、タマ。これには、な……その、ふかぁ~~~~いワケがあってだな――――」


 そんな言い訳をおとなしく聞いてやるほど、ネコという生き物は落ち着いた性分を持っちゃいない。タマはまたもぴょ~~んっと一足飛びに玄関口まで飛んでいき、部屋から飛び出て両手を口元へ添え、遠くの山々にも届けといわんばかりの叫び声をあげはじめた。


「おぉ~~~~い!! みんな、よく聞くにゃぁ~~~~!! あのレンニャがついに男になったんだにゃぁ~~~~!! しかも、相手はにゃぁ~~んとあのオオガミってんだから驚きにゃぁ~~~~!!」


 タマの声が長屋中にやまびこのように響き渡る。次いで一瞬の静寂。だがすぐにその静寂はところどころから巻き起こる怒声によってやぶられた。


『なぁにぃぃぃ~~~~~~~?!』


 続いてピシャンッ!! と勢いよく開け放たれる長屋すべての部屋から巻き起こる障子の音の大合奏。それが終わると、どどどどっという地鳴りと共に煉弥の部屋へ押すな押すなと押し寄せる、異形の者どもの百鬼夜行ひゃっきやこうと称すには生ぬるい数で押し寄せる妖怪共の千鬼朝行せんきちょうこう。煉弥とオオガミの恐れていたことが、今まさに現実となってしまった。


『ついにやったか?!』


『どうだ、男になった感想は?!』


『うまくいったか?!』


『童貞と生娘同士だ、どうせうまいこといっちゃいねえよ!!』


『ってことは、まだ童貞だってのか?! おい、どうなんだ?!』


『なんだい、まだ男になってないってんなら、あたしがいつでも男にしてやるのにねぇ』


『そいつぁいい!! 今すぐみんなの前で男にしてもらえ!!』


「だぁ~~~~!! うるせぇ~~~~!!!!!」


 言いたい放題の好き放題をしくさる妖怪共に、昨日の徹夜仕事の憤懣ふんまんも手伝って煉弥の怒りが爆発した。


「てめえらの期待に沿えなくて悪いがなぁ!! 俺はさっき帰ってきたばかりで、別にあの犬畜生と何かあったわけじゃねえんだ!! 元はと言えば、あいつが勝手に俺の部屋に入り込んで寝てたのが原因であって、いうなれば俺のほうが被害者なんだぞ?! それに、言わせてもらえば、俺の大事な初体験くらいはせめててめえら妖怪や畜生相手じゃなく、ちゃんとした人間の女を相手にさせてくれよ!!」


『ってことはオオガミが煉弥を誘ったってわけか?!』


『ただのバカかと思ってたが意外と大胆なところがあるじゃねえか!!』


『いや待て!! ということは煉弥はオオガミの誘いを蹴ったってわけか?!』


『据え膳食わぬは男の恥って言葉を知ってるか、このクソ童貞が!!』


『なにさ、あんた!! 女に恥かかせたってのかい?! ちゃんと責任とってやんなよ!!』


『そうだ!! そうだ!! 今すぐここで抱いちまえ!!』


「――――おイ!!」


 オオガミの刺すような一声が妖怪共の罵詈雑言を止めた。


「さっきから聞いてりゃ、好き勝手なこといいやがっテ……!!」


 いつのまにか布団にくるまって裸体を隠したオオガミは、その全身を怒りによって小刻みに震わせていた。その様は、さながら噴火寸前の活火山を思い起こさせる。


「そうだ!! オオガミ、てめえからも何か言ってやれ!!」


 煉弥のこの一言で、オオガミ火山は噴火した。


「煉弥!! テメエ、オレは犬じゃねぇぞコラ!! オレは狼だゾ!!」


「そこかよ!! この状況でそこかよ!!」


 ムキーッ!! と怒るオオガミの前に滑り込むようにしてタマが駆け寄った。


「わんころにわんころって言ってどこが悪いにゃ!! おみゃ~は食欲バカのわんころにゃ!! しかも今は性欲バカで発情期をむかえた卑猥極まるメス犬にゃ~~!!」


 べろべろべ~~っと舌を出し挑発するタマ。これにはオオガミも怒りの矛先をタマへと向け、ますます猛り狂ってタマへとかみつく。


「このクソネコガ!! 何度言わせりゃわかんだ、このバカたれガ!! オレは犬じゃなんかじゃねエ!! 狼ダ!! オ・オ・カ・ミ!!」


「お~いみんな、聞こえたにゃ? 盛りに盛ったメス犬がきゃんきゃん物欲しそうな声をあげてるにゃ!! 色情バカの色キチガイにゃ!!」


「テェンメェ……!!!!」


 ざわざわざわ――と、オオガミの髪の毛が逆立っていく。なりは少女でも、その真の姿は、かつて東北一帯をその手で支配した誇り高き千疋狼。これ以上の侮辱は許すわけにはいかぬと、元の狼の姿に戻ろうとするオオガミに対し、


「なんのつもりにゃ? おみゃ~ひょっとしてにゃんとやる気にゃ? それだったらにゃんも受けて立ってやるにゃ!! 犬畜生なんかに、化け猫様が負けてたまるかにゃ!!」


 フーーーーッ!! と、威嚇する声を出しながら、タマもポニーテールと尻尾の毛を大きく膨らませて逆立たせ、やってやるにゃと臨戦態勢を見せた。そんな二匹の姿に煉弥が慌てて嘆願する。


「おいおいお前ら……やりあうんなら、せめて俺の部屋の外でやりあってくれよ?」


 だが、そんな煉弥の嘆願なぞ届くはずもなし、二匹はあっという間に元の狼の姿と化け猫の姿に戻ってしまい、一触即発のにらみ合いを決め込んだ。あとはきっかけさえあれば、猫と狼のにゃんにゃんきゃんきゃんの大喧嘩の勃発だ。


「お、落ち着けよ? まずは、外にでよう、な?」


 煉弥がゆっくりと二匹に歩み寄ろうとすると、これまた不運の星の元に生まれた運命か、腰に下げている長刀が足元にいた鐘の妖怪に当たってしまい、ごぉぅん――と、さながら戦闘開始の合図のような音を出してしまったのだった。


『ブッコロス!!』


『ヤッテミロニャ~~!!』


 鐘の音とともに二匹はとびかかりあい、部屋の中は、にゃんにゃんきゃんきゃんときてどったんばったんがっしゃらこんの大騒ぎ。


 布団は切り裂かれながら宙に舞い、茶わんや湯飲みは粉々になって吹き飛んで、それが障子にぶつかりゃ障子も吹っ飛ぶてんやわんやのふってわいた大災難。


「勘弁してくれよ……」


 力なくうなだれる煉弥を尻目に、集まった妖怪達は、景気よくやれやぁ!! と騒ぎ立て、しまいには、どっちが勝つかとバクチの対象にしてしまってのやんややんやのお祭り騒ぎ。


 火事と喧嘩は江戸の華とはよく言ったものだが、それは人間だけではなく、妖怪であっても同じこと。むしろ、人間よりもはるかに長生きで娯楽に飢えている分、妖怪のほうが始末に悪いことおびただしい。


 こう騒ぎが大きくなってしまっては、もう煉弥の手で収拾のつくものではないということを、煉弥は今までの経験則から痛いほどわかっていた。これはもう一種の天災にあったのだと受け入れるしかない。


「まったく……やってらんねぇなぁ……」


 このままここにいてもしょうがない。タツ兄からの呼び出しもあったということだし、蜘蛛駕籠の報告がてら、御用聞きにでも参るとしようか。


 タマとオオガミだけではなく、いつの間にか外野の妖怪共も喧嘩を始めだした修羅場から離れようとして、ふと煉弥はあることを思い立った。


 その場を離れようとした足を止めて振り返り、煉弥の部屋の隣であるオオガミの部屋の前へと移動した。そして障子をあけてオオガミの部屋の中をのぞいてみる。


「……なるほど。たしかにこりゃあ間違えられてもしょうがねえのかもな」


 その散らかりよう、万年床の場所、たしかに間違えられてもおかしくないほどに煉弥の部屋と酷似していた。布団の大きさに違いはあれど、眠気まなこで部屋に入り込めば、オオガミの言う通り間違えられてもしようのないことかもしれない。


 タツ兄のところから戻ったら、寝る前にちったあ部屋の片づけでもするかな。


 そう思い、オオガミの部屋の障子をしめ、喧嘩祭りの様相を呈してきた自分の部屋へと視線を移した。


 まあ、それも――――俺の部屋が原型をとどめてくれていたらの話、だな。


 煉弥はやれやれと頭を掻いて、妖怪共の馬鹿騒ぎに背を向けた。そしてなにやら呼び出しがあったという蒼龍の屋敷の元へと歩みを進めるのだった。

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